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リアクション
「……足りない、だって?」
親魏倭王 卑弥呼(しんぎわおう・ひみこ)が仮設店舗で作った作業員用の仕出し弁当の配達がてら、『蒼木屋(通称:卑弥呼の酒場)ニルヴァーナ別館』の建築を依頼するため、セルシウスの仕事ばを訪れていた弁天屋 菊(べんてんや・きく)は、端正な顔立ちを引きつらせる。
「ああ……数えたのだが99999Gしかない。1G足りんのだ」
机の上に積まれた袋から出したお金を数えていたセルシウスが菊を見る。
「まさか……道で落としたのか……」
「……言っておくが、私への設計依頼の期限は今日までだぞ?」
「たった1Gじゃねぇか! 明日には必ず払うって!?」
菊は動揺する。今も、仕出し弁当を届けたりしていたが、これの振込みは明日だし、さらに蒼木屋のフランチャイズ料の支払いに有り金叩いた後で本気の金欠なのだ。
「……今日だ」
セルシウスにも事情はあった。彼は今回受けた依頼の報酬の一部というか大部分をエリュシオン帝国に収めなければならない。上前をハネられてもあまり気にならないが、収めるお金が足りないのは少しマズい。
「うぅ……な、なんとかするさ! 今日中にな!」
「私以外にも街には設計士が多くいるがな? そちらをあたってみては?」
セルシウスの提案を菊が机を叩いて否定する。
「いーや!! あたいはセルシウス、おまえに卑弥呼の酒場を建てて貰えるってことでこうして足運んだんだ!! というより、これを建てるのはおまえ以外の誰がやると言うんだ!」
「ぬぅ!!」
一日の疲れを癒す憩いの酒場は必要だし、パラ実分校の資金にもできると一石二鳥だよなと考えていた菊だが、設計を指名されたと考えたセルシウスは、菊の情熱を良い方に解釈した。
「では、貴公を信じて、店の打ち合わせをしようか?」
菊は椅子に腰を下ろし、セルシウスに要望を語りだす。
「まず、酒場に必要な機能は一通り揃えているって感じだ。シャンバラにある卑弥呼の酒場と同じにな」
「ドリンクバー……豊富でお手頃価格のメニュー……そしてミード(蜂蜜酒)は必須と……」
「よく覚えてるじゃん!」
「学習したことは忘れぬ性分でな」
「それと、VIPルームもな」
「そこは内装を変えるだけで……」
「違うね」
菊がセルシウスの言葉を遮る。
「VIPルームは、巨大な人も余裕で出入り可能な専用出入り口を設けて欲しいんだ。最低でも董卓様が入れるサイズな?」
「専用入り口付きか……間取りが重要だな」
「あー……董卓様が入れるサイズってたけど、本当の理想はドージェやドラゴンが入れる部屋がいいんだよ……でも建物代が1000万Gくらい必要か、これ?」
「大丈夫だ。土地の上や下に店を伸ばせば、そのサイズも収納可能であろう。なるほど、それ故のVIPルームか」
「ま、それもあるけど、今回の店にはある仕掛けを作って欲しい。これを見てくれよ」
菊は、依頼資金と共に持参した書類を机の上に置く。
「この建物……日本のニンジャ屋敷と呼ばれるものだな?」
資料に目を通すセルシウス。そこには、ニンジャ屋敷特有の回転扉や掛け軸の裏の脱出通路等が細かく記されている。
「緊急時の脱出通路を作って欲しいんだ。これはVIPルームにも完備しておいてくれ」
「緊急時?」
「インテグラや官憲に踏み込まれたときに脱出にも使える、緊急脱出用の抜け穴って感じさ。勿論、あたいの目の黒い内は、店内で違法なことなんてさせないつもりだけど。ほら、こういうのが池田屋にあれば長州の志士も助かったろうにって思ったんだよ」
「なるほどな……確かに平和とは言え、まだまだ敵は多い」
「そうそう。『ニル穴(あーな)』って感じだな」
「プッ……ハーッハハハ!! き、貴公、ニルヴァーナとかけて……ハーッハハハ!!」
腹を抱えて大いにウケるセルシウス。
「(エリュシオン人の笑いのツボはわからねぇもんだな)」
こうして、セルシウスとの打ち合わせを終えた菊は、すぐさま走りだす。彼女は失った1Gを見つけなければならないのだ。
「誰か1G貸してくれ〜〜!」
鬼気迫る表情で叫ぶ菊。しかし、赤いオールバックで、身体に刺青を持つ菊を外見で恐れた人々は誰も彼女に1Gを貸そうとせず、寧ろ『カツアゲ』を恐れて避けていく。
その頃、菊のパートナーの卑弥呼は、セルシウスへの建築依頼を菊に任せ、実店舗が完成するまで仮設店舗での営業を開始していた。
この仮設店舗は、テントを貼った簡素なもので、調理スペースと食材の保存場所の関係から品数は少ないもののドリンクバーもあった。勿論、ドリンクバーには禁断のコンデンスミルクのボタンもある。
「菊。うまくセルシウスに依頼出来てるのかな?」
お昼時の店舗でフライパンを振る腕を休めず、卑弥呼が呟く。
宮殿での建築作業員用に弁当を販売するがてら、セルシウスに設計依頼をしに向かったパートナーの事を思い出す。
その弁当も、おにぎりにサンドイッチじゃ定番過ぎるから、なにかニルヴァーナの特色を出した弁当を考えないとねー、と2人で悩んだ力作だ。丁度、店前を通りかかったたいむちゃんに食べたい物のアンケートをとったら、「ソフトクリーム!」と即答され、弁当箱にソフトクリームを本気で詰め込んだらどうなるか? 等を考えたこともあった。
「何にしろ、早く店が完成して、バイトを雇って、しっかり営業しないとね!」
額に滲む汗を拭いた卑弥呼が出来た料理を皿に盛りつける。
「はい! 野菜炒め定食の人ー!! おまちどうさま!! ん?」
テントの開けっ放しの窓を、猛然と走っていく一人の人物。
「……菊?」
店前を通りすぎて行くその姿に卑弥呼は胸騒ぎを覚える。
菊が去った後、セルシウスは居酒屋をもう一つ頼まれていた事を思い出し、街へと繰り出した。
菊から依頼された居酒屋、蒼木屋から通りを一本隔てた場所に、その居酒屋は建設中であった。セルシウスの設計図通り組み上がると、アディティラーヤ宮殿に、負けじと劣らぬ優雅な作りであり、且つ流行を意識した居酒屋が出来る予定であった。その技術にはエリュシオン帝国で培われた建築技術がふんだんに盛り込まれている。
既に大まかな作りが終わった建物の前にセルシウスがたどり着くと、ハインリヒ・ヴェーゼル(はいんりひ・う゛ぇーぜる)と、小さな包みを持った鶴 陽子(つる・ようこ)が立っていた。
角刈りをした頭と精悍な顔をセルシウスに振り向けるハインリヒ。
「よう、セルシウス」
セルシウスに気づいたハインリヒが片手を挙げ、その傍で陽子が小さく会釈する。
「ハインリヒ殿、それに陽子殿。貴公らも見学に来ていたか?」
「そりゃ、黒羊郷(本店)、イナテミス店、空京万博会場店、に続く、『わるきゅーれ』グループの4店舗目の出店なんだ。オレが様子を見に来ておかしいことはないだろう?」
『わるきゅーれ』グループとは、ヒラニプラ南西部・黒羊郷に本社を置く、総合歓楽企業であり、その代表者がハインリヒだ。
グループとしては、キャバクラやラブホテルなどの風俗産業から居酒屋、海の家、おせち料理の通販などの飲食関連に至るまで幅広く事業を手掛けており、イナテミスなど各地に店舗やフランチャイズ店を展開する他、空京万博などのイベントに出店を行う事もある。
そんなグループの4店舗目として、ハインリヒはセルシウスに『居酒屋【わるきゅーれ】ニルヴァーナ店』の設計を依頼したのである。
「色々、貴公のグループ企業……いや、居酒屋については良い噂と悪い噂を聞いたものだ」
「へぇ。良い噂はわかるぜ? 居酒屋の良心的な価格設定が若者の人気を呼んでいるってことだろ?」
「そして悪い方は、食材や物品の購入にかかる費用をギリギリまで切り詰めているため、納入業者の間ではケチとして名高い、というものだ」
ハインリヒはセルシウスの言葉に、さも当然といった顔をする。
「まぁ、仕方ないぜ。客が喜んでやって来る方がいいんだし、第一ケチと言われても、それでも納入する業者はいるんだからな」
グループ企業として、どこか一部門が赤字を出そうともトータルで黒字になれば良いというハインリヒの考えが見え隠れする。
「それと、貴公の店が、実はシャンバラ教導団の情報収集拠点であり、紛争地帯や戦略上の要地を選んで出店を行っているとの噂も聞いたな」
「……ノーコメントだな。オレよか教導団に聞いてくれよ?」
セルシウスから顔を建設中の建物の方へ戻すハインリヒ。尚、シャンバラ教導団及び『わるきゅーれ』グループ本社は、現在に至るまで、この疑惑への回答を一切拒んでいる。
「貴公から発注の際、一点だけ要望されたことも私の中では少々引っかかるがな」
「店舗スペースに余裕をもたせるって事か? 別に深い意味はないぜ?」
ハインリヒは、店舗の設計に関するセルシウスへのオーダーは特になく、セルシウスの建築家としての能力と美的センスを信頼し、全てを任せると言っていた。
但し、「最初から全てを完璧に作り込むのではなく、ある程度の余裕を持たせた設計にして欲しい」とだけ、最後に彼に念押ししていたのだ。
「今後、市街地が発展を遂げ、来客数や従業員数が増えれば増改築を行う必要が生じることもある……それだけだ」
「……」
「セルシウス。考えてもみろ? ニルヴァーナの開拓が進めば、人、物、金……そして情報も多く行き交うようになる。あらかじめ決められた未来なんてあるハズないだろ?」
「……確かにな」
「ここだって、今はこうして土木に従事する者達の働き場所があるからいい。けど、工事が全て終わり、街が整えば彼らはどうなる?」
「……」
「民衆の不満てのは、いつも新たな火種になる可能性を秘めているんだぜ?」
「だからこそこの地に出店した、とでも言いたいような口ぶりだな? ハインリヒ殿?」
不敵な笑みを漏らすハインリヒに、続けて何かを問おうとしたセルシウス。だが、彼の腹がグゥ〜と鳴る間に、ハインリヒは踵を返してしまう。
「む……そう言えば昼食をとってなかったな」
その時、セルシウスのトーガの袖がクイクイッと引っ張られる。
「ん?」
頭の横で一本に束ねたピンク色の髪を揺らす陽子が、小さな小包をセルシウスに差し出す。
「これは……?」
「あ、あの! 私達の以外にも設計や施工管理、現場視察に依頼主との打ち合わせとか、凄く大変だよね?」
恥ずかしさからか、セルシウスと直接目を合わせない陽子がやや早口にまくし立てる。
「そ、それで、コレ。ハインリヒに頼まれたので……」
セルシウスが受け取った小包を開くと、中から弁当とお茶の水筒が出てくる。
「これはありがたい……。丁度腹が減っていたところだ」
セルシウスは陽子に一礼し弁当を開く。すると、ご飯に唐揚げ、野菜のおひたしといった由緒正しきお弁当が目前に現れる。
「これは手作りか?」
「朝、早く起きて作ったの。あ! その、ハインリヒにも作ったから、ついでよ! ついで!!」
視線を逸らす陽子が見ると、何かの建物の影からこちらを見ているハインリヒに気付く。
「(オ・レ・は・し・っ・て・い・る。べ・ん・と・う・は・ひ・と・つ・だ・け・だ)」
ハインリヒの口の動きを読唇術のように読み取る陽子が、同じく無音で返す。
「(だ・ま・っ・て・て)」
「どうした、陽子殿? 酸欠の魚のような事をして?」
「えぇ!? いえ、何でもないですよ!!」
陽子は、建築については門外漢なのでセルシウスの仕事自体は手伝えないが、自分にも何か出来る事は?と考え、手作りの弁当と飲み物を差し入れを思いついたのだ。
「では少し戴くとするか……」
セルシウスは建設中の現場を見ながら、近くにあった材木の上に腰を下ろし、弁当を食べ始める。
「うむ! 冷めても美味いということは、基本の味付けがしっかりしているということ! 貴公は料理が上手なのだな。さては料理人か?」
「え……私は、地球で普通に女子高生してただけだよ。ピアノはしてたけど……」
「指先の繊細さはピアノで修練されたのかもしれんな。貴公きっと良い妻になるぞ?」
「ちょ……やめてよ……」
照れながら、陽子は水筒を開け、コップにお茶を注ぐ。
「はい、どうぞ」
「うむ、すまないな」
コップをセルシウスに渡した陽子は、暫く彼の食べっぷりを眺めているうちに、胸の奥に小さなざわめきを感じていた。
「(これって……もしかして、恋なのかな?)」
段々と減っていくお弁当を、どこか物寂しく思いながら、陽子はそんな事を思うのであった。そして、後に、ハインリヒにずっとこの様子を見られていたことを知り、大いに恥ずかしがったり怒ったりしたようであるが、それはまた別の話である。