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リアクション
1
商品の準備、良し。
掃除もばっちり、埃ひとつなし。
天気は……生憎、雨だけど。
六月某日。
茅野瀬 衿栖(ちのせ・えりす)の工房は、ついにオープンした。
開店したばかりは、期待より不安の方が強かった。どきどきする。
――お客さん、来てくれるかしら。
――フィルさんのところで宣伝させてもらったし、その成果あるといいけど……。
じっと考えていると余計に緊張してきたので、立ち上がって窓に向かう。
窓の外。色彩の乏しい世界。路上に咲いた、傘の花。
――来てくれるかしら。
不特定多数の誰かじゃなくて。
――……来てくれるって言ってたけどさ。
外は雨だし、あの出不精な彼は嫌がらないだろうか。
――何があるかわからないし……って、ああ。
「なんでこんな考えちゃうかなぁ……」
ため息と一緒に言葉を吐いた。
「あー! ダメだダメだ。仕事しようっ」
開店日。やることは他にもたくさんある。ぐずぐずと深みにはまっていくことはない。
ということで、開店記念の無料配布人形を作ることにした。
あらかじめ、ある程度の下準備を済ませた10cm程度の小さい人形。
――これくらいなら、もしなくなっちゃってもすぐ作れるし。
それならそれで、実演販売みたいで目を引きそうだ。むしろ、いいかもしれない。
今日じゃなくても、いつか企画立てしてやろうかな、と考えていたら、ドアが開いた。雨の日の、湿度を含んだ重い風が流れ込んでくる。
「いらっしゃいませ! 衿栖の工房へようこそ!」
最高の笑顔で出迎えると、
「こんにちは」
「……っ」
クロエ・レイス(くろえ・れいす)の手を引いた、リンス・レイス(りんす・れいす)が立っていた。息を飲む。
「き……記念すべき最初のお客様がリンスかー。なんだかなー」
と言ったものの、内心では嬉しかった。
だって、来てくれるかどうかさえ怪しかった相手が、いの一番に来てくれたのだもの。
「悪かったね、見飽きた顔で」
……少しくらい、素直になろうか。
「……嘘よ。……ありがとう、来てくれて」
「いいえ。開店おめでとう。あと、さっきの笑顔、良かった。ね、クロエ」
「とってもかわいかったの!」
「ふふーん。これが衿栖さんの営業スマイルってやつよ! さすがでしょう!」
「うんっ、さすがー!」
そして、いつもと同じ展開になるのだ。
――はあ。
「折角来てくれたのになぁ……」
少し素直になっただけじゃ、足りないらしい。
どうして彼相手だと、こうも捻くれるのか。
――リンスもリンスで、すぐ流されるしね。
「何か言った?」
「いーえっ、何も。……あ、そうだ。二人に、これ」
一旦二人の元から離れ、先ほど作った人形のところへ戻る。レースのついたリボンを巻いて、
「あげる。開店記念の人形よ」
リンスには男の子のものを、クロエには女の子のものをひとつずつ渡した。
「かわいいっ」
「うん。可愛いね、これ」
「でしょー! 記念品よ記念品。大事にとっときなさいよね。いつかプレミアつくんだから!」
「ついても譲らないけどね」
「……うん。そうしてくれると、私も嬉しい」
ずっと、ちゃんと持っていてほしい。
それで、今日のことを思い出してもらいたい。
――私は、覚えたよ。
開店日。大事な最初のお客様になってくれたこと。
クロエの傘がとても可愛いのに対して、リンスの傘が色気もなにもないビニール傘だったこと。
おめでとうと言ってくれたこと。
いつも通りのやり取りをしたこと。
一番最初に人形を渡せたこと。
言えないけれど、実はそれが一番嬉しいこと、とか。
――だって、二人とも私にとって特別な存在だもの。
リンスがいなければクロエに会えることはなかったし、反対に、クロエがいなければリンスに会うこともなかった。
「ねえ、二人とも」
改めて、言っておこうか。
「これからも、よろしくね!」
*...***...*
雨の日でも晴れの日でも、そうたとえ嵐の日だろうとアキラ・セイルーン(あきら・せいるーん)はふらふらしている。
「いや嵐の日くらいは落ち着くよ。うん」
「誰に言ッテるのヨ」
一人ボケツッコミに、懐から声。アリス・ドロワーズ(ありす・どろわーず)のものである。せめてツッコむときは顔くらい出してほしいと思った。まあ、雨に濡れてもかわいそうだからそれでいいけれど。
ふらふらと散歩していることに理由はない。なんとなく、出掛けたいなと思って、なんとなく、歩いているだけだ。
そして、なんとなく、で来たここが人形工房の近くだと気付いたのはついさっき。
「ネェネェ」
アリスも気付いていたらしく、アキラの襟を引っ張った。
「内側からよくわかんなぁ」
「女の勘ヨ」
「子供のくせに」
揶揄するように呟いてから、進路変更。
コンコン、と扉を叩いてドアを開け。
「ぅおい〜〜〜っす」
間延びした声を、工房に響かせた。
「ハァイ☆ オトー様、オネー様。元気ィ?」
アリスが懐から抜け出して、言った。
「二人は元気そうだね」
「おまえはいつも通りな〜。なんか安心するわ。あ、新作見せてー」
のらりくらりと挨拶を交わし、ふらりふらりと棚の前へ移動。
右から左にじっと見て、
「これ……あ、これも可愛い」
「ネェネェアキラ! コレ。コノ服欲しイ!」
「どれ。これ? なーリンスぅー」
「はいはい」
あれが欲しいこれが欲しいと、お買い物タイム。
結果、財布の中身が随分と軽くなったが別に気にしない。気にしない。
充足した気持ちを抱きつつ、「ほあー」椅子に座り、テーブルに突っ伏した。欲しいものが買えた、この幸せは愛しいものだ。
「リンスー」
「何」
「なんか変わったことあったー?」
「従業員が一人自立していったね」
「お。すごいじゃん」
「今日がオープン初日だって。気になるなら場所教えるよ」
「じゃ、頼むわ〜」
うん、と頷いたリンスが、発注用紙の裏に地図を描き始めた。ぼんやり眺める。
描いている間、つらつらと近況報告をしてみた。どこへ行っただとか、こんな冒険をしただとか。「へえ」とか「ふうん」という相槌をもらいつつ。
「はい。地図できた」
「ありが……そーいやリンス!」
「何」
受け取った瞬間、思い出した。まだ、重大報告を済ませていない。椅子を蹴倒し、立ち上がる。意味もなく両手をあらぬ方向へ向け、どこぞのヒーローがポーズをド忘れしたような格好をしながら、言う。
「聞いて驚け! セイルーンさんはなんと! なんと!!」
「うん?」
「リンスと同じく人形師になったのです!」
どや! と胸を張っての宣言に。
「おめでとう」
「……いやま、予想はしてたけどさ。ほんっと驚かないなぁ……」
彼のことだから、そんな反応は期待しちゃいけないのだ。わかっていた。けど、なんだか釈然としないというか、少しばかり不満というか。
「驚いてるよ」
「どこがだよ。わかりづらいよ」
「そう?」
「そっす。まあ人形師っていってもゴーレム職人で、弟子入りしたばっかなんだけどね」
「ゴーレム?」
「そう。まだ観賞用のゴーレムしか教わってないけど」
師が言うに、本格的なゴーレムを造るのには二、三十年修行が必要だそうだ。観賞用ですら、まだまだ難しい。あと、教えが厳しい。わかっていて弟子入りしたけれど、それでもそう思うくらいに。
「なんか上手く作るコツってない?」
「あったら俺が知りたい」
「十分上手いじゃん。はーこんな相手がライバル……」
「ライバルなの?」
「疑問符にしないでくれますかね。そういうノリって大事じゃんか」
「磨きあう相手はいた方がいいね。確かに」
「だろ? というわけで晴れてライバルですうはははは」
アキラの高笑いを聞いて、クロエが笑った。
「たのしそう!」
「アンナでも真面目ナノヨ」
今はちょっと、テンションが上がってしまっていてただの変な人だけど。
職人として必要なものがあると、アリスは思っている。
「アリスもしょくにんさんなの?」
「ソウヨ、オネー様。付き添いミタイナ感ジダケドネ」
みんながんばってるのね、とクロエが言った。なんだか、いつもより元気がないように思える。
「ドシタノ?」
「うーん。よくわかんない」
「雨、嫌イ?」
「うーん」
それもよくわからない、と首を傾げられたので。
アリスはアキラの鞄に潜り込んで、ポケットティッシュを持ってきた。
くしゃっと丸めた一枚を、もう一枚で包み込んで。
首で結んで、はい完成。
「照る照る坊主ッテ言うノヨ」
「てるてる?」
「お天気ニシテクレルのヨ。一緒に作りマショ?」
雨が止めばいいね、なんて、話したり。
雨は雨で、紫陽花が綺麗に見えるのよ、とか。
これまでに知った、雨の日の素敵なところを教えたら、クロエが「あじさいみにいきたい」と言った。
作り終わったら、あっちの二人をけしかけて出掛けよう、と笑い合う。
照る照る坊主作りに興じる二人は、紫陽花を見に行こうという話をしているらしい。
「紫陽花ね〜」
テンションが落ち着いたアキラは、アリスとクロエの様子を微笑ましく見て、頷いた。
「いいじゃんいいじゃん。それにさ、紫陽花ってなんか、リンスとクロエみたいだいよね」
呟きに、リンスとクロエが同時にアキラを見た。つられてアリスもアキラを見る。そんな、注目されるようなすごいことを言ったわけじゃないのになあ。と頬を掻きつつ、「紫陽花ってさ」と言葉を続けた。
「人が好きな形にしようとハサミを入れると花が小さくなるんだ。でも、黙って見守っていれば花も木も大きくなっていく」
すくすく伸びる、広い庭を与えてやるだけで、成長していくのだ。
それが、二人に重なって見えた。
「ってまあ、そんだけなんだけどね」
「アキラおにぃちゃんって、すてきなこというのね!」
「よせやい照れるぜ。……というわけで、俺はもう帰るよ」
立ち上がる。照れたのも事実だったけれど、リンスと話していたら、なんだか。
「作りたくなっちゃったし」
ぼそ、と自分にしか聞こえないくらいの声量で、ぽつり。
紫陽花も見に行きたかったけれど、でも。
「ごめんなー」
今は、こっちの感情を優先したくて。
「そういうのって大事だよ」
別れ際、リンスに言われた。聞こえていたのか、と苦笑いした。
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