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冬空のルミナス

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冬空のルミナス

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●ウェディング・ベル

 元旦の黎明。ここから二人の新しい人生がはじまろうとしている。
 シャウラ・エピゼシー(しゃうら・えぴぜしー)と、金元 ななな(かねもと・ななな)の。
 分厚いフェイクファーのコートをなななは脱いだ。その下は純白のウェディングドレスだ。シャウラは息を飲んだ。なぜって、想像していた以上に彼女が美しかったからだ。ドレスは両肩が出るデザイン、腰から下がふわっと広がるプリンセスラインが、まさしくなななをお姫様のように飾っていた。
 寒い。いや、寒いという言葉ではとても追いつくまい。もう冗談みたいな氷点下。なにせマイナス25度だ。周囲を脚光とストーブでなんとか温めているが、暖房がなければほどなくして二人とも氷の柱になってしまうかもしれない。
 しかし挙式に臨む荘厳な気持ち、そして二人を囲む雄大な光景は極寒を忘れさせるに十分すぎるものだあった。
 空に広がる光景はあまりに……あまりに幻想的である。
 オーロラ。
 まるで光のカーテン。闇夜に踊る光の波だ。根本は緑、それが上方に伸びるに従い、橙となりやがて尖端で赤となる。赤い光がすっと、空に吸い込まれるようにしてフェードアウトしている様にも見せられる。
 また、二人の立つ地そのものも絶景であった。
 ここは地球。カナダのノースウエスト準州にあるイエローナイフだ。一面に広がる針葉樹林を、まんべんなく白い雪が覆っている。山に積もる白いものは、数千年、いや数万年前からこのままなのだろう。山に踏みいればきっと、氷河地帯を見いだせるに違いない。
 オーロラの見えるところ、それがななながシャウラに出した結婚式の希望場所だった。
 指輪を交換し、誓いの言葉を宣言した。これでもう、二人は晴れて夫婦だ。
 二人は並んで立つ、そして、多数の参列者の祝福を浴びた。
 手を握ったまま、なななはシャウラの耳にそっと囁いた。
「本当に来ちゃったね……ゼーさん」
「オーロラ見たいって言っただろ。なななの願いなら、俺はなんだって叶えるさ」
 シャウラは照れたように笑む。彼もまた、貴公子然とした白いタキシードに身を包んでいた。
「おい、硬ぇな、表情。二人とも」
 カメラを構えたナオキ・シュケディ(なおき・しゅけでぃ)が声を上げる。
「ほら、リラックスリラックス! 楽しいことでも考えろって」
「といってもなぁ、気恥ずかしいじゃないか、こういうの」
 シャウラにしては珍しく弱々しい反論だ。どうも本当に緊張の塊になっているらしい。
「なに言ってんだテメ、結婚式ってのはなあ、気恥ずかしいもんなんだよ! とっとと笑え」
 あえてナオキは大きな声で笑った。彼なりに緊張をほぐそうとしているのだ。
 ――気恥ずかしいもん、か。
 ふとナオキは思った。
 ――まったくだぜ。
 つい30分ほど前の光景を彼は回想していた。

 そこは、丸太で作られた新郎控え室だった。着替えを手伝っていたナオキは、突然シャウラがかしこまって頭を下げるのを見た。
「おい、なんのマネだ突然」
「今まで本当にありがとう。世話になった」
「なんだよ水くせぇな、だいたい、礼ならユーシスに言えや」
「ユーシスにも個別で礼を言う。ただ、ナオキにもこれまでのこと、感謝しておきたかった」
「よせよ、そんな真顔してないで、笑ってとっとと人生の墓場に行くんだな。古人いわく『結婚とは……』ってやつだ」
 言いながらナオキは視線を逸らしていた。なんだか、今のシャウラとは目を合わせられない。
「俺はこれから新婚旅行だし、これからはなななと暮らす……ナオキは……?」
「は? なんでそこで俺の話になる? お前がしばらくいなくても寂なんかくねぇし! 家だってお前らの近所に引っ越すって知ってるだろーが!」
 そんなことはどうでもいいんだ、と声を荒げて、ナオキは逆にシャウラ訊いた。
「それよりシャウラ、お前、嫁さん養っていけるのかよ」
「まあ当分は共働きかと……」
「でも……子どもとかできたら……?」
「まあそうなる前に尉官でも目指すかなぁ。給料もだいぶ違うし……」
「これまで出世に興味なかったシャウラがこうなるか−。おーおー、妻帯者は大変だなあ」
「実は、家のローンがあんだよ」
「……マジで大変だな!」
 ポンとナオキがシャウラの肩に手を置いたところで、
「そういうあなたははどうなんです? 人間は短命種でしょ」
 扉が開きユーシス・サダルスウド(ゆーしす・さだるすうど)が入ってきた。
「ヤブヘビか!」
「そのようですね」
 ふふっと微笑して、ユーシスはシャウラの前に立つ。
「なかなかの男ぶりですね、花婿殿」
 そしてユーシスは、シャウラになにか手渡したのである。
 預金通帳だった。名義は、シャウラのものになっていた。
「スイス銀行の口座です。あ、どこの国にいても下ろせますからね。さっきお渡ししたご祝儀とは別口のお祝い金と思って下さい」
「いや、それは……」
 遠慮しようとするシャウラの手に、ユーシスはこれを押しつけて手を離していた。
「だめです。これは花嫁殿への祝福でもあるのですから。新郎に拒否権はない、ということで」
 シャウラは、ユーシスが一度言い出したらテコでも動かないことは承知している。
「じゃあ、ありがたくもらっておく……」
 軽く一礼して恐る恐る通帳を開けたシャウラは、そこに(彼の金銭感覚では)天文学的な額が書き込まれていることを知って仰天した。
「この結婚式、費用が洒落にならないのは推測できています。パートナーですからね。これまでのあなたの貯金がどうなったかくらいわかりますよ」
 悠然と微笑むと、ユーシスはくるりと背を向けた。
「だけどこんなに……! 挙式と新婚旅行どころか、このあと世界二周くらいしてもお釣りが出るぞ!」
 しかし問答無用、
「さあ、挙式の始まりです! 先に行って花嫁を待たなくては!」
 ユーシスはそのまま、勢いよくドアを開けたのだった。

 ――気恥ずかしいよな、こういうの。
 だけど、
 ――たまには、悪くない。
 そんなことも、ナオキは思うのである。
 ナオキが顔を上げて回想から戻ると、ようやくファインダー内の二人もこなれた笑顔になっていた。
「よしいいぞ! よーし、あと一枚! ほらほらまだ撮るぞ笑え笑え!」
 まったく……。
 ――ななな以上にいい女は滅多にいねぇよ。
 つくづく、幸せ者めとナオキは思う。
 新郎新婦の笑顔はますます自然なものへと変わっていった。
 なのに、なぜだろう。
 ――ちょっとだけ、胸が痛い……。
 明日には忘れよう――そうナオキは誓っている。これこそがシャウラの幸福だとわかっているから。
 契約者の幸福を願わぬパートーナーがどこにいるというのか。
 ――そうだろ?
 ナオキはそっと、自分の心に言い聞かせていた。

「ゼーさん、空! なんかすっごくいい天気になってくよ!」
 朝の空を見て、なななはまぶしそうに眼を細めている。
「世界中の人たちが……俺たちの結婚を祝ってくれてるようだな」
 まさしく、そうとしか思えないほどの好天となった。
 雲一つない蒼空、太陽は明るい陽差しをそそぎ、この時期この場所というのにコートを脱いでも平気なほど気温が上昇している。
 参列者が作ったアーチを、シャウラとなななは揃って歩いた。
 ナオキが花びらを撒く。ユーシスも、花の雨を降らせる。
 このまま披露宴会場へ移動し、数十人での会食が終わったら二人で、港の豪華客船へと向かうのだ。そこからヨーロッパへの船旅がはじまるのである。文字通り、新婚旅行に出航というわけだ。言うまでもなくそれは、新たな人生への出航でもあった。
 ここにきてようやくリラックスしたのかシャウラはイタズラっぽい笑みを浮かべて新妻の耳元に唇を寄せた。
「途上の初夜、洋上でもオーロラが見える仕組みだよ」
「初夜っ!?」
 ななながたちまち顔を赤らめるのがわかった。
 それにしても、本当に本当に、なななは美しい。魅了される――シャウラの胸は詰まった。
 純白の肌、紅い唇、エメラルド色の瞳……男として、妻にこれ以上なにを望めるだろう。
 初夜のことを考えるとまた緊張しないでもないが、それよりもシャウラには期待が先行した。
 個室のベランダから光の帯を二人で眺めて、温めあって、二人きりの個室で二人きりの夜を過ごす。
 光の帯が、天の星光が、そして波の音が祝福してくれよう。
 鼓動が、波の音をかき消すのに時間はかからないと彼は思う。
 ――夫婦になったんだ。
 そして今夜、はじめて二人は一つになる。
「一生幸せにするよ……ってかなろう!」
 人目をはばからず、彼は彼女の首筋にキスをした。