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シルバーソーン(第1回/全2回)

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シルバーソーン(第1回/全2回)

リアクション


12 シルバーソーン(3)

 夕風は北東から吹いていた。
 夕方の風は強くなるのが普通ではあったが、この風は普段以上の強さを持っていた。わずかに重く、水分を含んでいるように思う。
(雨か……ひょっとして嵐が来るかもしれませんねぇ)
 最初のひと粒が落ちる前に屋根の下へ戻れたらいいのだけれど。
 吹き流される髪を押さえ、そんなことを考えながら両ノ面 悪路(りょうのめん・あくろ)は丘陵地から戦艦島を見下ろした。
 今朝方東カナンのコントラクターたちが侵入してから戦艦島にこれといった変化はない。ときおりなかで何かが爆発した音がして、その都度戦艦島は身震いするような振動を発していたが、特にどこかが崩落したり陥没する様子もなく、ましてや崩壊することもなかった。
「意外と頑丈ですねぇ、あの建物」
 しみじみと言った彼の言葉に、となりのフードマントの者はくすりと笑う。
「そうでなくてはつまらないだろう。ぽしゃりとつぶれて終わり、ではな」
 正直、悪路は退屈だった。計画を練り、六黒たちに策を授けたあと、ここで待っていると言ったのは自分だったが、こうも変化がないとは。
 ちら、とを盗み見る。フードマントは深くかぶられ、見えるのは胸の前に垂れている長い髪と口元だけだ。その口元は、ここに泰然とかまえて立ったときからずっと微笑を浮かべている。
 何がそんなにも楽しいのか? そっとため息を押し殺したが、にはしっかり聞こえていたようだった。
「退屈そうだな。なんならおまえも向こうへ行くか?」
「とんでもありません。あんな獣臭そうな場所」
 ぶるる、と大げさに身を震わせて見せる。そして何気なさを装い、切り出した。
「まぎらわしのために、少しお話ししてくださいませんか?」
「何をだ?」
「シルバーソーンとやらは、本当にあそこにあるんでしょうか?」
 の口元が、おや? というかたちに変わる。
「ボトルをおまえも見ただろう?」
「ええ、たしかに。ですがあれが本物であるとは聞いておりませんので。中身と瓶が必ずしも同一であるとは限りません。そうと信じ込むのはおろか者です」
「なるほどな」
 胸を震わせ、は鈴のような声でくつくつと笑う。
「だがおまえには関係ないだろう? あれが本物であろうが、偽物であろうが」
「まぁ、それはそうなんですけれどね」
 だからあのときも、あえて訊かなかったのだ。
「ではなぜ今になって訊く?」
「だから、退屈だからです。ただのおしゃべりですよ」
「おしゃべりか…」
 まあ、それで納得しておいてやろう、そう言いたげには首を少し傾けた。
「あれは本物のシルバーソーンだ」
「おやまぁ。てっきり偽物だとばかり思っていましたよ。なぜそんなことを? そこにない方が、たどり着いた彼らの絶望は深いでしょうに」
「絶望? いいや、あいつらは欺かれたことに怒りを燃やして奮起するだけだ。それよりも目の前からかすめ取って、無能さをあざ笑ってやる方がよほど面白い」
「……なるほど」
「その上で、あのバァルが下級モンスターどものえじきになれば万々歳――」
 話している途中で言葉は途切れた。の注意が会話から戦艦島より飛び出してきた何かへと移る。それは、先のモートと同じ、黒い影だった。の配下の1人。
 影はに向かってまっすぐ飛んでくると金の瞳を持つ人間の男に姿を変え、先ほど戦艦島で起きた出来事を伝えた。その報告を聞いたの口元が、みるみるうちに強張っていく。
「――そうか。バァルめ、そんな小細工で俺を欺けるとでも思ったのか」
「それはないでしょう。彼らはあなたが背後にいることを知らないのですから」
 今はどうか分からないが。
 悪路の言葉に、フンとは鼻を鳴らす。
「ともかく、確認に参った方がよろしいようです」
「そちらはおまえに任せよう。
 ああそうだ、ついでに人質の1人を殺してこい。俺はやつのためにこの舞台を整えてやったのだ。逆らった報いだ。やつに自分のおろかさを教え込んでやるといい」
「どちらになさいましょう? ご希望はございますか?」
 影の言葉に、数瞬の間は考え込む。だがすぐに結論は出た。
「セテカ・タイフォンだ。あの小賢しい人間を始末しろ」
「承りました」
 男は一礼すると再び影に戻り、アガデへ向けて飛んで行く。
(やれやれ。あちらもこちらも、風は嵐となるようですね)
 扇の裏で、悪路は深々とため息をついた。


*           *           *


 ドアの前に集まる者たちの気配を感じて、三道 六黒(みどう・むくろ)はゆっくりと目を開けた。
「沙酉」
 名を呼ぶ。
 その声にぴくりと反応して、九段 沙酉(くだん・さとり)が進み出た。
 小さな少女。まるですべての色素を失ってしまったかのような銀の髪に白い肌は、彼女の無垢さのあかしのようでもあった。六黒と並ぶとさらにそれが強調されて、まるで瀕死の白鳥のようにも見える。 
「おぬしが持っていろ。何をすればいいかは分かるな?」
 渡された2つのボトルを大切そうに胸に抱き込み、沙酉はこくんとうなずく。
 少女を見る六黒の目が、ほんのわずかやわらかくなった。
「うむ。では離れていろ」
 沙酉はもう一度こくんとうなずき、ボトルを肩がけにしたバッグにしまうとベルフラマントをはおって部屋の暗がりへ戻って行った。
 もともと希薄だった沙酉の気配が薄れ、砂糖が水に溶けるように消えていく。それと同時に、ドア前に終が仕掛けた爆弾は解除され、ドアは大きく引き開けられた。
 闇に慣れたダークビジョンの目に、彼らの光術がまぶしく映る。しかしそれも一瞬。すぐに彼の目は明暗を調節した。
「やっと来たか、コントラクターども」
 ずしりと重い音を立て、六黒が立ち上がる。床に突き刺していた重厚な大剣梟雄剣ヴァルザドーンを引き抜き、部屋へ入ってきた者たちを見渡した。
「三道 六黒……なぜあなたがここに」
 ルカルカは失望の色濃い声で訊いた。
「このわしが、戦場に立つことに何の問題がある?」
 それはそうだろう。だが、彼らはもう気付いていた。この事件は魔女モレクが主犯ではなく、影に黒幕がいると。そしてこの戦艦島自体が彼らに仕掛けられた巨大な罠。
 だから最奥にだれかがいるというのであれば、それこそが黒幕ではないか――そんな予測を立てつつここへ踏み込んだ。だがそれが彼であるはずがない。三道 六黒はこれまで幾度も彼らの前に立ちふさがり、敵対し、その都度死闘を繰り広げてきたが、決して悪辣な黒幕であったことはなかった。彼は自ら前線へ身を置き、自らの魂かけて剣をふるう者。配下の者を捨て駒とし、ひとを策略に陥れ、罠にかけて殺そうとはしない。
 ここに真の敵はいない。真の敵は今もまだどこかで彼らを眺め、あざ笑っている…。
 ルカルカは、すうっと息を吸い、吐き出した。
「……駄目よ。順番が逆」
 熱くなりかけた頭を冷ますように振る。
「まずはシルバーソーンを手に入れること。それが先決だわ」
 アナトやセテカ、そして私たちを信じて帰りを待っている友たちのためにも。
 ルカルカの気合いを敏感に感じ取り、六黒もまた、かまえをとる。ヴァルザドーンとウルフアヴァターラ・ソード、どちらも巨大剣だ。じりじりとすり足で互いの間合いを計りながら、ルカルカは用心深く口を開いた。
「あなたがただ渡してくれるはずがないのは知ってる。だからこれは確認なんだけど。シルバーソーンは本当にここにあるの?」
「ある」
「じゃあますますあなたを倒して、そのありかを聞き出さなくちゃね!!」
 歓喜みなぎる声で宣言すると、ルカルカは真っ向から斬り込んだ。
 ごうと打ち合う鋼は火花を散らし、今しも折れそうな音をたててぶつかり合う。2人の打ち合いは一撃ごとに激しさを増し、互いを突き崩そうとする技はますます速度を上げて、だれにも割り込めない激烈な死闘になっていく。
 だが、これはチャンスに見えた。
 六黒の全神経はルカルカに集中している。今なら部屋のどこかにあるシルバーソーンを見つけられるのではないか――そんな彼らの考えを見透かすように、彼らの足元に向かって銃弾が撃ち込まれた。
「おーっと。どなたサンもそこから動くんじゃねーぜ」
 楽しげにはずんだ男の声が部屋の奥の暗闇から聞こえる。硝煙くゆる巨獣撃ちの猟銃を、なかば抱き込むような姿勢で持っているのは赤毛の男――六黒のパートナー羽皇 冴王(うおう・さおう)だった。
「こちとらおまえらが来るまで退屈で退屈で、死にそーだったんだぜ? あんまり退屈だったから、モンスター狩りなんてーのまでしちまった」
 見ろ、とばかりに尻の下に敷いた山をたたく。それは、最初彼らが想像していたようなこの部屋の備品などではなく、折り重なった血まみれのグールの死骸だった。
「そのオレですらガマンしてんだ。そこでおとなしくしてるんだな。それとも――」
 目を覆った遮光器の下、瞳が不敵な光を放つ。
「動いてくれるか? オレとしちゃあその方が願ったりなんだがな!!」
 いきなり銃口が左を向いたと思った瞬間、爆音がして弾が発射された。
 何を血迷ったかと目をむく者たちの前、巨獣をも一撃で撃ち殺す銃弾が鉄の壁をボール紙のようにぶち抜く。飛んだ火花が、ブラックコートで気配絶ちをしていたトライブ・ロックスター(とらいぶ・ろっくすたー)の姿を浮かび上がらせた。
 トライブは衝撃でふっ飛んだものの、受け身を取って難なく起き上がる。
「気配は消せても足音は消せねー。いくら音をたてずに歩こうったってなぁ、オレのこの耳はごまかせねーのよ」
 己の耳を指し、してやったりと笑う冴王。そこに、九十九 昴(つくも・すばる)が突貫した。
 歴戦の武術、歴戦の立ち回りと、次々とスキルを発動させていく。
「てめぇ、ひとの話聞いてなかったのかよ!」
「どうせあなたを倒さねば、シルバーソーンは手に入らぬのでしょう!」
 巨獣撃ちの猟銃は威力はすごいがマシンガンのように連射はできない。そしてその銃身ゆえに小回りも効かない。
「距離さえ詰めてしまえばこっちのもの! いきます、兄さん、天地、ツァルト!」
「はい!」
 ツァルトは胸の前で両指を組み、即座に冴王へ向けて悲しみの歌を歌いだす。
「うん、やろう!」
 アサシンマスクを付けた九十九 刃夜(つくも・じんや)が別方向から仕掛けた。昴に呼吸を合わせ、レーザーマインゴーシュで同時に斬りかかろうとする。その腕に、ワイヤークローが巻きついた。
「あっ!」
 あらぬ方向へ引っぱられたと思った直後、不自然な動きでペンが無防備に空いた胸へ向かって飛んできた。
「くっ…!」
 とっさに身をひねった刃夜の肩甲骨付近に突き刺さる。
「ああっ…!」
「刃夜!」
 すぐさま駆けつけた九十九 天地(つくも・あまつち)が引き抜いた。
「大丈夫でございますか?」
「う、うん……大丈夫」
 そう答えながらも刃夜の体は固く強張り、かすかに震えている。
「気をつけて……見えない敵がいるよ」
 胸元の服を握り締めた彼のささやきに、天地はきゅっと唇を噛み締めてすっくと立ち上がった。
「科戸の風の天の八重雲を吹き放つが如く、矢よ闇を払いて我が敵を討て!」
 天地より放たれた神威の矢が迷いもなくまっすぐ飛んで、天井近くの闇を貫いた。
「……っ!」
 ぐらりと闇のなかの何かが揺れて、まっすぐ落ちてくる。それは肩を射抜かれた少女だった。
 なんとか身を起こして己を射た天地を見上げる沙酉。だが天地たちは沙酉のひざのあたりを見ていた。
 シルバーソーンのボトルが転がっている。
「シルバーソーン、だ…」
 刃夜のつぶやきを聞いて、沙酉もまた、ボトルがこぼれていることに気がついた。さっと拾い上げ、バッグに戻すがもう遅い。
「あの子だよ! あの子がシルバーソーンのボトルを持ってる!!」
 その声を聞いた全員が、一斉に沙酉を見た。
 沙酉はまるで今しも襲いかかろうとしている猛獣を前にしているかのごとき慎重さで、そろそろと後じさりする。
「……くそッたれ!
 行け! 沙酉!!」
 昴と組み合っていた冴王が叫んだ。その声を合図に沙酉は身をひるがえし、ドアへ向かって走る。
 真っ先に反応したのはトライブだった。
「行かせるかよッ!!」
 回り込み、前をふさごうとする。彼の前に突如火柱が燃え上がった。
「なに!?」
 火炎を避けた彼の横を沙酉はすり抜けていく。
 ドアと彼女の間をふさぎ、手を出そうとした者は、ことごとく炎によって退けられた。
「……フラワシってわけか。上等だ!!」
 バーストダッシュで追おうとするトライブのすぐ横に、またも銃弾が撃ち込まれる。
「てめぇ…っ!」
 振り向きざま、トライブは煙幕ファンデーションを投げつけた。白煙が吹き出し、冴王が咳き込むのを見てサンダークラップを放つ。青白い稲妻が走り抜け、破壊された左右の棚が彼に向かって倒れ込んだ。
「今はてめぇの相手してるヒマなんかねーんだよ!」
 結果を見届けることもせず、きびすを返して沙酉を追うトライブの背中を銃口が狙う。
「詰めがあめーぜ! 坊主!」
 トリガーが引き絞られ、トライブの背中めがけて弾が発射されそうになった寸前。煙幕から飛び出した昴が銃身を押し上げた。
 鼓膜が破れそうな爆音が昴の耳元で起きる。手のひらが焼け焦げてしまいそうな痛み。それをおして昴はさらに冴王のもう片方の手を掴み、電撃のような大外刈りを決めた。
「行って!!」
 立ち上がってくる冴王から目を離さず、背後にいる遙遠たちへ向かって叫ぶ。
「2人を救うために、絶対に失敗は許されない! ここは私たちが引き受けます! だからあなたたちは行きなさい! 約束したのでしょう? 必ずあの草を持ち返ると! 大切なひとたちを救うために!!」
「そうよ! みんな、行って! あとで必ず追いつくから!!」
 六黒とつばぜり合いをしながらルカルカもまた叫ぶ。
 彼らの言葉を追い風のようにして、遙遠たちは部屋を飛び出した。
「ケッ。なぁーにがここは引き受ける、だ。てめぇなんざ、オレの敵じゃねえ!」
 冴王のこぶしを昴は両手で受け止める。
「私だけなら、あるいは。だけど私には信頼する仲間がいる! ――兄さん! 天地!」
「もちろん!」
「これ以上昴を傷つけさせないのでございます!」
 昴と冴王の戦いに、攻撃の刃夜と防御の天地が参戦した。そしてツァルトが歌を怒りの歌に切り替える。
(信頼する仲間がいれば、勝てぬ戦いなどない!)
「てやあああーーっ!!」
 気合いとともに、昴はこぶしを突き込む。火傷の痛みなど、今はもうこれっぽっちも感じていなかった。
「――ふん。行ったか」
 その口調に何かひっかかりを感じて、ルカルカは面を上げる。もしやと……だがそれがはっきりと言葉になる前に、六黒の蹴りを受けてはじき飛ばされた。
「よくも女の子のおなかを蹴ったわねーっ!」
 蹴られたのはウルフアヴァターラ・アーマーなのだが。
「もう許さないんだから!」
 剣をかまえて突き込むルカルカの頭のなかからは、先のひらめきは完全に消え去っていた。