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【一 闇夜に城壁を望む】
南部ヒラニプラ屈指の要衝地、オークスバレー・ジュニア。
左右を峻険な山岳に挟まれ、一方は急激に落ち込む峡谷道へと続き、もう一方は堅牢な前衛要塞を防御壁とする城門前の平原を望む、完璧に近い天然の要害地である。
この攻めるに難く、守るに易しい強固な城塞都市に、ミゲル・スティーブンス准将率いる反乱軍とその援助勢力が最後の砦として、立て籠もっている。
エリュシオン帝国を離反した独立勢力冥泉龍騎士団と、旧パニッシュ・コープス兵から成る傭兵団リジッドが、その主な構成人員ではあったが、それ以外にも鏖殺寺院製の暗殺兵器ヘッドマッシャーや、更にはイレイザードリオーダーなる巨大な魔獣などが、スティーブンス准将と共に、第六師団を迎撃する戦力として、このオークスバレー・ジュニアに結集していた。
* * *
シャンバラ教導団第六師団は総司令官関羽・雲長(かんう・うんちょう)将軍の指揮のもと、オークスバレー・ジュニアの西方に広がるパレイセア平原のほぼ中央に、軍営を敷いた。
一万人という数は、軍制上の師団としては平均的な規模に過ぎないが、ヒラニプラの平均的な都市の住民人口を上回る人数であることからも分かる通り、その威容は見る者に鳥肌のようなものを感じさせる。
勿論、その大半は一般シャンバラ人から編成される、極々普通の軍隊である。
しかし一方では、コントラクターという極めて強力な存在が強烈な突破力と防御力を形成しており、もうそれだけで、この軍勢がただの一個師団ではなく、特別な破壊力を誇る極めて強力な集団であることを如実に物語っていた。
だがそれでも念には念をということで、工兵として第六師団に参加している三船 敬一(みふね・けいいち)少尉、白河 淋(しらかわ・りん)、レギーナ・エアハルト(れぎーな・えあはると)の三人は、オークスバレー・ジュニア前衛要塞部の城壁に対する破壊工作を実施する算段を立て、司令本部からの許可を得ていた。
総攻撃を翌日に控えた深夜、敬一達三人は夜の闇に紛れてオークスバレー・ジュニア前衛要塞部へと接近を試みた。
この前衛要塞部の外部周辺の守りは意外な程に手薄であり、巡回らしい巡回の影も無く、パレイセア平原と峡谷部を遮る山地の裾野沿いに移動していけば、驚く程簡単に前衛要塞部へと接近することが出来た。
「どうやら連中は、オークスバレー・ジュニアの防御力に相当な自信を抱いているようだな」
数百メートル先に前衛要塞部の城壁尖塔が夜の闇の中で屹立している姿を眺めながら、敬一はその口元に不敵な笑みを浮かべた。
「どうですか? 確認、出来ますか?」
傍らで息を潜めている淋が、敬一の視線を追うようにして前衛要塞部の堅牢な城壁をじっと凝視する。
敬一は手元に小さな見取り図を開き、ペンライトでそこに描かれている内容を確認した。
「昨日までに掘った地下掘削路が、丁度あの城壁の足元付近だな……よし、計算通りに位置している。レギーナの爆薬も、あの城壁への発破には良い按配で効果が出そうだ」
満足げに二度三度と頷く敬一だが、しかし当のレギーナは敬一からの言葉にではなく、別の存在に何となく、意識を囚われていた。
三人の陸上からの発破地点確認に、後から随行する形で追いかけてきていたフルングリート・レヒテル(ふるんぐりーと・れひてる)の接近を、一瞬敵方の巡回兵と勘違いし、緊張感をあらわにしていたのである。
「失礼、驚かせるつもりはなかった」
フルングリートは僅かに頭を下げてから、敬一達が凝視するオークスバレー・ジュニアの前衛要塞部に目を向けた。
「それで、実際どうだ? 自分の目で見て、納得出来たか?」
敬一に問われ、フルングリートは幾分複雑そうな面持ちで曖昧に頷いた。
実はこのフルングリートは、司令本部にある作戦を上申していた。
その内容は簡単にいってしまえば、敵方の城門前に攻城用の堤を築くこと、であった。
フルングリートの考えでは、堤の上部が城壁と同じ高さに達し、橋板を渡すなどして第六師団の兵員が城壁上に乗り込める状況となれば、要塞前衛部の城壁は防御構造物としての価値の大半を喪失する、というものであった。
しかし第六師団司令本部はメリットに対してリスクがあまりに高過ぎるとして、フルングリートの策を却下した。
二十メートル近い城壁と同じ高さの堤を築くには、相当な時間を要する上に、城壁上から弾丸を雨あられと降り注がれてしまえば、多数の死傷者が出てしまう。
何よりフルングリート自身、コントラクターとしては戦闘能力は極めて低い部類に入る。頭上から一斉掃射を浴びてしまえば、真っ先に戦闘不能となってしまい、堤建築の指図どころではなくなってしまうのである。
そういった諸条件を勘案すると、矢張りフルングリートの策は司令本部としては受け入れることが到底出来なかった。
逆に敬一達の地下掘削路からの城壁基礎部に対する爆破作戦は、バランガンでの実績から期待出来る効果は極めて大きいとして、司令本部からも多くの兵員と物資を与えられて実行に移せる段階にまで至っていた。
「まぁ、そう気を落とすな。餅は餅屋だ。工兵任務は工兵に任せろってこった」
今や敬一は、第六師団内でも随一といえる程に、工兵任務のプロフェッショナルとして知られるようになっている。
そのプロフェッショナル敬一の前では、フルングリートも黙って頷くしかなかった。
* * *
第六師団本営地の、司令本部内。
関羽将軍専用に張られた大型テント内では、司令本部スタッフとして働いているレジーヌ・ベルナディス(れじーぬ・べるなでぃす)と徐 晃(じょ・こう)が、伝令兵ラック・カーディアル(らっく・かーでぃある)からの報告を受けていた。
「……潜入部隊は無事、敵リジッド兵に紛れて、或いは准将派将兵としてオークスバレー・ジュニア内へと入り込んだ模様。以後は暗号化スクランブルをかけた通信での定時連絡が入るよ……じゃなかった、入ります」
レジーヌが年若い娘であり、何となく親しみ易そうな雰囲気だった為、ついいつもの調子で軽口を叩きそうになったラックは、慌てて言葉を繕い、レジーヌに敬礼を送る。
レジーヌは見た目こそはおっとりした女性だが、しかし実際はこれでも立派な教導団少尉なのである。公の場でラックが軽い調子で接して良い相手ではなかった。
しかし当のレジーヌは然程に気分を害した様子も無く、ただただ温和な笑みを浮かべるばかりであった。
その傍らで、晃は黙々と資料の整理に勤しんでいる。
それらの内容は、今回の作戦とは直接的な関係は無いのだが、戦後の情報管理には絶対に必要となるものばかりであった。
「一般市民の人的被害は、メルアイルを除いては、奇跡的に皆無という状況でござるな」
掻き集めた資料から晃が導き出した結論に、レジーヌは幾分、驚いたような表情を見せた。
「バランガンにエルゼル……二度も激しい市街戦が展開されたというのに、人的被害が全く無いというのは、不謹慎ないい方かも知れませんけど、ちょっと信じられませんね」
レジーヌが驚くのも、無理は無かった。
バランガンはパニッシュ・コープスが早々に降伏した為に戦闘時間は極めて少なかったのだが、エルゼルではほとんど街ひとつが戦場と化し、激しい市街戦が丸一日以上、続いたのである。
エルゼル駐屯部隊が戦闘前に全市民を避難させたのが大きいのだが、それでも死者がほとんど出なかったというのは、晃がいうように、奇跡に近しい結果であるといえた。
本来ならば伝令兵としての役目を果たし、次なる任務へと向かう筈だったラックも、レジーヌと晃の会話には興味をそそられたらしく、ついついその場に居残ってふたりの声に耳を傾けていた。
「それってやっぱり、スティーブンス准将が事前に根回ししてた、ってことかなぁ?」
立場を弁えず、ほとんど弾みのような形で口を挟んだラックだったが、レジーヌは意外にも真剣な面持ちでラックの言葉に頷き返した。
「その可能性は、大いにあると思います。准将がもし、一般市民の生命など顧みない人物だったら、ここまで完璧に近い結果は出ていなかったでしょうね」
そしてもうひとつ、面白い結果が出ている。
今回の騒乱は教導団内の火種が全ての原因ではあったが、一般市民への戦災補償はシャンバラ政府から正式に支給されることが、ほとんど日を置かずして、財政理事会によって承認されていたのである。
コントラクター達が登場し、地球との交流が進み始めて以後は、シャンバラ政府からの国民に対する金銭的支援というものは極めて少なくなっていたのだが、流石に戦災被害を受けたひとびとを放ってはおけなかったらしく、シャンバラ政府は珍しい程に素早く、そして手厚い補償策を次々と打ち出してきていた。
そういった補償策に加えて、南部ヒラニプラと東カナンの西部の街ベルゼンの間では、交易開通の話も浮上してきている。
南部ヒラニプラはスティーブンス准将による反乱での戦災という被害を被りはしたが、しかし実質的には反乱発生以前よりも経済的なプラス面が大いに目立つようになってきていた。
「もしかして准将は、そこまで見込んでいたのかなぁ?」
「さぁ、流石にそれは何ともいえませんけど……」
ラックに応じながら、レジーヌは悩ましげな表情で小首を傾げた。
もし本当に准将が、南部ヒラニプラに戦災補償での経済活性化を狙って今回の反乱を起こしたというのであれば、メルアイルにノーブルレディを投下した真意が分からない。
ヒラニプラ第五の都市メルアイルは、厳密にいえば南部ヒラニプラには属しておらず、どちらかといえば領都ヒラニプラに近い経済圏に入る。
だからメルアイルへのノーブルレディ投下はある意味、筋が通っているといえなくもないのだが、それでもレジーヌとしては今ひとつ、しっくりこないものがあった。
「シャンバラ政府とは別に、ヒラニプラ家からも少なくない戦災補償が出るとのこと……南部ヒラニプラは今回の反乱を経済復興の足掛かりにして、思わぬ成長を見せるかも知れぬでござるな」
半ば願望に近い晃の呟きではあったが、しかしレジーヌは、案外そういうこともあり得るかも知れないと、ぼんやりした意識の中で考えていた。
* * *
一方、オークスバレー・ジュニア側では思わぬ来客の登場に、スティーブンス准将以下、主立った顔ぶれが勢揃いして出迎えるという騒ぎになっていた。
訪問していたのは恐竜騎士団の副団長を務めるジャジラッド・ボゴル(じゃじらっど・ぼごる)、そして同じく恐竜騎士団から国頭 武尊(くにがみ・たける)、最後にマルセラン・ジェルキエール男爵と個人的に顔見知りとなった富永 佐那(とみなが・さな)の三名であった。
ジャジラッドは教導団に対しては、冥泉龍騎士団への最後の説得を試みるという名目で要塞入りの事情を説明しているが、実際は違った。
「各々方、ここを最後の死に場所と思い定めているものと推測するが、その真意は如何」
応接室に通されるや、開口一番、ジャジラッドはラヴァンセン伯爵とマルセランにそう、問いかけてみた。
これに対し、ラヴァンセン伯爵はほとんど表情を変えずに、ただじっと、ジャジラッドの面を見つめるのみであったが、マルセランは違った。
「エリュシオンを離反した時点から、我らはいつ、どこで死んでも構わぬよう覚悟を決めておりますよ」
僅かに口角を吊り上げながら、マルセランは小さく頷いた。
決して自暴自棄になっている訳ではなく、死に場所を見つけられることへの期待が大いに込められているような口ぶりであった。
そんなマルセランの返答を受けてジャジラッドは、矢張り、と内心で溜め息を漏らした。
「そういうことであれば、ひとつ提案があるのだが」
ジャジラッドが切り出したのは、冥泉龍騎士団の各龍騎士達がエリュシオンに残してきたであろう、家族への処遇についてであった。
彼らの家族に累が及ぶ可能性があれば、思い切った戦いが出来ないのではないかと憂慮しているのである。
これはいうなれば、ジャジラッドなりの善意であった。
「もし可能であるならば、アトラス直轄自治領やバージェス地方への移住も検討してみはどうか」
ジャジラッドの提案を受けて、ラヴァンセン伯爵はこの時初めて口を開いた。
「……冥泉に馳せ参じた龍騎士は全て、己が所属する家系から破門、もしくは勘当される形を取ってエリュシオンを離反している。しかしジャジラッド卿の懸念も、尤もな話ではある。現在、南カナンに潜伏させてある残りの冥泉龍騎士団員達にも、卿の提案を伝えよう。恐らくは、バージェス地方への移住が最も現実的であろうと思われるが」
ちなみにラヴァンセン伯爵もマルセランも、家族は居ない。
この両名に限っていえば、ジャジラッドが心配している後顧の憂いは無いのだが、それでも残りの冥泉龍騎士団員の家族に対する処遇が決まったというのは、彼らにとっては懸念を払拭する良い材料となった。
「ご厚意に感謝する。と同時に、ひとつ私の方からもお願いしたいことがある」
曰く、冥泉龍騎士団そのものに関しては、エリュシオン帝国に対して一切、何のアクションも取らないで欲しい、とラヴァンセン伯爵は静かに語った。
「冥泉は完全に帝国を離反し、法的にも全く無関係の存在だ。その我らに対し、帝国が何らかの行動を起こしてしまえば、それは即ち冥泉が帝国と今尚、何らかの関係を持ち続けていることに他ならぬ。我らはいわば、独立した武装集団であり、如何なる国家とも法的な関わりを持たぬと宣言している」
極端な話、冥泉龍騎士団は単なる野盗集団と同じ扱いになるのだという。
即ち、冥泉龍騎士団は如何なる国からも法的な庇護をうけることが出来ない。つまり、パラミタ住民としての基本的な法的権利を一切放棄しているのである。
逆をいえば、権利を放棄しているが故に、如何なる責任や法的束縛も受けない自由の徒でもある。
エリュシオン帝国は冥泉龍騎士団を庇護しないのだから、その責任を受ける理由も無い。冥泉龍騎士団がシャンバラの内戦に首を突っ込んだからといって、シャンバラ政府はエリュシオン帝国に対してクレームをつけることが出来ないのだ。
「エリュシオン帝国の戸籍上では、冥泉の全龍騎士は死亡扱いとなっておる。いわば、冥泉は帝国とは完全に縁を切った訳だ。帝国は今後一切、我らの行動に対して関知せずの対応を取るであろうし、実際、そのように動いてくれることを期待している。その代わり、我らがどのような窮地に陥っても、帝国は如何なる救いの手も差し伸べぬ。完全に、赤の他人同士という訳だ」
成る程、とジャジラッドは頷いた。
そこまでの覚悟を決めて、冥泉龍騎士団はエリュシオン帝国を離反した訳だ。
であれば、冥泉龍騎士団の処遇について帝国に働きかけるのは寧ろ、彼らの決意に泥を塗る行為にもなりかねない。
その時、それまで黙って話を聞いていた佐那が、頃合いよしと見て口を挟んできた。
視線の先は、マルセランに据えられている。
「男爵に、お聞きしたいことがあります」
「ほう、それは何かな?」
マルセランは佐那からの問いかけに、面白そうなものを見るような表情で応じた。
「男爵は、御鏡中佐や故ヴラデル氏が主張として掲げる『民にとっては正義よりも生活』というスローガンを信じて、馳せ参じた訳ではありませんよね? 私は、軍人が本格的に政治介入して牛耳る様になったら、それは亡国への道だと思うのです。それでは、この龍騎士団は先日覗ったように、東カナンの一部を切り取って占有したとして、そこから先は、如何するおつもりなのでしょうか? この騎士団の精強さに疑問なんてありませんが、シャンバラへの闘争を続けるつもりですか?」
ここまでは、全て疑問である。
だがこの次に佐那が放った台詞は、明確な意図を宿していた。
「もし、お続けになるのだとしたら……私は、男爵のことをよく知りません。ですが、良い機会だと思います……此処で身体を張って、男爵を止めてみせます! つまり、決闘です!」
佐那はいきなり立ち上がり、マルセランに対してファイティングポーズを取って構えた。
一方のマルセランは、最初のうちは驚いた顔で佐那の真剣な面持ちを眺めていたが、それからすぐにその表情は苦笑へと変じた。
「貴殿は何かといえば、すぐ決闘をしたがるな。しかし私には、そのつもりはない」
「たとえ男爵にその気がなくても、私は全力で男爵を止めて……」
そこまで佐那がいいかけると、立ち上がったのはマルセランではなく、ラヴァンセン伯爵であった。
いや、ラヴァンセン伯爵だけではなく、室内で待機していた従騎士達も一斉に得物を取って、佐那を包囲する陣形を取った。
「勝手な真似をされては困る。マルセランは我らの重要な戦力だ」
佐那は思わず、息を呑んだ。
迎撃の意図を見せているのはラヴァンセン伯爵のみならず、同席しているスティーブンス准将や、更にはジャジラッドも佐那に対して僅かに身構えていた。
「戦いに臨む男の決意を汚すつもりであれば、容赦はせんぞ」
ジャジラッドとしても、佐那の理論は容認出来なかった。
しばらく、応接室内に剣呑な空気が流れた。
佐那はマルセランひとりならば、という思いはあったが、これだけの人数を相手に廻しては、どうにもならなかった。
と、その時、不意に武尊が左手をさっと挙げて、場の空気に敢えて水を差すように、幾分笑みを含んだ声を放った。
「はいはい、もうそれぐらいにしておきなよ、お嬢さん。こちらの方々は戦略で動いてるんだ。お嬢さんの個人の意思なんかが介入出来る余地は無いよ。ところで伯爵閣下、オレの方の許可は貰えるんでしょうか?」
「記録撮影の件か。それについては、特に断る理由も無いから許可しよう」
応じたのは、スティーブンス准将であった。
「ありがとうございます。んじゃ早速、特等席の確保ってことで」
武尊は自らの要求が通ったことを確認するや、さっさと応接室を出ていってしまった。武尊が向かったのは前衛要塞部の城壁、それも最も見晴らしの良い主塔であった。
随分とドライな態度に、同じ恐竜騎士団のジャジラッドは苦笑を禁じ得ない様子だった。
「相変わらずだな、彼は」
「まぁ、ああいう性格でな。ご容赦願いたい」
マルセランの呆れたようなひと言に対しては、ジャジラッドも返す言葉が無かった。
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