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第四章 君に捧ぐオラトリオ
「…その子、えっと…ソララさんだったかしら? 自分でしっかりと道を決めてその職を選んだのなら、その道を怖がらずに行くべきだわ」
 それを、大きな舞台を目の前にして逃げるなんて……五寧 祝詞(ごねい・のりと)はキュッと形の良い唇を引き結んだ。
「それを、大きな舞台を目の前にして逃げるなんて……自分で作った居場所を自分から捨てるなんて。そんなの、絶対駄目。今は良くてもきっと後で後悔するわ」
「祝詞、探しに行くのか?」
 百目鬼 腕(どうめき・かいな)のそれは一応は問い掛けの形を取っている、確認だった。
 腕には分かっていたから。
 おそらく祝詞は見過ごせないだろう、と。
(「祝詞は自分の意思で選べずに、捨てられたから」)
 銀の髪を撫でてやると、固かった表情がふっと和らいだ。
「居場所を捨てたら、その後二度と戻れない事だってあるからな」
「……ええ。だからなんとしても、探し出してステージに立って貰わないと」
「この人ごみだもの、連絡を取り合いましょ」
「地道に行くしかないでしょうからね」
 同意し提案したのはセレンフィリティ・シャーレット(せれんふぃりてぃ・しゃーれっと)セレアナ・ミアキス(せれあな・みあきす)だった。
 既に詩穂や美羽達、樹月 刀真(きづき・とうま)とそのパートナー漆髪 月夜(うるしがみ・つくよ)封印の巫女 白花(ふういんのみこ・びゃっか)とも話はつけてある。
「そうね。でも財布を持ってないとすれば、公共機関を利用してる可能性は低いわね。徒歩で行ける範囲を特定しましょう」
「とにかく目撃情報や何か手掛かりを見つけないとな」
 祝詞と腕も首肯すると、人混みを避けるようにして、情報探しに散るのであった。
「なぁおっちゃん、この写真の子、見なかったか?」
「……あぁ! その子なら少し前に見たよ」
「本当ですか!?」
 地道な聞き込みの中、最初に手掛かりを掴んだのは大久保 泰輔(おおくぼ・たいすけ)フランツ・シューベルト(ふらんつ・しゅーべると)だった。
「よっしゃ! 皆に声掛けて、ここからはローラー作戦やで」
「え? ここ、通ったのね?! 刀真、ソララあっちの方に行ったって!」
「向こうでも目撃情報があったぞ」
 それを基点として、月夜が淳二が周囲から情報を拾い上げて。
 皆で糸を辿っていく。
「ミリアさん、私達ソララさんに確実に近づいてます!」
「良かったわねエンジュさん、もうすぐ会えるよ」
 瑠璃の嬉しそうな声に、ミリアも柔らかく笑んだ。
「……はい」
 ソララに近づいている確信が増す度、緊張を強めるエンジュに気付いていて、敢えて自然に接している。
「結構ウロウロしてるわね」
 順調に見えていた追跡劇の雲行きが怪しくなったのは、祝詞のもらした一言だった。
 足跡が分かる度に印を付けている祝詞、手元を覗き込んだ理沙は小首を傾げた。
「迷ってるのかしら?」
「人も多いしね。ただ……段々と会場から離れた方へ向ってるのが気になるの」
「本当に、何かに巻き込まれてないといいんだけど……」
 詩穂の心配は、皆のものでもあった。

「是非ともSoLaLaさんに会いたいでふ〜」
 CMで歌声を聴いて以来、SoLaLaのファンになってしまったリイム・クローバー(りいむ・くろーばー)にせがまれ音楽祭に来た十文字 宵一(じゅうもんじ・よいいち)もまた、ソララ捜索に協力していた。
「人が大勢いた所では使えなかったが、この辺りならいいか……行け!」
 宵一の命令を受けたシャンバラ国軍軍用犬は、借り受けていたソララのタオルから顔を上げるとタッと駆けだした。
「っ!?」
 後を追う宵一達がようやく見つけた探し人は、一人ではなかった。
 何やら若い男二人に詰め寄られている目的の歌姫を見たそれぞれの反応は早かった。
「嫌がってる女の子に無体を強いている時点で、アウトね」
 冷やかな眼差しと共にセレアナから放たれた【雷術】が、ソララの手首を掴んでいた男を昏倒させ。
「無事で良かった」
 淳二が抱き上げるようにソララを退避させ。
 ギョッとして咄嗟に逃げようとしたもう一人の男に向け。

 にっこり

 凶悪なまでに爽やかな笑顔を浮かべたまま、セレンフィリティは見事な回し蹴りを決めた。
 いつものメタリックブルーのトライアングルビキニからスラリと伸びた足、一蹴りの元に沈められた被害者もといナンパくん仮称は、きっとそれを堪能する暇はなかっただろうけれど。
「ソララを連れて逃げる、だけでも良かった気ぃするけどな」
 小さくもれた泰輔の苦笑は、
「悪は滅びたわ」
 羽織ったロングコートの裾をカッコ良く閃かせたセレンフィリティに、消されたのだった。



「これはいけないね」
 精神的負荷だろうか、混乱し茫然自失状態のソララを見て取ったフランツは、直ぐに対処した。
 即ち、『歌った』のである。

さあ歌おう
 歌を歌おう
 正しいか?
 間違ってるか?
 そんなことなんか気にせずに!
 街の中でだって
 夜の夜中にだって
 君に伝えたい事がある、だから
 だから、さあ歌おう、君の歌。

 一気に歌い上げると、ソララの様子がビックリする程変化していて、ホッと胸を撫で下ろす。
 焦点を結んでいなかった瞳はキラキラと輝き、うっとりと嬉しそうな色を浮かべていて。
「あぁこの子は本当に歌が好きなんだな」
 と思えて、フランツは自然優しい眼差しで駆け出し歌姫を見つめた。
 そしてそんな彼女が怖がり逃げ出した事を、もったいないなぁと思う。
「折角、多くの人を魅了する歌声を持っているのに、なんでだって、恐くなっちゃったかな。あがる、ってやつかな? 人の目を気にし過ぎたりして、失敗したらどうしようとか…思っちゃったかな?」
 それはフランツには馴染みのない感覚で、想像する事しかできないけれど。
 だから代わりに、聞いた。
「落ち着いた? 話、出来るかな?」
 ソララは頷き、口を開いた。
 語られるのは、そもそもの発端だ。
「人が多くて……あまりたくさんの人、見た事がなくて。あの広い会場が人でいっぱいになるかと思ったら……怖くて、それで」
「自分が思ってもみなかった立派なステージ、そこに集まった沢山の人達の前に一人で立つ……そんな想像をして、そこから感じる期待に自分が応えられるだろうか?、と言う不安を抱いて、それが恐怖に変わって…大きな音がして思わず逃げ出した。それは仕方ないよ」
 月夜に正確に言い当てられたソララは、力なく頷いた。
「でもソララが歌が好きなら、逃げたままで終わるのは絶対駄目だと思う…だからステージに戻ろう? そして皆にソララの歌を届けようよ」
「でも……」
「ソララと言ったか。酷い言い方をするなら、俺はどちらでも構わない。君が選んだ事だ、他人の俺が口出しすべきじゃない」
 腕の言葉に、ソララが目を見張った。
 聞きようによっては突き放したセリフで。
「だが、もし衝動的にやった事だとしたら。きっと後悔するだろう……それだけの覚悟があるなら、俺は何も言わない」
 しかし続けられたのはやはりソララを案じる、ソララの意思を尊重するもので。
「私は駄目だと思う。自分で作った居場所を自分から捨てるなんてそんなの、絶対駄目」
 腕の服の裾をキュッと握りしめた祝詞もまた言葉を紡ぐ。
 不思議な事に、それに目を見開いたのはエンジュだった。
「逃げたいなら、逃げてもいいさ。だが、あんたにはファンがいるだろう?」
 ソララの目を真っ直ぐ見つめ、説得したのは宵一だった。
「ファンはあんたを待っている。このリイムもその1人だ」
「大丈夫でふ。ソララさんなら必ず舞台で大成功できまふよ」
 僕はソララさんの歌が大好きなんでふ、と嬉しそうなリイム。
「逃げ出したら、きっと多くの人が悲しむと思いまふ……。自分のためでなく、誰かのために歌っていると思えば、きっと歌えまふよ」
 だから歌って欲しい、大好きだから。
 リイムはその澄んだ緑の瞳で一途にソララを見つめ。
「勇気なんて、要は気合いさ」
 それは実に宵一らしい、リイムらしい応援だった。

「怖くて逃げ出した子を無理矢理連れ帰るというのは、やはりかわいそうだと思いますが、奈夏さんの事もありますし」
「……奈夏?」
「今、代役というかステージに立っている子なのですが……」
 息を飲んだソララに、ベアトリーチェは言い方が悪かったかしらとちょっと慌てた。
「……奈夏の歌は……壊滅的……戻ってもらわないと……困ります」
 そこにフォローにならないフォローを入れたのは、ソララをジッと注視していたエンジュだった。
「ソララは、どう?」
「奈夏とは……違います……全然……違います」
「そうだよ、奈夏と同じ人なんていないから」
 落胆の響きに、美羽はしゅんと項垂れたエンジュの頭をポンポンと叩いた。
「エンジュさん、確かに私にはパートナーがたくさんいるけど……でも、お姉ちゃん
はお姉ちゃんだし瑠璃ちゃんは瑠璃ちゃんだしティナはティナ。誰がいなくなっても悲しいし嫌だよ。誰も、誰かの代わりになんかなれないんだよ?」
 そして翠が、項垂れた顔を覗き込むように、そっと告げた。
 大事な人が唯一の人がいなくなる、それを想像するのは痛くて辛くて。
 だけど、もしその人の似た人を見つけても、それは決してその人じゃないから。
「ソララもね! 誰もソララの代わりなんて出来ないんだからね!」
 そこの所、間違えちゃダメだよ、美羽はちっちゃな胸を張って言い放った。
「ていうかソララ、本当は会場に戻ろうとしたんじゃないの?」
「あ〜、それで『案内してやる』とか言われて付いてった、とか」
 セレンフィリティの指摘に、宵一はありそうだ、と納得した。
 確かにあの人の出は、ハンパない。
 特に田舎から出てきたソララなら、マジで迷子になっていたとしても仕方ない。
 で、こんなトコに連れ込まれるまで気付かなかった、と。
 放置されたままの男二人を視界の端に収め、ホンの少しだけ同情してしまう。
 如何にもなナンパについてきた時点でオッケーサインだと思ったのだろうし。
 勿論、それでも会場に戻っていいのか迷っていたソララの注意力は、かなり散漫だっただろう事も原因の一つだろうけれども。
「あ、あぅ……」
「その気があるなら、ど〜んと開き直っちゃえばいいのよ」
「ソララは繊細すぎるけど……セレンは神経が図太すぎるわね……」
 戻るにも逃げるにも踏ん切りがつかないソララと、スッパリ言い切るセレンフィリティとを見比べて、セレアナはふっと息を吐いた。
 心の天秤が戻る方に傾きつつあるのを察した理沙は、
「ソララ、お世話になった事務所の人を困らせて良いの? それにソララの歌を楽しみにしてる人もいるのに行かなくちゃダメでしょ?」
 叱咤というには優しすぎる声音で、告げた。
「皆の気持ちを裏切る事になるのよ、アナタはそれで後悔しないの?」
 決して強制はしない、選ぶのは気付くのはソララ自身だと思うから。
 躊躇い理沙に答えないソララに、ピノはきょとん、と首を傾げた。
「ソララちゃん、うたわないの? 何でー? 歌が好きなんでしょ? ピノ、歌うの大好きだよー」
 何が怖いのかなぁ……お化けも出ないし、野獣も居ないよ〜??、と不思議そうに問うピノに、ソララは目を瞬かせた。
 歌が好きなのに何故歌わないのか?
 純粋な疑問はそれ故に、ストンと心に落ちた。
「元々、歌が好きやから歌う子なんや、歌の楽しさを思い出してもろたらええんちゃうかな?」
「やっぱりそうだよね」
 泰輔に頷いた詩穂は、【愛と夢のコンパクト】でもって、ちみっ子に変身し。
「ソララおねーさん、耳をすまして…。きこえる? ちいさな風の歌が」
 【リリカルソング♪】に乗せて【幸せの歌】で風の歌をハミングした。
「ちほ、風の歌がだーいすき♪ おねーさんのだーいすきな歌、きっとみんなもだいすきだよ☆」
 にっこりと笑顔と共に向けられた純粋な想いに、ソララの中に蘇るのは、一番初めの気持ち。
 コンサートとかステージとかトリとか責任とか失敗したらとかそういうものを全部取っ払った最初の気持ちだった。
 歌いたい、という。
 風の歌に混じり、微かにギターの音が聞こえた気がした。
 自分を呼ぶ、力強い旋律が。