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THE Boiled Void Heart

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THE Boiled Void Heart

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5.フェイク


 砕け散る鏡。
 鏡の壁の向こうには、元々の素肌の色がわからないほどに、多くの傷跡をその身に刻んだ青年が立っている。
 片方だけ開かれた青年の目は、煙の向こうを見透かそうとするかのように細められている。
「あってはならないお話しです……子供達を救うはずのその刃が、逆に子供達を殺めてしまうだなんて」
 黒蠅は、舞台の上に立つ役者のように両手を掲げる。
「けだし、刃とは殺めるための道具なのだから」
 黒蠅は、傷だらけの青年のそばに歩み寄り、その耳元に何かをささやく。
 青年の身体の上に、複雑な文様が浮かぶ。青年の身体に刻み込まれた無数の傷跡が開き、そこから黒い文様が吹き出す。文様が青年を包み込み、やがて青年の体内に染みこんでいく。
「このっ、治れ……治れよ……」
 泉 椿(いずみ・つばき)は、次第に体温を失っていくオークの子供達に必死にヒールをかけ続ける。しかし、ジョシュアによって背後から銃撃されたオークの子供達の命の火はすでに燃え尽きようとしている。
 オークの子供達からあふれ出る血は、最初は熱く、次第に暖かく、そして今は冷たくなっている。
 椿は自分の手からこぼれ落ちていく命を、せめて最後まで抱いてやることしかできない。
「何で……何でだよ」
 理解が出来ない。椿は急に重みの増したオークの子供の身体を抱きしめてジョシュアを睨みつけることしかできない。
「ははは」 
 場違いな明るい笑い声が響く。ジョシュアは泉を指さして、心底から可笑しくてたまらないというように腹を抱えて笑っている。
「何が可笑しい!」
 弐識 太郎(にしき・たろう)が拳を振り上げてジョシュアに躍りかかろうとする。
 まだ生きているオークの子供達も、全員が無力化されている。遮る障害はただ一つ。ドージェ・カイラスの偽物に作り替えられた青年。
「可笑しければ笑うだろうさ」
 不意に笑みを消したジョシュアは呟く。
「さあ、ドージェ。子供達を切り刻んだ奴らを倒してくれ」
 弐識の前に、傷だらけの青年が立ちはだかる。彼の左目には、何の感情もこもっていない。
「ッフ!!」
 コンパクトなモーション。牽制の突きを多用しつつ、蹴りを織り込んだコンビネーション。弐識の攻撃を、偽ドージェは受け流し、いなしていく。
 人間離れして発達した筋肉から受けるイメージとはかけ離れた繊細な技術。
 対する弐識の攻撃は、怒りのせいかどこか力みが入っている。今まで弐識の拳を受け流していた偽ドージェが、不意にその右拳を掴む。
「っぐ……!」
 関節が伸びきる。肘関節が、肩関節が外される異様な感触。
 しかし弐識はひるまない。敵がこちらの腕を掴んでいるということは、相手の動きも大きく制限されると言うことでもある。
 狙うべきはどこか。内臓は、分厚い筋肉に遮られる。
「っせぃ!!!!!!」
 自分の右腕ごと偽ドージェの腕を巻き込む。巨大な竜巻の中心に自分が居るイメージ。偽ドージェの巨大が宙を舞う。
 弐識は、自分の右腕の筋が断裂する音と、偽ドージェの巨体が遺跡の床に激突する轟音を聞きながら、意識を失った。
「……」
 偽ドージェはゆっくりと立ち上がる。首の骨を鳴らしながら自分の前に立ちはだかるエヴァルト・マルトリッツ(えう゛ぁると・まるとりっつ)を見つめる。
「俺はアンタには興味ない。通してもらおうか」
 エヴァルトの視線の先には、ジョシュアが淡い笑みを浮かべて立っている。
「――あいつをやっつければ、偽ドージェさんは止まるかな?」
 遺跡の外までオークの子供達を避難させていた彩祢ひびきがロートラウト・エッカート(ろーとらうと・えっかーと)の隣に立つ。
 先日のキス泥棒の際に、ひびきと関わりのあったロートラウトは思わず赤くなる。しかし、そんな場合ではないと気を取り直す。
「それでは、私が偽ドージェを引き受けましょう」
 コルデリア・フェスカ(こるでりあ・ふぇすか)が光条兵器を構える。純白のファルシオンが鈍い光を放つ。彼女の光条兵器は、堅牢さに重きを置いている。本体部分でそのまま殴りつけても壊れることはない。
「……どこまで手加減できるかわからないけど」
「ボクが攻撃を受けるよ!」
 赤くなった顔を自分で叩いて、ロートラウトは偽ドージェに向かう。
「いくぞ!」
 エヴァルトが叫ぶ。コルデリアは舞うような動きで偽ドージェに斬りかかっていく。
 岩をも砕く偽ドージェの拳がロートラウトを襲う。一撃ごとに彼女の装甲がひしゃげ、砕けていく。
 エヴァルトが偽ドージェの横を駆け抜けようとする。
 ひびきはいつもは背負っている刀を腰に構える。
「俺もたまには――」
 影野 陽太は片膝を立ててスナイパーライフルを構える。狙うは偽ドージェの左肩。
 陽太は灰の中のすべての空気を吐き出し、ゆっくりと息を吸う。ある一点で吸気を止め、慎重にタイミングを計る。
 陽太が引き金を引くほんの人刹那前。偽ドージェが自分の横をすり抜けようとするエヴァルトに向かって拳を振り下ろす。その拳はエヴァルトの身体を掠め、遺跡の床を大きく陥没させる。
「しまった――」
 陽太はスナイパーライフルのスコープから顔を離す。陽太の放った弾丸は、偽ドージェをそれ、その背後に立つジョシュアの腕を貫通していた。ジョシュアの白衣が赤く染まっていく。
「黒蠅くん、きみは丘へ」
 ジョシュアはまるで痛みなど感じていないかのように平静な声で助手に命じる。黒蠅は小さく頷くと、振り返りもせずに部屋を出て行った。
「まて!」
 偽ドージェの攻撃をかいくぐり、ジョシュアの前に立ちはだかったエヴァルトが黒蠅に手を伸ばす。しかし、その手をジョシュアが掴む。
「――きみの血の臭い、人間じゃないみたいだ」
 ひびきがエヴァルトの手を掴んだジョシュアの腕を切り落とす。

 鬼崎 朔(きざき・さく)は、偽ドージェの前に立つ。
 偽ドージェと戦っていたロートラウトの装甲は、すでに一つとして原形をとどめているものがない。コルデリアも疲労の色を隠せない。相手を殺めるつもりで戦えばもう少し戦いやすいのだろうが。
 彼らのやっていることは戦車を破壊せずほどほどに壊して機能停止させるのと同じくらい難しいことだ。
「……なぜお前がここにいるかはわからない。だが、これ以上過ちを重ねる前にお前を『遮断』する」
 朔は、光条兵器を構える。地の底からわき上がってきたかのような闇の力が彼女の光条兵器にまとわりつく。
「お前の妄念はここで終わりだ」
 朔に向かって、偽ドージェの拳が振り下ろされる。
 朔は、かすかな笑みさえ浮かべてそれをかわす。以前の自分であれば、かわそうとせず、拳に刃を突き立てようとしただろう。
 今の朔には、生きて帰りたいと思う理由がある。故に彼女は、憎しみだけで鍛えられた頑なな強さに、しなやかさが生まれた。
 朔の光条兵器が偽ドージェの胸を捉えた。