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年の初めの『……』(カギカッコ)

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年の初めの『……』(カギカッコ)
年の初めの『……』(カギカッコ) 年の初めの『……』(カギカッコ)

リアクション


●Find a way(1)

 陽が傾き、薄暗くなりだしたものの、空京神社の人出はなお盛況である。暗くなっても灯籠に光が宿り、屋台も電灯をつけるなどして真昼のように明るい。
「さぁ、行くぞイトリティ!」
 順番がやってきた。七刀 切(しちとう・きり)は愛犬(と、世間的には言っているが実際は狼型機晶姫)のイトリティ・オメガクロンズ(いとりてぃ・おめがくろんず)を連れ、本殿の前に足を揃えて立った。
「神様、今日は多分、自分の人生で一番の超撃スペシャルな本気祈りをさせてもらう!」
 切の眼は、これが冗談でないことを告げていた。そして彼は、お賽銭としては「ありえんだろ!」というほどの額を、迷わず賽銭箱に投げ込んでいる。
 彼は祈った。深く、強く祈った。
 自分のことは後だ。イルミンスールで別れたきりの、彼女のことを祈りたい……クランジΠのことを。
(「パイにとって良い一年になりますように……!」)
 何が彼女にとって「良い」ことなのかは判らない。だがパイの笑顔を見るためなら、冗談ではなく一命を賭す覚悟の切なのであった。今年の切は本気度が違う。
 そのまま彼は、石像のように動かなかった。
 並んでいる人々は怪訝な顔をしていたが、切の背から立ち昇る気迫(オーラ?)のようなものに怖れをなしてか、誰一人邪魔せず、その横でそれぞれ、参拝を済ませていった。
(「なあ、そろそろ行かねーか?」)
 と言いたいのだが狼の身の哀しさ、話せないイトリティはつんつんと切の背を付いたりするものの、切に追い払われてしまう。
「今、パイの為にお祈りするので忙しいから後でな」
 これではどうしようもない。

 延々と切が祈り続けている参拝の列には、榊 朝斗(さかき・あさと)バロウズ・セインゲールマン(ばろうず・せいんげーるまん)らの姿もあった。
「バロウズさん、大丈夫? 顔色が悪いみたいだけど」
 朝斗が、心配そうな顔をしてバロウズをのぞき込んだ。
「僕は……」
 本当は、一人で考えようと思って出てきたバロウズだった。アリアたちを同行させていないのはそのためだ。ところが運命の巡り合わせか、これだけ人がいる神社で予告もなく、バロウズは朝斗と顔を合わせたのである。
 運命や宿命という言葉を信じるバロウズではないが、彼らと出逢えたのはただの偶然ではないと思っている。逡巡したが、ぽつりと口を開いた。
「僕は、ご存じのようにクランジです。けれど皆さんは、決して差別もせずに付き合ってくれますね。本当に感謝してます」
「差別したりするつもりはないわ」
 ルシェン・グライシス(るしぇん・ぐらいしす)が言った。
「クランジだって『個性』、そう思うことにしてるの、私。敵対している人たちを含めてね」
「悩んでいるのなら、聞かせてくれないか。僕たちも悩みは一杯あるけど、同病相憐れむというか」
 朝斗はほんのりと笑っていった。
 悩みがない人なんて、いないはずだ。朝斗自身、自らの闇人格との折り合いをつける方法に悩んでいる。それと、アイビス・エメラルド(あいびす・えめらるど)のことも……。痛みを知る人は他人の痛みに優しくなる――その言葉がどこまで真実かはわからないが、少なくとも朝斗には、あてはまっていると癒えるだろう。
 バロウズは語った。はじめ、泥と石で堰き止められた川のようだった口調が、言葉を重ねるたび泥と石が取れて、徐々に流れが良くなっていくようになめらかになっていった。
「大黒美空さんも、クランジΘも、明確且つ具体的な『目標』を掲げ、その為に行動していますよね。その目標が達成された結果、どうなるかはともかくとして。
 けれど、僕には明確な『目標』がないことに気づいたんです。あったのは、漠然とした『願望』だけ。確固たる『己』もなく、確固たる『目標』もないのに、僕には姉妹(シスター)……クランジたちを止める権利があるんでしょうか……?」
 返事をまたずして、続けた。
「第一、止めたとしても一体何が残るのでしょう。
 美空は、『クランジの全滅』という結果を残し、シータは『クランジの国家』という結果が残るはず。けれど、自分には何が残せるだろうかと、考え込んでしまいます。
 『姉妹たちの平穏』……? これは無理だと思います。それを望むには、このパラミタはクランジという脅威が浸透し過ぎている
 だから分からないんです。わからない解らないワカラナイんです」
「それは……」
 と朝斗が言いかけたときのことだった。
「GURUAAAAA!!!」
 怒声、いや、唸り声を上げ、犬がバロウズ目がけ突進してきたのだ。
「犬……!? 違う!」
 バロウズは高周波音声に切り替えた。相手がクランジでなければ聞こえないような超音波だ。
「信じられない……あなた、クランジなんですか!? 犬、いや、狼の姿なのに……でも、僕には感じられます」
 ところが犬、いや、狼は返事ができない。イトリティにはバロウズの呼びかけを聞き取ることはできた。だが高周波で話すのは無理だ。
(「こんなとこで会うとはなぁΩ(オメガ)ァ!」)
 イトリティはそう言っているつもりで吼えた。
(「オメガ、オレはてめぇのいわばクローンだ。分岐派生型なんていう半端野郎よ! しかしてめぇみたいにみっともないやつじゃねぇぜ! 黙って聞いてりゃ自分が無力だのなんだのと……! 逃げてるだけじゃねぇか! やっと会えたと思ったら、元祖がこんな野郎だったなんて! オレ自身恥ずかしい! 噛み殺してやったほうが世のためだ!」)
 イトリティが意思伝達手段を持たないわけではない。冷静になってハンドヘルドコンピュータでも使えば、文字を入力してバロウズに口論をふっかけることくらいできるのだ。されども現在の彼に、冷静になれというのは難しい。
(「こんな人通りの多いところで戦うわけには……!」)
 バロウズは逃げた。ともかく、人目のないところまで行かなければ。
「あっ、待って!」
 朝斗、ルシェンも続く。アイビスは朝斗に従って歩いていたが、朝斗が走るのを見て黙って続いた。

 鎮守の森に入り繰り広げられた追走劇だったが、いつしか朝斗はバロウズならびに謎の狼とはぐれてしまった。
 もう走れないほど走って、どっと座り込んで息をつく。気がつけば一人だ。
「……暗い」
 森の中である。薄寒い。
 一般的に空京神社として知られる本殿とその周辺とは別に、神社の西側には広大な森が拡がっているのである。本当はこの森も含めて『空京神社』なのだ。一般人が迷い込んではことなので、神社と隣接する周辺にはロープが張られ立ち入り禁止とされている。といっても状況が状況なのでバロウズはこれを乗り越えたのだった。
「……朝斗?」
 女性の声で呼びかけられ、
「ルシェン」
 彼は振り向いて名を呼んだ。
 しかし、朝斗の前に立っているのはアイビスだった。エメラルド色の瞳、髪、衣装……アイビスの出で立ちはこの森と、不思議と調和しているように見えた。
「ちょうど良かった。二人きりになる機会を探していたんです。……話、いいですか?」
 朝斗はバロウズのことも気になって仕方ないのだが、今はアイビスのことが心配だ。
 今日、ほとんど口を開かなかったアイビスが畏まって会話を求めてきたのだ。バロウズの件はルシェンに期待することにし、朝斗はアイビスと向き合った。
 この機会を逸すれば後悔することになる、そう直観したからだ。
(「あの事件から一ヵ月半位経ったけど、アイビスがフラッシュバックのことを語ってから少し様子が変わった。まるで今まで知ってるアイビスではない以前の……いや、もう一人のアイビスになっているって所かな」)
 思えば、去年の今頃が始まりだったかもしれない。なぜならアイビスが神社の光景を見たというのは、ちょうど昨年の初詣のことだったというのだから。
「聞くよ、アイビス。でも、その前に、僕の気持ちから話させてほしい」
 朝斗はアイビスをまっすぐ見つめながら言った。
「確かにあのこと聞かされて最初は驚いたよ。でも……できたらもうちょっと早く打ち明けて欲しかったかな」
「それは……」
 言いかけたアイビスに、「理由は予想してる」と首を振って彼は続けた。
「アイビスはきっと、言い出したら何かが壊れるのでは、と怯えてたんじゃないかな。だから明かすのが遅くなった、って言いたいんだろう?」
「……そうです」
「僕は正直そういうの考えてないんだよね。これはさっきバロウズさんに言おうとしてたことと重なるんだけど、誰だって怖いものはあるんだ。同様に、壊したくないものだってある。そんなの誰だって持ってるさ、僕だって持ってるもの」
 話しながら、朝斗は自らが解放されていくような気分を味わっていた。
(「そうか、これは……アイビスに話しているだけじゃない。自分にも言いきかせているんだ」)
「そして、誰だって強い訳じゃない。皆誰でも弱いんだよ
 だからこそ誰かに支えられ、誰かを支えて、そうやって強くなっていくんだ。アイビスがあの日、小山内さんを助けたようにね」
 何を言われても聞くよ、と朝斗は断じた。
「どんな話が出てくるかは怖いし不安だけど、絶対に僕は、アイビスを支えてやる」
 朝斗は手を伸ばし、アイビスの両手を握った。
「前置きが長くなったかな……さ、話して」
 アイビスは、朝斗の手を握りかえした。
 まるで血が通っているかのように、アイビスの両手は温かかった。
「これから『私』として生きていけるのか……凄く怖いんです。でも、朝斗の言葉を聞いていくらか安心しました。怖いことは怖いと認めて、話します。
 まず、私は本当は人間……いや、人間だったのではないかと思っています」
 記憶のフラッシュバックにおいて、アイビスは自分が、自分そっくりの女性に手を引かれて歩いている光景を見たということも彼に話していた。これについての推測があるという。
「あの女性はきっと、私の母だったと思います。私があの人のクローンかと考えたこともあったのですが、『お母さん』という言葉のほうが私にはなぜかしっくりくるんです。いくらか混乱はありますが、彼女が着ていたのは白衣だった……はずです。医師あるいは科学者、もしくはその両方だったのかも……どれも当たっているような記憶があります。
 それと、私はフラッシュバックのたびに激しい頭痛や目眩を感じましたが、もしかしたらあれは過去、実際に感じていたものが蘇ったのではないか、とも思えてきました」
「もちろん予想の域を出ないけど――つまり、アイビスは日常的に頭痛や目眩がある状態だった、ってこと?」
「ええ。重い病気だったのでは……それも、不治の病だったのではないかと。神社での記憶が鮮烈なのは、あれが、まだいくらか健康だった時代の幸せな記憶だったからだと思っています」
 不治の病、母親は医師あるいは科学者(もしくはその両方)、これらから大胆に導いた仮説はこれだ。
「アイビスを助けるために、お母さんは……君を……」
「この機晶姫の体に移そうとしたのでしょう。あるいは、クランジの技術に近いものがあったのかもしれません。つまり、人体をベースとした機晶姫への改造です」
 しかしその『手段』は成功しなかった。あるいはどこかで強制終了された。なぜならアイビスはその後、記憶がない状態で回収されたからだ。
「お母さんという人が生きているのなら、アイビスをそんな目には遭わせなかったはずだよね……」
「あのとき頭に浮かんだ言葉があります。ドクター・ミサクラ、記憶の混乱の中で、この名前にはもっとも強い印象を受けました。でも、『ミサクラ』という名前には『お母さん』という名前とは正反対の、どす黒く不愉快な印象を受けました」
 これですべてです、とアイビスは言った。
「怖いのはこれからのことです。母らしき女性を捜せば、恐らくは知りたくなかったことが次々出てくるでしょう。ミサクラという人間も、決していい結果をもららすとは思えません。知れば……もう『私』として生きていくことはできないのではないかと……」
「でも本当は知りたい、そうだよね?」
 アイビスは頷いた。
 アイビスの手を握ったままの手に、もう一度朝斗は力を込める。
「言ったよね。支えてやる、って。どんな結果になろうとも、僕はアイビスの支えになるよ」
 捜そう、その人たちを、と朝斗は言い、彼女の手を握ったまま帰路をたどった。