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17.お見舞いと、外来と。 Verシリアス 2


 かつて、ローザマリア・クライツァール(ろーざまりあ・くらいつぁーる)は特殊部隊に所属していた。
 そしてその時、成長促進剤と筋力増強効果のある未認可の新薬を服用していた。強力な上に継続的に飲む必要もなく、安定性もあるという優れものではあったのだが、身体にかかる負荷と常に向き合わなければならないという厄介な副作用も併せ持っていた。
 その副作用を抑え、かつ身体の調子を見るために、ローザマリアは定期的な健診と入院を受け続けている。
「――で、きみの身体は――」
 医師の診察の最中、言葉を右から左へ聞き流しながら見た外の景色。元気に走り回る子供。ローザマリアは思わず自嘲的な笑みを浮かべた。
「すごく幸せですね」
「は?」
 突拍子のない主語のない言葉に、医師がぽかんと目を丸くする。構わず言葉を続けた。
「すごく幸せな風景。幸せな時間。……私には眩し過ぎる」
 みんな、あんな時間に生きていけるんだ。
 ただそれだけの、当たり前のことなのに。
「いいですね……羨ましいです」
 もしも。
「この世界から消えたら……やり直せますかね」
 当たり前の幸せを、私は受け入れられるのだろうか。
 医師が何かを言おうとした瞬間、制するようにローザマリアは笑った。屈託の無い笑みだ。年不相応にさえ見える無邪気な笑み。
「――冗談、です」
 失礼しますと一礼して、診察室を出た。
 廊下を歩き、病室に戻ろうとして、
「…………」
 方向転換。屋上に向かう。
 どうせ部屋に戻っても、白く無機質な空間が待ち受けているだけだし、そもそも寝ているだけなんて性に合わない。
 屋上についても、何かしたくて来たわけではないからただ静かに時間を過ごした。
 ちらりと見上げた空は、青く青くどこまでも広がっていて。
「…………」
 突然怖くなって、顔を俯けた。
 ――たいせつなひとは、おそらのむこう――
 子供の頃の言葉が不意に蘇り、弾かれたように空を見た。
 なにも、ない。
 当然だ。
「私は、私の居場所は、此処で、善いのよね……?」
 誰にともない問いかけを、こぼす。
「パパ、みんな、まだそっちへは行きたく、ないんだ……ごめんね」
 ――何を言っているんだろう、私。
 きっと、病院の持つ独特の雰囲気にナーバスになっているだけだ。
 それだけのことだ。けれど、少し嫌悪する。 
「行きたくないの。だって」
 だから、少しだけでも前向きに。
「だって、此処には、こんな私でも護りたいと思う人が居る。支えてくれる人が居る。この地で出会ったみんなと、まだ歩いていたいから」
 空を見上げた。


 ローザマリアが病室に居ないことに気付き、捜し歩いて見つけたのは屋上。
 いつになくナーバスな彼女の様子に、声をかけるべきタイミングを失っていたのだが、
「ローザ」
 後姿に少しの生気が見え始め、グロリアーナ・ライザ・ブーリン・テューダー(ぐろりあーならいざ・ぶーりんてゅーだー)は声をかけることにした。
「……ライザ?」
 どうしてここに、とでも言いたげなローザマリアの横に立ち、
「妾は初めて其方と会うた時、感じたのだ。其方の中には妾が在る、と」
 視線の問いに気付かない振りをして、言葉をかける。
「面妖な事とは思わぬか? 姿形が全く同じ――それも、このエリザベス一世と、だ」
「…………」
 何を言いたいのかまだ察せていない様子のローザマリアが、じっとグロリアーナの顔を見た。
「輪廻転生などという言葉が東方には在るようだが――分霊として妾から別れた存在が転生を重ね、今日に至る。そんな事があっても、不思議ではないように思えるのだ。何しろ、此処は人々の目指す理想の地なのだからな」
 これは、グロリアーナなりの激励の言葉だ。
「もし其方が妾と魂で結ばれておるのなら――堂々とせよ。其方は、弱くなどない」
 少々、迂遠なのは自覚している。
「……ええ」
 だけど、それでも伝わるのだ。
 瞳に宿った力強い光を見て、グロリアーナはふっと微笑む。


*...***...*


 皆川 陽(みなかわ・よう)は何も出来ない。
 取り柄はないし、美しくない。なんてことないただの一般庶民だ。
 普通という言葉を体現化したような存在。
 薔薇の学舎にいること自体がもう辛かったくらいなのに、何故かイエニチェリに選ばれて。
 でも、ずっとひとりぼっちで。
「…………」
 傍に、テディ・アルタヴィスタ(てでぃ・あるたう゛ぃすた)は居てくれた。でも、居ただけだ。
 友達。もう、それですらない。陽、とか、ヨメ、とか、気安く呼びかけて話しかけるなんて絶対にないし、というかそもそも「イエス、マイ・ロード」しか言わなくなった。
 命令に従う意を見せる言葉。ご命令のままに。御意に。
 部下と上司。それが一番近い立ち位置。
 ――イエニチェリなんて重責、ボクなんかに務まるワケない。
 期待の目が、声が、重かった。
 やらなきゃいけない。できなきゃいけない。
 期待が裏切られたときの相手の目を見たくないから。
 ――ていうか、ボクに期待するなよ。
 ――ボクなんかに務まるワケ、ないんだから。最初っから。
 なんで。
 ――ボク、ひとりでこんな重いのに耐えてるんだろ。
 一緒に背負ってくれる人は、居ない。
 隣には、誰も。
 ――いて。
 そんなことを考えていると、お腹が痛くなる。いつものことだ。慣れてきてすらいる。
 ――から、大丈夫……あれ? ちょ、いて。いてててて。
 はずだったのだが、今日の痛みはいつもより酷い。思わず蹲った。のどに何かせり上がってくるのを感じて、えづく。
 ごぼ、と。
「…………え、」
 口から、赤が零れた。
 ――あ、これって。
 血だ、とわかった時には、既に視界は黒く染まって意識も遠のいていた。


 次に気がついた時は病室だった。学校側で手を回してくれたのかどうか知らないが、個室である。
 医師から胃潰瘍だと告げられ、大したことないからちょっと入院してさくっと治療していきましょうと伝えられ。
 個室にひとりきりとなった時、どうにも落ち着かなくて寝返りを何度か打つ。
 ――超ウルトラスーパー庶民なんだから、個室なんて慣れなくて落ち着かないよ。
 ――やっぱり、合わないんだよね。ボクはさ。
 あの学校には。
 自嘲めいた笑みを浮かべて寝返り停止。
 誰も居ない。
 当然だ、個室なのだから。
 静かだ。
 当然だ、自分しかいないのだから。
 ――さみしいな。
 携帯ゲームでも持ち込んでのんびりして、イエニチェリの仕事から解放された今を満喫しようかと思っていたけど、あんまり楽しくないのだろう。
「あーあ」
 声は、壁や天井に吸い込まれるように消えた。
「…………」
 静寂。
 ――テディ、どうしてるかな。
 遠のく意識の中で、倒れた自分をテディが保健室まで運んでくれた。……気がする。
 痛みもあったし、あまりよく思い出せないけど。
 ――テディは、騎士だから。
 そして陽の部下だから。
 ――何も期待しないようにしなくちゃ。
 自分のために走ってくれた、とか。
 そういうものじゃ、ないんだ。
 ――義務だから、やっただけ。そうだよね?
 胸が痛い。
 ――お医者さんは胸のこと何も言ってなかったな。なんともないんだろうな。
 なら、この痛みはどうして?


「…………」
 陽の病室の前で、テディは立ち止まった。
 ノックを三回。中からどうぞと陽の声。
 そう、陽の声が聞こえた。死んでない。生きてる。声を聞かせてくれている。
 ドアを開けて姿を現す。陽が息を呑むのを感じながら、ベッドの脇に椅子を引いて座った。
「…………」
 上手く言葉が浮かんでこなかった。ので、黙る。
 目の前で陽が蹲って血を吐いたとき、強く恐怖した。
 ――陽は死ぬの?
 死という文字が頭の中に繰り返し溢れ出て、いなくなるの? もう会えないの? と怖い疑問ばかりが浮かんだ。
 その後のことはあまり覚えていない。
 そして、思い知った。
 ――離れたくない。
 もう、一分一秒だって離れていたくない。叶うならずっと傍にいたい。病院側が許してくれなかったけど。
 陽がいない世界なら、どうでもいいと思った。
 陽のいない世界で生きている意味はないと。
 ――だってそんなのどうでもいい。
 違う。
 最初から別にどうでもいい。
 他の誰が生きても死んでも、そう、どうだっていい。
 ――陽は駄目なんだ。
 生きていてくれないと。
 傍にいてほしい。いさせてほしい。
 ――僕には陽がいないと駄目なんだ。
 ――陽じゃなきゃ、駄目なんだ。
 こんなこと言ったら、勝手だと言われるのだろうか。
 病床の相手に負担をかけてしまうのだろうか。
 怖くて何も言えない。
「……陽」
「な、何?」
「……主君に対して、許されないことだと思うけど」
「…………」
「抱きしめさせて」
 ちゃんと生きてるって、ここにいるって。
 感じさせて。