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第2章 召喚の魔法陣
 
 
 アトラスの傷跡は、シャンバラ大荒野の中に位置する火山である。
 五千年前、シャンバラ首都のあったその場所は、標高の高い「山」が聳え立つ地形ではないが、そこそこの高地に、広大な地面のひび割れがあり、所々でマグマが噴出していた。
 堆積する溶岩が、五千年かけて少しずつ、高地の地形を育てている。
 シャンバラの滅亡によって、都は砕かれ地に呑まれ、巨神アトラスは傷ついて、血を流し続けているのだという伝説だ。



「今のところ、特に異常は無いようね」
 運転席天井のルーフを開けて上半身を乗り出し、儀式を見守るニキータ・エリザロフ(にきーた・えりざろふ)が、双眼鏡を下ろさず、緊張を解かないまま言った。
 ニキータは、第三者からの妨害を警戒している。
 今回の件が公にされず、内々で人が集められたのは、シャンバラ王家に敵対する勢力、組織の妨害を避ける為もあるだろう。
 だが、何処から話が漏れるか分からない。ニキータはその時に備えている。
「そろそろ始まりそうかな?」
 ニキータの車の助手席では、ナージャ・カリーニン(なーじゃ・かりーにん)三毛猫 タマ(みけねこ・たま)を抱いて座っていた。
 ニキータが連絡をし、「あんたも研究者なら、この話、興味があるでしょ?」と誘ったら一緒に来たのだ。
「あんたは火山内部の方が興味があるかしら?」
「うーん、でもまあ、残念だけど、体はひとつしかないからね。ここは君に付き合うよ」
 三毛猫タマが欠伸をして伸び上がる。
 いつまでも、こうして膝の上で丸まっているわけには行かない。
「見回りに行って来よう。「残り火」とやらも気になるしな」
 とん、と車の窓から外に降りたタマを見て、ナージャの瞳が輝いた。
「え、何に乗って偵察に行くって? どうやって乗るのかな。観察してもいい?」
 猫がどんな乗り物を乗りこなすのか、興味があるのだろう。
「駄目だ」
 とタマはつれなく答え、さっさと出かけて行った。


 また、酒杜 陽一(さかもり・よういち)達もニキータ同様、オリヴィエ達とは別ルートで、自らトラックを運転してアトラス火山に向かった。
「アイシャ様と直接会ったのは、もう随分前のことになるんだな……」
 運転しながら、思いに耽る。
(あの頃は、まさかアイシャ様がこんなことになるとは想像もしていなかったが)
 この世界の行き先も分からないような今の状況だが、アイシャが大切な人と共に未来を見て行けるよう、力を尽くそうと思う。

 やがて集合場所に到着し、騎沙良 詩穂(きさら・しほ)から召喚に使用するコモンアイテムを預かった。
「さて、私達の担当する場所は、南だな」
 パートナーのフリーレ・ヴァイスリート(ふりーれ・ばいすりーと)が地図を広げる。
 魔法陣を敷く場所、描く紋様は、HCを使った仲間との打ち合わせで、酒杜 美由子(さかもり・みゆこ)が把握した。
「任せたぞ。私は護衛に回る。魔物も多くいようが、誰にも邪魔はさせぬ」
 フリーレの言葉に、真由子は頷いた。
「うん。そっちは任せて、私は召喚の儀式に集中するね」
 詩穂と健闘を祈りあい、預かったコモンアイテムをトラックに積んで、陽一達は、その場所に向かった。


 召喚の儀式を行う為、聖・レッドヘリング(ひじり・れっどへりんぐ)とパートナーのキャンティ・シャノワール(きゃんてぃ・しゃのわーる)が担当する場所は、西。
 向かう前に、待機するアイシャ達に駆け寄り、キャンティは、此処に来る道中に咲いていた花を摘んで作った小さな花束を、護衛の女騎士の一人に差し出した。
 アイシャが身と命を削りながら護った土地に咲く花に、感謝と祈りを込めて。
「元気になったら、アイシャちゃんに渡して欲しいのですぅ」
 それを見て、女騎士は小さく微笑む。
 その手を優しく、キャンティに押し戻した。
「これはどうか、アイシャ殿が元気になったら、貴女自身の手で、渡してあげて欲しい」
 アイシャが元気になり、それを直接受け取れる未来は、きっと来るのだから。
 キャンティは、にっこり笑って、こくんと頷く。
「……はいですぅ!」
 そうして、二人は魔法陣を敷く為の場所に向かう。
 アイシャが元気になったら、花束を渡して、そして、自分達が経営する温泉にも誘おう。
「元気になって……それに温泉神殿の温泉に浸かれば、身も心もリフレッシュばっちりですわ〜!」
 意気揚々と陣を刻むキャンティに微笑みながら、実は聖は内心、アトラス火山が活動を終えれば、温泉神殿も店じまいになるのかもしれない、と考えていた。
(この辺りの温泉は、火山性の温泉でしょうし。
 地熱の影響がどう出ますか……)
 そこまで考えて、余念は後で、と苦笑して、儀式に集中する。
「数が影響するのかは解りませんが、枯れ木も山の賑わいと申しますし、やはり器と通貨は最も多く使われていたものでしょうから、雰囲気出しですね」
 魔法陣の中心に、古銭と古代の食器、そして世羅儀から預かった、5000年もののワインを置く。


 知り合いかそうでないか、そんなことは関係ないと清泉 北都(いずみ・ほくと)は思っている。
 アイシャは自分のことを知らないだろうが、それでも、死なないで欲しいと願う気持ちがある。
 何より、この世界を救うために尽力した人を助けたい。
 北都達、火山内部に突入する者達は、召喚の成功を待って、アトラスの傷跡を丸ごと囲むように敷かれる陣の外側に待機する。
「四年、か。短かすぎるよね」
 クナイ・アヤシ(くない・あやし)が【禁猟区】を施した女王のロザリオを交換しながら、北都は呟いた。
「はい」
 クナイも頷く。
 ロザリオをしまって、女騎士に抱えられているアイシャを見やった。
 誰かが声を掛ければ返事はするが、女騎士達にすぐに遮られる。
 無理もないと思える程、アイシャの容態は悪いようで、顔色が悪いというよりは、あまりに色が無くて、今にも、糸が切れたように動かなくなってしまうのではないかと不安になってしまう。
 そのことに対して、アイシャ自身が恐れを感じていないようなのが痛ましかった。
「アイシャさんには、これから、もっともっとこの世界を知って見て欲しい」
 声は掛けずに、ただ聞いて欲しいと思って言う。
「頑張れなんて言わない。もう充分頑張ったから。
 僕達周りが頑張るから、無理をしないで、普通の女の子として生きてください」
 ただ、生きたいと、そう思ってくれるだけで。
 その願いの為に、自分達は頑張れるのだ。


「死を望んでも生かしてくれる人がいる、素敵なことじゃないですか」
 自身も九死に一生を与えられたミュート・エルゥ(みゅーと・えるぅ)が、アイシャ達の姿を遠目に見かけて笑った。
「……まあワタシは、返答も聞かずの問答無用でしたけどねぇ?」
 パートナーのリネン・ロスヴァイセ(りねん・ろすヴぁいせ)は、ミュートの言葉に軽く肩を竦めて何も言わない。

 人を助けるのに理由は要らない。そう思ったリネンは、ミュートと共に駆けつけた。
「聞いてはいたけど、壮大なことになったわね」
 飛空艇を降り、声を掛け合って担当ごとに別れて行く面々を見渡して、リネンはそう呟く。
 自分は“場の召喚”を担当する。担当は北東。
 場合によっては召喚はミュートに任せ、遊撃に出る準備も整えてあった。
「よろしくお願いするのです」
「大丈夫よ。きっとうまくいくわ」
 オリヴィエと共に、内部突入の待機に向かうハルカと、そう言葉を交わして別れる。


「ハルカは、火山内部に参りますの?」
 ハルカはてっきり、“場の召喚”の儀式に加わると思っていたエリシア・ボック(えりしあ・ぼっく)
「コモンアイテムを託そうと思っておりましたのに」
 とあてが外れる。
「はかせに、一緒に行くように言われたのです」
 そう言ったハルカの表情があまり良くないのを見て、エリシアは首を傾げた。
 ハルカは、何でもないのです、と笑うが、その笑みも、エリシアには、少し無理をしているような気がした。
「ハルカも、古い物をひとつ持って来たのです。ブルさんにお願いしようと思っていたのです」
「では、わたくしのも一緒に託してもらってよろしいかしら」
「はい。お願いして来るのです」
 かつてハルカの魂は、生と死の狭間の状態で彷徨っていたが、この火山で死んだことを忘れたまま、無意識の内に、この場所に近づくことを拒んでいた。
 その時の記憶が蘇った今も、この場所を恐れる本能が残っているのだろう。
 それでも、オリヴィエはハルカを同行させた。理由は二つ。


 場の召喚の儀式をする者達の護衛に回るというブルーズ・アッシュワース(ぶるーず・あっしゅわーす)に、ハルカは持っていたワインを託した。
 これが、ハルカの持つ唯一の「古い物」なのだと言う。
「はかせが生まれた時代のものなのです。
 はかせがお酒が飲めるようになったら、お祝いに開けるつもりだったのです」
「預かろう」
 エリシアからだという品々もついでに預かって、ブルーズは、火山突入の待機の為にオリヴィエ達の所に戻るハルカを見送る。


 ハルカも成長したんだな、と、見送りながら、樹月 刀真(きづき・とうま)は思った。
 儀式の準備をしていたハルカが火山内部に向かうことは、刀真にとっても意外だったが、彼はパートナーの漆髪 月夜(うるしがみ・つくよ)と共に、“場の召喚”にあたる者達の護衛をする。
 天音から預かった懐中時計は、魔法陣を敷く担当の者に託した。

 此処に立つと、どうしてもあの時のことを思い出す。
 今のハルカを見たら、ハルカの祖父ジェイダイトや、かつてのパートナーアナテースは何を言ってあげるのだろうか。
「ハルカに比べて、俺は成長してないな……」
 自虐な思いばかりが浮かぶ。