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【蒼フロ3周年記念】蒼空・零 ~1946年~

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【蒼フロ3周年記念】蒼空・零 ~1946年~

リアクション

 あまり顔を上げないようにして歩いた。
 顔立ちで外国人と悟られるのを避けるため、というのは多分、自分を納得させるための表向きの理由だと、九条 ジェライザ・ローズ(くじょう・じぇらいざろーず)は判っている。
 本心を言えば勇気がなかったからだ。
 焼け野原となった渋谷の街、戦争の爪痕が色濃く残る現実を、顔を上げて見渡す勇気が。
 これでも戦時中よりは随分ましになったというのだから驚かざるを得ない。
 すれ違うのは明らかに栄養が足りていない人々ばかりで、片手や片脚を無くした姿も珍しくない。腕や脚に欠損がある者が、決して元兵士に限られないことがさらに痛ましかった。
 澱んだ空気の中、行き倒れてそのまま死体となっている者も見た。倒壊した建物の下に白骨も見た。
 着実に復興が始まっている時代でありその息吹は感じるものの、必死で生きる人々の足元にはなお、拭えぬ悲惨な現実が横たわっているのだ。
 それでもローズは目を逸らすことだけはしなかった。
 男ものの服に着替え帽子を目深く被った状態で、往来をきっちりと観察する。
 渋谷で戦闘になった場合を想定し、避難経路を確認しておくためである。薬や治療のための道具がおいてありそうな所をチェックしておくのも忘れなかった。
 どれくらい歩いただろうか。
 唐突に、本当に唐突に、このときローズは顔を上げることになった。
 一人の青年に呼び止められたのだ。
 青年は警官の制服を着ていた。

 音無穣(おとなし・みのる)は二十歳の警察官である。渋谷署が管轄するとある派出所勤務の巡査部長だ。
 この時代、警察官をやるのは難しい。進駐軍にはもちろん勝てないし、ヤクザ者、闇市業者、お抱え外国人……そういった者も警察以上に力を持っている。その上、戦時中、『威張りくさっていた』というイメージのある警官は、その反動で一般人には軽蔑される傾向にあった。なんだあいつら偉そうにしてたくせに、日本は負けちまったじゃねぇか、という具合である。
 そんな時代だからこそ理想的な警官でなければならない、そう考えているわけでもないだろうが、穣は自身の職務に忠実だった。なるだけ愛される警官になるべく、労苦を惜しまず不正を許さなかった。たとえ相手が進駐軍の兵士であっても、不逞行為を働けば速やかに拘束し、闇市業者が商売をするところまでは必要悪として見逃す程度の柔軟性は持ちつつも、その商業活動に嘘やごまかし、恐喝のたぐいがあれば峻厳に取り締まった。この時代、警察官の腐敗は眼を覆うものがあった。その理由を彼は、警官たちが僻みっぽくなっているせいではないかと思っている。
 胸を張って生きよう。自分に、恥じたくはない。
 無論、悪の誘惑もある。買収を持ちかけてくる賭博関係者は少なくなく、昇進をエサに進駐軍に手心を加えるよう求める上層部もあったが、穣はそれらを受け付けなかった。そも、金銭や昇進には興味がなかったのである。その気になれば賄賂で私腹を肥やすことも、出世街道を邁進することもできたろうに、この年齢にして早々にその可能性を捨て、派出所勤務の一警官こそ「僕の性にあってる」として勤勉に励んでいた。
 そんな穣だが、生真面目すぎて近寄りがたい性格ではないということだけは強調しておきたい。むしろ基本は世話焼きでお人好しなので、地元住民には「駐在の兄ちゃん」と親しまれ良好な関係を築いていた。
 その彼がパトロール中、声をかけた相手こそがローズだったというわけだ。

「お嬢さんは外国の人かな? 最近は随分日が長いけれど、一人で出歩くのは良くないよ」
「えっと……」
 できれば注目されたくなかった。
 困ったな、とローズは頭をかいた。そもそも、いきなり「お嬢さん」と見破られたところからして良い出だしとは言えまい。
 駐日文官の関係者だろうか。場合によっては居留地まで送るつもりで穣は問うた。
「お名前は?」
「ろ……ローズ。苗字もローズ」とっさに一部偽名を名乗ってみたが、逆に嘘くさいかもしれない。
「ローズ・ローズ……さん?」
「そう」
「僕は音無穣。警察官だから怖がることはないよ」
 浮かべた温厚そうな笑顔に、ローズはなんだか安堵した。
 ただ、安堵しただけではなく親しみを覚えた。この時代の人間に知り合いなどいるはずはないのだが、『ミノル』は前から知り合いだったような気がする。
 ローズは顔を上げた。
「警察官さん……ええと、本官さん、とでも呼べばいいのかな?」
「穣でいいよ」
 彼もなぜか、この少女には親しみを覚えた。どこかで会ったことがあるように思うが、それがどこかは思い出せなかった。
 客観的にこの二人のやりとりを見る者があれば、二人の顔立ちに、そこはかとない共通点を見出したかもしれない。どこがどう、というわけではないのだが、整った顔から受ける印象が似ているのだ。
「ミノル、教えて」
「えっ、何を?」
「異変はない? この渋谷の街に……なにか不穏なものを感じない? ここ数日で」
 知り合って一分で持ちかけるにはあまりに突然すぎる質問である上、雲をつかむほどに漠然とした話ではないか。
 変な人に声かけちゃったな、と穣は頭をかいた。
 その仕草がまた、直前のローズをトレースしたかのようなのだが、そのことにお互い、気づいてはいないのである。