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紫陽花の咲く頃に(第2回/全2回)

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紫陽花の咲く頃に(第2回/全2回)

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第三章 上演日、来たる。


 『白雪姫』上演当日。
 観客席の舞台寄り中央には、優雅に腰掛けているラズィーヤと、一つ空席を置いて黒岩静香の姿が見える。間には現在舞台の上でおどおどしている校長が後で観劇する予定だ。
 静香の衣装は、二つに分けた髪は耳の下でリボンで結い、衣装はパフスリーブの半袖ブラウスに、水色ギンガムチェックのレトロなドレス。演じるのは『オズの魔法使い』の主役“ドロシー”だ。細身で発展途上中?の胸の静香がいかにも少女らしい。
 その横であーる華野筺子は“ブリキの木こり”役を務めている……というより寸劇の主役らしく舞台中央に立っている。今日は銀色に塗った特製段ボールを着ている。筺子のパートナーアイリス・ウォーカー(あいりす・うぉーかー)が扮するのは“臆病なライオン”だ。右手で“脳のないカカシ”の紙人形を支えている。
 舞台の幕が上がる十分前。彼女らが突然現れ、
「どもー、蒼学の貴族ことルイ99世・華野でぇぇす」
 手にしたマイクで挨拶をかます筺子に、舞台裏は一時騒然となった。
 ──まだ準備中なのに、誰が舞台を許可したんだ、この前言ってたのは諦めたんじゃなかったのか。役者も裏方もスタンバイ中。あづさのイジメ対策に大小道具の最終チェックまで欠かさない面々は、突然のことに声を抑えることしかできない。開演前に舞台裏が騒がしいのは宜しくない。
「校長まで舞台にいらっしゃいますわ」
 翼のおかげでフットワークが軽い和泉真奈(いずみ・まな)が、舞台を覗いてパートナーのミルディア・ディスティン(みるでぃあ・でぃすてぃん)に報告する。照明係として舞台上方、金属の簀の子で照明のチェックをしていた彼女は、思わず声を上げる。
「ええっ!? 観客席にラズィーヤ様と見に来るとは聞いてたけど、こんなのって……」
 舞台上では筺子はテンション絶好調だ。
「さてさて話は変わって、ドロシーの夢ってなんでっかぁ」
「ぼ、僕の夢は……ラズィーヤ・ヴァイシャリーさんみたいな淑女になることだよ」
 おどおど、所在なさげに台詞を話す静香。
「うぅぅん、素敵な夢ですねぇ。ワタシも応援しちゃいますよ」
 観客はといえば、舞台前の余興だと思っているのだろう、黙っている。
「ところが、みんなが持ってる大切な夢を壊そうとする人が居るんだ、悲しいよねぇ。……でも大丈夫、心の迷宮にいる件の君も、みんなの応援があれば百合女の淑女に戻れるよ。演劇部の応援ヨロシクねぇ! ──アリガトウ御座いました!」
 静香を引っ張って舞台から降りた筺子。『白雪姫』の面々は、何故彼女がこんなことをしたのか、ワケが分からなかっただろう。計画立案時、筺子はアイリスにこう話していた。
「イジメの犯人、西園寺碧を直接糾弾することもできるけど、そんなことしたら演劇部が崩壊しちゃうからね。間接的に反省を促そうってワケ」
 予想が合っているかはさておき、犯人に届いた、だろうか?

「お嬢様学校だからって淑女とは限らないわよね」
 イルマのファンクラブの一人、加藤春菜は楽屋に応援の花束を持って訪れていた。ひとしきり騒いで迷惑をかけた後、そう呟いたのを菅野葉月(すがの・はづき)は聞き逃さなかった。パートナーのミーナ・コーミア(みーな・こーみあ)に目配せをする。
 春菜はここに置いておきますね、と人でごった返す楽屋の角に花束を置く。その手に握り込んでいるのは、墨汁の小さな容器だ。葉月はその手を押さえると、
「君にちょっと話があるのですが、いいですか」
 有無を言わさない勢いで腕を掴んだまま、彼女を楽屋裏から通路を通り、建物の外に引っ張り出す。
 葉月と同じくファンクラブに同じく入会し、高身長で男前なベアトリクスも一緒に応援しているイルミンスールの御厨縁(みくりや・えにし)
サラス・エクス・マシーナ(さらす・えくす ましーな)も緊張に顔をこわばらせて後を追った。その後ろから崩城亜璃珠(くずしろ・ありす)があらあらと言いながら、邪悪な笑みを浮かべてこっそり付いていく。亜璃珠は物陰に隠れて、動向見守ることにした。
「これ、どうするつもりだったんです?」
 葉月は春菜の手を持ち上げ、手の中の墨汁を示す。
「どう、って……」
 怯えた表情のまま、口ごもる。
「大方、衣装にかけようとでもしたんでしょう?」
「証拠はあるのっ!?」
「以前、すり替えられた井下あづさの台本を持っているのを見たんですよ。それもすり替えられた当日にね」
「これが目的でファンクラブに入ったのね」
 葉月は手の中から墨汁を取り上げる。腕が解放されて、周囲を見回す春菜の背後に、縁が回る。
「サラス、イルマに報せてきておくれ」
 頷いてサラスが走っていく。春菜にはどうすることできない。やがてサラスがイルマを連れて戻ってきた。イルマは既に王子の衣装をまとっている。息を切らし、必死の形相だ。
「春菜、君が、いや、君たちが今まであづさに嫌がらせをしていたっていうのは本当なのか」
 叱られた子犬のように、春菜は俯いた。代わりに葉月が事情を話す。少なくとも台本を取り替えたのが彼女であること、今さっきも衣装に墨をかけようとしていたのではないかということ。白雪姫は死亡前と棺桶の中と、衣装を取り替えるシーンがあるのだ。
「どうなんだ、春菜」
「本当です。靴に画鋲を入れたのも、私たちです。もちろん、ファンクラブの全員が、そんなことしたわけじゃないですけど」
 か細い声で答える彼女に、イルマは手を振り上げた。
「何てことを……どうしてそんなことを」
「イルマ様の好意を、あの子が踏みにじったから……!」
 叫ぶような声に、イルマは振り上げた手を下ろした。
「もういい、本番前だ。終わったらゆっくり話を聞こう。いいね」
 言い含めるように言って、イルマ達は楽屋へと戻っていく。一人取り残されて、うなだれる春菜の元に時期を見計らい、スキップでもしそうな足取りで亜璃珠が姿を現した。
「あなた誰」 
「『白雪姫』の裏方希望ですわ。イジメがあるって聞いて参加してみたら、どうもあづささんに嫉妬してる人がイジメの一部を担っているのではないかと思いましたの」
「もういいじゃない、イルマ様にばれてしまった私に、これ以上の罰はないわ」
「あら、そうはいきませんわよ。私、陰湿でチマチマした手口が気に入りませんの。本当の虐めとは何かを教え込んであげますわ」
 亜璃珠は後ろ手に持っていた黒革の鞭を春菜の眼前で見せびらかすように、もてあそんだ。側の樹木に叩き付けると、ピシリと樹皮の音がする。ひきつる春菜の顔。
「大丈夫、痕が残るようなことはしませんわよ?」


「一時はどうなるかと思ったわ」
 風森望(かぜもり・のぞみ)は、観客席でぱらぱらと起こる拍手に、ほっと息をついた。とはいえ、予定外の寸劇に驚いたのは、自分より照明を担当している兄──風森巽(かぜもり・たつみ)の方だろう。
 望は本番前は飲食物の差し入れをしていたが、現在観客席の後方でビデオカメラを回している。演劇が終了したら、ダビングしてファンクラブや他校生に販売するつもりである。
「びっくりしたなぁ」
 舞台袖では動揺する役者とスタッフに、王妃の格好をした碧が話しかける。
「大丈夫、落ち着いていきましょう。練習通りやればいい演技ができるわ」
 新宮こころ(しんぐう・こころ)アロイス・バルシュミーデ(あろいす・ばるしゅみーで)は白雪姫の幼年期の衣装を着たあづさに近寄る。アロイスは、彼女に古めかしい指輪を差し出した。実はペアリングになっていて、もう一方はイルマに渡してある。
「我がバルシュミーデ家に伝わる指輪じゃ。言い伝えによれば芸術の女神(ミューズ)に愛された者の血が宝石となったのだそうじゃよ」
 あづさは赤い石が付いた指輪をアロイスの手のひらから摘むと、指にはめた。
「あ、ありがとうございます。あの……舞台の間だけでも、お借りしますね」
「いいんじゃいいんじゃ、お守り代わりに持っておるとよい」
「……あのね、舞台が終わってからでも、イルマさんのパートナーになるっていうのはどう?」
 こころの提案に、微笑んでいたあづさの顔が、少し暗くなる。
「私、でも、それはもう断ってるんですよ」
「いつまでに契約しなきゃいけないとか、そういうのはないでしょう? ボクは騎士です。何かあったらボクが二人を守る盾になります。だから自信を持って!」
 あづさが自信を持ち、イルマのパートナーになれば、いじめっ子も手を出せなくなる。それが多分いい方法だ。
 こころ自身はイジメの犯人が、ファンクラブによる嫌がらせだと思っていた。だが、糾弾するのが本当に正しい方法なのだろうか? ファンクラブだって悪意の塊っていう訳じゃない。応援する気持ちだって本物のハズ。今事を荒立てたら、疑心暗鬼でこれからの劇や演劇部はどうなってしまうのだろう。後味は悪いけど、イジメがうやむやのうちになくなってしまうのが、一番いいのかも……。
 あづさは少し微笑むと、
「ありがとう。そうですね、パートナーには、なるかまだ決めていないけれど……舞台が終わったら、自分の気持ちについてゆっくり考えてみます」
 ──舞台の外では照明が落ちる。
「これより、百合園女学園演劇部『白雪姫』開幕いたします」
 開演ベルが鳴り響く。
「行ってきます」
 あづさは舞台へと進み出た。背中を見送って、こころはアロイスを振り返る。
「おじーちゃん、さっきの指輪ってあげてよかったの?」
「ほっほっほ。なんてことない、その辺で買った指輪じゃ。鰯の頭も信心からという言葉もあるしのぅ」
「なーんだ。じゃあ、おじいちゃん、舞台終わったらなんか食べに行こうよ。びっくりしたらボクお腹空いちゃったよ」
「うむ、じいちゃん孫のためならなんでもおごってやるぞ」
 どう見ても孫どころか年の離れた兄弟にしか見えない二人は、観客席に移動することにした。


 緞帳が開く。
 薄闇の舞台に、スポットライトが何本か光を降ろしている。中央の光には、底が平らな涙滴形に格子がはまった形の影が映る。一人の女性の影が、窓辺に座って縫い物をしている。その影がちくりと指を刺し、舞台は再び暗闇の中へ。
 次に中央にライトが当たり、その中から長いローブを着たあづさが現れる。彼女の首には、ネックレスがかかっている。衣装係のルクレチア・アンジェリコ(るくれちあ・あんじぇりこ)がパートナーカサエル・ウェルギリウス(かさえる・うぇるぎりうす)の力を借りて行った“禁猟区(サンクチュアリ)”の具現化だ。
「カサエル、すぐに次の用意を致しましょう」
 あづさの出番が終われば、次は王妃と鏡、狩人のシーンにはいる。その間に髪を下ろした幼少期の白雪姫を、衣装係と共に、少女期の髪型とメイクに仕立て上げなければならない。それが終われば、カサエルにメイクを任せて、少し暇ができるはずだ。
 あづさが戻ってくると、彼女は手早く舞台袖で衣装を着替る。髪を上げ、化粧直しをして、紅を濃くする。
 あわただしいスタッフとは距離を置いて、そのスタッフも含めてあづさの身辺を見張っているのは月島悠(つきしま・ゆう)麻上翼(まがみ・つばさ)の二人だ。
 悠は何が面白くないのか、始終むすっとした表情であづさを見つめている。
「付き合わせちゃってごめんなさい」
 翼がぺこりと頭を下げる。劇を見たいと言って引っ張ってきたのは自分の方だったから。
「別に、嫌じゃないぜ」
 嫌じゃないというより、綺麗な衣装には興味がある。が、戦場にいたことが多く、今もシャンバラ教導団で学生とはいえ軍属のような身だ。女らしさを表に出すのは苦手だ。
「そっかー、よかったです。無事に演劇見るために、警備しっかりしましょうね。もし台無しになったら光状兵器を乱射しちゃうかもしれませんよ」
「……もしかしたら翼の方が危険物だったかもな」
 まじまじと、悠はパートナーの顔を見る。一見して小柄で可愛い彼女から取り出される兵器はガトリング砲だ。
「どの辺が“剣”で“花嫁”なのか、一回翼の制作者に聞いてみたいもんだぜ」
 ルクレチアは、碧が舞台に出たのを確認すると、そっと舞台袖を抜け出した。
「京極様……宜しいでしょうか」
 ルクレチアは、一番前、隅っこの楽屋に近い席で観劇している京極美貴子に、そっと声をかけた。美貴子の側にはファンクラブの面々が数人座っている。
「何なの、上演中よ?」
「まち針の件でお話が……」
「いいわ、行くわ」
 美貴子様、と他のファンクラブの面々も立ち上がろうとするのを、彼女は目立つからと制して、ルクレチアと二人外に出た。
 周囲に人が居ないことを確認して、
「誠に申し上げ難いことですが、井上様の衣装にまち針を仕込んだ場面を、見てしまったのです」
 余り時間はない。ルクレチアは手早く用件を告げる。
 流石に動揺したのか、美貴子は言葉を詰まらせている。
「私も、ことを荒立てたくはございません。いじめで劇が中止になれば、西園寺様にも恥になるのではないでしょうか? もう少し広い視野でご覧下さるよう、お願い申し上げます」
「もし断ったらどうなさるおつもり?」
「残念ですが、西園寺様に今回の件を相談します」
 柔らかい言葉を選んだが、それは、どんな言葉よりも彼女にとって決定的な一言になった。
 それをルクレチアも、知っていた。事を荒立てたくないという希望は無事に叶えられた。
「よく頑張りましたね」
 舞台袖に戻ったルクレチアを出迎えたカサエルは、いい子いい子するように、彼女の頭を撫でる。
「はい、ありがとうございます。ただ、あまりこども扱いはしないで下さいね……?」
 頬をうっすらと染めながら、ルクレチアは微笑んだ。