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思い出のサマー

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思い出のサマー
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リアクション


●夏と言えば海

 夏と言えば、その問いに、ザカコ・グーメル(ざかこ・ぐーめる)はこう答える。
「夏と言えば海!」
 なるほど、
「そして太陽!」
 これもわかる。
「そして恋!」
 若さだ!
「そして焼きそば!」
 なぜだ!?
 しかし大切なのは理由ではない。この場合、大切なのは思いと勢いの強さだ……という主張に基づきザカコは、夏の海に太陽と焼きそばを求め、恋の季節の一日をアーデルハイト・ワルプルギス(あーでるはいと・わるぷるぎす)とともに過ごすのである。その恋が実るかどうかは、まだ、定かではないが。
 色は突き抜けるほどに真っ青、そびえ立つ入道雲、あとはただただ熱したフライパンのような陽差しの夏空の下、ザカコは感極まったのか声を上げていた。
「夏です! 海です! そして太陽のようなアーデルさん!」
 と断言して、ちょっと言葉に詰まる。
「……は言い過ぎですか、眩しいのは本当ですけどね」
 照れ隠しのようにそう付け加えて、ザカコは頬をかいた。
「ははは、そう億面もなく言われると照れるわえ」
 アーデルハイトは普段着用しているものによく似た水着姿でからからと笑った。
 ザカコにとっては一年振りの海だった。昨年、アーデルハイトと海を訪れたときは、ある事件で撃たれ負傷した直後ということもあって、ザカコは泳ぐことすらかなわなかった。
 その傷も癒え、無事こうして新たな夏を迎えられた今、休暇を取ってザカコはアーデルハイトを海に誘ったのだった。
 いやもちろん山や森に誘ってもいいのだが、イルミンスールにいるとそうした環境には慣れっこであるし、昨年の無念を晴らすということを考えればやはり海を選びたくもなる。アーデルハイトのほうも、二つ返事で応じてくれた。
「普通の海水浴場というのもよいものじゃの」
 太陽がさんさんと降り注ぐも、帽子の下のアーデルハイトの表情は上機嫌である。
 昨年は環菜のプライベートビーチで貸し切り状態を楽しんだものだが、今年は一般の観光地の砂浜を二人は踏んでいる。異常に混んでいるとまでは言わないが、家族連れやデート組でそこそこ賑わっており、昨年の静かな海とはまた違った姿だった。
「そう言ってもらえて光栄です。普通の人たちに紛れてわいわいと楽しむのも良いものです」
 おう、とアーデルハイトはうなずいた。ここでもう一歩、ザカコは踏み込んでみる。
「それに……どこであろうと、こうして普通に一緒にいられるのが一番の幸せですしね」
 思い切った発言をしてみたものだ。
 彼女の反応が気になった。
 ザカコはアーデルハイトと完全な恋人状態になったわけではない。
 限りなくそれに近いところには、いると思う。
 先日ザカコは、ともに生きていきたいと自分の気持ちをアーデルハイトに伝え、同時に、思いを込めた指輪を受け取ってもらっている。
 だが、まだアーデルハイトは彼のすべてを受け入れてくれたわけではないのだ。恋人であるとか夫であるとか、その一言だけは口にしてくれなかった。
 ザカコにとってはもどかしいものがある。
 指先まで触れているのに、どうしてもつかめないところに置かれたティアラを見るかのようだ。
 アーデルハイトのほうに事情があることは、容易に想像がつく。ここでは深く記述しないが、彼女は過去に結婚しており、現時点、厳密な意味でザカコと結ばれることができないのである。
 けれど、制度的にはどうあれ、心の絆はもう、結ばれているとザカコは信じたい。今だって、アーデルハイトは黙って笑みを返してくれているのだから。
「どうした?」
 一瞬ザカコが黙ってしまったのを見てアーデルハイトが声をかけた。
「いえ、なんでも」
 複雑な心を隠してザカコは言った。
「昨年のビーチも十分に楽しめましたが、やはり海に来たからには泳がないとですよね! さぁ、いきましょう!」
 ビーチサンダル越しでも火傷しそうな白い砂を踏みしだき、ザカコはアーデルハイトの手を握った。
 アーデルハイトはその手を握りかえしてくれた。しっかりと。
 連れ立って波打ち際に向かい、サンダルを脱いで海に駆けゆく。
 風は少なく波はおだやかだ。潜ると水温が冷たい。
 海にただようイルカの浮き輪、これにつかまってザカコは海中から飛び出した。
「ぷはっ!」
 海水が眼に染みて、長い髪はぺったり頭に張り付き、日に焼けた肩や背中がひりひりするが、それでもこの上なく充実した気持ちだった。
「あははは、ザカコも一匹のイルカのようじゃのう!」
 上機嫌で浮き輪につかまって、アーデルハイトが笑っていてくれるから。
「そろそろ休憩にして一旦、上がりませんか」
「よかろう」
 少しだけためらったがここでザカコは、ええいままよ、と提案した。
「せっかくですし、日焼け止めのオイルでも塗りましょうか?」
 アーデルハイトが困ったような顔になる――という図式が刹那脳裏に浮かんだが、まるでそんなことはなく彼女はあっけらかんと、
「頼むぞ」
 と言ってスイスイ、軽やかに砂浜を目指し泳いでいった。
「え!? 本当に!? って待って下さいよう」
 青春漫画の一コマのよう――そんなことを思ってしまって、ザカコはつい吹き出してしまう。
 すべすべのアーデルハイトの皮膚に手を滑らせた感触、水着の下の彼女の肌のまばゆさ……手にも眼にも忘れられない体験を経てぼうっとなるザカコに、実に平然とアーデルハイトは言った。
「ところで腹が空かぬか?」
「え……あ、そうですね!」
 魂を時間の彼方に飛ばしていたザカコだが、すぐに我に返って、
「それでは海の家で焼きそばにしませんか? こうした海水浴場だと、ちょっとソースが多いくらいの焼きそばがまた美味しいんですよね」
 とアーデルハイトを海の家に誘うのだった。
 海、太陽、恋、そして焼きそば! というわけだ。


***********************


 最近も、エース・ラグランツ(えーす・らぐらんつ)とその周辺は慌ただしい。
 喜ぶべきことはあった。メシエ・ヒューヴェリアル(めしえ・ひゅーう゛ぇりある)リリア・オーランソート(りりあ・おーらんそーと)の電撃結婚だ。思わぬ朗報であり、エースたちはこれを温かく迎えた。
 一方で、喜びをもって迎えるには複雑な話もある。
 エースのなかに『エセルラキア』という前世人格が目覚め、どうしてもうまく統合できないという問題である。
 先日、この事情をエースはリリアに打ち明けた。
 怒るとか取り乱すとか、そういった反応をエースは覚悟していたのだが、一通り話を聞くとリリアは意外な反応を見せた。
「ふぅん……」
 リリアはエース(エセル)と、同席していたメシエの顔をかわるがわる見やって、
「ようするに、貴方たち、小難しく考え過ぎ」
 パンパンと手を叩くようにして自身の解釈を示したのである。
「エース……いや、今は『エセル』と呼んだほうがいいのよね? エセル、感情的にうまく折り合いが付かないというのなら、嬉しいとか楽しいとか、大きく感情の動く体験を一杯しなきゃダメじゃない?」
「そういう考え方はしたことがなかったね。たしかにリリアの言うとおり、我々はいくらか考え過ぎなのかもしれない……」
 とメシエが視線を流すと、
「だとしたらどうすれば……?」
 エセルは困ったような目をした。
「簡単よ。季節は夏、せっかくの好天続きだし、一緒に海へ遊びに行きましょう!」
「いやしかし、どうして海に?」
 戸惑い気味のエセルに対し、リリアはごく平然と応じたのである。
「端的に言うと行きたいから。エースとは何度も行ってるけど、あなたとはまだだし? 泳げないってこと、ないでしょ?」
 言いながら彼女は、挑発気味に頬を釣り上げる。
「そこまで言われたら……行かないわけには」
 がくっとうなだれるようにしてエセルは首肯するほかないのだった。
 ――まんまと乗せられているねぇ……。
 メシエは内心苦笑するが、妻には弱い彼なのである。黙っておくことにする。

 さてこうして一行は海へとやってきた。
「太陽あふれる海と吸血鬼というのは、似合わないことこの上ない組み合わせだと思わないか?」
 などとぼやきつつもメシエは、胸高鳴る気分であることは否定できない。
 なぜって、それは、
「どうかしら……?」
 と照れ気味に、愛妻リリアが赤いビキニの水着姿を披露してくれたからである。布のスペースは少なめ、シャープなカットは、着る者を選ぶデザインである。しかしリリアにはこれを着る資格がある。存分に似合っていることは言うまでもない。
「大胆過ぎではないかね……」
 と一応は苦言を呈する格好ながら、メシエは目が笑ってしまうのを隠せなかった。
「でも私思ったのよ! ファイアプロテクトでUV対策できるんじゃないかしら、って。ここは使うべきよね、シミ対策に! 念のために日焼け止めも塗ってるけど。そういうわけでお肌のケアは十分、だから今日は攻めの姿勢! ビキニの水着は今ここで着なきゃいつ着るの!?、って感じよ!」
 言いながらだんだん、胸を張るように姿勢が良くなっていくのがリリアらしい。むしろそれを晴れがましく思いつつ、
「そういうことなら好きにしなさい。楽しむのが一番だ。……ここはリリアの美しさを見せびらかすチャンスだと思うことにしよう
「ありがとう。って、ゴニョゴニョっとなにか言った?」
「い、いや、なんでもない」
 オホンと空咳などするメシエなのだった。これでは浮かれている新婚カップル丸出しだな、という気もしたが、それはまぎれもない事実なわけなので、さしものメシエも否定しようがないのが悩ましい。それはそうとして、リリアに変な虫が寄ってこないよう注意もしておきたい。

 ビーチパラソルを開いて砂に突き刺し、しましまシートを広げて敷く。ここにクーラーボックスを持ち込んでおけば、立派な即席休憩所のできあがりだ。仕上げに、融合機晶石で冷気をヒンヤリ発生させて快適な空間とする。
「やれやれ、お天気なのはありがたいけれど、これはちょっと好天すぎですねえ」
 一通りの作業を終えると、エオリア・リュケイオン(えおりあ・りゅけいおん)は額の汗を拭った。
 顔を上げると視界に、見覚えのある男女の姿が映った。
「おっと、あれはイルミンスールのアーデルハイトさんとザカコさん……ですか」
 仲睦まじげなふたりに、エオリアもつい目を細めてしまう。といっても声をかけるような野暮はしない。うなずいて振り返ると、海に入るエース(エセル)を眺めた。すいすいと泳いでいる。
 ――なかなか上手なようですね……エースが泳ぎが苦手だったのに比べると、ずいぶん違っています。
 エースがエセルであることについて、エオリアのみは正式な説明を受けていない。けれでエオリアは空気を読むに敏感であり、事情はなんとなく察していた。
「僕にとってはエースはエースなんですけどね」
 エオリアの視線の先では、エセルが見事なクロールをリリアとメシエに披露していた。
「なるほど、エースは以前泳ぎが苦手だったのか。それで比べて見たかったのかい?」
 エセルは赤い髪をかき上げて、ゴーグルを上げて笑顔を見せた。
「ええ……まあそう。予想より随分泳ぎが得意だったからちょっとビックリしてる。はっきりいってエースは、泳ぎについては大変な状態だったから」
「『潜水して魚と戯れるエース』なんて絵面を見ることになるとはね。夢を見ているようだよ」
 リリアもメシエもそろってこんなことを言う。
「どれだけ下手なんだエース」両手を伸ばしてエセルは呟いた。「ああ、直に指導してやりたい」
 そうはいかないのがつらいところだ。
「とりあえず、今日の所は良く泳いで、体に泳ぎ方を叩き込んでおこう。それからリリア、今週中にエースをプールでもどこでもいいから泳ぎに連れて行ってやってくれ」
「エースのほうをね? エセルではなく」
「そういうこと。ところでリリア、なぜそんなニヤニヤしているんだい? ……あれ? これももしかしてリリアの策略?」
「さて、どうかしらねぇ」
 空とぼけつつもリリアは、なんともワルい笑みを浮かべている。
「エースに言ってあげたいな。『エセルのできることはエースもできていいわよね』って」
「なんだかエースが気の毒だ」
 メシエは軽く肩をすくめ、提案したのである。
「それじゃホエールアヴァターラ・クラフトを出すから、もう少し海岸から離れてみようか?」