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14.リバウンド王ありす。


「亜璃珠さんが入院!?」
 崩城 亜璃珠(くずしろ・ありす)が入院したと聞いて、稲場 繭(いなば・まゆ)は思わず大声を上げた。
 一体どんな病気にかかってしまったのか。体調は大丈夫なのか。どれくらいで退院できるのか。
 不安を抱えて病院まで向かい、ベッドに横たわる亜璃珠に病名を訊いたところ――
「……過度なダイエットで栄養失調と脱水症状を起こしてしまった……?」
「うん。ちょっとやりすぎちゃったかなー」
 あはは、と誤魔化すような笑いを浮かべる亜璃珠に、繭はため息を吐く。
 何も食べなければ痩せる! というのは大間違いだ。きちんと毎日、しっかり三食食べて栄養を取らないといけない。
「もう……心配したんですからね? 何か病気にでもなったんじゃないかって……」
「ごめんね、繭」
「そもそも、ダイエットが必要な体型には見えないんですけど……」
 すらりとした長身に、引き締まった体つき。豊満な胸、くびれた腰、張りのある尻。どこをとっても過不足なしで、素晴らしい体型だと繭は思う。
「気になる部分があるのよ」
「かもしれませんけど。これに懲りて、もう無茶なダイエットはしないって約束してくださいね」
 はぁい、と亜璃珠が頷くのを見て、繭は微笑んだ。パイプ椅子を引いてきて、お見舞いにと持ってきた果物の盛り合わせの中からリンゴを取り出し剥き始めた。
「ほら、亜璃珠さん。うさぎさんですよー」
 うさぎりんごを持って、ちらちらと亜璃珠を見る。
「げっ。食べろって?」
 亜璃珠が嫌そうな顔をした。
「当然です。こういう時ですから食べなくちゃ」
「私はダイエットがしたくてね?」
「身体を治してからです。運動とか、私も付き合いますから。ほらほら、おいしそうですよー。いらないなら食べちゃいますよー?」
 再びちらちら。
 亜璃珠が苦笑するように笑って、
「繭は本当に可愛いなあ」
 なぜか頭を撫でられた。
「亜璃珠さん、ちゃんと食べてくださいって、私は怒ってるんですよー」
「うんうん、その姿が可愛いのよ」


 亜璃珠が無茶なダイエットをしたと聞いて。
 今回も弄りがいがありそうだと、桐生 円(きりゅう・まどか)はいたずらっぽい笑みを浮かべて病室に向かった。
「大変だよねぇ、ありすも超大変だよねぇ」
 にやにや笑いながら、何をしてやろうかと考える。
 おなかぷにぷに? さわさわ? 育ったようだね! なんて嘘を言っていじめてみようか。
「円ちゃん、亜璃珠さん色々気にしてたみたいだから、この前みたいなことしちゃダメだよー?」
 と、七瀬 歩(ななせ・あゆむ)に先手を打って注意された。
 歩はどうやら気を遣っているらしい。
「そうだよね。ダイエットのしすぎで入院しちゃうくらいだもんね。ボクも注意するよ」
「本当? できる?」
「大丈夫だよ。ボクはもう17歳なんだから大人だよ! 心配しないで!」
 ぺったんこの胸を張って主張すると、歩が微笑んだ。
「ここだね」
 病室の前について、ドアに手をかけようとする。
「円ちゃん、ノックしなきゃだめだよ」
「さすが歩ちゃん」
「亜璃珠さん、歩です。お加減いかがですか?」
 コンコン、と歩がノックする。歩が礼儀正しくしていたので円もそれに習い――中から「どうぞ」と亜璃珠の声がした瞬間、がらぁっと勢いよくドアを開けた。礼儀正しく、なんていうのは性に合わないしめんどくさい。
「ありすーやっほー。病院のご飯美味しいー? 痩せちゃうとまずいんじゃない? だってありす灰色だよ! 減量中のボクサーの眼だよ!」
 ベッドに駆け寄り、マシンガンのように言葉を投げかける。
「どんな眼よ……」
「で、どのくらい痩せたのさー?」
 亜璃珠の言葉を待たずして、円は足のほうからベッドの中にもぞもぞと潜り込んだ。ちなみに、病室に入る前に歩とした会話は遥か遠い記憶の彼方に追いやられている。
 ベッドの中に潜り込んだ円の狙いは、亜璃珠の腹部だった。例のごとくお腹チェックである。
 さわさわさわ。なでくりまわす。くすぐったそうな亜璃珠の声を無視してさらにさわさわさわ。
 円は気付いた。
「あ、ありす……! きみはなんてことを……!!!」
 わなわなと、ベッドの中で震える。
「な、なによ」
「おなかがすこしすっきりしてるよ! 没個性だよ! これはまずいよ!」
「それはね円、あなたの低身長や貧乳を個性として残しなさいと言っているようなものなのよ? わかる?」
「わかんない」
 亜璃珠の言葉はさっくり無視して、もみもみぷにぷにを繰り返す。……けれど、若干やりづらい。本当に痩せてしまったようだ。いただけない。
 とりあえずベッドの中から這い出て、
「お見舞いの品だよ」
「こちらもあります」
 歩と一緒に見舞い品をサイドテーブルに置いた。
「こ……れは」
 見舞い品を見た亜璃珠の顔が引きつる。
 歩が持ってきたものは、お見舞いの定番品であるメロン。
 これは、亜璃珠がダイエットをしたばかりということを考えた上での選択だった。歩なりの優しさだ。だってケーキなんか選んだらリバウンドしてしまう。
 もちろんその気遣いは亜璃珠にも伝わった。
 亜璃珠の顔が引きつったのは、円が持ってきたものを見て、だ。
「ヴァイシャリーで今一番ホットなケーキ屋で買ってきたよ!」
 どうだ! とばかりに胸を張り、手のひらを向けるは可愛らしいロゴが踊る白い箱。
 中身はもちろん、ケーキである。
「円ちゃん……」
「うん? どうしたの、歩ちゃん?」
「……ううん、なんでもない」
 そ? と笑顔を向けてから、亜璃珠に向き直り。
「ほらほら、美味しそうでしょ? ミルクレープとレアチーズタルトだよ! フィナンシェやパウンドケーキもあるよ! ロールケーキも美味しいんだって! さあありす、どれでも召し上がれ! 全部食べてもいいんだよ? なにせありすは病人だからね。たっくさん甘やかさないとね! さすが優しいボクだよね!」
 余談だが、ケーキの選択理由は『美味しくてカロリーの高いもの』だ。わざわざ店員さんに聞いて選んでもらったり、亜璃珠弄りには余念のない円である。
「あ。持ち帰り時間は二時間くらいだからね。お見舞い中に食べないとだめになっちゃうかも」
「くっ……地味にいやらしいことを……」
「えっ? いやらしい? 何が? ボクはありすのためを思って……でも、食べないっていうなら無理強いはしないよ! みんなで食べるよ、仕方ないよね?」
 ケーキを皿に取り分けて、歩や繭に渡そうとする、と。
「おやおや、ありすー? その手はなにかな?」
 亜璃珠の手が伸ばされた。
「……ありがたく頂くわよ」
 むふ、と笑って円は一番カロリーが高そうな丸ごとロールケーキ(クリーム増量中)を亜璃珠用の皿に乗せて渡すのだった。
「いいんですか?」
 歩に聞かれると、
「いいの。入院生活中に無理をするものじゃないわ……ん、おいし」
 開き直ったように答えて、亜璃珠はケーキを食べる。
 ケーキを食べ始めたころに、
「亜璃珠さん、大丈夫ですかー?」 
 ロザリンド・セリナ(ろざりんど・せりな)が、病室にやってきた。
「ロザリン、いいところに! はいこれロザリンの分のケーキ」
「え、はい。ありがとうございます」
 円からケーキの乗った皿を渡され、「……」ロザリンドはしばし考えてさらにそれを切り分けて、亜璃珠の皿に乗せた。
「ちょ、ちょっとリン? 何するのよ」
「栄養失調ということですので。まずは栄養をしっかり取りませんと」
 にっこり笑ってロザリンドは言う。
「ついでに、野菜やハーブを使ったクッキーを作ってきましたので。少しは栄養バランスの足しにでもしてくださいね」
「ありがと……って、リンが料理? ねえ、それ大丈夫なの?」
「はい。一応味見はしていますので大丈夫ですよ」
 そう、大丈夫だ。
 ちょっと、寮のキッチンが大変なことになっているけど。
 味は確かに大丈夫。味見もしたし。自分の味覚だけじゃ不安だったから寮生にも確かめてもらったし。
 問題があるとすれば、
「あのキッチンはどう掃除したらいいのでしょうか……」
 思い出すだけで頬が引きつってしまうような、大惨事なキッチンのことくらいである。
 ――味は良くなったんです。だから、あともうひと頑張り……の、はず……。
 この手は、戦い以外にも使えるのだ。
 ぐっ、と拳を握り締め。
「そうそう、亜璃珠さん」
「?」
 ケーキを食む亜璃珠に、ロザリンドは教科書を取り出し見せ付けた。
「何よこれ」
「栄養バランスについてです」
 図表が書かれたページを開き、
「いいですか? 栄養バランスというものは――」
 授業開始。
 ………………。
 …………。
 ……。
「ということでして――」
 ………………。
 …………。
 ……。
「ですから――」
 ………………。
 …………。
 ……。
「また、」
 ………………。
 …………。
 ……。
「このようにですね」
 ………………。
 …………。
 ……。
「以上を踏まえまして……」
「あ、あの、ロザリンドさんっ。その辺で終わりませんか?」
 かれこれ一時間ほど喋り続けたころ。
 ついに歩がストップをかけた。
「とりあえず、リンも体型維持に気を遣っていることはわかったわ」
「そういう話じゃなくてですね、」
「で、誰のためなのかなぁー?」
 問われて、ふと脳裏に浮かんだ人。
「…………もう。亜璃珠さんはいつもそうなんですから」
 顔を赤くして、亜璃珠から視線を外した。
 その先にいたのは円である。
「ロザリンも想い人のために頑張っているんだね!」
 いたずらっぽく笑うものだから、
「では円さん、ピーマンの持つ栄養の良さについてお勉強しましょうか」
「え゛っ」


「御姉様、無理なダイエットで入院なんて……」
 パイプ椅子に腰掛けた冬山 小夜子(ふゆやま・さよこ)が、悲しそうな顔で亜璃珠を見た。
「私は、御姉様が今のままのスタイルでも気にしませんのよ?」
「う、でもね小夜子」
「それより、体調を崩すほうが問題なんです」
 ぷぅ、と頬を膨らませる。
 第一、どこをどう痩せたいというのだ。
「今のままでも十分魅力的ですよ? 胸だって大きいし」
 言いながら、むにゅりと胸を揉む。すこーしだけ、小さくなってしまったように思えた。
「それでもやっぱり大きいですね。柔らかくて、張りがあって……さすがに美緒さんには敵いませんけれど」
「ていうか小夜子、前に小夜子が入院した時、同じようなことを誰かが言っていたわよね? 自分のことは棚上げ?」
「…………うーん、本当に良い胸です」
 ツッコミには聞こえない振りをして。
 もにゅもにゅ。
「周りの目も、腰周りよりもこの胸のほうに目がいくと思うけどなぁ……」
 大きくて、形も良いから。
 だけど亜璃珠は、
「ええい、ちょっと身体つきがいいからって調子に乗っちゃって……!」
 むすっとした顔で小夜子の身体に手を伸ばす。
 え、と思ううちに、胸を揉まれた。
「やぁん、そんなつもりはっ」
「前よりもさー、良い身体になっちゃってさー。どういうことよ、このこのっ」
「そ、それはありますけどっ、でも本当に調子になんて……やんっ」
 胸を揉み合う二人を見て、エンデ・フォルモント(えんで・ふぉるもんと)はケーキを食みつつ思う。
 ――お二人とも、十分以上に大きな胸ですよ。
 綺麗な形。女性らしくて大きくて。
 今回亜璃珠が倒れてしまったように、綺麗であるための努力や苦労の結果のプロポーション。
 ――……それでは私が努力していないように聞こえますね。
 自分で思ったことを自分で否定し、エンデは自身の身体を見た。
 貧乳というほどないわけではない。けれど決して大きくない。控えめ。そんな言葉がよく似合う、どちらかというと薄い胸。
「…………」
「エンデ? どうしたのよ、じっと胸なんか見て」
「えぁ、や、う、羨ましくなんて思っていませんから! 断じて!」
「羨ましいの?」
「思っていませんっ!」
「そうかそうかー。……揉めば大きくなるかな? ね、小夜子」
「ですかしら。試してみます?」
「あ、亜璃珠様っ。小夜子様! お止めくださ……っ!」
 亜璃珠と小夜子の手が伸ばされる。
 エンデの制止の声が空しく響いた。
 花瓶の水を取り替えに行っていた歩が戻ってきて「一般の患者さんも居るんですから、少し静かにしないと」と注意するまで、艶かしげな声が聞こえたとかなんとか。


 余談だが。
 翌日退院した亜璃珠の体重は、入院生活の結果元の体重よりちょっと増えたとか。
 めでたしめでたし?