空京

校長室

【カナン再生記】決着を付ける秋(とき)

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【カナン再生記】決着を付ける秋(とき)
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リアクション


カナンを覆う闇(1)

 女神官アバドンは1人で現れたのではなかった。
 ガーゴイルに騎乗した東園寺 雄軒(とうえんじ・ゆうけん)とそのパートナードゥムカ・ウェムカ(どぅむか・うぇむか)を背後に引き連れている。雄軒はフラワシ使いなので、先の折り、朔を昏倒させたのも彼に違いない。
 所々に穴のあいたフロアと、自分たちを遠巻きにしている彼ら、そしてセテカを抱き起こしながら剣を構えているバァルを見て、アバドンはにっこりほほ笑んだ。
「バァル様、このような場でお会いするとは奇遇ですね。そちらの方は先日、私の配下の者が連れて戻ったんです。なんでも、重い病気にかかっておられるとか。すぐ、バァル様の側近のセテカ様と分かりましたわ。ですので手厚く看護をしてまいりましたの。そうしなければ、きっと今日お会いすることはできなかったと思います。お二方が再会できて、私もとても喜んでおります。
 さあ、どうぞこちらへ。すぐお部屋をご用意させましょう」
 アバドンは両手を広げた。この殺伐とした重い空気、畏怖と恐怖がまじりあった吐き気がするほどの緊迫感が読めていないのだろうか? そこまで鈍感になれるものなのか?
 彼女はあまりにも普通で、それゆえにあまりにも……剣呑だった。
「今さら、何のつもりだ」
 バァルは用心深く答えた。
「しらじらしい茶番はたくさんだ。外の戦いを知らないはずはないだろう。石化刑を解除して味方とした災厄たちも消えた。もうあなたもネルガルも終わりだ。かくなる上は、潔く投降し、女神様を解放してその慈悲を求められよ」
「あの女の慈悲?」
 まるで面白い冗談でも聞いたように、くすくすと笑いがこぼれる。
「ええ、そう。こうなっては北カナンは終わりかもしれません。ですので私、東カナンへ移らせていただこうかと思いましたの。だって、この程度ではエレシュキガルを出していただけなかったんですもの。きっと、やり方を間違えたんですね。もう一度やり直さなくてはならなくなりました。そのためにもぜひ、バァル様にはこちら側へお越しいただきたいんです。
 ねぇバァル様、東カナンをカナン一の富める国にしたいとお思いになりませんか? この世界で最強の国のひとつとして列国の支配者たちに恐れられたくはありません?」
「なにを世迷言を。わたしがあなたたちに手を貸すと、本気で思っているのか!」
 声を荒げたバァルに、アバドンは「ええ」と迷いもなく頷いた。
「大丈夫、あなたをその気にさせる方法はいくらもあるんです。いくらもね…」
 愉悦の響きでちらりと見せた相手の底意に、はっとなる。
「まさか、ネルガルにも? ナハルにもその手を使おうとしたのか?」
「ネルガルは、存外簡単でした」
 ただひと言。それだけ。
 これほどの邪悪を、バァルは知らなかった。邪悪は、相応のねじまがった悪意として現れるものだと思っていたのに。
 彼女は、まるで底なしの井戸を覗き込む恐怖に似ている。吸い込まれれば全てが終わりという恐怖と、そしてほんの少しだけ、そうなってみたいという暗いささやきが混在した存在。
 聖なる光は美しく、きよらかで、人心をひきつける。だが純粋な闇もまた、それゆえにきよらかで、人心を魅了してやまない存在なのだ。
「……そのために……セテカも…?」
 締めつけられた喉から無理に押し出した声は、半ば以上かすれた。
「ああ、それも半分は。もう半分は、単なる私の腹いせです。だって、彼などにあなたを倒せるはずはないでしょう?
 本当はあなたが彼を殺したあと、つけ込ませていただく予定だったのですが、なかなかうまくいってはくれませんね。思えば、東カナンはいつもそうでした。でも、十分楽しませていただきましたわ」
 心の底から満足そうな笑顔をアバドンは浮かべた。



「さて。面白いところではありますが、このままずっと聞き入っているわけにもいかないのでしょうね」
 自分に向けられた痛いほどの殺意を感じ取って、東園寺 雄軒(とうえんじ・ゆうけん)はそちらを向いた。
 相沢 洋(あいざわ・ひろし)乃木坂 みと(のぎさか・みと)が、彼らをにらみつけている。
「やあ。またお会いましたね」
「……何のことでしょうか?」
 雄軒の言葉に、みとは一瞬きょとんとしてギャザリングへクスを飲む手をとめた。何しろ坂上教会ではいきなりヒプノシスを受けて昏睡してしまい、雄軒の姿は見ていないのだから仕方がない。
「あいつが、坂上教会で私たちをLOSTした東園寺 雄軒だ」
 口にすることでそのときの屈辱を思い出し、ぎりぎりと奥歯を噛み締めた。
 視線で射殺さんばかりの敵意を受けながらも、雄軒はどこ吹く風といった風情でにこやかに笑んでいる。それがまた、さらに洋の癇に障った。
「やれ! みと! 火術、雷術、氷術、なんでもいい! ここなら味方に当たる心配はない! 好きな呪文を使え!」
「了解しました。ギャザリングへクスによる魔力ブースト開始。前回の失敗をここで取り戻します」
 転経杖をくるくる回してさらに魔法攻撃力を高める。
 以前にも聞いたことのあるその会話を耳にして、雄軒は少しだけあわれみを感じた。あれではただの道具だ。魔法が使える便利な武器。スイッチを押せば飛び出してくるナイフとどう違うのか。
 その違いを知る身としては、隣の彼を見つめる、憧憬にも似た彼女の表情がさらに痛々しく映る。だが同情して手加減を考えるほどではなかった。それを受け入れ、許している彼女の側にも問題はある。どちらかが一方的に加害者ということはないのだ。
「砲撃目標合わせ、魔法限定使用許可確認。撃ちます!」
 みとの宣言とともに空を裂き走って落ちる雷術の白光。しかしそれは、かばい立つ巨大な機晶姫ドゥムカ・ウェムカ(どぅむか・うぇむか)の体と掲げ持つラスターエスクードで防がれてしまった。
 耐魔法防御を上げている彼にはこの程度、どうということはない。
「へへっ。なーんか以前にも似たようなことあったっけなぁ」
 間延びした口調ながらも、彼の声はそのことを忘れてはいないことを伺わせた。
「あんときの報復だ。テメェらは絶対に許さねェ」
 叩きのめす。
「ぬかせ! みと、次砲用意! 準備が整い次第発射せよ!」
「了解しました。次砲発射します」
 洋の指示に従い、みとは次々と攻撃魔法を発動させ、雄軒を狙った。しかしそのことごとくをドゥムカが受け止める。以前と同じだ。防御に徹している分、その壁は硬く、磐石となっている。
「みと! あの機晶姫は俺が止める! おまえはあのガーゴイルを狙え! やつは足を負傷している! 逃げられん!」
「了解しました。タイミングを合わせます。次砲発射まであと5秒お待ちください。5……4……3……2……」
「やれ!」
 洋のサイドワインダーに合わせ、みとは氷術をガーゴイルに向けて放った。
 両側から同時着弾する矢。それを洋はさらに2回放つ。数秒の時間差で6本――これならあの機晶姫を足止めできる。
「ダンナ!」
「いいからあなたは身を守っていなさい」
 雄軒はガーゴイルを操り、みとの放った数発の氷術を避ける。そして彼女に向け、粘体のフラワシを召喚しようと手を伸ばしたときだった。
 突然真横から白刃が振りきられた。
「なにっ!?」
 目を瞠る間もあらばこそ。炎で焼かれたかのような激痛が肩口から手首までを駆け抜ける。遅れて、鮮血が吹き出した。
「……くっ…!」
 痛みをこらえつつガーゴイルを操り、上昇させる。先まで彼のいた場所には、魔鎧・戦闘舞踊服 朔望(せんとうぶようふく・さくぼう)をまとった赤嶺 霜月(あかみね・そうげつ)が立っていた。
「あなたですか」
 これで何度目の邂逅か。このカナンでは、よくよく縁があるとみえる。
 だが以前会ったときと今の彼は、あきらかに違っていた。ザムグの町で見た、あの殺伐とした光が瞳から消えている。――あのまま堕ちるのではないかと思っていたのに。
「士別れて三日なれば刮目して相待すべし、ということでしょうかね」
 感慨深げに言う彼に対し、居合刀【狐月】を構える。
「どうやら今のあなたには、お誘いしても無駄のようですね」
「――最初から、自分がそちら側になる可能性など一片もない」
 なぜなら、自分の剣は護る剣だから。
 たしかに一度、苦悩から道を踏みはずしかけた。あのメラムの惨劇がよみがえるたび、焦燥感と無力感が胸を焼いた。もっと力があれば何かできたのではないか、今までのやり方ではみんなを護りきれない、もっと非情にならなければ、何を犠牲にしてもという冷徹な意志がなければ全てを護ることなどできないのだと、思いつめた。
 しかしそれは、同時に人としての尊厳を失うことだと、気づかされた。それを突き詰めれば、望む強さは手に入っただろう。けれどそのかわりに、いつか、かけがえのない大事なものを失ったに違いなかった。
 だがそれでも――――「護る」剣だということだけは変わらなかった。
     『きみは少しの間、忘れていただけだ』
「今度はこちらが訊かせてもらおう。あなたは、何のためにこんなことをするのか。他者を傷つける以外に方法はなかったのか。そして――方法があったとしても、こちらを選んだのか」
 おや? と雄軒は片眉を上げた。
「そうですね…。それは、また次の機会のお楽しみにでもしませんか? なにしろ今は、それどころではないですから。私も、あなたもね…」
 その言葉に重なって、背後で突然声にならない悲鳴が上がった。
「……ッ……ッ!…」
「みと! どうしたっ!?」
 まるで自ら喉を絞めているかのように両手で喉を掴み、みとはその場に両膝をついた。ぶるぶる震える体。開いた口からは喘鳴が出るばかりだ。
「みと!!」
 伸ばした洋の手をすり抜け、みとは床に転がった。
「――! フラワシ!?」
「相手を無力化するには、まず得物を狙うのが一番効果的です」
 いけしゃあしゃあと言う彼を見て、霜月がグッと膝を曲げた。床を蹴り、壁を蹴って、ガーゴイルの上に出る。円の軌道を描いた狐月は、雄軒ではなくガーゴイルの首を狙って振り下ろされた。
 しかしその刃は宙空で何か硬い物に阻まれ、止められる。――鉄のフラワシだ。
「判断が甘いですね。フラワシは、あれと同じです。ほら、1匹見たら複数匹いると思え――って、このたとえはあまりよくないですね」
 黒くてツヤツヤした、台所によく出没するあの虫を思い出して、うーんとあごに手をあてる。
 その間にも、みとを気絶させたフラワシは、今度は洋に襲いかかった。
「……っ……がっ…!」
 洋の上半身に、ゼリー状の粘体に絡みつかれたような感触が起きる。見えないそれが喉を圧迫し、呼吸を奪った。
「いいかげんにしなさーーーい!!」
 女性の声で、下から怒声が飛んだ。
「フラワシをこんなことに使うなんて、この根暗の根性悪ッ!」
 直後、雄軒に向かって何か、水風船のような物が複数個投げつけられる。
 雄軒は警戒し、打ち落とすべく鉄のフラワシを即座に放ったが、水風船は不規則な軌道を描いて鉄のフラワシの攻撃をことごとく避けた。
「見えている?」
 つまり相手は同じコンジュラーだ。
 だがそうと知ったときには遅かった。
 サイコキネシスで操られた水風船が、パン! パン! パン! と音をたてて雄軒の顔のすぐ近くで破裂した。
「しまった…!」
 とっさに顔をかばったが、もう遅い。強烈な痛みと臭いが雄軒の顔面を襲った。
「うあっ…!」
「坂上教会でやられたみんなのかたきよ! よーく味わえ! タバスコとアンモニアがパンパンに詰まった美悠特製催涙弾!!」
 ガッツポーズを決めたのは神矢 美悠(かみや・みゆう)だった。
 目から頭に突き抜けるような激痛に雄軒の集中力が途切れ、洋を襲っていたフラワシが消える。
「よくやった、美悠!」
 彼女の横からケーニッヒ・ファウスト(けーにっひ・ふぁうすと)が飛び出す。軽身功を用いて壁を駆け上がった彼は、雄軒の上を取った。
「くらえ!!」
 鳳凰の拳を放つ。
 視力を奪われた雄軒には避けようがなく、彼はガーゴイルの背から突き落とされた。
「せいっ!」
 ケーニッヒはさらにガーゴイルを狙い、これを倒す。
 床に下り立ち、雄軒を足下に見た。
「さあ、きさまの足は奪ってやったぞ。よくも途中逃亡なんざしてくれたな。今度はそんなことがないよう、我がこの手でシャンバラへ送り届けてやる。おとなしく投降するか、それとも腕ずくで投降させられる――うわっ」
 話半ばでケーニッヒは横から攻撃を受けた。ドゥムカがラスターエスクードで体当たりを仕掛けてきたのだ。
「ヒャッハー! テメェ俺のことすっかり忘れてただろ!」
 加速ブースターでの近距離からの突撃は、いかに神速や軽身功でも避けようがなかった。壁とラスターエスクードの間に挟まれたケーニッヒの受けた衝撃は、直後壁に走ったクモの巣状のひび割れでうかがい知れた。
「ファウスト!!」
 声もなくその場に崩折れたケーニッヒを見て、美悠が悲鳴を上げる。
「こいつぁおまけだ!」
 ケーニッヒはもう気を失って戦闘不能になっているというのに。身をねじって腕を背後に引き、ライトニングランスで追撃を掛けようとするドゥムカの忘却の槍の柄を、霜月が掴み止めた。その身には、ヒロイックアサルトの白い光が流動している。
「やめなさい。彼はもう戦えません」
「――へッ。こういうやつぁな、つぶせるときに徹底的につぶしとくモンなんだよ。二度とこのきったねぇツラ見ねーですむようにな!」
 霜月の手を振り払い、再びライトニングランスをかけようとするドゥムカの耳元で、しなるような風の音がした。半弧を描いた狐月の光刃がぴたりと、首数センチ手前で止まる。
「やめろと言ったんです」
「……なんだよテメェ、やる気か?」
「それ以上やるというのなら、自分が相手です」
「……へっ。いいぜェ。どうせコイツの次はテメェを始末してやるつもりだったんだからよッ!!」
 ビュッと突き出された忘却の槍の石突きを、霜月は後方へ跳んで避けた。ドゥムカが振り返る間に、封印解凍、絶対闇黒領域と発動させる。
 ドゥムカの忘却の槍による突きは、朔望のスキル受太刀とスウェーで避け、避けきれない場合は鍵剣【暁月】との二刀の構えで防いだ。
「オラオラ! どうした? 威勢のいいこと言って、逃げるだけかよ!!」
 受け一辺倒の霜月に、ドゥムカが調子に乗って猛追をかける。
「やつの代わりにテメェが受けな!!」
 ライトニングランスが発動したとき――霜月はこれを待っていた。身を沈ませ、突き出された槍を紙一重で避けた彼の狐月が手と手の間の柄を切断する。バランスを崩したところを一気に暁月で斬り上げ、胴鎧を切り裂いた。
「……くそッッ!!」
 ひび割れ、砕けた胴鎧に手をあてる。配線の幾つかが切断され、内部で火花が散っていた。切断されたうちの1本はチューブだったようで、液体が漏れていた。オイルの臭いはしないから、大方不凍液か冷却液だろう。
「チッ、やってくれるねェ。カナンで修復するのは厄介なんだぜ、機晶姫はよォ。俺たちァ貴重品でな。砂だってありやがるし」
「そんな心配など、もうしなくてすむようにしてあげましょう」
 低く構え、斬り込もうとする。しかし次の瞬間、霜月は足に巻きつき、体を這い上がってくる何かを感じた。
 さっと下に向けた視界には、何も見えない。
「フラワ――くっ…!」
 粘体のフラワシによる攻撃を受け、霜月もまた、洋やみとのようにのどを締められてその場で昏倒した。
「ダンナ、もう大丈夫なのか?」
 動かなくなった左足を引きずりながら、ドゥムカは雄軒の元まで戻った。
「ええ、なんとかね」
 真っ赤になった目や頬をこすりこすり答える。
「あちらの女性を倒すのに少々手間取りました。あなたこそ大丈夫ですか?」
「こんなのへでもねぇぜ。案外やつらにゃこの程度のハンデが必要なのかもな」
 ドゥムカは槍の代わりに六連ミサイルポッドを構えた。
「まぁ待ちなさい」
 そのままアバドンの方へ向かおうとしたドゥムカを止める。
「ダンナ?」
「少し様子を見てみましょう。うまくいけば、彼女について何か掴めるかもしれませんよ」
 撤退については準備済みだ。形勢不利となればいつでも北カナンを脱出できる。その際、彼女をどうするかは……そのとき次第になるだろう。