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 第二章 基本部門

「……うわっ、みんな速いねー。あっという間に見えなくなっちゃった」
「そうじゃのう。さて、あまりに遅れても悪いじゃろうし、わしらも行くか。イリア」
 ルファンは空飛ぶ箒に跨り、手招きをする。
 イリアはそれを見るやいな、表情を輝かせながら敬礼をした。
「はいっ、ダーリンッ!」
 イリアは、ルファンの後ろに腰をかける。
 そして、ルファンの胸に手を回し抱きついた。しっかりと、愛しい人から離れないように。
「むぐっ、ちょっと痛いぞ、イリア。出来れば力を緩めてくれると嬉しいんじゃが……」
「ふっふっふっー、絶対ヤダようーだ」
 イリアの満面の笑みを見て、ルファンは観念したのか苦笑いを浮かべた。

『おーっと、基本部門の選手がスタートしたようだーっ!』
 進行をしているときとはうって変わり、エヴァルトの実況はハイテンションだった。
「基本部門が始まっちまったー……」
 会場をうろうろ歩くアキラ・セイルーン(あきら・せいるーん)は、緊張のあまりそわそわしている。
 パートナーのその姿を見かねたルシェイメア・フローズン(るしぇいめあ・ふろーずん)は、たしなめるために薄く整った唇を開いた。
「……アキラ、ちったぁ落ち着いて基本部門でも見て攻略や対策法を考えたらどうじゃ」
 ルシェイメアが指差したのは、会場に設置された大型液晶。
 巨大な画面には、イルミンスールの森を翔る選手たちがアップで映っている。
「そうネ、アキラは腹を決めて、研究を始めたほうがいいヨ」
 続けてそう言ったのはアキラの肩に乗る愛くるしい人形、アリス・ドロワーズ(ありす・どろわーず)
「んー、そうだよなー。でもなー……」
 二人の叱責を聞いても、アキラはまだ落ち着かない。
 隣を歩く背中にうっすらと羽が浮かび上がった少女、ヨン・ナイフィード(よん・ないふぃーど)は心配そうな顔でアキラの顔を覗きこんだ。
「アキラさん、大丈夫ですか? なにか飲んだほうが落ち着くというのなら、飲み物を買ってきますけど」
「……うん、サンキュ。じゃあ、何か頼むわ」
「はい、分かりました」
 ヨンは大きく頷いて、出店の並ぶ通りへ向けてとことこと駆けていった。

 ヨンが横切った広場のベンチには、大型液晶を眺める優しそうな青年、無限 大吾(むげん・だいご)がいた。
「千結の奴、大丈夫かな……。まあ、空飛ぶ箒を乗り回してるアイツの実力は本物だから、大丈夫だろ。うん」
 大吾はひとりで納得すると、そそくさと出店で買った焼き芋を紙袋から取り出した。
 食べ歩きが趣味の大吾にとって、千結のことも気になるが、出店に並ぶ美味しそうな食べ物も気になるところ。
 包装を取り外すと、山吹色の中身から温かな湯気が昇り、ほのかに甘い香りが漂った。
「おお、これは美味そうだ」
 大吾は食欲の赴くまま、焼き芋を一口齧りもぐもぐと咀嚼する。
「ん、美味い」
 口のなかのものを嚥下すると、大吾はもう一度焼き芋をほお張った。
「あの……隣に座っても、よろしいですか?」
「ふあ? ほうそ、ほうそ」
 不意に、頭上から女性の声がした。大吾は顔を上げ、声の主を見る。
 そこにいたのは、屋台で買い込んだ大量の食糧を両手で抱えているシィシャ・グリムへイル(しぃしゃ・ぐりむへいる)がいた。
「それでは、失礼します」
 シィシャは大吾の隣に座り込むと、買い込んだ食糧のひとつであるたこ焼きの入ったパックを開け、ひとつ口に放り込んだ。
 大吾はそんな様子のシィシャを見て、どこか親近感を覚えつつ、また大型液晶を見上げた。
「ん? なんだ、いつの間にか見せ場に入ってるな」
 ぽつりと感想を洩らす大吾につられて、シィシャも大型液晶を眺める。
「随分と大きなてれびじょんですね。倒れてこないのでしょうか」
 どうやら、パートナーであるグラルダより大型液晶の立て付けが気になってる様子だ。
「いや、さすがに大丈夫だよ」
 大吾は苦笑いを浮かべたまま、シィシャの不安を拭い去る。
 雑談を交わす二人の食いしん坊のベンチには、とても食べ切れそうにないほどの食べ物で溢れていた。

 大型液晶で中継されている基本部門のレースは佳境に入っていた。
 イルミンスールの森で飛び回る魔法の玉に、大半の選手が迫ってきている。
 その先頭を行くのはグラルダだ。
「空気抵抗が少ない身体も、なかなか悪くないでしょ」
 ニィッと笑みを浮かべながら、目を細めるグラルダ。凹凸の少ない身体を自虐するではなく、寧ろ誇っている。
「まだまだ、これからですわ……ッ!」
 グラルダの後方にエリシアも続く。
 身体をぎりぎりまで低姿勢にし、極限まで空気抵抗を少なくしている。
「うおおおおぉぉぉぉっ!」
 無駄に暑苦しい咆哮をするのは、エリシアの後ろに続くアッシュだ。
 その三人の後塵を拝する選手たちも、負けじと空飛ぶ箒のスピードを上げる。
 ――が。
「きゃあ!?」
「うぉあー!?」
 唐突なエリシアとアッシュの悲鳴に、その場にいた全員の動きが鈍る。
 それは前を行くグラルダも同じだった。
「な、なによ!?」
 グラルダは振り返るが、二人の姿は無くなっていた。
 見えたのは、あわてて四方八方に霧散する他の選手たち。
「……どうしたっていうのよ?」
 後ろを振り向いたまま首を傾げるグラルダ。
 だが、すぐ近くに、魔の手は迫りつつあった。

「!?」
 その時、シィシャの背中に電流走った。
 それは眉が僅かに動いた程度のささいな変化だが、大吾は見逃さなかった。
「どうかした?」
「……たこ焼きに、たこが二つ入っていました」
 無表情で淡々と語るが、どうでもいい感想だった。
「……そう、良かったね」
 大吾は優しげな微笑みを返し、また大型液晶に目を移した。

 イルミンスールの森のはるか上空。
 空飛ぶ箒に跨りながら選手たちを見下ろしていた佐野 和輝(さの・かずき)は、通信機越しにスタッフに指示を出していた。
「こちら上空管制。森の奥地にて、リタイヤする者が発生。急いでください」
 和輝はそこで言葉を止めると、もう一度場所を確認した。
 そこでは、悪戯好きの植物系魔物が蔦を伸ばして選手たちを捕まえ、混乱を招く紫色の煙を吐く大花が暴れている。
「みなさんもお気をつけて」
 最後に一言付け加え通信機を切ると、和輝は深く深呼吸をした。
 上空の冷たい空気が、和輝の肺を満たしていく。
「和輝、どうする?」
 和輝が落ち着くのを見計らって、同じ箒に跨るアニス・パラス(あにす・ぱらす)が声をかけた。
「そうだね、俺たちも向かおうか」
「りょーかい! しっかり掴まってってね」
 アニスは箒の柄を両手で握り、姿勢を直す。
 和輝は振り落とされないために、アニスの小柄な身体にしっかりと抱きついた。
「それじゃあ、いっくぞーっ!」
 アニスの元気一杯の声と共に、二人は森の奥地を目掛けて急降下していった。

 ぞくぞくと到着し、脱落者を回収するスタッフたち。
 遅れて、アゾートとエリセルが到着した。
「アゾートさん、もっと気をつけて行かないと! もし、アゾートさんに何かあったら私、私っ!」
「う、うん。ボクは大丈夫だから、エリセル。今は早く向かわないと……」
 過剰なまでのエリセルの心配に、 心配してくれるのは嬉しいが、アゾートはたじたじの様子。
「何を言ってるんですか! この先には植物系の魔物がわんさかいるというのに!」
「う、うん。分かってるよ。でもね、今は脱落者を優先しないと……」
「――ぅぉぁぁぁぁぁっ!」
 エリセルを必死になだめるアゾートの頭上で、なにかの叫びが聞こえた。
 それは、聞き覚えのある声だった。
「あ!? アゾートさん、危ないっ!」
「……へ?」
 タックル気味にアゾートにぶつかるエリセル。
 刹那、アゾートいた地点をアッシュが横切り、そのまま地面に勢い良く墜落した。
「うおあーっ!?」
「あ、アッシューっ!」
 断末魔を残しアッシュは地面に倒れこんだ。
 ぴくりとも動かないところを見ると、どうやら気絶しているらしい。
「大丈夫ですか!? アゾートさん!」
「あ、ありがとう。ボクは大丈夫だけどアッシュが……」
「なら良かったです!」
 満面の笑みを浮かべるエリセルは、アッシュのことなど眼中にないらしい。
「アッシュ、ごめんよ……」
 本人に聞こえてないだろう謝罪の言葉を洩らし、アゾートはアッシュのもとへ駆けていった。

 植物系の魔物が生息する奥地のすぐ近く。
「おりゃあぁっ!」
 ヴァイスはロープを巧みに操り、地面に追突する前に脱落者を確保していた。
「火村、頼むっ!」
「分かりました」
 ヴァイスの呼びかけに応じて、近づいて来たのは火村 加夜(ひむら・かや)
 ぐったりとした脱落者を受け取り、地面に降り、毛布を敷きその上に寝かせる。
「大丈夫ですか? 今、治しますからね」
 脱落者の肩を数回叩き、意識を確認。どうやら意識はあるらしい。
 続いて、手際よく外傷の確認。傷の深さに応じて、魔法を使い分けているようだ。
「ヒーリング」
 加夜の静かな呟きと共に、脱落者の身体を光が包む。
 光が晴れたころには、脱落者の身体にあった幾多の生傷は消えていた。
「す、すまない」
「いえ、大丈夫ですよ。無理をせず、しばらく横になっていて下さい。ここは安全ですので」
 加夜はにっこりと笑い、脱落者を落ち着けた。
 そして、すぐに箒に跨りまた空を飛ぶ。
「――そなた」
「どうしたんですか? ルファンさん」
 そんな加夜の側に、他の場所で救護をしていたルファンとイリアがやって来た。
「えっとね、こっちの脱落者は粗方回収し終えたの。他のところも大方終わったらしいから、アゾートがそろそろ撤退しようって」
 イリアの説明を聞いて、加夜はヴァイスを見た。
 ヴァイスも聞いていたらしく、右手で○を作り了承の意を示す。
「そうですか、分かりました。ありがとうございます」
「ん、ではの」
 そう言って、元の場所へと戻る二人を見送ってから加夜は空を見上げた。
「基本部門のほとんどが墜落したって聞いたんですが、まだ残っている人はいるのでしょうか?」
 加夜がそう思うのも無理はない。加夜とヴァイスが任されたこの場所には、十人ほどの脱落者がいる。
 他のところでも同じ数の脱落者がいるというのに、残っている人はいるのだろうか。
「恐らく、あの時にあの場所に居た選手たちは全員が墜落したのでしょうね」
 加夜があの場所、すなわち植物型の魔物と煙を吐く大花が生息する奥地を見た。
 誰も残っていないだろうと、思いながら。
 ――しかし、そこには。
「嘘、すごい……!」
 その光景を見た加夜は、思わず感嘆の息を洩らした。