シャンバラ教導団

リアクション

　軽快な音楽が流れる草原で、たくさんの者たちがダンスを踊っていた。
　ふりつけなどなし。ただ音楽に乗って跳ねるようにステップを踏み、パートナーとくっついたり離れたりして、手をそれっぽく動かしているだけだ。草に足をとられ、小石につまずいて転んでいる者もいる。それを助け起こす者も、起こされる者も、笑っている。
　自然で、素朴で。だれもがみんな、心からの笑いが腹の底からこみあげているようだった。
　そういう者たちの様子は、見ているだけで楽しい。
　自然と靴先でリズムをとっていたアルクラントは、となりのシルフィアに
「私たちも踊らないか？」
　と提案をする。だが返事が返らないことを不思議に思ってそちらを振り返ると、そこにいたのはエメリアーヌ・エメラルダ（えめりあーぬ・えめらるだ）で、シルフィアの姿はテーブルのどこにもなかった。
「私で悪かったかしら？」
　おや？　という表情をしたアルクラントを見て、エメリアーヌが片眉を上げて問う。
「そういうわけじゃなくて……。ただ驚いただけだよ。てっきりシルフィアがいるものとばかり思っていたから」
「あの子なら友人を見かけたみたいで向こうへ行ったわ。呼び戻してくる？」
「ああ。いや、それならかまわない」
　そこまですることではないとのアルクラントの前、エメリアーヌは立ち上がると「行くわよ」と言った。
「え？」
「踊りたいんでしょう？　それとも私じゃ不満？
　シルフィアにばっかりかまってないで、たまには私にもつきあいなさいよ」
　そう言われては断ることはできない。もっとも、断る理由もなかったが。
　アルクラントは笑顔で首を振り、エメリアーヌを伴って草原に出た。
「さっき、ルドラがいたわね」
　ダンスの途中、エメリアーヌがぽつりつぶやく。物問いたげな視線に、彼女が何を言いたいかを悟って「ああ、うん」と微妙な返しをした。
　かつて、アルクラントはルドラの策略によって大けがを負い、シルフィアを失いかけたことがある。
　もうかなり昔の出来事で、ルドラはあのときのルドラとは違う、別人格とも言える存在だが、根本的に「ルドラ」であることに変わりはない。エメリアーヌはそのことを言いたいのだろう。
（ああ、そういえばあのとき、不思議な体験をしたな）
　あのころ、まだアルクラントはエメリアーヌと出会っていなかった。しかしパートナー同士には奇縁とも言うべき絆があり、それはまさに運命と呼ぶべきものにふさわしく、当人同士が出会い契約を結ぶ前から深く結びついている。それがあるからこそ、契約は結ばれるのだと考えるべきかもしれない。
　あのとき夢現に感じたことをエメリアーヌに話しても、彼女は軽く肩をすくめただけだった。
「驚かないね？」
「あんたたちの出会いや始まりのときのこと、シルフィアがドルグワントになったときのこと……そして、そのときのことも、あんたの日記という形でだけど、私は全部知ってるから」
　最後、ためらいがちにエメリアーヌが口にしたことに、アルクラントは気づかなかった。
「あ、そうだった」
　納得してうなずくアルクラントを肩越しに見る。
　そう、私の記憶は、あのときから始まった。
　エメリアーヌ・エメラルダとして。
　日記の中で見てきたヒーローさまは、あのとき……ずい分と頼りなかったわ。弱々しくて、小さくて、今にも消えてしまいそうだった。
　音楽に乗って近づいて、胸をぱん、とたたく。
「胸、張んなさい。あんたはもう、自分自身の憧れを越えた。
　それでこそ、私も惚れた甲斐があったってもんよ」
　突然の告白に、アルクラントはぴたりとダンスをやめて目をむく。
　言葉どおりにとっていいものだろうか？　それともこれは何かの比喩か？　はたまた聞き間違いか？
「ここでの出来事は起きたら忘れちゃうんでしょ？　それでいいの。だからこそ、言うのよ。ここにももう１人、あんたを愛したやつがいたって」
　固まってしまっているアルクラントを見てもエメリアーヌは動じず、話を続ける。
「なによ、そういうふうに書いといて……。あんたの理想の女のデータも、私の中にはあったんだから、そうならなかったわけがないでしょう？
　でも……そうね、私にとってもあんたは……友であり、親であり、子であり、兄弟であり……何よりも、近くて遠い存在だったのかもね。
　さ、これで私の話はおしまい。
　ああそれと、これも忘れちゃうだろうけど……近いうちに、気楽な１人旅に出るわ」
「……え？」
　突然の宣言にさらに驚いて、衝撃で硬直が解けたらしいアルクラントにくすりと笑い、エメリアーヌは一歩後ろへ下がる。
「べつに、あんたとシルフィアを見たくないから、とかそんな女々しい理由からじゃないわ。
　私も、自分だけの物語を見つけたくなったのよ」
　だれにも依存しない、だれにも影響されない、自分だけの物語を。
　くるっと背を向け、じゃあね、と言うように手をひらひらさせて、エメリアーヌはアルクラントをそこに残したまま立ち去って行く。
　そのまっすぐな背中、しゃんとした、それでいて飄々とした彼女独特の歩き方を見ながら、アルクラントは思った。
　あのとき。憔悴した眠りのなかで、多くの人たちの声を聞いた気がした。
　そのなかに、いたんだ。きみも。たしかに。
　私が……ずっと昔から綴り続けてきた、素敵八卦。歩みと、そのとき思ったことと、憧れと。そんなものが、一杯詰まっている。
　そこから生まれたきみが、こんなにもすてきな女性だったことを、とても誇らしく思っている。
　私はそのことをきみにきちんと伝えられているだろうか？
　そう、私はたしかにきみを大切に思っている。
　きみは特別な女性だ。
　シルフィアとはまた違った意味で、きみは友であり、母であり、姉であり、妹であり……そして、憧れだった。
　何のごまかしも偽りもなく、そのことを伝えるにはきっと、この言葉がふさわしいのだろう。
「ありがとう」
　万感の思いのこもったそのひと言を、背中に告げる。
　エメリアーヌは振り返らなかった。わずかに歩速が緩んだように思えたのは、願望だったのかもしれない。
「アルくんっ」
　入れ替わるようにシルフィアが駆けてくる。彼女のやわらかな体を受けとめ、ダンスへと戻る。
　それをエメリアーヌは背中越しに感じて、それでいいのだと思い、そう思える自分がなんとなく誇らしかった。



「もうダメ。ちょっと休憩」
　と、スウィップは笑って郁乃から離れた。
　郁乃は十分楽しんだのか、さして引き止める様子は見せず、手を振って「じゃあね」とダンスに戻っていく。
　大勢の人たちが楽しむ草原から目を離して、見物している人たちの方を向いたスウィップは、人混みのなかに音無　終（おとなし・しゅう）の姿を見つけた。
「終くんっ」
　途端、笑顔になって、そちらへ走って行く。
「よかった、やっぱり来てくれてたんだねっ。全然姿が見えないから、もしかしてどこかで迷っちゃったかな、と心配してたんだ」
　捜しに行こうかと思ってた、と屈託なく笑うスウィップに終は苦笑のようなものを浮かべて見せる。
「こんにちは。お招きありがとうございます。あいさつが遅くなってすみません。あなたの言うように、この世界をぶらぶらと見学させていただいていました。
　にぎやかな音楽と笑い声でここにたどり着いたわけですが、何の催し物ですか？　あなたの顔を見れば良いことがあったことが分かりますから、そのお祝いだというのは感じるんですけどね」
「うんっ！」
　ますます笑顔を輝かせて、スウィップはリストラが終わったことを話し始める。
　会話の邪魔と感じたのだろうか。２人はそのまま騒がしい会場を離れて、どこへ行くあてがあるわけでもなくリボンロードを歩く。
「――でね、ようやく昨日、最後の１冊を収蔵できたの」
「そうですか。ついに終わったんですね。おめでとうございます。お疲れさまでした」
「ありがとう！　実を言うと、絶対無理だと思ってたんだ。あたし、そそっかしくて、失敗ばかりしちゃうから」へへっと笑う。「それがね、とうとう最後まで終わらせることができたの！　もうすんごくうれしくって！　それでもうこれはパーティーするしかないって思って、みんなを呼んじゃった」
　そこまで口にして、はたとあることに気づく。
「あ。もしかして、強引すぎた？　勝手に召喚しちゃったりして、迷惑かけちゃったのかな？」
「夢のなかでの呼び出しですから、迷惑はかかっていないと思いますよ」
　かく言う終も、昨夜の記憶は静にお人形扱いされていたところで途切れていた。あのまま眠ってしまったのだろう。だからどうということもないと、肩をすくめて見せる。
「そう。よかった」
　スウィップは胸をなで下ろしたが、２人から離れて後ろをついて歩く銀　静（しろがね・しずか）はこの現状にかなり不満だった。
　眠る直前まで終を独り占めできていたのに……。
　面白くない。
　肩を並べて歩く２人の姿がとても不快で、間に割り入ってあの女を突き飛ばしてやりたくなるが、そうすると終が怒ると分かってるからできない。終を怒らせて、嫌われたくないし……。
　そんなことを悶々と考えながら黙々と歩いていると、ふと終が何かに気づいたように左手の坂下の方へ顔を向けた。
「――あなたはやればできる人ですからね、俺も助けてもらいましたし。関わる機会が少しではありましたが、とても頑張る方だと知っていますよ。
　これからも頑張ってください。俺も静とともにこれからも自分の好奇心を満たすために頑張りますから」
「うん！　ありがとう。終くんもがんばってね！」
　会話を切り上げた終は、じゃあと手を振ってスウィップから離れて坂の下へとすべるように下りて行く。
　はたしてその先にいたのは、バァルとアナトだった。それぞれアルサイードとエルマスを抱いて、あやしながら散策している。彼に会いに行くのだろうかと思ったのだが、途中で足を止めてしまった。そのまま、彼らの背中を見るだけの終に静が近づく。
「いいんだ。俺が会いに行っても、あいつらは良い顔をしないだろうから」
　不思議そうに見る彼女の考えを読み取って、終は静かに言う。
　真実は、彼が思っているほどのことではない。バァルは彼をただの憎むべき相手とは思っていなかったし――それには彼が告げてきた言葉が偽りばかりでなく、バァルが目をそらそうとしていた真実が多大に含まれており、それを容赦なく真正面から突きつけてきたからというのが影響していた――終のことを、ただ殺したいからとの理由で人を殺して楽しむ者とも思っていなかった。そういう手合いは何人も見てきたから、違いは分かる。
　ただ、家族に近づけば警戒されるのはたしかだろう。
　妻子と連れ添って歩くバァルの背中を見ていると、静が後ろからどんっと抱きついてきた。
　無視されているとでも思ったのだろうか。どうした？　と肩に乗せてきた顔を見ると、バァル夫妻を羨ましそうに見つめていた。それで、ああ、と理解する。
　だが終としては言葉でそれを与えてやる気はなかった。彼女がそれを望んでいるのは分かるし、終としてもやぶさかでもないのだけれど。
　手が空いたときは自由にさせてやるし、寝る前までのように１日中つきあってもやる。気が向けば可愛がってもやるだろう。
　何が起きようとも手放さない、それで満足してもらうしかないなと、終は思った。



　終と別れて、パーティー会場へ戻っていたスウィップは、走って来る七刀　切（しちとう・きり）とすれ違った。
「っとと」
　横を走り抜けようとして、切はたたらを踏んで止まる。
「なあスウィップ、バァル見んかった？　なんか、さっきからあいつの姿が見えんのよね」
　ここにはいるのはみんないい仲間たちばかりだけれど、そこにまぎれて不穏な輩もいる。
　ここは夢の世界である反面、意識世界とつながった無意識世界でもある。そこで傷つけられた者がどんな深刻な傷を残すことになるかは未知だった。
「バァルさんなら向こうの草原で見かけたよ」
「そっか。サンキューな」
　礼を言ってまた走り出そうと一歩踏み出したところで、またも振り返る。
「あ、スウィップ。おつかれさま、そんでもっておめでとうな」
「ありがとう！」
　ぶんぶん手を振りあって別れたあと、切は今度こそ全速で走ってバァルのいる草原にたどり着いた。
「どうした？　そんなに急いで。何かあったのか？」
　切が近づくのを待ってにこやかに問うバァルの姿に、切はひざに手をついて切れた息を整えながら、何もなかったようだと安心する。杞憂ですんだことにほっとして、きっぱり心配を捨てると切は身を起こした。
「いんや、特に何もなし。
　にしても、おまえ普通に歩けてるな」
「？　ああ……」
　しみじみと言われたことにとまどうバァルを、ジロジロ見る。
「切？」
「これはせっかくのパーティー、しかもお祝いの席なんだぞ！　そんなんでどうする！」
「は？」
「酒飲んで、おいしいモンいっぱい食って、めいっぱいどんちゃんして祝う！　それが招かれた客としての招待主への礼儀だ！」
　べ、べつに、酔っぱらったバァルが見たいだとか、ハメはずしまくった姿を笑ってやろうとか、全然そんなんじゃないんだからね！　これはパーティーマナーなんだからね！（笑）
　え？　となるバァルの腕をむんずと掴み、切は元来た道へ戻ろうとする。
「今から戻って飲むぞ、バァル！　じゃんっじゃん飲むからな！　覚悟しとけ！」
「覚悟ってどんな覚悟だ？　ちょっと待て！　そう引っ張るな！」
　しかしいくら言っても切の手は緩まない。
　文句を言いながらもバァルも本気で振りほどこうとせず、ぽんぽん言い合いながら並んで歩く姿にアナトもくすくす笑いながらついて行く。
　会場へ戻った切は仲間たちが囲んでいるテーブルへ２人を導き、アルサイードやエルマスを待ちかねていた女性たちに預けるのを待ってから、さっそくバァルのグラスに酒を注いだ。
「それでさ、東カナンの方はどう？　２人はうまくいってんだろ？　あんなかわいい子も生まれたし。でもそーゆーのならワイももう負けてないぜぇ。
　ワイもこの前結婚したんよ」
「まあ！　おめでとう！」
　うれしそうに笑顔を輝かせるアナトと違い、バァルは驚きが先にきたらしい。
「なんだと？」
　驚いて飲む手を止めて、あらためて見てくるバァルに、切は軽く頭を下げた。
「事後報告になって、正直すまんかった。今度あらためて彼女連れて紹介しに行くよ、あっちで」
「そうしろ」
　と言ったあと、遅れて「おめでとう」と口にしながらも、まだ少し不満そうなバァルに「まあまあ」と身を乗り出して、切はさらに酒を追加する。
「それで、おまえのお眼鏡にかなった相手とは、どんな女性なんだ？」
「わたしも知りたいわ。
　ね？　いつ知りあったの？　どういうふうに？」
「いやーそれが、話すと長い話になるんだけどねー」
　と興味津々の２人に、切は意識世界にいる妻のことを思って笑み崩れた顔で、さっそく彼女との出会いからなれそめ、結婚に至るまでの話を始めたのだった。