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■12月31日

 暮れの押し迫った12月31日。
 榊 朝斗(さかき・あさと)は遅ればせ、年末年始の買い物にルシェン・グライシス(るしぇん・ぐらいしす)アイビス・エメラルド(あいびす・えめらるど)と連れだって街へ出てきていた。
 本来ならもっと早くしなければいけないことだったが、多忙すぎて今日までどうしても時間がとれなかったのだ。
「うーっ、寒いなぁ」
 真冬の空気は氷でできているかのように冷たい。朝斗はコートの下でぶるっと身を震わせる。
 指先がかじかむくらい冷たかったが、同時にすがすがしくもあった。晴れ渡った空は高く、どこまでも見渡せるくらい澄んでいる。
 しかしそれも空を仰げば、の話だった。
 ひとたび地上へ目を向ければ、大通りじゅうにごった返す人の群れが広がっている。普段もにぎわっている通りではあったが、それにしても今日は群を抜いて凄まじかった。前後左右、どちらを向いても見えるのは人ばかり。ショーウィンドウには近づくこともできず、飾られた商品などまったく見えない。特にデパートの前など入り口に殺到して列をつくり、人が出るのを待って入るような状態だ。まるでこの街の人の大半が今日ここに集結しているみたいだった。
「明日から三箇日で大半のお店が休みになるんだもの、しょうがないわ。デパートや商店の年末バーゲンも最終日だから、さらに値を下げるのを期待してる人も多いでしょうし」
「皆さん考えることは同じってことですわね」
 アイビスがふっと息を吐いて首を振った。
 正直、3人ともここに入りたくはなかった。意味は違うがここも立派な戦場だ。
 しかし、今ここであきらめてしまっては、新年が迎えられない。それは困る。
「とりあえず、先に家電製品と洋服から回って、そのあと食材や日用品を買おう。大物や服は配送サービスで送ってもらうことができるし、何より個数が限られてるからね」
「家電製品は5階、洋服は3階、食料品は地下階ですわ」
 カバンから取り出したチラシを見るアイビス。
「上から下りていくのが順番的にも適ってるわね」
「じゃあまず、エレベーターへ向かおう」
 エスカレーターはフロアの中央位置だ。この人混みのなか、そこまでたどり着くのは到底困難と、早々にその選択肢はポイと捨て、壁際にあるエレベーターを目指す。
(これがあの店じゃないだけマシかな)
 内心、今日一番の目的の店があの状態ではありませんように、とこっそり祈ったあと。朝斗は「よし、やるぞ」とつぶやいて気合いを入れると人の頭だらけの入り口に向かって踏み入った。
「うぷっ」
 とたん、案の定数歩も進まないうちに人の波にもまれることになってしまう。
 それでも接近する人がいたり、ぶつかったと分かれば人は体を動かしてどうにか避けようとするものだが、今回に限ってはだれもそうしてくれないため、だれもかれもが肉壁となって立ちはだかっていた。みんな寒さに厚着をしているせいで、体積が1〜1.5倍になっているせいだ。感覚が鈍ってしまっている。そして例に漏れず朝斗たちも厚着をしているせいで、思ったように回避の動きができないのだった。
「る、ルシェン、アイビス、気をつけて」
「きゃ……っ」
 言ったそばからルシェンが人波に飲まれて流されそうになっているのが見えた。
 伸ばした手が、人と人の隙間から見えていたルシェンの手を掴むことに成功する。そのまま、柱と壁で生じているわずかな隙間まで引っ張って歩いた。
「大丈夫? ルシェン」
「ええ、なんとか」
 まだ数分と経ていないのに、もまれて乱れた髪を指で梳き上げる。
「ねぇルシェン、アイビスはどうしたの?」
「え? あの子なら私のすぐ後ろを歩いていたはずよ」
 しかし振り返っても、そこにアイビスはいなかった。こちらへ来ようと奮闘している姿も見えない。
「いきなりはぐれた!?」
「ちょっと待って……」
 きょろきょろと辺りを見渡したルシェンは、黒山の人だかりを超えた向こうにアイビスのエメラルド色の髪を見つける。
「ああほら。朝斗、アイビスならあっちにいるわよ」
 ルシェンが指さした先を見た朝斗は自分たちと同じように隅に避難しているアイビスを迎えに行こうとし――すぐにアイビスの周囲にいる者たちの目的がアイビス本人だということに気づいた。
 彼らはみんな、人波に流れて行こうとせず、むしろ逆らってアイビスのそばに残っている。
「……どういうこと?」
 ルシェンも同じようにとまどった表情で朝斗を見たが、「もしかして」と推測を口にした。
「先日イベントの『最強アイドル決定戦』に参加したせいかしら?」
「なるほど。例の、蓮見さんと一緒に参加して優勝したやつか。あれですっかり有名になっちゃったんだね。OK、把握」
 ふんふん、とうなずく。
 たしかに彼らからは熱気はあっても殺意とか害意は感じられない。しかしそれがかえってアイビスをとまどわせる結果になっているようだった。
 敵ならば強引に包囲を突破することもできるが、一般人の、しかも好意を向けてくれている人たちを乱暴には扱えない。結果的に、アイビスは「ごめんなさい。すみません。通していただけませんか」を連呼しているのだが、聞いてもらえず困り果てたままあそこで立ち往生してしまっているのだった。
「あの子もやさしすぎるから。ああいうときぐらい、多少手荒になっても強引にいけばいいのに」
「しかたないよ。それがアイビスだもの。
 でも、ずっとあのままだとアイビスが疲れちゃうな」
 ここはやっぱり自分が助けに行くべきか。
 前に出ようとした朝斗を、ルシェンが止めた。
「待って朝斗。私が連れ戻してくるわ」
「え?」
「こういうときは、男の人が行くより女性がいいのよ。せっかく好意的に思ってくれてる人たちに、悪意を持たれて変なうわさを流されてもアイビスが困るでしょ?」
「うん、そうだね。分かった。頼むよ、ルシェン」
「任せて」
 ルシェンは笑顔で朝斗の元を離れ、アイビスの救出へと向かう。もちろん
(というより、あんなぎゅうぎゅう詰めの所へ朝斗をやって、アイビスとくっつき合わせたくないっていうのが本音なんだけどね。
 アイビスも朝斗に惚れ直したりして、2人の仲を進展させたくないわ)
 という女の打算には、朝斗はまるっきり気づいていない。
「ルシェン」
 近づくルシェンに気づいたアイビスが、あからさまに表情を緩ませた。アイビスの変化に気づいてそちらを振り返った野次馬たちは、魔王の目をした妖艶な美女の鋭い眼光に射竦められることになった。
「さあさああなたたち。もう十分お相手していただいたでしょう。その子は私の連れなの。そろそろ解放してもらえるかしら?」
 伝説のマオウを使用したルシェンの微笑に――例え使用しなくても――逆らえる者などそうそういない。
 硬直して指1本動かせないでいる男たちの前を悠々と歩き、ルシェンはアイビスを連れてその場を去って行った。



「ああいうときは毅然とした態度で自分の意見を言わないとね」
「ううう……すみません」
 デパートでの用事を済ませて入った喫茶店で、ルシェンは少しくどくどしいと自分で思いながらも、しかしこれもアイビスのためと、男たちに囲まれた場合の対処法を伝授していく。
 もっとも、知識として頭に入れたところで、アイビスにそれができるかどうかははなはだあやしいものだが。
 顔を隠すため、ミリタリーパーカーのフードを目深にかぶったアイビスは、恐縮そうに肩をすくめてストローに口づけている。
「それで、あの……朝斗、は……?」
 話しを聞いているうちに席を立ち、どこかへ消えたまま戻らない朝斗を心配して訊く。ルシェンは飲み物で乾いたのどを潤しながら答えた。
「さあ。この先の店で何か用事があるって言っていたから、それじゃないかしら」
 入り口の方へ目を向けたちょうどそのとき。朝斗が両手に大きな紙袋を下げて店に入ってきた。
「ごめん。待たせた?」
「いえ、そんなことありません」
「そう? よかった。じゃあ帰ろうか」
 アイビスは不思議そうな目で紙袋を見ていたが、そうしても朝斗は話してくれる様子を見せない。ルシェンは気にならないのかとチラと見たが
「今日はもう疲れちゃったから、お夕飯はどこかで食べていきましょう」
 と提案し、朝斗が応じるなど話題はそちらへと流れていったため、訊くのはあきらめて家に帰ることにしたのだった。


 気になる紙袋の中身が判明したのは翌朝である。
 新年のあいさつをかわしたあと、おもむろに朝斗が例の紙袋から取り出した箱を2人に差し出したのだ。
「はい、これ」
 箱のなかに入っていたのは振袖だった。 深いグリーンの地色に華やかな古典柄、帯色は色あざやかな赤で、さらには黄色の牡丹のかんざしまでついている。どれもひと目で特注品と分かる仕立てのものだ。あわててルシェンを見ると、彼女は黒地にやはり古典柄 の手書き友禅。帯色は薄い紫、蒔絵のかんざしと、こちらもどれをとっても美しい品々だ。
「朝斗、これは……」
「んっ? 2人ともまだこういうの着たことなかったなぁ、と思って」
「でもこんな……高い物……」
「いいから。もらっておきなさい」ルシェンが言う。「朝斗の好意よ。ありがとう、朝斗。とてもうれしいわ」
「うん。僕がこれを着た2人を見たかったんだ。着てくれる? アイビス。着付けは、たしかルシェンができたはずだから」
「ええ。
 さあアイビス、こっちへ来て」
 それから十数分後。並んで部屋から出てきた2人を見て、朝斗は満足そうにうなずいた。
「すごくきれいだよ、2人とも。よく似合ってる」
「あの……朝斗、ありがとうございます。大切にします」
 そっと生地に手を這わせ、ささやくように言う。
 アイビスの手をとり、朝斗は言った。
「今年もまたいろいろあると思うけど、よろしくね、アイビス」
「……はい!」