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第7章 昼食を誰と食べますか。


「はあ〜。おじさん腹減ったぜー」
 用務員のバイト鬼崎洋兵は、午前中に任された外の掃除がまだ終わらず、ニーナが寝そべるリアカーを引いて歩き回っていた。
「いいねー。若いもんは、仲良くスクールライフをエンジョイしちゃって」
 恨めしそうにチラチラ見ながら、校舎の脇を抜けていった。
 そこは菜の花が咲きそろう緑道で、他にも春の花が咲き乱れる花壇があった。
 匿名某と恋人の綾耶は、ベンチに腰掛けた。
「じゃあ、早速いただくかなっと……」
 某は綾耶の特製「愛妻弁当」に手をかけた。
 綾耶が作ってくれると聞いたときから、某はもう楽しみでしょうがなかったのだ。
「えっ。もうあけるんですか。恥ずかしいですね……」
 綾耶は隣で照れながら、でもどんな反応をするのか気になって、某を見たり下を見たりを繰り返していた。
「おっ……!」
 某は、初めての愛妻弁当を目に焼き付けようとじっと見つめた。
 卵焼きに唐揚げ、ポテトサラダにプチトマトがついて、おにぎりが2つ。
 ごくごくありふれた弁当だけど、それがいい。その平凡さが、某の琴線にバリバリに触れていた。
「もしかして……気に入りませんか?」
 食べようとしない某に、綾耶は不安になった。
「まさか。……反対だよ」
「よかったあ。ダメかと思いました」
「ダメなんて、なに言ってんだよ。じゃあ、いただきますっ」
 と箸を持ったとき、
「ちょっと待ってください」
「?」
「私が食べさせてあげてもいいですか……」
「ええっ? あ、え、い……」
 綾耶は顔を赤らめていたが、某はそれ以上に真っ赤っかになってドギマギしていた。
「ダメですか?」
「いや、まああの、綾耶がやりたいって言うなら、別にやらせてやっても構わないけど……。人も……いなさそうだしな」
「やった♪ じゃあ、まずは卵焼きにしましょうか」
 とパッと明るくなった綾耶はにっこり笑って卵焼きを――
「はい、あーーーん」
(かー! かわいいな、ちくしょう!)
 2人はもう周りが見えていなかった。
 菜の花の向こうのベンチで寝ていた比賀一がじーっと見ていたが、気がつかなかった。
(某の奴……なんだなんだ。鼻の下のばしてやがるぜ。さては俺に気づいてないな……。ちっ。そっとしといてやるか。もう寝飽きたけど……)
 気を利かせて静かに横になった。ただ、珍しくミュージックプレイヤーの電源を切って、ヘッドフォンを外していた。
「味はどうですか?」
 某はまたも感動して言葉を失い、綾耶を心配させていた。
「う……う……う……美味い! すっげえ美味い!!!」
 ボキャブラリーの無さに自分でも呆れながら、しかし、それしか言いようがないという確信もあった。
「美味いよ。これなら毎日食べても飽きないよ……!」
「ほんとう……?」
 綾耶はますます笑みがこぼれ、「あーん」を続けた。
 某はもう弁当の味はわからなかった。ただ、綾耶のことを考えていた。
(俺、今「毎日」なんて言っちゃったな。でも、そうだよな。綾耶は間違いなく俺の「世界」の中心。嬉しいとき、辛い時、悲しいとき……いつでも俺の傍にいてくれた。たまに怒らせたり……俺が不甲斐ないせいで泣かせたりする時もあるけど、それでも最後にはこうして笑ってくれる、かけがえのない存在。……こいつだけは、何があっても護っていくさ……ずっとな!)
 某は、自然と綾耶の頭を撫でていた。
「某さん……ずっと一緒ですよ?」
 そのとき――
 ガタンッ!
 比賀一がベンチから落ちた。
「……」
 ポリポリポリ。
 頭をかきながら、決して某の方を見ることなく去っていった。
 某と綾耶は急に恥ずかしくなって、ちょっと離れてそれぞれに弁当を食べた。
「今日はいい天気だよな〜」
「そうですよね。あはは……」
 
 屋上では樹月 刀真(きづき・とうま)漆髪 月夜(うるしがみ・つくよ)と弁当を食べていた。
 こちらも月夜が初めての弁当作りに挑戦していたが、いかんせん月夜は料理が下手だった。
「刀真? どう?」
「うん……そうだな……」
 刀真は言葉を探していた。答えは言わずもがなだ。
「やっぱりダメかあ」
「ダメってことはないさ。嬉しかったし。まあ、あれだ。次は俺が教えるから一緒に作ろう。ただ……」
「ただ?」
「あー。いや、この量がすごいよね」
「……だよね」
 とても2人では食べきれない弁当が広がっていた。
 パシャッ。
 月夜は失敗の処女作を写真におさめた。きっといい思い出になると思ったのだ。
「これ、どうしよう」
「放課後お花見する人がいるみたいだから、差し入れに持って行こうか」
「そうだね」
 2人は弁当をまとめると、本を読みはじめた。
 刀真は鞄を枕にして、月夜は刀真の足を枕にした。
 ぽかぽか陽気の中、弁当作りがそれなりに成功した月夜はリラックスして、幸せなひとときだった。

 この陽気では、食事を済ませた誰もが眠くなってしまう。
 メイドとして働いている秋葉つかさは、誰もいなくなった用務員室で、ちゃぶ台に突っ伏してうたた寝していた。
「ああ……あ……パ……パパ……パパ……? 痛い……やだ……」
 寝言をこぼして、額からは汗がだらだら流れていた。
 幼少時代のつかさは父親に近づくことも遠ざかることもできず、ただ立ち尽くしていた。
「パパそれ痛いからやだ……もうやめて!」
 用務員室に入ってきたトメさんは、つかさの寝言に体が硬直した。
「つかさちゃん……?」
「はああ……そのクスリは……あっ。やめて……もう……パパ……ダメ……フフッフフフフッ」
 トメさんは外の気配を確かめた。
 ――プレナとセプティがやってくる。
 つかさは金縛りにあったように身体を痙攣させ、ちゃぶ台が小刻みに揺れていた。
「はっはっ……だめ……壊れて……いい? だってパパ……はあっはあっ……」
 トメさんが起こすべきかどうか躊躇っていた。
「こ、ころして」
「おいっ!」
 つかさの両肩を包むように握りしめ、揺さぶった。
「つかさちゃん……起きなさい」
「はあ。はあ……はっ。トメ様。私、何か――」
「何も。……何も」
「……」
 そこに、プレナとセプティがどかどかと入ってきた。
「はあー。セプちん、疲れましたねぇ。あー、つかささん。おつかれさまぁ」
「お疲れさまです」
 つかさは立ち上がると、掃除道具を手にした。
 トメさんは、それを見て声をかけた。
「つかさちゃん……どこに?」
「今夜のお相手を捜しに……」
「……そう」
 つかさはトメさんに一礼し、出て行った。
 用務員室はおかしな空気になっていた。
「プレちん。お相手ってなんのお相手?」
「さあー。お師匠、なんのことですか?」
「……白馬の王子様だよ」
 しーん。
「またまたあ。それはお師匠じゃないですかあ〜」
 2人は陽気に笑っていた。
 トメさんはつかさに何もしてやれない無力感に襲われ、下を向いていた。

 つかさは今夜のお相手を求めてのぞき部の部室に向かったが、扉をあけるのを躊躇った。
 男子のぞき部員はどいつもこいつもスケベではあるが、いかんせん純情だった。ウブだった。彼女の“今夜のお相手”にはなれないのだ。
 つかさは扉を開けることなく、去っていった。
 しかし、開けていたらどうなっただろうか――
 中では、のぞき部新入部員かつ(むだに)くろい部の中心人物とされる鳥羽 寛太(とば・かんた)が伝言板のメモを見ていた。

『本日の練習は中止。時間のある人は花見に参加したら〜。ただし、実践特訓コースのB36段階まで来ている新入部員には一応課題を出しておく。オレが彼女と校内デートするから、のぞいてみな。……部長』

 たしかに部長の弥涼 総司(いすず・そうじ)は今、構内のどこかで彼女のアルダト・リリエンタール(あるだと・りりえんたーる)の弁当を食べていた。
 寛太はメモのそばに落ちていた部長のゴーグルを拾って、くろい笑みをこぼした。
(くっ。部長のことだ。きっと得意の水泳を彼女に披露するのでしょう。つまりプールでデート。ふっ。2人がただいちゃついてる様子をのぞいて僕が満足するとでも?)
 力を込めて握ったゴーグルが、バキバキッと悲鳴を上げて壊れた。
(新入部員だからと舐めてもらっちゃあ困る……!)
 そして、天井の通風口から消えていった。
 ここが部活中の正式通路なのだ。
 それにしても、彼女を学校に呼んでデートなんてモテない男子軍団のリーダーはどんだけのぼせてるのだろうか。
「はい、総司さん。あーん」
「あーん」
「うふふ。どーお? おいちい?」
 小悪魔のアルダトは、わざと赤ちゃん言葉を使った。
「う……うん。おいちい」
 ……。
 こんだけ、のぼせあがっていた。
 アルダトが本気で付き合っているのかどうか、それは誰にも分からないが、ただ言えることは総司は完全にアルダトに飼い慣らされているということだった。
 そして……
「もう。総司さんったらー。ホッペについてますわよー」
 ぺろっ。
 舌で取ってやったら、総司は照れつつ……欲情していた。
 もう見てられないので、放っておこう。
 総司の剣の花婿浅生 賢太郎(あそう・けんたろう)は、羽高 魅世瑠(はだか・みせる)と向かい合っていた。
 が、こちらは付き合ってるわけではない。というより、初対面だった。
(パ、パラ実生だよね……???)
 賢太郎はやさしく温和な純情少年なので、一応は蒼空学園の制服を着てきたが全然似合ってない魅世瑠に戸惑っていた。
「いやあ。浅生くんだっけ? キミの学校はすごいね」
「そう? なにが?」
「だってよお……校舎があるからな!」
(ぜーーったいパラ実生だよね!!)
 賢太郎は戸惑いながらも、作ってきた弁当を広げた。
「ほほー。どれ、いただくぜ。ん。結構いけるじゃねえか。これはなんて料理だ?」
「これはね、うどと鶏ささみの梅肉和えで、ポイントは――」
 魅世瑠は長くて聞いてなかった。
 一流料理人を目指して修行中の彼は、料理についてはあつかったのだ。
(料理はうまいけど、残念ながらちいっとあたしの好みからは外れてるかなあ……って、いつの間にか!)
 総司とアルダトは消えていた。
 欲情した総司はアルダトを連れて、プールを目指していた。
 それを、鳥羽寛太は校舎の通風口から顔を出してのぞいていた。
(部長、聞きましたよ。「おいちい」って言いましたね……。くっくっく)
 変なところから顔を出している寛太を見て、鬼崎洋兵は自分の目を疑った。
「んん?」
 ニーナは飛び起きて箒を振り回したが、寛太はもういなかった。
「気のせいか。メシも食わずにやってたから疲れたんだな。いい加減休ませてもらうか」
 リアカーを引いて、用務員室に向かった。

 用務員室には、背の高い若い女性と7歳の女の子が訪ねていた。
 女性はトメさんとプレナ、セプティに深々と頭を下げて挨拶をした。
「いつもうちの主人がお世話になっております。洋兵の妻、ユーディット・ベルヴィル(ゆーでぃっと・べるう゛ぃる)と申します。あのようなものぐさオヤジなものですから、何かとご迷惑をおかけしていると思いますが、何卒、何卒ご指導のほどよろしくお願いいたします」
 と、そこでガラッと扉があいて洋兵が入ってきた。
「誰が妻だ! キミは娘だろうが!」
「あら何を言ってるの? ワタシは妻でしょう。ツ・マ!」
 と、鬼崎 リリス(きざき・りりす)が洋兵に飛び乗った。
「おじさーん! だああああっこ!」
「ぐあ。ちょ、今はやめなさい……こら……」
 リリスは構わずよじのぼって首にまきついている。
「邪魔だよ、掃除の邪魔邪魔」
 ニーナはユディとリリスをハタキでパシパシッ。
 あっという間に用務員室は混沌とし、トメさんたちはぽかーんと口をあけていた。
 洋兵はリリスを降ろしながら、ユディに問い質した。
「そもそも、どーーーしてこんなところに来てるんだ!」
「あら。差し入れを持ってきたのよ……」
「な……なんだって!? おおおおお……」
 洋兵はどっと力が抜けて、膝をついた。
「俺は幸せもんだ……ありがとう、2人とも」
「いいえ、当然よ。妻だもの」
「だから……む・す・め〜!!!」
 洋兵はニーナに頭をパシパシやられながら、項垂れた。
 プレナはみんなにチョコ大福を配って、なにはともあれ平和な用務員室で、トメさんもつぶらな瞳でにっこり微笑んでいた。