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【Tears of Fate】part1: Lost in Memories

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【Tears of Fate】part1: Lost in Memories
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 小部屋。
「いいからいいから」
「――あんたらのキングって誰?」
 トライブが話している。
 来栖も話している。
 二人とも同時に、シータと話しているのだ。少なくとも、本人はそう認識している。
 実は二人ともごく近くにいる。隣同士の椅子で、それぞれ『シータ』と話していた。トライブは来栖を認識せず、来栖もトライブが近くにいるのを知らない。
 そんな二人を眺めながら、クランジΘは自分で淹れた紅茶を口にしていた。
 白いティーカップに、輪切りのレモンを浮かべて。
「好みはストレートなんだけどね、ストレートティーばかり飲むと胆石になるっていうから……まあ、私たちに胆石があればの話だけど……」
 シータは左手でカップを持ちながら、右手で、チェス盤に駒を並べたり動かしたりを繰り返していた。
 シータの能力は強力な催眠術なのだった。チェスの駒を動かす仕草、立てる音、一定のリズムを刻みつつ、唄うような呟きを行うことで目の前の者を妄想の世界に連れ込むのだ。トライブも来栖も、自分だけがシータとの接触に成功したと信じ込んでいる。
 同じことは、シュリュズベリィ著『手記』(ローブくん)にも当てはまっていた。いまなお部屋の隅で、手記は脱出できない小部屋で惑っている。実際は座って、両腕を動かしているだけだというのに。
「また誰か、やってきたようだね」
 カチ、カチ、とチェスの駒を鳴らしながらシータはドアを開けた。

 教導団の軍服を着た、剽悍な顔つきの男だった。
 名は、カルロス・レイジ(かるろす・れいじ)。『Rage(激怒)』とはなかなか物騒なファミリーネームなので偽名の可能性がある。それもそのはず、彼は中米某国で戦犯として裁かれ、三度死刑判決が下り、そのたびに赦免されたという経歴があるのだ。偽名であるならば過去を消すためのものであろう。しかしもし本名であるなら、その半生にふさわしいものであろう。
 カルロスは両開きの扉に手をかけたつもりだったが、その実ドアは小さく、しかも内側から開いた。
「やあ、待っていたよ」
 シータは冷たい笑みを浮かべた。
「……尋常の者ではないな」
「なぜ、そう言い切れる?」
「俺もそうではないからだ」
 軍人は、そう言って部屋に入り込んだ。
 緋の絨毯が敷かれた部屋だった。テーブルとソファ、バーカウンターにスツールもある。カウンターの裏には高級酒の瓶が並んでいた。
 この雰囲気は知っている。カルロスがいた国の将校クラブがまさにこんな空間だった。税金で運営されていることに批判は多かったが、一般国民が失うのは金で済んでいる。だが軍人が亡くすのは命だ。これくらい許してほしいとカルロスは思っていた。
「お前はここの女主人か?」
「そういったところだね」
 シータはカウンターに入った。眼鏡の弦を直して、
「何か作ろうか? 非一般人の軍人さん」
 しばらくの後、二人はテーブル席でチェスに興じていた。
「呑みながらチェスなんてできるのかい?」
「俺は酒呑むと頭良くなるんだぜ」
 ぐいとバーボンを呷ると、カルロスは白を差した。
「かつてはまあ、俺もこいつやビショップくらいの地位だったが」
 ナイトで黒のポーンを盤から取り除いた。
「今じゃこっちだな。すべてを失って新入り。十代の若造の上官すらいらぁ」
「愚痴なら最初にそう言っておいてくれよ。あとは全部聞き流すから」
「愚痴じゃねえさ。キングの話をしている」
 カルロスは太い眉を寄せた。
「キング? ポーンから随分飛んだね」
「キングってなぁこのゲームの心臓部だ。だからキングを守るためには、ポーンは無論、ナイト、ビショップ、ルーク、クイーンですら犠牲にされる」
「ルールの説明ならわざわざしなくても結構だよ」
「まあ聞け。結論から言うと、誰もが自分の人生は自分がキングであるものだ。しかし、社会や世間ではポーンやうまくいってその他の駒扱い……」
「『大義に殉じる』とか言って、自らポーンとなる者もあるよね」
「俺は絶対嫌だね。強いて言やぁ俺の大義は、『自分が自分の王であること』」
「今日、初めて」
 シータのビショップがカルロスのナイトを討った。
「意見があったね」
 カルロスは左腕で、盤上の駒をすべて払いのけた。そして彼は、
「ゲームは俺の負けだ。それはそれでいい!」
 左手で彼女の襟を掴んでいた。ぐいと顔を寄せる。
「お前が何を企んでいるのかは知らない。だが、協力によって何かが始まる気がする」
 ここからはビジネスの話をしよう、とカルロスは言った。
「おそらくあと数十秒、長くて一分で俺の意識は飛ぶだろう。酒に何か入れたかそんなところだと思う。それはいいさ。納得の上で呑んだ」
「鋭いね。実際は酒に薬を盛ったわけじゃないが、近いところさ」
 カルロスと数センチの距離で見つめ合いながら、シータはいささかも動じていなかった。
「これは信頼の証だ。どうすれば信用してくれる? 俺はもう一度這い上がる。そのためなら、お前らと手を組んでも構わない」
「悪魔と取引したいってのかい? けど、クランジはあいにくとそんな非科学的なものじゃないよ」
「だけど、魂はあるんだろう?」
「面白い表現を使うね……」
 それから一分足らず、二人にかわされた会話はここでは伏せる。
 カルロスはどっと前のめりに倒れ、手記の隣に転がされた。