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リアクション
4
外は雨。
水のカーテンによって世界は切り離されて、静かな空間の中に椎名 真(しいな・まこと)はいた。
……篠原 太陽(しのはら・たいよう)と二人きりで。
――みんな雨なのに、どうして出かけていくのか。
一人、また一人と家を空け。
気付いたときには二人きり。
――よりにもよって。
「…………」
なんとなく、気まずさに近い感情が胸に沸き。
それらから目を逸らすために家事に走る。
掃除。夕飯の準備。洗濯……は雨だからできないし。
――困った。
存外あっさり片付いた、やるべきことたち。
視界の隅に映るのは、ソファに座り、黙々と義足のメンテナンスをこなす彼。
「……お茶でも飲みます?」
沈黙を降ろしたままにしておけず、問う。
「それもまた一興」
と返されたので、キッチンに立った。そこで気付く。彼は何を好むのか、わからないと。
ひとまず、コーヒーと紅茶を淹れてみる。どちらも飲めない、というのはそうないだろう。……しかし甘かった。
淹れ始めて少しして、
「言い忘れていたが」
篠原の声。「はい?」とキッチンから顔を出し、言葉の続きを促す。
「カフェインはどうも身体が受け付けない」
……それならば、用意を始める前に言ってほしかった。どちらか無駄になるのも心苦しい。けれど飲めないものを出すわけにはいかないので、別のものをと家にあるものを思い浮かべる。
「ホットミルクなら大丈夫ですか」
「問題ない」
淹れなおして、リビングへ。
マグカップを篠原の前に差し出してから、真もソファに腰を落ち着かせた。
「篠原さんは出かけたりしないんですか」
「私は雨は好きではない。湿度というものは様々な不調を齎し手間が増える」
「はあ」
相槌を打ちながら、自分はどうかとちらり、思う。捗らないことも多々あるけれど、そこまで嫌いというわけでもなく。
――義足だとやっぱり、何か違うのか。
ぼんやり考える。自称『未来の俺』である彼には謎が多く、訊きたいことがたくさんあった。
「篠原さんって、どうして義足なんですか」
「…………」
そこから始まって、他にもたくさん。
どうやってこの時代に来たのか。カフェインは身体が受け付けないと言っていたけれど、アレルギーなのか。だとしたらそれは生まれつき? どうしてこんなにも、自分と彼は違うのか。
――違いすぎて実感、沸かないんだよな。
問いに沈黙したまま、篠原が席を立った。あ、という間もなく、リビングを出て行く。が、すぐに戻ってきた。手に、チェス盤を持って。
「ただ仲良く飲んで話すのもつまらないだろう」
テーブルの上に、盤と駒を置く。篠原の手が黒の駒を取った。
「ゲームをしないか」
チェス。ルールは把握しているが、あまり興じたことはない。残った駒を取り、盤の前に座る。
話を振ったら、ゲームを持ちかけてきて。
ああつまり、真が普通に訊いたとして、答える気なんて彼にないのだ。
白の駒を、動かす。受けて、篠原が返した。少し考え、また一手。
――……どうしよう。なんか、話が切り出しにくいぞ。
一度遮られた話。勝負が始まって、戻すのもなんだか憚られる。
「す」
「?」
「好きな食べ物は」
「豆乳とにがりで固められた加工食品」
「ワァ……」
思わず笑みが引きつる。即答で、回答が豆腐。自分だ。こんなところで実感を得たくはなかった。
「そういや」
一手、一手と進めつつ。
この間のことを思い出して、言った。
「お見舞いのとき、紺侍さんに失礼なこと言ってたよな。憑かれてた状態だったけどハラハラだったんだよ?」
『人は常に何かを隠し、他人に心を開けるなど皆無に等しい』。
『つまり、君はとても楽しそうな人間だということだ』。
相手によって、どういう意味にでも取れる言葉ではあったけれど、真は。
「他人と深く関わらない分、他人の不安や悩み、心配を背負わなくていい」
と、篠原が言いたかったのではないかと思った。
「……ってことだろ?」
探るように、声をかける。直後、差された一手が中央を制す。
「うわっ」
「意識が勝負以外に拡散している状態で私に勝てるわけなどあるはずがない」
「仰るとおりで。……」
ここからどう切り返そうか。頭を捻らせていると、
「あの時の言葉をそう捉えたならば、『俺』はそう思う節があったという事だな」
「え?」
「『俺』よ」
「……?」
「私にチェスで勝てたら、この銀ケースの中身を見せよう」
篠原が、箱をちらりと覗かせる。
――中身?
何があるというのだろう。
「訊きたいであろうことの証拠だ」
「……!」
どき、とした。教えてくれるのか。いや、『証拠』とまでしか言っていないから、どこまでわかるのかは定かではない。
「但し、私が勝ったら……そうだな、ケーキでも買ってきてもらおうか」
「ケーキ?」
奢れ、ということだろうか。パシり? と首を捻りつつ、それくらいならと頷きかけて、
「傘を差さず乗り物に乗り今すぐに」
続いた言葉に、時間停止。
外は大雨の真っ只中。雨音は耳に障るほどだ。
「…………」
「ケーキ屋はヴァイシャリーの大通りにあったな」
「ヴァイシャリーまでこの雨の中を」
つまりそれって、
「罰ゲームジャナイデスカ」
思わずカタコトになった。真の様子を見た篠原が、にやり、笑ったように見えた。
「どうする」
かといって、ここで引くわけにはいかないし。
「……負けられない……」
結果は、翌日の真の体調が物語っていた。
*...***...*
芦原にある長屋が、フレンディス・ティラ(ふれんでぃす・てぃら)の住居である。
そして、つまり、そこは忍野 ポチの助(おしの・ぽちのすけ)の住みかでもある。
「雨の季節は外に出にくいから嫌ですね……」
と、フレンディスが言った。
確かに、とポチの助は頷く。雨だと外を駆け回れない。
ポチの助は、フレンディスに連れられて外を歩くのが大好きだ。
知らない道を自由気ままに歩くのも好きだ。
晴れた広い空の下、背筋を伸ばして悠々と歩く。
隣では、フレンディスが穏やかな笑みを浮かべている。
そんな、日が、好き。
――雨だと、中々。
したいことができないから、あまり好きではないのだった。
だから同意したのだけれど、言葉とは裏腹にフレンディスは嬉しそうだった。耳も尻尾も具現化している。喜んでいる。その理由を、ポチの助は知っている。
「何時頃いらっしゃられるのでしょう?」
フレンディスは一人ごち、壁にかかった時計に幾度目かの視線をやった。
辺りに花でも散りそうな、ほわんとした表情。雰囲気。その全てを作っているものは、
「マスター……」
「…………」
エロ吸血鬼……もとい、ベルク・ウェルナート(べるく・うぇるなーと)なのだ。
フレンディスの手が伸びてきて、ポチの助の毛を触った。ゆるく、撫でる。
「本日は、マスターが術を教えに来てくださるのですよ。雨ですのに、わざわざ。私なぞのために」
ふふ、と、彼女は実に嬉しそうに笑った。
「本当にお優しいお方です」
睦言を紡ぐように、愛しそうに。
優しいのはどっちだか。撫でてくれる指先から伝わるフレンディスの気持ちに、ポチの助は思う。
――本当に、ご主人は。
考えたことが全て言葉になる前に、聞き覚えのある足音が雨音に混じって耳に届いた。
来る。
ポチの助の耳が動いたのを見て、フレンディスが立ち上がった。ほぼ同時に、ノックの音。
「マスター! お待ちしておりましたっ」
「フレイ。相手が誰か確認してから戸を開けろって言ってるだろ。危ねぇよ」
「ポチの助が気付きましたから」
というフレンディスの言葉で、ベルクが部屋に視線をやった。ポチの助と、目が合う。
なんでお前がいるんだよ、と言われた気がした。雨ですから。と返してやる。
――雨ですから、本来は。
本来は、フレンディスと二人きりだったのだ。
雨は、好きではないけれど。
けれど代わりに、フレンディスと長く二人でいられるから、嫌いでもなかったのに。
今日はベルクにその座を取られてしまった。
もっと撫でてほしかったし、構ってほしかったし、遊んでほしかったのに。
ポチの助に背を向けて、術の勉強に集中し始めたフレンディスを見て、思う。
――ご主人は、気付いていますか?
気付いていないだろう、と心中で呟きながら、問う。
――僕には解っているのです。
――ご主人が、エロ吸血鬼を好きだってこと。
ポチの助や、友人に向ける『好き』とは違って、もっと大切で特別な、『好き』。
周囲の者にもわかるくらいはっきりと、明確に、形作っている気持ちに、あろうことか当人だけが気付いていない。
――その鈍感は、もはや罪ですよ。
教えてあげることもできるだろう。
ポチの助から言えば、もしかしたら、素直に受け止めてくれるかもしれない。だってポチの助は、ずっと傍にいたのだから。ずっと、彼女の話を聞いていたのだから。
だけどまだ、教えてあげない。
だって気付いてしまったら、想いが通じ合ってしまったら、それこそ。
――…………。
――違うのですよ。
――エロ吸血鬼がムカつくから、もうちょっとやきもきすればいいと思っているだけなのです。
別に、決して、もう構ってもらえなくなるかも、なんて思ったからでは、ない。
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