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◇第六章 アモソーゾ 【愛情で満ち溢れるように】◇

 ――悪魔。
 真っ赤な色で染まったヌシはそう見えた。顎まで裂けた唇に傷だらけの身体。生徒達が必死になればなるほど、奴の反撃も威力を増す。
(……この化け物……倒す事など……出来るのだろうか……)
 戦場で育ったクルード・フォルスマイヤーでさえ、そう感じていた。
「あらら、こりゃ逃げた方が良さそうですね。私も百二十歳まで生きる事が夢ですし……」
「そうですね。撤退は作戦の一つですよ」
 ヌシの正体を確認する事を目的とした百鬼那由多とパートナーのアティナ・テイワズも早々と撤退を決める。

「ナルソス先生!!?」
 ヌシとの戦闘を回避していたフィル・アルジェント(ふぃる・あるじぇんと)はナルソスを見つけ、パートナーのセラ・スアレス(せら・すあれす)と一緒に声をあげた。
「君は?」
「百合園女学院のフィル・アルジェントとパートナーのセラ・スアレスと言います」
「そうですか。この辺りに笛を吹いている人間がいると思うんですが知りませんか?」
「笛?」
 フィルは頭を傾けると、先ほど笛の音を聞いた場所を思い出す。そして、急いで『彼』の元へ向かった。
「ちょっと、そこのお笛さん!!」
「へっ?」
「ナルソス先生が呼んでるの、早く、早く!!」
「わわっ、あなたたち誰!!?」
「いいから来るのよ!!」
 フィルとセラにすごまれた久慈宿儺は話も聞かず一目散にナルソスの元へ向かう。洞窟の中、小高い山の上辺り、全体が見渡せる良い場所にはヌシを見守るナルソス・アレフレッドがいた。
「おぉ、来てくれましたか、宿儺君。待ってましたよ」
「……な、何の用でしょうか?」
「君らにね。ヌシをなだめて欲しいのですよ」
「君らって?」
「フィル君と宿儺君」
「えええええぇぇ!!? そんな事、出来るわけがありませんよ。それに出来るなら先生がやられた方が……」
 その場にいた全ての者が驚愕の色を浮かべた。当然、宿儺も自重して答える。
「私は笛は吹けません。それに君らはすでにおこなったでしょう。孤独な相手の目を覚ます方法をね」
「???」
 ナルソスはそう言って笑うと地面に落ちていた棒を拾った。
「私は色々と間違っていたようです。それでは演奏会を始めましょうか……」

 ナルソスは木の棒を横に動かし、舞うように上下に細かく振り始める。最初、呆然と宿儺だったが、ナルソスが棒の先でチェックを入れると龍笛を奏で始めた。もちろん、面白くは弾けているが上手くはない。しかし、不思議だ。指揮をされた事も、誰かと音楽を合わせた事もないのにグングンと引っ張られていく。
「嘘……?」
 フィルから見ても、宿儺の笛の音は激変していた。しかも、ナルソスはフィルに対しても棒を指す。
『歌うのです!!』
 まるで、そういう催眠術をかけられたかのように、フィルは歌い始めた。低い音程から高い音程へ、変幻自在と変化していく音のうねり。丘の中央に小型のブラックホールが出来たかのように引き寄せられていく。
「……まさに天才だね」
 早水ポン太がそう評したようにナルソスの音楽的センスは人を逸脱していたかもしれない。重力を操り、神と悪魔をステージに召還するかのように高みに昇っていく。
(苦しい……もうこれ以上、音が出ない……)
(し、死んじゃう……声を出しすぎて死んじゃう!!!?)
 狂気が渦巻き、地に這うマグマがより一層赤く光る。
「……これは違う……昔の私だ……アフェットゥオーソ(愛情を込めるように)」
 次の瞬間、一気に曲調が急降下した。そして、片手で空を混ぜあわせるように祝詞(しゅくし)を奏上(そうじょう)し、祈りと音で精霊たちに語りかけるように舞ったのだ。

(こ、これは!!?)
 久慈宿儺は声を失った。龍笛と祝詞に神力あるものとする為に、自分が望んでいた音楽がそこにあり、しかも、自分が奏でているのだ。
 フィルも同じ世界を見ていた。ナルソスを救出して彼の作った曲を聞いてみたいと思っていたが、まさか自分の声がこれほど澄んだ声に変わるとは思ってもみなかった。その曲は祝祭風のファンファーレのように洞窟内を木霊する。
 ――気が付くと、すでに誰も戦っていなかった。ヌシもゴーストも生徒達もその場で、ココでしか聞けないであろう曲を堪能しているかのように見えた。
「終わりましたね。即興ですが最高の出来でしたよ。宿儺君」
「いえ、先生のおかげです」
 肩で息をする宿儺にナルソスは首を振る。
「それは違います。主役は紛れもなく、貴方たち生徒でした」
 汗でびっしょりと濡れたナルソスはヌシに一礼すると洞窟を後にし、生徒達も続くように無言で洞窟を出て行く。山のヌシはまるで、人間たちの健闘を称えるようにその場に立ち尽くしていた――

「ナルソス先生?」
 洞窟の出口で、待っていたエメ・シェンノートは仮面を手渡す。
「これは?」
「美しさで悩むのなら、仮面をつければいいんですよ。仮面で顔を隠して活躍した人はたくさんいますから……」
「それとも、命は奪わないが傷を刻んであげようか?」
 カリン・シェフィールドはそう言って、笑った。その隣に立っていた樹月刀真もぶっきらぼうに一冊の本を手渡す。
「本に影響されて死にたくなったら、別の本を読めばいいんじゃないですか? 別にあなたがどうなろうと知った事ではないですがね」
 それは日紫喜あづまの書いた数学の論文の本だった。それを見て、ナルソスは吹き出す。
「確かにこれでは死のうとは思えないね……理解できなくて、死にたくなるかもしれないが……」
「プッ……」
「でも、皆、ありがとう、私は随分とくだらない事で悩んでいたようだ。君達のおかげで救われたよ」
 ナルソスは頭を下げた。

「あぁっ、ボクのビデオカメラがぁ!!? せっかく、エリザベート校長のおみやげにしようと思っていたのに!!!」
 その後方で峰谷恵は地面に落ち、完全に踏み潰されたビデオカメラの残骸をかき集めていた。残念ながら、ハードディスクが破損してしまったカメラは再生不可能だろう。他にもカメラを持ってきていた生徒はいたが同じように壊れてしまっていた。
「まぁ、映像には残ってなくても、ヌシは見れたんだからよかったんじゃない? それにヌシが晒しモノになるのも何となく悪いし……」
 朝野未沙は笑顔で言った。
「そうそう、俺はヌシを拝んで皆を無事に下山させる事が出来れば満足です」
 黒水一晶も満足そうに答える。
 映像や音などの記録には残らなかったが、ナルソス・アレフレッドは帰ってきたしヌシもいたのだ。誰も信じてくれないかもしれないが、ここにいた数十人の人々の心には刻み込まれているのだ。

 そこに一冊の書物があった――
『罪と罪 罰と罰』
 英雄と呼ばれる人間は、己の正義を貫くために法や規則を破り、人さえも殺める資格を持つと言う。だが、それは結局、権力者、略奪者の意向を正当化する口実ではないだろうか? ナルソス・アレフレッドは確かに罪を犯した。どんな理由でさえ、自らの命を捨てようとし、生徒たちを危険に巻き込んだのは大罪に他ならない。
 大罪を犯した以上、彼は大いなる罰を受けなければならないだろう。辛くて長い生者の道は神からの罰。洞窟の中で彼の指揮した神懸り的な音楽は生者への大いなる奉仕。そう考えると全ての人は罪を犯し続け、罰を受け続けているのかもしれない。ただ、それが大きいか小さいかの違いだけ、彼はそれを生徒たちから教えられたのだ……
「著……日比野武人と……」
 日比野武人は自ら書いたミニコミ誌を閉じると店頭に並べ、次の罰を書き始める――