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Buch der Lieder: 桜んぼの実る頃

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Buch der Lieder: 桜んぼの実る頃

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【空京: 病院】


 仲間に異変が現れたのは、歩き始めて数分も経たないうちだった。
 まず空間の魔力がグラキエスの薄弱な身体に影響を与えたのか、彼の動きが鈍り始めたのだ。
 その変化に早々に気付いたのは、彼のパートナーのウルディカだ。
「エンドロア、活性化は使うな。その状態で使えば解除の反動が酷い」
「ああ……気軽に使えないな」
 パートナーの指示に従い無駄な体力や精神力を使う事を避けたグラキエスは、ウルディカの目の動きを見て苦笑した。彼の目は誰の目にも明らかなくらいに、彼が想っている女性を追い掛けている。グラキエス程では無いが、歩みが遅れているのを気にしているのだろう。
「ウルディカ、俺はいい。
 スヴェータが心配なんだろう」
 彼の言葉に背中を押される形で、ウルディカは逡巡し、警護対象としている筈のグラキエスから離れると、スヴェトラーナとトゥリンのもとへ小走りに向かう。
 唯斗と睡蓮ももそれに気付いていたようで、目配せし合い、睡蓮がスヴェトラーナの隣に立った。
「スヴェータさんどうしたんですか?
 いつもなら真っ先に先陣切って行きそうなのに、
 ……病院、苦手なんですか?」
「………………はい」
 青い顔でいるスヴェトラーナの背中に、睡蓮が手を置いて上下に優しく撫で安心させようとする。
「ユンサル女史、スヴェトラーナは――?」
 睡蓮に頷く事が精一杯なのだと分かると、ウルディカは彼らしい礼節を持ってパートナーのトゥリンへ声をかけた。するとトゥリンは芳しく無い顔で首を横に振り、軍服の胸ポケットから端末を取り出した。
 画面に表示されているのは、スヴェトラーナがきた未来のトゥリン――つまり大人のトゥリンから送られたスヴェトラーナ対策のメッセージをそのままコピーしたものだ。
「こいつは病院が苦手。特に注射器が苦手」
 トゥリンが指差す項目は、スヴェトラーナが子供の頃、注射が下手なナースに何度も当たり失敗を繰り返された事で、それから注射が苦手になってしまったという……少し微笑ましいエピソードだ。ただ注射器が空を飛ぶこの状況では、その微笑ましさも笑い飛ばす事は出来ない。
 誰にでも苦手なものはあるだろうが、スヴェトラーナのこの様子は異常だ。
 託はやり取りを遠目に見ながら、隣のキアラに小声で話し掛けた。
「……スヴェトラーナさんの様子見てて思ったんだけど、僕等既に相手の精神汚染とか受けてたりしないよね?」
「うーん……、『共鳴』があれっスからね〜。
 外の様子もわかんないのに“無い無い!”とは言いきれないっスよねー」
「可能性は低いとは思うけれど、一応注意だけはしておこうかな〜
 おかしなことになりそうだったら止めれる程度には、ね」
 託が言うのに、キアラは頷いて答える。
「私の方は出口探すので手一杯になりそうなんで、その辺宜しくお願いするっスよ」
 そうして真面目な顔で端末の地図へ視線を下ろすのに、託は軽く目を見張って、思った事をそのままからかうように口に出した。
「この状況でキアラさんがしっかりしてるのが、逆に怖い気がするねぇ?」
「あー、私〜、こういうの案外平気なんスよね。
 グロカワ? みたいな?」
「グロカワ……ねえ…………」
 ぼんやり呟いて、託はもう一度スヴェトラーナ達へ目をやった。
(カワイイで済めば良いけどねぇ〜……)
 既にスヴェトラーナは仲間達に囲まれているから、自分が出る幕でもないだろうと、託は警戒を続けながらキアラの隣を行く。 
「この状態では危険だ。
 ユンサル女史、協力してくれ。俺が先行し盾になる」
 トゥリンと頷き合って、ウルディカはスヴェトラーナの腕に触れ、見上げて着た視線へ目を合わせる。
「ウルディカさん……あの……すみません…………」
 こうしていると彼女の震えが伝わってくる。スヴェトラーナの不安な気持ちを受け取って、ウルディカは彼女を勇気づけようと、心からの言葉をぶつけた。
「スヴェトラーナ、ここから脱出するぞ。
 恐ろしいなら俺が守る、気をしっかり持て」
 先行するとの言葉通り、ウルディカが背中を向けて前へ行ってしまったのに、スヴェトラーナは表情を曇らせた。このところ自分を何かと気にしてくれる彼が、近くを離れると不安が更に増してしまう。
 そんな彼女の気持ちに気がついた睡蓮は、スヴェトラーナの手をとってぎゅっと握ってやる
。スヴェトラーナがふと前へ顔を上げると、一行を守るように、睡蓮が呼び出した聖獣とファイティングパンダが壁になり先を行くのが見えた。
「一緒に行きましょう。
 ちゃんと手を握っててあげますから安心して下さい。
 大丈夫ですよ、聖獣さん達もいてくれますし、パンダさんも助けてくれます。
 いざとなったら私も頑張りますよ!」
「はい……ありがとうございます睡蓮さん――ッわあ!?」
 やっと出てきた小さな声の後、スヴェトラーナは素っ頓狂な声を上げた。ラブが彼女の背中を景気付けにばしんと叩いたのだ。
「シャキっとしなさいよ! 情けないわね〜」
「大丈夫だ、スヴェトラーナ。
 皆がついている。勇気を持ってゆっくりと進んでいこう」
 頼もしい表情を声に宿らせ、ハーティオンがスヴェトラーナを鼓舞してくれる。スヴェトラーナが気持ちを切り替えようと深呼吸をするのに、ラブが近付いて彼女に耳打ちした。
「ハーティオンも、ああ見えて心霊現象苦手なのに皆を守る為に戦ってるんだから」
「え、そうなんですか……?」
 ハーティオンの雰囲気からは、そんな感情は微塵も感じられない。否、仲間達に感じられない様にしている部分もあるのだろう。自分が不安を見せてしまえば、周囲も不安に陥ってしまう可能性があるからだ。スヴェトラーナの脳裏に、父アレクの存在が過る。
 どのような緊張状態に置かれても、一つの理性的な言葉と行動で、隊の全てが生き残る事は可能だと父は言う。
「Inspiring(*人を元気づける、鼓舞する)」
 アレクがスヴェトラーナに教えたリーダーとして必要な行動。それと同じ事をハーティオンは無意識に行っているのだろう。
 繋いでいた手をぎゅっと握り返され、睡蓮がスヴェトラーナへ振り向くと、彼女の青い瞳に何時もの気丈な光りが戻ってきているのが分かった。
「すみません皆さん、ご迷惑おかけしました。雰囲気に呑まれてしまったみたいで。
 でも皆さんが居てくれるから、私は頑張れます。一緒に脱出しましょう」
 胸を張り、真っ直ぐ皆を見つめるスヴェトラーナに、仲間達は内心ほっと息を吐く。と、スヴェトラーナが皆へ疑問をぶつけた。
「ところで皆さんは大丈夫ですか……?」
「あたし?
 あたしはほら……か弱い妖精ちゃんだから……後方で守られて皆を応援するのが仕事よね!」
 ラブが自分のキャラクター設定を思い出したように、慌てて殿へ回るのに、睡蓮とスヴェトラーナは顔を見合わせて、吹き出してしまう。
 そんな様子に振り返りながら、唯斗はトゥリンの肩に手を置いた。「病院怖いとかバッカじゃないの」なんて憎まれ口を叩いていても、内心パートナーの事が心配で仕方ないのだろう。たまに表情が曇るのを、唯斗は見逃してはいなかった。
「トゥリン、スヴェータは睡蓮に任せとけ。
 あれでセイントだしな。
 それにアリスなんだ、メンタルケアはお手の物だろ、多分」
「世話がやけるよ」
「ははっ。だな」
 こうして一行は本来のペースを取り戻し、病院の廊下を進む。
 瑠奈が殺気看破で周囲を警戒し、縁が超感覚を使用していた為、敵が近付けば彼等はそれにすぐ気付き対処した。
 そして元々身体の弱いグラキエスの異変や、普段が元気すぎるスヴェトラーナの異変には、仲間達が目敏く気付いた。
 彼等の鼓舞を仲間達に任せ、真は彼の暗器――霜橋で包帯を切り刻む。
 正確に打破してくる真に敵の狙いが移ると、左之助が刀で応戦する間に、姫星が焼き切る。
 飛んでくる注射器は、託がチャクラムで弾き返し、残りはキアラが張った光りの縄に阻まれている間に、京子が射って落とした。
「火は使っても問題なさそうだな」
 かつみが姫星の戦いを見て呟いたのは、数ヶ月前に彼がウィーンで巻き込まれた事件が引っかかっていたからだ。建物が壊れてしまった、を越える恐怖――世界遺産破壊で逮捕の危機――に、彼はあっていたのだ。
「はい。警戒も続けた方が良さそうですけど……、でもパワーはそれ程でもないみたいですね」
 落ちた注射器は地面に転がると消えてしまうらしい。一息ついた所で、その場所でノーンが突然よろよろと千鳥足になる。
「う、うー やられた……がくり」
「遊ぶな」
「取られる血が無くても危ないっスからね」
「ああ、チクリと痛そうだ」
 かつみとキアラの突っ込みを受けて、ボケ役をやったノーンがけろりと言っている。
「このまま出口まで無事に進めそうかな〜」
 託の声を聞きながら、真は周囲の景色を改めて見てみた。
 様々なお菓子に紛れてこっそり登場している病院の道具。注射器や包帯のように直接攻撃してくるものの他に、精神に訴えるものも幾つか散見している。
 中でも目立っていたのは、甘い呼び声を吐く飲み薬だ。彼等――否、声からは彼女と言ったほうがいいだろうか――は、まるで物語の様に“私を飲んで”と呼び掛けるが……、
「さすがにあからさまな飲み物は飲まないよ」と、真は苦笑する。
 実はそんな彼の声を聞いて、ハーティオンは薬へ伸ばしかけた手を止めていた。
 そう、こんな風にいけば彼等は無事に何の起伏も無く出口に迎えたかもしれない。だが、異様な状況にのまれ、それと気付かぬうち興奮状態にあった彼等は、知らず知らず見落としていた。
 それはもう一人の仲間の異変である。
 
 先日、連合の演習場『キャンプ・ソーン』で行われた、民間契約者を招いたプラヴダの戦闘訓練で、国頭武尊はスヴェトラーナを相手に指名した。
 それは個人の自由だったが、プラヴダで一番関わりの強いキアラを指名しなかった事が引っかかっていた武尊は(その埋め合わせって訳じゃないけど)と、今回の巡回へ同行していたのである。
 しかしこんな異空間で、仲間達はよく平気な顔をしていられるものだ。と武尊は思ってしまう。どうしても自分はそんな気になれなかった。
(こんなどうみても危なそうな場所には、長居出来ない)
「オレは帰らせてもらうぞ」
 これがホラー映画だったらテンプレート的な台詞を吐いて、武尊はよく磨かれた床できゅっと靴を鳴らして踵を返した。
 彼が隊列から抜けた事は、目のチカチカする程カラフルな空間にあった所為で、誰も気付かなかった。仲間から離れる一歩二歩が命取りになる中で、武尊は更に悪い事に闇雲に行動してしまった。
 無理も無い。入ってきた場所が消えてしまったし、彼はキアラのように私設内の地図を持っていないのだ。出口のある場所がさっぱり分からず、兎に角正面玄関――と内部を走り回る。

 そして不思議な事に、彼を襲う注射器や包帯は、一つも無かった。
 それこそが、罠だった。

「ん?」
 どこかから香(かぐわ)しい香りがしたのに、武尊の鼻がひくんと動く。それはジゼルが纏う蠱惑の香り――花や木の実のような甘い香り――に似たもので、武尊はその源流へ顔を向ける。
 すると向こう側からまるで光り輝くような何かが近付いてくるのが見えた。
(……何だ?)
 走ってくるそれが一歩ずつ近付くごとに、その輪郭が見えてくる。
 輝いている様に見えるのは、菓子類以外は全体的に暗いトーンになってしまった異空間の中で、それが白い服を身に纏っている白い肌の人間だったからだ。
 そしてあの上下に揺れる二つの山は、その人物が女性であると示していた。白い服の女性――つまり看護婦さん。
「……いや、白衣の天使さんだ!!
 武尊の顔がぱっと輝く。
 更に近付いてくると、彼女の全身が露になった。顔はジゼルにどことなく似ている。乳白金の髪は看護師であるのに何故か纏められておらず、気怠げに後ろに流れている。
 身に纏っているのは、矢鱈身体にフィットしている癖、胸のボタンは限界を越えた位置――つまり下乳あたり――まで開かれ、スカートもぱんつが見えるか!見えないか!?というマイクロ的な短さの、もうあっちもこっちも危なくてしかたないコスプレ衣装的ナース服だ。
セクシーナースだ!!
(ま、まてよ。こんな場所にセクシーナースが居る訳無いだろ)
 自分の考えを即座に否定し、武尊は頭をフル回転させた。
(居る訳ない。居る訳ない……!
 だ、だがネットの噂では大手の総合病院では、若い男性入院患者をセクシーナースさんが、献身的に癒してくれるとかそんな話もあるし……
 もしかしたら、この病院が噂の病院なのかもしれないじゃないか!!)
 武尊はどんな波をサーフィンしているのだろう。まあネットは広大だから、どんな噂を目にしても仕方ないかもしれないが。
(うむむ、うむむ……
 病院が異空間化していなければネットの噂を信じる所だが、
 この状況下で噂を信じる程オレは馬鹿じゃないぞ)
「つまり、これはどう考えても罠だ。罠に違いない!」
 電球があれば古くさい表現でぴこんと灯りがついたのだろう空気で武尊が結論を出した時、彼は気付いた。
 目の前に駆け寄ってきていた筈のセクシーナースが、彼の目の前に居る事に。
 そして何時の間にか――ほんとうに一瞬の間に数を増やし、彼の周囲を囲んで居る事に!
 これは罠だ。明らかな罠だ。
 一刻も早くこの場から逃げなければならない。
 武尊もそれが分かっているのに、彼女達の性を強調した衣装から、人形のように美しい顔から、冒涜的な迄に愛らしい声から意識を反らす事が出来ない。
 共に水底へ沈もうと誘いかける声に、武尊はしどろもどろになり、心の奥で自分の終わりを悟った。
「残念、俺の脱出劇は終わってしまった」
 ナレーションのような言葉を自ら呟いた瞬間、武尊の足が何かにぐいっと引っ張られ、宙に飛んだ。逆さまになったままの視界に映ったのは、光りの紐を武尊の足に巻き付けているキアラの姿だ。
「キアラ嬢!?」
 壁を蹴り重過ぎて一瞬しか支えられない武尊に巻き付いた紐をキアラが離すと、女神イナンナの豊穣の力を借りて飛行する京子が受け止める。
 ふわりと地面に着地したキアラを、食い入るように見ている美羽は、キアラのスカートが全く隙の無い動き――つまり中身を一瞬たりとみせないそれ――を見せたのに、感動の声をあげる。
「え、ええ? どうして!?」
 先日の訓練でキアラにそこを指摘されてから、美羽はキアラのアドヴァイスに従ってスカートの下に見せパンを履くようにしたらしい。何時もミニスカートの彼女だが、矢張り婚約者のコハク以外に秘めるべき場所を晒すのは、抵抗があるようだった。
「どうやったらそんなに可愛く見えるの?」
「えーっとぉ、私の場合はくしゅくしゅ多めのパニエ履いて、その下に超ミニ用のフリルいっぱいのショーパンっつーかドロワーズ履いてるんスよね」
「え、ぱんつ!?」
 本能を滾らせる単語に我に返った武尊の胸に、光の矢が突き刺さったかと思うとそれは直後に弾け飛ぶ様に霧散した。京子の与える愛の感情が、武尊の中に沈み込んでいく。
「そうか……俺はキアラ嬢のぱんつではなく、一体何を追い掛けて……っ痛!」
 武尊はつかつかと寄ってきたキアラに、額にデコピンを喰らわされた。
「なぁにしてたんスか! エロエロナースに鼻の下伸びきってるっスよ!」
 叱咤してくるキアラ。その向こうでは、縁とさゆみが遠距離から牽制の射撃を行い、輝とかつみのパーカーのフードにいるノーンが光でセクシーナース達を塞き止めている。それは“ウィリ達は夜明けとともに消えるとなっているから”とノーンが提案した攻撃だった。彼女達がウィリと同じものか否か、それは今の所分からないものの、単純に人の形を取っている以上、セクシーナース達も強烈な閃光には目を瞑らざるを得ないようだった。
「ファンシーだけど強烈な子がいっぱいだねぇ……」
「あんなのに変な病原菌なり化学薬品なりを注射されては、たまらないわね!」
「あ、でも包帯でぐるぐる巻きの女の子ってちょっとエロくね?
 それは少し見たいかもー」
「バカ言ってないで、真面目にやって下さいっス!」
 包帯をいなしながらの唯斗のゆるーいジョークにキアラが突っ込んでいるその間に、真が壁に減り込んだヌガーやチョコレートを力任せに引っこ抜いた。
「うおおおっ!」
 彼が勢いで投げつけてきたそれらにセクシーナース達が跳び退いていると、そこへ空かさずかつみが熱する程度の火術を放ち、菓子を溶かしてしまう。
 思わぬ反撃に彼女達がもたついている間に、皆が真の行動に倣ってセクシーナースの前に菓子を投げ、即席壁を作りだした。
「Cool!」とトゥリンが真の背中を叩く。
「……これで暫くは寄ってこれないっス」
「取り敢えずの安全ですね」
 キアラとスヴェトラーナが揃って言うのに、真は息を吐きだす。
「お腹がすく安全地帯だけどね」