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リアクション
「ここよ」
とラシュヌに案内された先は、見る者をあっと驚かせた。
きっと地下に下りた全員、1人ひとりがそれぞれに、さまざまな場所を想像していただろう。
だがまさか、一面の花畑とは。
「このフロアは常に管理され、この状態を保っているわ」
高天井からは本物としか思えないぬくもりの人工太陽の光が降りそそぎ、ほおをなでるそよ風があった。
木々がさざなみのような音をたてて葉を揺らし、鳥の声が聞こえる。
「これ、本物……?」
ティエンは足元の草花に手をやり、顔を近づける。これまで嗅いだことのある、ひだまりの花の香りがした。
「本物だよ、お兄ちゃ……アン!?」
大急ぎ振り仰いだティエンは、そこで涙を流すアストー01を見つける。
「アン!? どうしたの!?」
「わたしじゃありません……これは……」
一度両手に顔を伏せたあと、アストー01は何かを決意したような表情をして走り出した。
「アン!」
「いいから、追うぞ。ティエン」
「あ、うん」
邪魔なドレスの裾を持ち上げ、花畑の真ん中に走る白い小径をアストー01は小走りで駆ける。広いとはいえ、建物のなかのワンフロアだ。数分で彼女は鳥のさえずるストーンサークルへとたどり着いた。
「これは」
墓標のように立つ8つの石柱。そのすべてにアストー01の姿が彫られている。今のアストー01より数歳幼い、まだ10代の姿。
「ああ、アストレースさま……」
アイビスが、涙にうっとのどを詰まらせた。
「アイビス」
朝斗がそっと背中をさする。振り返ったアイビスは朝斗にしがみつき、声を殺して泣く。
彼らが到着して間もなく、石柱にとまった小鳥たちがさえずりをやめて『アストレース』を奏で始めた。よく見れば鳥は本物の鳥ではなく、全部作り物だった。
「一定の周期で流れるようになってるのよ」
「お墓なんですね?」
ティエンの言葉が疑問形になったのは、石柱のアストレースが囲む円の中央に何もなかったからだ。墓標のような物はなく、ここも、ただ草花が咲いているだけ。
「お父さまはここによく座ってた。黙って、1日じゅう座ってることが多くて……なんだか、祈ってるみたいだった。一度だけ、訊いたことがあるの。なぜそんなことをしてるのか、って。お父さまは、母の魂がどこかへ飛び去ってしまったから、と言ったわ。
お父さまが何を祈っていたかは知らない。でもわたし、想いは大気に溶けると思ってるの。だからお父さまがいるとしたら、ここで……そしてたぶん、母もいる。と、思う」
「そう……」
絶望の果てにたどり着いたこの地で、アンリが祈ったのは何だったのだろう。
罪の許しを乞うたのか。
魂の安らぎを求めたのか。
彼は最期に癒されたのか。
それは今となってはだれにも分からない。
それからしばらく、全員無言で鳥の歌う『アストレース』に耳を傾けていた。
やがて、鳥の歌声に合わせるようにリカイン・フェルマータ(りかいん・ふぇるまーた)が歌い始める。
『アストレース』は10オクターブの音域をフル活用する曲だ。いかにリカインでも、たった1人でその音域の音をすべて出すのは難しい。そのため、前もって連れてきていたミニチュアサイズの従者たちの力を借りて、音域をカバーしてもらった。
そして歌いながら、アストー01に手を差し伸べる。
一緒に、とその目は語っていた。
アストー01もうなずいて立ち上がると、『アストレース』を歌い始める。その手は胸に埋もれているマスターデータチップに触れるように添えられていた。
(ねえ、マスターデータチップ。わたし、あなたが何を望んでいたか、やっと分かった気がするわ)
ラシュヌは、人の想いは大気に溶けると言った。
想いが大気に溶けるのであれば、きっと、歌も大気に溶けるのだろう。
リカインはさらにアストー12に手を伸ばした。アストー12は「ええっ?」という顔をしていたが、ヴァイスに背中を押され、リカインにひっぱりあげられて、歌の輪に入る。
草花を揺らす風に乗り、のびやかに広がっていく3人の歌声に、だれもが聞き入っていたとき。
後ろでがさりと不自然に草が揺れる音がした。
愕然とした顔で、ルガト・ザリチュが立っていた。
「そんな、ばかな……」
一歩前に踏み出した直後、がくりとひざが折れた。よろけたところを背後の鉄心に支えられる。
「見てのとおりだ、博士」
淡々とルドラが言う。
「そんなはず、ない。ありえない。アンリがアストレースを創らないはずがないんだ。あいつにはアストレースがすべてだったんだから!! アストレースを創らないではいられなかったはずだ!!
おまえだって、ここにはアストレースがいると思っていたんだろう!!」
「…………」
ルドラはラシュヌを見た。
「そうだ。そして今は、いなくて良かったと思っている。
アンリが創ったのはアストレースでなく、ラシュヌだった。それが答えだ」
「うそだ!! アストレースがないなんて!! そんなこと、あるはずないんだ!!」
アストレースがないということはタルウィが復活できないことを意味する。
アストレースの姿が刻まれた石も、草花も、太陽も、鳥のさえずりも、どれひとつ彼には何も意味をなさない。
ルガトの心には届かない。
彼はここに、アストレースを求めて来たのだ。
それ以外、価値あるものなど存在しない。
狂ったように叫んで頑なに現実を拒絶するルガトを横目に、またたび 明日風(またたび・あすか)はみんなの後ろを回ってタルウィの浮かぶポッドへと近づく。
偶然とはいえ、見かけてしまった「あれ」を野放しにしてはいけないという危機感が彼にはあった。
羊水に浮かぶ彼女と目があったときのあの全身の毛がそそけ立つような感覚は、今も明日風を内心おびえさせる。
全員の目がルドラとルガトに集中している今なら、おそらく自分でもできるはず。
ポッドに向け、明日風は氷縛牢獄を用いた。地を突き破って現れた2本の氷柱が互いに向かって伸びて、ポッドで十字交差しようとする。
しかし明日風の目的に気づいたティーの方がわずかに早かった。ティーのトリップ・ザ・ワールドによる防御結界に触れた瞬間、氷柱は霧散した。
明日風を鉄心が抑え込む。
「死人に鞭なんて打たないで、成仏を願うのが生きてる者の努めでしょう」
いつまでもこの世に死者をとどめていてはいけない。
それは生者のためにならない。
「形あるものを残せば、未練が残るばかりです。それが今度のことを引き起こしたのでしょう」
鉄心に完璧に抑え込まれ、手首ひとつ反せないまま明日風はいつになく真剣な顔でそううそぶいたが、ティーは首を振って退けた。
「たぶん、あなたの言葉は正しいんでしょう。でも、死んでいるように見えても、このなかでタルウィさんは生きているんです。
生きたい、生きてほしいと願う想いを、他人がどうこうしては駄目です。それは、自分の価値観の、押しつけにしか……ならない、から……」
「ティー……」
静かに涙をこぼすティーを、やはり涙をにじませたイコナが抱きしめる。体格的に、しがみついているようにしか見えなかったが、イコナは必死にティーを抱きしめようとしていた。
こうなることを見越していたスープは、無言でぽんぽんと背中をたたく。そして、地に両手をついて叫びながら号泣しているルガトを見つめる鉄心を見つめていた。
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