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シルバーソーン(第1回/全2回)

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シルバーソーン(第1回/全2回)

リアクション


13 セテカとアナト(1)

(……?)
 額に何かが触れるのを感じて、アナト=ユテ・ハダドは目を開けようとした。
 なぜかまぶたが重く、思ったように開かない。まぶただけではない。手も足も、体じゅうが重く、指先を動かすのがやっとだ。
(眠る前は……こうじゃ、なかったのに…)
 頭のなかに水でもぱんぱんに詰まっているようだった。思考することすら難しい。
 ふと、頭の上に影ができた。
「目を覚まされましたか?」
 少年の声が聞こえる。聞き覚えのない声。
「…………だ、れ……?」
 しびれた耳に、だれのものとも分からない小さな声が聞こえた。
「どうした? 学人」
 今度は遠くから女性の声。
「ロゼ。気がついたみたいだ。今、かすかにまつ毛が震えて。それに、かすかだけど声も発した」
 応える少年の声に、初めて先ほどのか細い声が自分の発したものだとアナトにも分かった。
「見せてみろ」
 九条 ジェライザ・ローズ(くじょう・じぇらいざろーず)冬月 学人(ふゆつき・がくと)と入れ替わり、アナトの枕元につく。額に浮いた汗を濡れタオルでふきとりながら、いたわりの声でそっと話しかけた。
「アナトさん、聞こえますか?」
「……え……え…」
 でも、目が開かないの。そう言いたかったけれど、カラカラののどからは何も出なかった。
 しかし診療経験の豊富なジェライザには今の彼女の様子が理解できたらしい。
「無理にしゃべろうとしなくてかまいません。ほおに手をあてていますから、振動で分かります。イエスでしたら動いてください。
 どこか痛みや吐き気はありますか? ――では、しびれは? ――そう。手の指や足の指は動きますか? ――分かりました。今、水をお持ちします。のどが渇いているでしょう」
 タオルを額に乗せると、ジェライザはそっとその場を離れた。
「ロゼ…」
「しっ」
 口の前に人指し指を立て、ベッドから十分距離をとる。
「痛みはないそうだ。だが、かなりしびれが広がっている。話している途中、指先を針で突いてみたが何の反応もなかった。指は一切動かないらしい」
「でも目を覚ましたよ? 朝からもう何時間も眠り続けていたのに」
「それは多分、みことさんたちの治療のおかげだろう」
 1時間ほど前、一向に目覚めない彼女たちの様子にじれた本能寺 揚羽(ほんのうじ・あげは)が提案をしたのだ。
「妾自身には医術の心得はないが、ここにこういう物がある」
 おもむろにベランダへ通じる窓を開き、何かを差し招く仕草をする。彼女の合図を受けて降りてきたのは、レティ・インジェクターに乗った姫宮 みこと(ひめみや・みこと)だった。
 この乗り物、見た目は巨大な注射器そのものだが小型飛空艇と同程度の能力を備えており、さらに猛毒の解除もできるという優れものである。
 みことを誘導し、室内へ入れた揚羽はこれを用いると宣言した。
「シルバーソーンがなければ解毒が不可能なのは承知の上じゃ。しかし毒の効果を弱らせ、進行を遅らせたり症状を軽減させることができるやもしれん」
 施した直後には何の反応も現れず、みんな気を落としたものだったが、今になってその効果が出てきたのかもしれない。
「とにかく学人は彼女に水を飲ませてあげてくれ。気管に入らないように、脱脂綿に含ませて、唇を拭くようにして少しずつ与えるんだ。のどの動きに注意して」
「分かった。ロゼは?」
「休憩室にいるみんなに知らせてくる」
「バァルさんにも?」
 その名前に、ドアへ向かったジェライザの動きがぴたりと止まった。
 彼女の夫のバァル・ハダド(ばぁる・はだど)は2時間ほど前に仮眠室へ向かったばかりだった。それも笹野 冬月(ささの・ふゆつき)が強く説得してようやく成功したことだ。それまでは一歩も部屋から出ようとしなかった。
 シルバーソーンのことは自分たちに任せろ、これまでだって自分たちは決してあなたの期待を裏切らない働きをしてきたではないか、信用して待っていろ、そして己の最も大切な、愛する者たちが命の危機に瀕しているのであれば、あなたがいるべき場所は彼らのそばにほかならない――そう緋桜 遙遠(ひざくら・ようえん)に諭され、こちらへ残ったバァルだったが、治療者の邪魔にならないよう、壁際の椅子に足と腕を組んで腰かけている姿はまるで彫像のようだった。ひと言も発しない彼の周囲は空気も重く沈んでいる気がして、だれ1人不用意に近付けない雰囲気を漂わせていた。
 だれもが彼の存在を強く意識しつつもそうと気づかないフリをして、彼を空気のように扱っていたなか。洗面器の水を張り替えてきた冬月が、それを持って彼へと歩み寄った。
「水を替えよう。もうぬるくなってしまっているだろう」
 そうことわりを入れて、彼の足元に置かれたままだった洗面器と自分のそれを置き換える。彼の足元にちょこんと座っていた黒狐――赤嶺 深優(あかみね・みゆ)――にはミルクを。
 そうして、下からバァルを仰ぎ見た。
「……まだ少し腫れているようだな」
 ほおに布をあてている手の甲に、そっと触れる。冬月に促されるまま手をはずしたバァルの左ほおには、見る者が見ればそれと分かる、殴られたあとが赤く残っていた。
「まったくあいつは。加減を知らないのか」
 新しい布を手渡しながら、そのときの光景を思い出してつぶやく。彼と最も親しい者の1人である彼がまさかあんな行動に出るとは思わず、目にしただれもがギョッとなってとっさに動けなかった。
「おまえもだ。おまえほどの反射神経の持ち主なら、楽にかわせたはずじゃないか?」
 冬月の言葉にバァルはかすかに笑んで視線をそらせる。
「そうでもない。多少素早く動けるからといって、いつもいつもかわせるというわけではない」
 事実、アナトを助けるには全く無力だった。狙われたのは自分だというのに…。
「切の言うとおりだ」
「だからここでこうして、彼女が目覚めるのを待っているというのか? 謝罪するために」
 冬月は洗面器を手に立ち上がり、語気を強めて言う。
「そんな死人みたいな顔色で、ほおを腫らせて。目を覚ましたとたん、そんな顔を見せられる者の身になってみろ。しかも服だってあれから着替えてもいないじゃないか。よれよれの格好でそんなことをされては、される方が迷惑だ。
 おまえだって、本当は分かっているんだろ? 今そう思えないのは、頭が働いていない証拠だ。一度寝て、着替えて、頭をすっきりさせればおまえにも分かる」
 だからそうしろ、と無言の圧をかけてくる冬月を見上げて、バァルはプッと吹き出し笑った。
「……すまない、冬月。心配かけさせて」
「ば…っ! お、俺は、べつに…っ」
 名を呼ばれ、ほおにカッと熱が走ったのを感じて、冬月はつい、言葉を詰まらせる。
 結婚式に参列した笹野 朔夜(ささの・さくや)からバァルが狙われたと聞いたとき、毒矢を受けたのはバァルではないかと冬月は考えた。毒矢を受けて、死にかけているバァル。脳裏に閃きのように浮かんだその光景に心底ぞっとして――今もまだ、あのとき身の内を走った冷たい震えを思い出せる。
(俺がおまえのこと、どれだけ心配したと思って――)
 バァルの顔を見ていると今にもそう口走りそうになって、冬月は急いで視線をそらした。
「いいから。仮眠用の部屋は2つ先で朔夜が用意済みだ。そこへ行って、仮眠をとれ。ここには何人も人がいる。何かあったら知らせに行くよう手配しておくから」
「じゃあ、お言葉に甘えさせてもらうとしよう。――ありがとう、冬月」
「ああそれから、起きたら食事もとれ。何も口にしていないだろう。病人はこの2人だけで十分だ」
「分かった」
 バァルは苦笑しつつ立ち上がる。
 死んだ母とは全く似ていないが、まるで母親のようだと思った。ひなを護る母鳥というか…。
「いいか、ごまかすなよ。あとで厨房に行くからごまかしても分かるからな」
「了解した」
 黒狐を伴ってバァルが出て行ったドアを見つつ、本当は湯浴みでもすればもっと気分もさっぱりするんだろうが……湯を届けさせるべきだろうか、と考えていた冬月に、部屋にいた召使いが感謝の笑みを投げた。
「ありがとうございます。わたしたちにはお声をおかけすることもできなくて…」
「――いや」
 なぜ? あれほど領主らしくない領主もいないだろうに、と冬月は不思議だったが、それがこちらの主従関係というものか、ということで納得する。
 そして治療者たちは2人の看病に全力をそそいできたのだった。
「…………」
 冬月ほど彼と親しくないジェライザには、このことへのバァルの反応は読めなかった。意識は回復しているがいつまでもつかも不明だし、目が開かない、体も動かせない、言葉も満足に発することのできない今の状態をはたして彼に告げていいものか…。
「冬月くんに判断してもらおう。呼んでくる」



 ジェライザの指示どおり、脱脂綿を使って少しずつ水を含ませていると。
「アナトさんの意識が戻ったんだって?」
 晴れやかな声で真っ先に入ってきたのはシャウラ・エピゼシー(しゃうら・えぴぜしー)だった。
 学人と反対側に立って、顔を覗き込む。
 学人からヒールを受け、今の状態にも慣れてきたのか、アナトはゆっくりと薄目を開けた。
「うん、なんだかちょっぴり顔色も良くなってきている気がするな」
「はい。このまま、これを保てるといいと思っています」
 学人の返答に満足して、シャウラは笑顔になった。
「ロゼは?」
「彼女なら俺たちに声がけしたあと、薬師たちの部屋へ向かったよ。なんでもシルバーソーンが届いたらすぐさま手分けして調合できるように、方法を教わりに行くって」
「ああ…」
 ロゼらしい、とうなずく。
「やあ、アナトさん。気分はどう?」
 そっと、野辺の小さな花の花弁に触れるようにやさしく、シャウラは問う。
「感覚が……ないの…。自分が、立ってるのか、寝てるのかも……分からない、わ…」
「そうか。でも、ずうっと寝ていたんだから、しかたないよ。目が覚めて、しゃべれるようにもなったし、きっと感覚も徐々に戻ってくる」
 力づけるように笑う彼に笑みを返して、アナトはかすかにうなずいた。
「そう、ね…」
「ああ」
 シャウラは次に後ろのベッドに寝ているセテカ・タイフォン(せてか・たいふぉん)を振り返った。
「こっちの方は?」
「セテカさんもつい先ほど目を覚まされました」
「ふーん」
 と、同じように覗き込む。セテカはアナトと違って目を開けることもできるし意識もかなりはっきりしているようだった。やはり基礎体力がものをいうのだろう。
 自分を見るシャウラの気配に気づいて、彼へと視線を向ける。熱に潤んだ青灰色の目がきちんと自分に焦点を結んでいるのを確認して、シャウラはにっこり笑った。
「よお色男。目ぇ覚めたんだってな。寝たきりナイトと言われたくなきゃ、死ぬ気で生きろよ」
(なんたってあんたは姫領主さんの大切な人なんだからさ)
 シャムスのことを思い出し、テレパシーで彼の意識が戻ったことを伝えるべきか迷う。だが彼が深刻な昏睡に陥っていたことも伝えてないのだし、目が覚めた程度のことで連絡すればそれまではどうだったのかとヘタに勘繰られてしまいそうな気がした。
 彼女は勘が鋭い。
(もう少し好転してからの方がいいか)
「さーてっと。んじゃー傷口の包帯でも替えるかな」
「それでなぜこちらを向くんです?」
 まずはアナトさんからと、ぐりんっと回転した彼に、ユーシス・サダルスウド(ゆーしす・さだるすうど)が即座にツッコミを入れた。
「そりゃあアナトさんからしようと思ったからに決まってるじゃん」
「あなたの手は必要ありません。こちらは十分足りています」
 彼の言葉どおり、アナトが目覚めたことを聞きつけて部屋には続々と女手が集まってきていた。
「目が覚めたのか。じゃあ包帯を替えるついでに着替えと清拭をしよう。湯とタオルはあるだろうか?」
 冬月の指示に「はい」と何人かの召使いが取りに向かう。
「ついでにシーツも替えておいた方がいいわよ」
 毒島 大佐(ぶすじま・たいさ)について一緒に部屋へ入ってきたアルテミシア・ワームウッド(あるてみしあ・わーむうっど)が提案した。
 もちろん彼女にそれを手伝う気はまったくない。部屋の中央にある椅子にゆったりとかけ、丸テーブルで片ひじをついている。
「そうだな。そうしよう」
「あっ! じゃあ体持ち上げるのに男手が必要だろ? 俺が――」
「間に合ってる」
 即座に返され、召使いたちが急きょベッドの周りに張り巡らせたシーツのカーテンからポイ捨てされてしまった。
「やれやれ」
 ぴしゃりとやられたもののさして残念そうな様子もなく、アルテミシアの反対側でテーブルについたユーシスの元へ近付く。
「で、おまえはここで何してるんだ?」
 と、手元を覗き見た。ノートパソコンを持ち込んだ彼は、何かを検索しているようだ。
「ここ、シャンバラとつながってたっけ?」
「北カナン経由になりますが」
「ふーん」
 どうやらシルバーソーンに関する情報を集めているらしい。目まぐるしく変わるブラウザの内容に植物の項目を見て、シャウラは身を引いた。
「クローラを走らせています。今のところ、取得したデータは過去の文献ばかりですが……シルバーソーンがどこかで売買の対象となっているのが分かったらチャイムを鳴らすようにしました」
 戦艦島に必ずしもシルバーソーンがあるとは限らない。また、あったとしてもそれは数百年も前の物…。はたして薬効があるのかすら定かではない以上、ほかで手に入れる算段もしておかなければならないだろう。もしもの場合、とれる手段は多い方がいい。
「ここでひとつ提案なんだがね」
 室内の騒ぎなどどこ吹く風、それまですり鉢をゴリゴリして薬草を調合していた大佐が口を開く。
「石化させれば症状の進行を停止させることができるかもしれないぞ。石になれば生命活動しないし、本人たちも毒に苦しむこともないしね。ほら、ネルガルの用いた石化刑と似たようなものさ」
 その言葉に、一瞬で空気が張りつめた。
 大佐の発言はシーツカーテンの向こうにも届いている。冬月が現れ、彼らのいるテーブルへと近付いた。
「それは最後の手段だ。身内を石化されて人質にとられたカナン領主たちは石化に過敏だ」
 特にそれで弟を亡くしたバァルは。トラウマになっているのではないか、と思う。
「もちろんほかに手がなくなれば使うしかないだろうが」
「ふん。じゃあ魔神に魂を抜いてもらうというのはどうだ? 痛みの軽減にはならないが、少なくとも死ぬことはない。私たちにはそのつてがある。魔神を呼んでくることは可能だぞ」
 これに難色を示したのはユーシスだった。
 パソコンを脇にずらし、大佐を真正面に見る。
「最終的に選択するのは本人ですが、選びようがない今の状況でそれを訊くのはいささか卑怯ではないでしょうか」
 魂を抜けば、彼らは有限の命のことわりからはずれ、死ぬことはない。そして不老不死となって生きる――永遠に、ベッドで寝たきりで。痛みに苦しみながら。バァルやシャムスがその生を全うして死したのちも。
 もちろんその前にシルバーソーンを見つけるつもりだが、もしもということはいつだって存在する…。
 ほぼ永遠の時を生きる吸血鬼と違い、短い時を精一杯生きる人間種族。まるで夏の一時に懸命に咲く花のように。そうして新しい命を次の夏へ向かって送り出す。彼らが、それ以外の生き方を望むようには思えなかった。――いや、もしかするとこれは願いだろうか。そうあってほしいとの、自分のエゴか?
 ユーシスは目を伏せる。
 彼のなかの迷いを見抜いて、大佐は鼻で笑った。
「ま、私としては彼らが死のうが生き延びようが、どちらでもいいんだがね。これも、厳密に言えば彼らのためにやっているわけでもなし。
 ただ、気を変えるにしても間に合えばいいがね。どんな場合も転換点というものはある。それを過ぎればもはや何をしようが手遅れだ。魔神を呼ぶ暇もなくなる。その見極めを間違えないようにすることだ」
 そして、もう話すことは何もない、というふうに薬の調合へと戻る。
 そこでいきなりドアがバーンと開いて、レティ・インジェクターを抱え持った揚羽が入ってきた。
「妾の治療が効いたそうじゃな!」
「ちょ、揚羽。ここ病室なんですからもうちょっと声を落として」
 みことがあわあわしながらセテカのベッドへ突き進む揚羽の後ろをついていく。
「おお、目が開いているではないか。セテカよ、今の気分はどうだ?」
「ああ……まあ、すこぶるいいとは言いがたいな」
 身を起こし、ヘッドボードに肩を預けているセテカに、揚羽は上機嫌でレティ・インジェクターを向けた。
 まさか、といやな予感に軽く目を瞠ったセテカに、笑って告げる。
「ではもう1発入れようではないか! きっともっと気分がよくなるぞ!」
 それを耳にした瞬間、セテカの体はあきらかにびくりと跳ねた。ぐぐぐと身を起こし、しびれた体をなんとか動かしてベッドの横へ足を下ろそうとする。
「む? どうした? トイレか?」
「冗談じゃ、ない……そんなこと、されてたまるか」
 前に何をされたかは分からないが、彼女がかかえた巨大注射器を見れば、これから何をされるかは想像できる。
 ベッドを抜け、逃げようとするセテカを、力強い手ががしっと掴んだ。
「いやーセテカさん、これは治療なんだから、逃げちゃいけないなぁ」
 シャウラが押さえきれないにやにや笑いを浮かべている。
「そうですよ。方法はともかく、効いているのは確かなようですから。この際有効な手は何でも使わないと」
 反対側からみことが押さえ、その細腕からは想像もつかない力でベッドに仰向けになるようセテカを押し戻した。
「よせ! おまえら! 手を放せ!」
 じたばたじたばた。なんとか手をすり抜けようと暴れるセテカの足を、また別のだれかが押さえる。
「セテカさん、これは必要なことなんです。耐えましょう」
 ユーシスだ。
「そうとも。往生際が悪いぞ。おまえは分かっていないようだが状態は深刻なんだ。効果がある治療なら患者は黙って受け、感謝するものだ」
 これは面白い、と内心笑いながら生真面目を装って大佐も押さえ込みに参加する。
「心にもないことを言うな! 口で何と言おうと、全員目が笑っているぞ!!」
 駄目だ、だれも手を放しそうにない。そう思ったセテカは、カーテンを張っている召使いたちに目を向けた。彼らも複雑な表情で肩越しにチラチラとセテカの様子を伺っている。
「おまえたち、そこで見てないで助けろ!」
 セテカからの命令に、召使いたちはびくっと肩を震わせる。そうくるんじゃないかと思っていた、というふうに互いを見て、視線で語り合った彼らは、申し訳なさそうな目でセテカを見、しかし毅然と言った。
「すみません、きけません!」
「おまえたちーーーっ!?」
 信じられない思いで叫ぶセテカの上に、ゆらりと影が落ちる。
「ではゆくぞ。これはかなりの痛みを伴うゆえ、しびれているとはいえ、いささかは感じるやもしれん。患者はしっかり押さえつけておけ」
「う、わああああああああああーーーーーっ!!」
 だんだん近付くレティ・インジェクターを前に、セテカは絶叫した。



 セテカの悲鳴は部屋のみならず、廊下の窓までびりびりと揺らしていた。
「おっと。……すげー絶叫」
 ルーフェリア・ティンダロス(るーふぇりあ・てぃんだろす)と一緒に奥宮の巡回に出ていてちょうど行き当たった月谷 八斗(つきたに・やと)が、頭を押されたように立ち止まる。
「なに? あれ」
 同じく立ち止まったルーフェリアを見上げた。
 セテカの声を知るルーフェリアは、早くも室内で何が起きているのかを大体悟ってくつくつ肩を揺らしている。
「襲撃? だれか殺されでもしたの?」
「その可能性もなきにしもあらずだが……ありゃあ違うだろうなぁ」
 と、ドアへ歩み寄り、なかを覗き込む。
 思ったとおり、なかには奥宮付きの召使いのほかに大勢のコントラクターたちがいた。襲撃を受けて緊迫している様子はなく、大半はセテカのベッド周りに集まって彼を取り囲んでいる。
 なかの1人、揚羽がレティ・インジェクターを肩にかつぎ上げているのを見て、ああと腑に落ちた。
 後ろから室内を覗き込んだ八斗も、その巨大な注射器を見て感嘆の声を上げる。
「うわー……あれぶっ刺されたの? そりゃあんな声も出すわ」
 声から彼が気おくれしているのを嗅ぎ取って、ルーフェリアはにやりと片ほおで笑った。
「そうか。じゃあ今度おまえがいたずらしたときは、あれでおまえの尻をぶっ刺してやろう」
 過去どんなおしおきをされた経験があるのか、思わず尻を押さえてブルブル首を振りながら後退した八斗にわははと笑って、なかの者に声がけをした。
「よっ。どんな具合だ?」
「絶好調じゃ。なにしろ、2人とも目を覚ましたんじゃからな」
「へー。そりゃよかった。吉報だな。要たちにも伝えとくよ」
「もっともっと良くなるぞ。6時間おきにこれを打ってやろう」
 揚羽の宣言に、セテカが声にならない声を発したような気がして、みんながくすくすと笑う。
 八斗がとことことなかへ入った。そのまま、壁に設置された椅子にぴょこんと座る。
「八斗?」
「俺、ここで待機してる」
「そうか?」
「うん」
(だって、お城のなか歩ってるよりこっちの方が面白そうだもんねー)
「どうぞ」
「あ、ありがとう」
 ユーシスから差し出された緑茶をずずっとすすりながら、八斗は室内で繰り広げられている掛け合いを大変興味深く観察していた。