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Buch der Lieder: 歌を忘れた金糸雀

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Buch der Lieder: 歌を忘れた金糸雀

リアクション

 あの日、待機していたシャンバラ教導団と警察により、空京は数時間のうちに何時もの日々を取り戻した。
 健康な若い男性であるというだけで運悪く媒介となった者達は、彼等を助けた契約者たちにの動きが迅速だった事、また適切に行われた応急処置のお陰で、幸い検査入院程度で済んだらしい。
 ハインリヒの方はそう上手くは行かず、死んだように眠り続けて数日、凡そ人間らしく動けずアレクとジゼルの家にご厄介になること数日、咽が枯れ喋る事も出来ない日が数日、全快まで合計して二週程の日を要したが、それでけろりと治ってしまったのが彼の怖いところだった。

 さてこの日、事件で負った傷など忘れたようにあっけらかんとしたハインリヒに呼び出された舞花は、プラヴダの基地の一室に居た。
 矢鱈座り心地の良いソファの上で居心地悪そうにする彼女の真横、紳士として必要な間隔を全く空けない距離にどすんと座ったアレクは手ずから淹れたコーヒーを、彼女に差し出す。
 反対隣にはハインリヒが座っていて、舞花は二匹の蛇に睨まれた小さな蛙と縮こまるしか無い。何も言えないまま時計の秒針だけを聞いていると、ハインリヒがふと微笑んで口を開いた。
「この間君、僕について調べてくれたんだってね」
 事件の解決の糸口になればと探ったハインリヒの半生。しかし舞花はハインリヒを知らないため、彼女が『情報収集専門員』に事前情報として渡せたのは、ハインリヒがアレクの幼馴染みであるという程度の情報だ。
 だが情報収集専門員が集めてきたデータの中に、舞花は驚くべきものを見つけてしまった。
「――アレクサンダル・ミロシェヴィッチ大尉が、亡くなられている!?」
 情報収集専門員の渡してきたアレクの名前の隣には、没年が書かれていたのだ。彼の故郷にはご丁寧に墓まであるらしい。
 既に死んだ人間が自分達の前に居る事に恐ろしさを感じながら、舞花は考えた。死んだ事が事実なのであれば、『プラヴダの大尉のアレク』は身分を偽っている事になる。しかし他ならぬ実妹ミリツァと、幼馴染みハインリヒがプラヴダの大尉アレクはアレクサンダル・ミロシェヴィッチだと認識しているのだ。
 こうなると嘘をついているのは『アレクが死んだ』という事実の方になってしまう。
 ――一体何の為に?
 好奇心と恐怖は表裏一体だ。背筋に寒いものを感じながら、触りしか書かれていないアレクのデータを見てみればそれはすぐに推測出来た。
 アレクの血筋には、王家の血が混ざっている。王位継承順位の上から順に王の長子や王長孫やその子孫などから飛んでその他に、アレクは含まれていた。本来の順位からすれば下から数えた方が早いくらいだったろうが、彼の故郷の王家は民族紛争からなる内紛による戦争で滅んでいる。片っ端から殺されたのだ。
 舞花はそこを調べた訳ではないので、詳しくは分からないが、恐らくあの国で今正統な継承権を持つものは、もうアレクしか残っていないようだ。 
 戦争の結果幾つもの小国に分断された国が、再び大国たちと渡り合う力を持った国家として復活するには、全ての国を束ねる人物が必要になる。王権国家にとってその顔、旗となる人物は、政治家では勤まらない。ユーゴスラヴに民族統一による大国家を築くには、国王が必要なのだ。
 しかし件の民は他国の力を借り王家の人間全てを粛正する事で、立ち上がる足を自ら挫いてしまった。
 アレクが生き残ったのは本当にたまたまだったが、戦争が終わった後に、それも他国が王位継承者の少年を殺した事実が露呈すれば単なる事件では済まされなかった為、暗殺される事も無く、しかし死んだ事を否定される事も無く有耶無耶になった。それでアレクは幽霊の侭ついでのように生き続けているのだ
 他の国家は死んだ筈の継承者を匿う事で、小国を小国のままにし、親として存在する事が出来る。アレクの方も人質同然の立場だろうと弱みでもあるから、事件を起こそうが何をしようが、やりたい放題していられるのだ。アレクが彼の友人や仲間の前以外で、移民らしく英語名のアリクス・ミローセヴィッチを名乗るのは、理由があったのだ。随分大雑把に隠されたワイルドカードだ。 
「――戦死したら都合がいいし、ドジ踏んで死んだら都合いいから放置されてたのに、残念中々死んでくれない。だから最近は功績を上げさせる方向に方針変えたみたいよ。
 『亡国の少年が成長し、命を助けられた恩に報いようと、遠い世界で第二の故郷の為に戦う』ってカッコいいだろ? とても素敵なプロパガンダだ。パラミタのお陰で万年人手不足の軍隊に入隊希望者が増えるといいね。
 そんな訳で俺は身分を偽らず、本名を名乗る事を赦されている。面白いだろ?」
「適当過ぎると思わない? 誰でも分かる事だけど、誰も気付かないなんて笑っちゃうよね。……ああ、別に知ったから殺されるとか、そういう面白いの無いから安心して」
 脅す事もされる事もないとハインリヒが笑うのに、アレクも一緒に笑い出す。
「ただ俺達、もう少し愉しく遊んでたいんだ。だから黙っていてくれると嬉しいな」
 二人の声は子供のように無邪気だ。此処にトーヴァでも居ればどうしようもない二人が可愛い女の子をからかっているのだとすぐに教えてくれただろうが、可哀想な舞花はそれを知らない。どう言う訳か同じに見える笑顔に挟まれて、今直ぐにもこの部屋から逃げ出したいと、祈るような気持ちで天井を見上げる事暫く、部屋に呼び出し音が響いて漸く舞花は解放された。
 今回の一件について情報を共有すべく、仲間が基地へやってきたのだ。



「可能な限り、思い出せる限りでいいんです――」
 気遣いながら問う歌菜に、ハインリヒは逡巡の間を置いて口を開いた。
「僕が彼女達に会ったのは、半年くらい前で――」
 『達』という部分か、『半年』という部分か。言葉を拾い一斉にこちらを向いた顔に、ハインリヒは目を丸くして、もう一度続けた。
「一人の時もあるし、何十人も居る時も有るんです。……うーんと…………、これは後で話すね。
 兎に角始めは普通の夢だったんです。
 夢の中で、僕は沼のほとりに立ってる。そこには白いドレスを着た綺麗な女の子たちが居て、皆笑いながら踊ってる。
 僕はそれを見てるだけ。不思議な夢だなーとしか思わなかった」
「沼ってあれか? 胡散臭いくらい青い色の?」
 ベルクが問うと、ハインリヒが肯定する。あのスキルで見つけた沼は、少なくともハインリヒの夢の中には存在していたのだ。
「……それから暫くすると、彼女達が僕に近付いてくるようになって、内容はよく覚えてないけど、会話もした。何時の間にか僕等は仲良くなってた。
 僕は彼女をミルタと呼んで、だから彼女は僕をアルブレヒトって呼んでたんです」
 唐突に出てきた名前に聞き手が首を傾げると、アレクがハインリヒのほうへ顔を向ける。
「Giselle」
「うん。そだね」
 ハインリヒが肯定すると、アレクは皆へ向き直った。  
「バレエの演目だよ。内容は置いといて、ウィリっていうエルフェ(*妖精)が出てくるんだ。そのエルフェの女王の名前がミルタ。ヒロインの相手役がアルブレヒト」
「そのウィリにね、彼女達はそっくりだったんだよ」
「それからジゼルにも似てるんだろ」
 陣が言ったのに、ハインリヒは驚いた表情でそちらを向く。
「髪の色はジゼルみてーな乳白金、花の冠をかぶってて、青い瞳だろ」
「それにぞっとするような笑顔、そうよね」
 念を押すようなリカインに、ハインリヒはこくこくと頷いた。
「あんな顔を見て、なんとも思わなかったの? 異常だと感じなかった?」
「…………分からない。本当に始めは夢だったんです。
 数日に一回くらいの夢で、一時期は見なかったくらいで、何とも思わなかった。
 夢の事なんて起きたらよく覚えてないだろう?」
 ぼんやりするハインリヒの目は、それこそ夢を見ているようだった。
「でもね――、悪化したのは、本当に最近だってのは分かるな。
 数日に一回が毎日になって、夜ベッドでしか見なかった夢が白昼夢になって。夢から目覚めると、僕は手首を切ってた。
 あのさ、誓って言うけど。僕にそういう願望は無いよ。
 家族は居るし、人生それなりに楽しくやってるし、痛いのも嫌いだ。
 なのに白昼夢の頻度も、その後の自傷行動も酷くなっていく一方だった。お陰で色々分からなくなって、成り行きのあとがあの事件ですご免為さい。
 僕がした事は事実だし、止められなかったのも事実で、皆さんにはとても迷惑をかけました」
 話しを聞きながら眉間の皺を深くしていたアレクが、遂に我慢しきれずハインリヒを睨みつける。
「何で俺に言わなかったんだよ!」
「言ったよ。変な夢見る事あるかって聞いたろ?」
「そうじゃねぇだろ! そうじゃねぇよ。バーカ、バァアアアアアアカ!!」
「ハァ!?」
「お前は、何時もそうやって、全部隠して、俺に言わない!」
「それは君も同じだろ!」
 唐突に始まった応酬に狼狽する皆を残して、アレクとハインリヒは声を荒げる。何度か口汚い言葉が行き来すると、ジゼルがそれを裂いた。
「アレク、ハインツに謝ったの?」 
 していないのは分かっている。分かった上での静かな声に、アレクの肩がびくりと揺れた。
「あなたが二度も、ハインツを置いていった事。謝ったの?」
 一度目は家の事で、二度目はパートナーの事で、アレクはハインリヒの前から姿を消した。
 アレクとしては抱えたものにハインリヒを巻き込むまいと考えての事だったが、突然何も言わずに消えられた方は堪ったものでは無い。まして最初の別離の後、ハインリヒはアレクが死んだと何年も思っていたのだ。ハインリヒがあの日歌った感情は、元はと言えばアレクが植え付けたようなものだった。
 しかし何時もなら自分に否があると分かると真摯に謝罪するアレクなのに、何故かこれだけは、ハインリヒにだけは簡単にそれが出来ないらしく唇をムズムズと噛み締める。沈黙の中で、ハインリヒの方が先に首を横に振った。
「否、それはいいよ。アレクが生きてれば、僕はそれで構わない」
「……お前がそうやって甘やかすから、俺が付け上る」
「君だってミリツァにはそうじゃないか。お兄ちゃんってそういうものなんだろ」
 ハインリヒが鼻で笑うのに、アレクはふいっと壁を向いてしまった。上司と部下、幼馴染みというには謎だった二人の関係性が、何となく見えてきた仲間に向かって、スヴェトラーナが真顔で喋り出す。
「……ハインリヒおじさまの名前は、ハインリヒ・ルカス・ユリアン・アレクサンダー。アレクサンダーは私の曾祖父から取られたそうですね。
 だからパーパと同じ由来」
「そうだけど?」
 スヴェトラーナは何を言い出しているのか。聞き返したハインリヒも、そっぽを向いていたアレクも、部屋に居るもの全てが彼女へ振り返る。スヴェトラーナは謎掛けのような言葉を続けた。
「由来といえば私の名前のSvetlanaは『明かり』という意味だって前に言いましたよね。その他にも『聖なる者』という意味があります……。
 ハインリヒおじさまのルカスって名前は聖人ルカから取られてるんですが、語源はギリシャの『ルカニア出身』って意味です。もっと溯るとラテン語のLuxから着たとも言われます。
 Luxの意味は『光り』。『光り』の名前を持った『聖人』に因む名前って事ですね。
 それからパーパの前のパートナーだったリュシアン・オートゥイユ。
 あれ、フランス人の名前ですけど、付けたのはパーパでしたね?
 Lucienはラテン語のLuciusに由来します。Luciusの由来はLuxです。皆さんなんだか分かってきました? あと私、JulianとLucienも、完全に韻を踏んでるって程じゃないですが、似てるなーって感じます。どうですか? 気持ち悪くなってきました?」
「……お前もう黙れ、マジで」
 勘弁してくれと言うようにアレクの手が両肩に置かれた為、スヴェトラーナは真顔のまま解説を終えたが、今度はハインリヒの方が――所謂ドヤ顔と呼ばれるそれで――胸の上に掌を置いて自分を示した。
「そう、アレクは僕の事が大好きなんです!」
「SHUT YOUR MOUTH!!」
「あーあー、それはもう分かったから……」
 逸れた話を戻したのはベルクだ。壁に凭れ腕を組み考え込んでいたものを、一端言葉にして吐き出す。
「ジゼルと似て異なる……。
 何処かでジゼルのような、いや後継型生体兵器開発でもしてるのか?」
(ジゼルは外部から攻撃破壊するタイプだが、そいつは誰にも悟られず内部から破壊するタイプな感じだ。そこからいくとジゼルを入手したアレクに対する挑戦的にコイツの関係者……ハインツが実験台に狙われたってのもおかしくねぇかもな。
 だが……)
「あの沼。
 ミルタが居るらしい沼って、一体何処に有るんだ?」
「Limboじゃないかな」
 ハインリヒの即答に、アレク、スヴェトラーナやミリツァも弾かれたように彼を見る。
「シュヴァルツェンベルク候、あなた自分の言っている事が分かっているの?」
「それ……、あの時自分が死んでたってことになりますよ」
「うん。あの時確かに僕は死んだよ。
 半分ね。
 半分死んだら、ミルタが少し分かったんだ。
 僕が殺され無かったのは、彼女達が僕を仲間にした方がいいって考えたからだ。その方が効率的に、沼のお友達を増やせるって思ったんだろうね」
 彼等の会話についていけず、ジゼルが「どういう意味?」とそのまま問うと、アレクが嘆息と共にこう吐き出す。
「Limbo――辺獄は、洗礼を受けなかったものが死後行き着く先だ」
「地獄じゃない、天国でもない。真ん中の場所って言えばいいかな」
 ハインリヒが掌を水平にして説明すると、アレクが続く。
「――いいか。これは個人の信仰する宗教を否定する訳じゃなく、あくまで一般的な話だが、地球とパラミタは魂の循環の関係にあると……。
 地球で死んだ魂は、パラミタで新たに生まれ直す。途中で経由するのが、パラミタの地獄――ナラカだ。
 ハインツが言う辺獄はつまり、死んだのに、そのナラカじゃない場所に向かったって意味だろ?」
「うん。なんて言えばいいのか僕も良く分からない。見えてても言葉に出来ない事とか、分かってても理解出来ない事で……もう本当に、全部が全部ぼんやりしてるんだよ。
 まあ……、そうだね。敢えて言うのなら、隙間に落ちた魂がミルタだ。
 彼女は沢山居るけど、一人しかいない。だから寂しくて、誰かを欲してる。
 だから彼女は僕を引入れて、彼女の沼に皆を連れて行こうとしたんだね」
 この話には、人の常識では計れない超常が存在している。全ての事情を飲み込んで、契約者達はそれぞれの考えを巡らせていた。
 その折に、ふとジゼルが誰にともなく問う。
「ねえ、ミルタが本当に死んだ人だとして、彼女がまた沼の住人を増やそうとしたら?」
 ミルタはまた、人々を襲ってくるかもしれない。
 ジゼルの不安げな顔にアレクは「ああ」と得心して、皮肉めいた笑顔を返した。

「殺せない奴をどう殺せばいいのかって事か」 

担当マスターより

▼担当マスター

東安曇

▼マスターコメント

 シナリオにご参加頂き有り難う御座いました、東です。
 今回のシナリオの原案である伝説『ウィリ(ヴィリス)』は、ドイツの詩人ハインリヒ・ハイネの『ドイツ論』という作品で紹介されました。
 結婚式を挙げる前に亡くなった花嫁達が、白いドレスを纏った美しい空気の精(或は亡霊)となり地上で魅惑的な踊りで若者を誘惑して殺してしまうというオーストリアのエルフェで、その起源はスラヴの神(精霊)のヴィーラであるようです。
 こちらはドナウ川に住み、被害者をそこへ突き落とし溺死させてしまうと言う南スラヴの伝説です。
 一方東スラヴでこの精霊に該当するのがルサールカ、また別の場所に行くとセイレーンなどと名前や内容が変わってきます。
 さて、ウィリの伝説(ハイネの本)から着想を得て作られたのが、有名なバレエ作品『ジゼル』です。
 作品の中でヒロインジゼルは身分を偽っていた貴族の男アルブレヒトの裏切り等により錯乱の果てに息絶え、ウィリとなります。この時彼女をウィリへ迎えるのが、彼女達の女王ミルタです。
 ミルタはジゼルを死に追いやった男達を不休で踊らせ続け、沼の底へ突き落としてしまいます。 

 今回のシリーズでは、南スラヴはドナウとサヴァの近くで生まれ、妹に近付く男を川に突き落としていたアレクと、彼にヴィーラと呼ばれるセイレーンジゼルが皆さんと共にこのウィリの女王ミルタに挑みます。
 今迄ジゼルが作中で比喩された水妖たち(ヴィーラやルサールカやセイレーン、マーメイド)とウィリが違うのは、前者が精霊や妖精で有るのに対し、後者が死せる魂であるという点です。
 以上はマスターからの雑談とヒントでした。蒼空のフロンティアにエルフェという種族は有りません。世界感となんとなく照らし合わせて、次回までお待ち下さい。

 空京を襲ったミルタは何者なのか、というところで第一回は終了します。最後迄お楽しみ頂ければ幸いです。



 と、終始真面目に締めると突っ込みがきそうなので一つ、ハインリヒ・ディーツゲンの名前の元ネタは、ハインリヒ・ハイネではなく、逆さボトルでお馴染みのマスタード(またはケチャップ)から取りました事をプレイヤーの皆様へ告白しておきます。
 全世界のハインリヒさんの名誉の為解説しますと、ハインリヒとは家の主という意味なのですが、NPCのハインツは三男であり、名前の由来はマスタードです。
 と言う訳でまたお会いしましょう!