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精霊と人間の歩む道~凍結せし氷雪の洞穴~ 前編

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精霊と人間の歩む道~凍結せし氷雪の洞穴~ 前編
精霊と人間の歩む道~凍結せし氷雪の洞穴~ 前編 精霊と人間の歩む道~凍結せし氷雪の洞穴~ 前編

リアクション

「街の人から許可ももらったし、みんなで噴水を元の姿に戻してあげよう」
 あちこちにヒビが入り、水の枯れた噴水を前に、ケイラ・ジェシータ(けいら・じぇしーた)が意気込む。門や壁、ライフラインの修理及び維持に人員を割いていたこと、優先度が低いとはいえ街のシンボルにもなっていたものを放っておくのが心苦しかったことが、一行に修理の許可を出した理由である。ちなみに水路の方は損傷はしていないものの、寒さで凍りついてしまったため現時点では完全に元の姿には戻せないと言われたが、それでもこうして噴水の前に集まっていた。
「……必要な道具とかは街の外に置いてあったから、持って来た。足りなければまた持って来る」
 手にしていたボックスを積み上げて、御薗井 響子(みそのい・きょうこ)が言う。響子が言うように物資そのものは、ザンスカールを始めとした周辺地域の名目で――実際に手配をしたのは生徒の手がかかったところである――必要な分が送られてきている。足りないのは人手と時間だ。
「噴水は石造り……ふむ、これならここにある分だけで修復出来そうだな。早速取り掛かろう。……ああそこの小さいの、お前は公会堂にでも行って遊んでいろ。ちょこまか動いて怪我をされても困るからな」
「おーし、ぱぱーっとなおしたろー……ってうあー! なにするんやー!」
 工材を確認したマラッタ・ナイフィード(まらった・ないふぃーど)が、やる気まんまんでハンマーを掲げたバシュモ・バハレイヤ(ばしゅも・ばはれいや)を掴み上げて放り投げる。
「うむむむむ……しゃーない、しゅーりはおねにーちゃんたちにまかせといて、うちはそやな……なにしてほしいかきいたろ!」
 ポン、と手を叩いてひらめいたバシュモが準備をする傍ら、ケイラと響子、マラッタが協力して、欠損した噴水の修理に取り掛かる。セメントと砂と水を混ぜたものをヒビの入った部分に埋め合わせるように塗り、大きく欠けた部分は響子が持って来た石を所定の大きさに切り分け、接着していく。
「こんな感じでいいのかな?」
「そうだな……そこはもう少し塗った方がいい。あとそことそこは、もう少し削った方がいいな」
 マラッタが、住人から提供されたかつての噴水を映したものを見ながら、尋ねたケイラに指示を出していく。
「……こことここを固定しながら、これで埋めていく……」
 響子が、片方ずつの手で載せた石をずれないように固定しながら、背中のマニピュレーターで接着させていく。力の必要なところでは両腕、器用さが必要なところではマニピュレーターと、使い分けて作業を効率化していた。
「ほれほれー、なんかしてほしかったらそのくちでなんかいったれやー!」
 引っ張り出してきたコタツの上に乗って、バシュモが【ちぎのたくらみ】を住人にかけて意見を募る。主にケイラたちの仕事ぶりを目の当たりにした住人が、ぽつぽつと何かを書いてはコタツの上に置かれた目安箱に放っていく。

 そして、太陽が地平線に沈みかける頃。
「……できたー!」
 最後の一塗りを終えて、ケイラが両手を上げる。一行の手により修復された噴水は、手間をかけたことでより頑丈に、そしてほぼ元の姿を取り戻していた。後は異常気象が解決され、水が流れるようになればまた、街に潤いを与えてくれるだろう。
「遺跡に行ったみんなが、無事に原因を突き止めて解決してくれるといいね」
 ケイラの言葉に、皆が頷く。
 
 イナテミスに夜の闇が降りる。
 吹き抜ける風はこの時期に似つかわぬ冷たさを孕み、日通し作業をしていた者たちもその風に体温を奪われぬ内に引き上げる。
(……ここから見える街並みは、ヴォルテールとどの程度差異があるのだろうか。……分からない。私は、本当に……何も憶えていないのだな)
 当面の宿として提供してもらった家屋の屋根に腰掛け、永久ノ キズナ(とわの・きずな)が失われた自らの記憶の手がかりを探る。
「……あなたが例え炎の精霊であっても、今日の寒さは身に堪える」
 下から響いてきた声にキズナが視線を向ければ、身を乗り出して見上げたサラと目が合う。両脇で結んだ赤髪を揺らして、サラがキズナに尋ねる。
「なに、友人から話をしてやってくれと頼まれたものでね。……隣、よろしいか?」
「……ケイか。彼も無礼なことをする。【炎熱の精霊長】たるあなたを向かわせるなど、本来は私が赴くべきところを」
「構わんよ。私も話をしてみたかったからな。……今日は冷える、よければこれを」
 言って、サラがキズナの分の毛布を渡す、微笑んで、キズナがそれを受け取り、肩にかける。
「……さて、何から話したものか。失礼ながらケイからいくつか聞かせてもらったが、あなたは何も憶えていないのだな?」
「……ああ、何も、だ。私が炎の精霊であることは朧げながら自覚出来るようにはなったが、私がいたと思しき場所の風景、匂い……それらは今も全く、欠片さえ浮かんでこない。私は本当に、そこに存在していたのだろうか」
 『炎熱の精霊』の住処の一つ、『ヴォルテール』を話題に上げ、キズナが自嘲気味に呟く。
「精霊は属性毎にいくつかの縄張りを作る。私の住むヴォルテールは炎熱の精霊が作る縄張りの中でも最も大きいとされ、建物は石造り。身体を動かすことが好きな者が多くてな、私のところには手合わせを願うものが絶えぬよ。……あなたがいた縄張りは、もしかしたらヴォルテールではないのかもしれない。申し訳ないが、私にもそれは分からない」
「ああいや、あなたが謝るようなことではない」
 殊勝に頭を下げるサラに、キズナが動揺しつつ応える。
「だが……あなたがいた縄張りも、ヴォルテールのような活気に満ちた場所であったと、私は思いたい。数日前までのこの街ではなかったと、私は思いたいのだ」
「……ああ、それは」
 サラの言葉に、キズナも同意する。自分がどこに住んでいたのか知らなくとも、その住んでいた場所は平和であってほしい。
 きっと自分はその場所で、平和に暮らしていたのだと思えるから。
「……こんなことを頼むのは無礼かもしれないが、私に稽古をつけてもらえないだろうか? 記憶は思い出せずとも、せめて満足に戦えるだけの力は取り戻したいのだ」
 キズナの言葉に、サラが息をついて答える。
「フッ……それも、既にケイに頼まれ済みだよ。療養に付き合ってくれ、とね」
「まったく……」
 微笑み合う二人、今は暖かいところにいるはずの緋桜 ケイ(ひおう・けい)がクシャミをしていたのは、言うまでもない。

「よう兄ちゃん、精が出るなぁ。若ぇからって無理してっと、そのうち怪我すっぞ?」
「これくらい何てことないですよ。暢気に構えてる暇はなさそうですからね。それよりも、無理を言ってすみませんでした」
「なぁに、あんだけ言われて黙ってるようじゃ男が廃るってもんでぃ。兄ちゃんは飲み込みが早ぇ、いっそ俺の弟子になっか?」
「あんた、バカなこと言ってんじゃないよ。すまないねぇ、こんなに若い人が来てくれて、こいつ嬉しいんだよ」
「なっ、お、おめぇこそバカ言ってんじゃねぇ!」
「ははははは……」

 昼間、街の大工と門の修理をしながらそんなことを話していた神野 永太(じんの・えいた)が、太陽が沈み夜が街を支配する時間に再び、門へと足を運んでいた。
「ザイン、準備はいい?」
「わたくしはいつでも。……永太は少し休んだ方がいいと思います」
 隣に立った燦式鎮護機 ザイエンデ(さんしきちんごき・ざいえんで)が、永太に視線を向けて気遣うように呟く。永太自身も、昼間無理を押して働き通しだったこともあって、身体の節々が軋むように痛いことを自覚していた。慣れない作業を全力でこなすことは、身体に普段とは比較にならない負荷を強いることになる。
「そうは言っても、一日も早く修理しないと街が――ん? 誰かいるみたいだ」
 門のすぐ傍まで来たところで、聞こえてくる話し声に首をかしげた永太が、門の裏側から耳を傾ける。
「あんた、もう年なんだから無理しなさんな。そんなにあの青年に刺激されたのかい?」
 それは、昼間永太が監督をお願いしに行った大工と、その妻のものであった。
「ま、それもあっけどな。……あいつは危なっかしいんだ。素人が無理しすぎっと取り返しの付かないことになる。俺の見立てじゃあいつ、夜一人でこっそり作業するつもりだぜぃ」
「まさか、あれだけ働いて動けるはずないよ」
 大工の言葉を冗談交じりに受け流す女性、しかし現実はこうして作業をしに来ている。
「若ぇモンはゆっくり学んでいきゃあええ。若ぇモンが老人を差し置いてぶっ潰れるのは許せねぇ。他がなんと言おうと俺はそう思う。俺がここで作業してりゃ、あいつも出てこねぇだろ。それでも出てくるようならぶん殴ってでも休ませっからな」
「はいはい、ま、あたしも付き合ってあげるからさ。事故だけは起さんでおくれよ」
 会話が途絶え、打ち付ける音が淡々と響く。
「……どうしますか?」
「……今日は休みましょう。明日、また精一杯働きましょう。それでいいですか?」
「はい」
 どこか安心したように頷いたザイエンデと共に、永太は休むべく街の中へと消えていった。

 とある日のイナテミス、公会堂の前ではちょっとした催しが行われていた。

「さあ、IWE(イルミンスールレスリングエンターテイメント)本日のメインイベントの時間がやってまいりました。司会兼解説は私、アルツール・ライヘンベルガーでお送りします」
 公会堂の敷地内に設けられたリング、その脇でパイプ椅子に腰掛け、テーブルに腕をついて、アルツール・ライヘンベルガー(あるつーる・らいへんべるがー)が選手の呼び出しを行う。
「青コーナー、“イルミンスールの荒鷲”いるーみーん!」
「ぬぅぅぅん!!」
 イルミンスール森の精 いるみん(いるみんすーるもりのせい・いるみん)が、リングの中央で自らの筋肉をアピールする。
「赤コーナー、“禁書庫の悪魔”ジ・レメゲドー……んん!?」
 半人半本形態で登場したソロモン著 『レメゲトン』(そろもんちょ・れめげとん)に、アルツールが面食らった様子でたじろぎ、気を取り直して解説を続ける。
「シグル……いえ、オーディンマスク、今回の対戦をどう見ますか」
「そうだねぇ、力の差は歴然なように見えるけど、戦ってみないと分からないからねぇ」
 兜で顔を隠し、『オーディンマスク』と名乗ったシグルズ・ヴォルスング(しぐるず・う゛ぉるすんぐ)が両者の資料を見ながら答える。

 これは、「街の人々の沈んだ気分を高揚させるため」にシグルズが考案したプロレス興行である。
 正義レスラーのいるみん、悪役レスラーのレメゲドン、解説に謎の覆面レスラーと役者は揃った。後は観客だが、意外なことにそれなりの数が来ていた。プロレスという競技は知らなくとも、街では力自慢を競う催しが行われていたこともあり、それの一環だと思って見に来ている人が多数であった。

「それでは、試合開始!」
 アルツールがゴングを鳴らし、二人の戦いが開始される。両者組み合いからいるみんがボディスラムを見舞い、起き上がってこないレメゲドンへ、トップロープから宙を舞ったいるみんが全体重をレメゲドンへかける。
「おおっと、早くも大技、いるみんの森の木々で修行した空中殺法が炸裂だー! レメゲドン、起き上がれないー!」
「うーん、やっぱり予想通りだったねぇ。これはあと一撃で決まりそうだね」
 オーディンマスクの言う通り、どうもプロレスラーとしてのイメージが定着してしまったように思う地祇と、様々あれどだいたい線の細い少女のイメージが多い魔道書の戦いである。どうひっくり返っても地祇、いるみんが勝つに決まっている。
「まだまだ……食らえ、レメゲドンプレス!」
 ようやく起き上がったレメゲドンが投げからのプレスを見舞うが、いるみんは颯爽と避け、自爆ダメージを負ったレメゲドンに関節技を決める。本のページが背表紙から剥がれ落ちそうな勢いで締め上げられた後、ロープに捕まりすんでのところで解放される。
「そろそろ終わりにするぞ!」
 既に満身創痍のレメゲドンへ、いるみんが決め技『イルミンスールボンバー』をかけるため組み付こうとする。
「……わざと負けるなんぞお断りよ! これでも食らうがいい!」
 そこへ、レメゲドンが脚本に反し、火術を見舞う。
「おーっと!? レメゲドンが火を吹いたー!」
「流石悪役レスラー、やることが卑怯だね。でも、いるみんにはさほど効いていないみたいだよ」
 指摘の通り、所々焦げてはいるものの、いるみんの足並みは衰えない。
「……あるぇー!? な、ならばこれで!!」
 焦りを見せたレメゲドンが、次に氷術を見舞う。しかしこれもいるみんには効果が薄い。
「心頭滅却すれば火も涼し、氷も熱し!」
「む、ムチャクチャ言うな! ま、待て、話せば分か――」
 後退りしてロープに引っかかったレメゲドンが、ちょうどいるみんの前に飛び出てくる形になる。それをキャッチして、頭上高く持ち上げ、
 
「イルミンスールボンバー!!」

 リングへ叩き付ける。レメゲドンはぴくりとも動かない。別の種族に生まれ直そうか迷っている段階らしい。
「勝者、いるみーん!」
「ぬぅぅぅん!!」
 ゴングが鳴らされ、湧き起こる歓声にいるみんが筋肉アピールで答える。類を見ない試みではあったが、とりあえずは成功のようである。リングでは、興味本位で上がってきた子供たちのパンチや押しを、いるみんが軽々と受け止めていた。

「私も触ってもいいでしょうか?」

「な……!!」
 リングに上がってきた少女の姿を見て、アルツールが危うくパイプ椅子からずり落ちそうになる。その少女はアルツールがよく知る『娘』、ミーミル・ワルプルギス(みーみる・わるぷるぎす)だった。イナテミスでは思い切り目立ってしまう六枚羽も、ここではパフォーマンスの一種として受け入れられている。
「む、君が噂の聖少女とやらか。いいだろう、なんなら本気で来るがいい!」
 ミーミルのことをあまりよく知らないいるみんが、うっかり口にしてしまったからさあ大変。
「えっと……じゃあ、行きます。……えい」
 ぺこり、と頭を下げて、ミーミルが見よう見真似のラリアットをいるみんに見舞う。細くしなやかな腕がいるみんを捉えた直後、いるみんの頭が最も先にリングに叩き付けられる。
「ありがとうございました。……えっと、大丈夫ですか?」
 倒れ伏すいるみんに返事はない。ナラカに行こうかどうか迷っている段階らしい。
「これは思わぬ伏兵だね。面白くなってきた」
 何やら楽しげなオーディンマスクの横で、アルツールは開いた口が塞がらないといった様子であった。