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リアクション



9


 カディス・ダイシング(かでぃす・だいしんぐ)はよく研究に没頭する。
 だから、カノン・コート(かのん・こーと)別段不思議に思わなかった。
 部屋の隅で、黙々と作業をしているカディスのことを。
 けれど。
 ガタンッ、と派手に椅子が床を引っかく音がして。
 驚いて振り返れば、それまでこちらに背を向けていたカディスが床に倒れていて。
「お、おいっ?」
 何事!? と駆け寄る。床に伏したまま、カディスは苦しそうに咳き込んでいる。ごぼごぼという嫌な音に身体を抱えて起こすと、カディスの口元は鮮血に塗れていた。


 水神 樹(みなかみ・いつき)は、病院に辿り着くなりカディスの顔を見た。
 点滴を腕につけた彼は、ベッドの上で静かな寝息を立てて眠っている。
「ちょっと私、先生のところに行ってくるね」
「はいよ」
 カノンに買ってきた花を渡し、活けておいてもらうように頼んで病室を出る。
 カディスの担当医に話を聞いたところ、原因は栄養失調と疲労であることが判明した。
 曰く、カディスはしばらく血を吸っていなかったようだ。それが一番の原因だろう。
 もともとの病弱に加えて、血が足りない、さらに研究に没頭していたための栄養失調と疲労。全てが重なれば、まあ倒れもするだろうと。
 現状を理解したところで、担当医に礼を言って病室に戻る廊下を歩く。病院独特の香りが鼻をついた。
 ――非常食の輸血パック、入手できてなかったのかな……。
 ――倒れちゃうくらい血が足りなくなるまで放っておかないで、言ってくれればよかったのに。
 樹とカディスはパートナーなのだから。
 ただいま、と病室のドアを開けると、カディスは目を覚ましていた。ベッドの上、半身を起こして樹を見ている。すまなそうに。
「先生から、聞いてきたよ」
「申し訳ないです。迷惑をかけてしまって」
「迷惑なんて」
 そんなことは、思っていない。
 ただ、心配だった。
 また繰り返すのではないか、と。
 漠然と、思ってしまったから。
「そういえば」
 ふ、っとカノンが口を開く。
「俺とお前が出会った時も、お前はチェスをしていて……」
「ああ。懐かしいですね」
「少し話をしたら、青白い顔を更に青くして倒れたな」
「……そうでしたっけ」
「そうでしたよ。それで、放っておけなくて誘ったんだ」
「……たびたび、申し訳ないです」
 謝られてしまった。が、カノンはきっと、謝らせたくて昔話をしたのではないだろう。
「あのね、カディス」
 代弁するわけではないけれど。
 樹は、口を開いた。
「遠慮、しないで欲しいの」
 きょとん、とした目でカディスが樹を見る。
「遠慮なんて……ただ、対等でありたいと。そう、思うのです。お二人は、初めてできた友達ですから……」
 彼の気持ちを知って。
 樹は、カディスと出会ったときのことを思い出した。
 古びた洋館で、たった一人で暮らしていたカディス。
 カノンと二人、偶然そこに迷い込んで、出会って。
 そして、先ほどカノンが言ったように、話していたらいきなり倒れて。
 どうしたのかと尋ねると、ここしばらくまともな食事を摂っておらず、血も吸っていなかったと言い。
 とっさに、自分のでよければ、と差し出した。
 その時が、契約となった。
 ――あの出会いから、結構経つな……。
 懐かしかった。が、ひとまずその気持ちはしまっておく。
 対等でありたいという彼の気持ちは嬉しい。
 だけど、今回のはそれとまた別問題。
「倒れたら、仲間が――友達が、みんな心配するよ」
「…………」
「カディスは吸血鬼だから、すぐには死なないかもしれない。けど、何かあったらとても大変なことになるよ」
 そして、後悔するだろう。
 あの時ああしていれば、と。
 しなかった選択を、ずっとずっと、悔やみ続ける。
「……迷惑をかけるとか考えないで、頼って欲しいな」
「っていうかもっと頼れよ。いや、お前が元々人に頼るのが苦手っぽいのはわかってるんだけどさ」
 樹に続いて、カノンもカディスの目を見て伝えた。
「仲間なんだからさ。頼ってくれるのって、嬉しいもんなんだよな」
 その気持ちはよくわかる。だから樹も頷いた。
「……っていうか。じゃないと、俺ばっかりが頼りっぱなしでフェアじゃないだろ? お前の力になりたいよ」


 樹とカノンに気持ちを伝えられたカディスは。
 しばしの間、黙していた。黙して、考えていた。
 ずっと、ずっと、一人だった。
 一人だったから、誰かに頼るなんて考えはとうに消え去って。
 関わった人に、迷惑をかけないようにしなければ、と考えるようになって。
 結果、こうして悲しませて、心配させて。
「……長い間一人だったからでしょうか。そういう気持ちを忘れていました」
 頼ってもらえたら、嬉しい。
 それは、当然だった、気がする。
「……お二人の言葉、とても嬉しく思います。ありがとう、二人とも」
 やっぱり、頼るのは下手かもしれない。上手くできないかもしれない。
 だけど、それでも、これからは頼りたい。
 だって、自分は二人の友達で、仲間で。
 対等を願うなら、頼り、頼られる関係でもいいじゃないか。


*...***...*


 ヴァーナー・ヴォネガット(う゛ぁーなー・う゛ぉねがっと)が事件に巻き込まれて瀕死の重傷で入院したと聞いて、セツカ・グラフトン(せつか・ぐらふとん)は着の身着のままで病院に駆けつけた。
 病室に到着。ヴァーナーの姿を探す。と、意外にもヴァーナーは元気そうだった。
 セツカの姿を見止めて、「セツカちゃ〜ん♪」と暢気そうな声と顔で笑っている。
「色々と言いたいことがありますわ」
「? なんでしょうか〜?」
 わかっていないようだが、もちろん、お小言だ。
 だけど。
「……今はただ、身体を癒すためにゆっくりさせてあげましょう」
「ええ。じっとしてるの、たいくつなんです〜」
「ですからこうして看病に来たのでしょう?」
「うん。セツカちゃんがきてくれて、よかったです♪」
 にこにこ、にこにこ。
 この子の、真っ直ぐすぎる純粋な目を見ていると、なんだか何もかも許してしまえそうになる。
 本当は、ちゃんと叱っておきたいのに。
 無理をしないで。無茶をしないで。命に関わる怪我をしないで。
「怪我の具合はもうよろしいの?」」
「はいです。治してもらったですよ〜。でも、まだしばらく安静しないといけないそうなんです〜」
「そうですの。まあ、無事なら良いですわ」
 お見舞いの品に、と持ってきた林檎の皮を剥く。定番のうさぎさんカットにしてやると、ヴァーナーがこれまた無邪気に喜んだ。
「セツカちゃん、きようさんですね〜」
「これくらいお茶の子さいさいですわ。はい、あーん」
「あ〜ん」
 素直に口を開いたところを見る限り、きちんと食欲もあるようだ。安心する。
 傷は塞がっているというし、あとはよく寝てよく食べておけば数日のうちに退院可能だろう。
「さ、次は身体を拭いてあげますわ」
「なんだかセツカちゃん、いつもよりやさしいですね〜」
「今だけですわ」
「えっ、いまだけなんですか。じゃあいまのうちにいっぱいい〜っぱい、甘えちゃうですよ〜」
 言うなり、ヴァーナーが抱きついてきた。頬にキスまでしてくる。
「こらっ。これじゃ、身体が拭けませんわ。そっちが終わってからにしてくださいまし」
「はぁ〜い」
 身体を拭いてやって、持ってきたパジャマに着替えさせてやって。
「入院中、勉強が遅れないように教科書やノートも持ってきましたわ」
「ええっ。それは〜……う〜ん」
「教えてあげますわよ?」
「じゃあ、えっと……ちょっとだけ、頑張りますです」
「よろしい」
 難しそうな顔をして問題を解いていくヴァーナーに、「こうすると良いですわ」とアドバイスをして。
 ある程度が終わったら、「今日はここまでにしましょう」と教科書を閉じた。
「あとは、甘やかしてさしあげますわ」
 ベッド脇に腰掛ける。膝枕ができるように。
 何をしてもらえるのかすぐにわかったらしいヴァーナーが、セツカの膝に頭を乗せる。
「ちょっとせまいです〜。でもそのぶん、みっちゃくですね〜。あったかいです〜。あっ、セツカちゃん、そいねしてください〜♪」
「あまりお馬鹿なことは言わないよう。ほら、歌って差し上げますから」
 幸せそうな顔で笑うヴァーナーに、子守唄を歌ってやった。
 ゆっくり、ゆっくり。
 静かで平和な眠りの世界へ、落ちていけるように。
「セツカ、ちゃん」
 寝惚けた声で、ヴァーナーがもごもごと言う。
「しんぱいかけて、ごめんなさいです〜……」
 それっきり、ヴァーナーからの言葉はなかった。眠ってしまったらしい。
「…………」
 しばしの間、ヴァーナーの寝顔を見て、頭を撫でて。
 セツカは、ヴァーナーをベッドに真っ直ぐ寝かせた。
 それから、その隣に自らも横たわる。
 小さな身体をそっと抱きしめてやると、ヴァーナーの表情が柔らかくなった。