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月夜に咲くは赤い花!?

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月夜に咲くは赤い花!?
月夜に咲くは赤い花!? 月夜に咲くは赤い花!?

リアクション


『その胸に響くのは』

「その指輪を使う前に、少しばかり私の話を聞かないか」
 三階の廊下から天窓を見上げ、樹が声を張った。
 辺りには、漸麗の奏でる静かで切ない旋律が流れ続けていた。さらに樹は自らのヒロイック・アサルトを発動させ、強力な鎮静効果をもつ『蛍の灯火』を、まるで本物のホタルのように舞わせはじめた。
「大切な家族を失った気持ちは、私にも痛いほどわかるんだ」
 ミラは、輝きを増し始めていた左手をふと下げて、樹の方を見た。
「そのようですね。目を見ればわかります。あの刺青の方と同じ目をしておりますから」
「ああ……。私はかつて、目の前で家族同然の仲間を失った。こと切れるのを、私は見ていることしかできなかった。目の前で失われていく命を、拾いあげてやることさえできなかったんだ」
 血色の瞳で、ミラはじっと、樹が語るのを見ていた。
「お前もそうだろう、自分の見てないうちに自分の大事な人が死んで、後悔だって次席だってあったはずだ!」
「……夫は」
 ミラは、ほんの一瞬だけ口ごもった。
 指輪をした左手をぎゅっと握りしめ、言葉を続ける。
「夫は、死んでなどおりません」
「……ッ」
 樹はぎりっと奥歯を噛んだ。
「本当は気づいてるんだろ、そんなの幻だって。でもすがりたいんだろう? 本当は、その指輪を使って想いを確認して、お前は死んでしまいたいんだろう!?」
「……」
 ミラは一瞬、とてもさみしそうな目をして、また満月に目を戻し、左手を持ち上げた。
「……私だって、仲間を失った時は死にたかったさ。なんで自分だけ生きてるんだと思ったよ。……でも、死んだ連中は生き残ったやつにまで死んでほしいなんて、絶対思っちゃいないんだよ!」
「夫は、死んでなどおりませんよ」
 もう、ミラは樹の方を見ることもなく、左手を月光に浸した。
「ミラさん! ちっとは周りの人たちのことも考えてみたらどうなの!?」
 ステファニアがコンラッドの手を引いて、樹の隣に並び、声を張り上げた。
「オーナーさんがその指輪のことを隠してたのも、前のオーナーさんが生きているって言ったのも、全部全部、オーナーさんがミラさんを想ってたからじゃない! なんで分かんないの!?」
 ミラは月に左手をかざしたまま、ちらとステファニアを見た。
 ミラの小指で輝きだした指輪は、だんだんと赤い光を模してきている。
「本当に、本当に心から想ってるから……」
 ちら、と、ステファニアはふと、隣のコンラッドに目をやった。
「本当に心から想っているからこそ、誰かに嘘をつくことだってあるじゃない。本当に想っているからこそ、本当に大事なことを黙っている時もあるでしょ!?」
「……ステファニア、それは誰の」
「ちょっと耳ふさいでてよ!」
 ステファニアは、隣のコンラッドに向かってぴしゃりと言った。
「あなたがその指輪を使って、自ら命を断とうなんて本当に思っているんなら……オーナーさんの気持ちは一体どこへ行っちゃうのよ!」
「……わたくしは」
 ぽつりと、ミラは血を吐くように言って、それから、一度かぶりを振った。
「わたくしは……死にません、夫も、死んではいません」
「――ミラさん。そこにおられます?」
 銀に背負われた月桃が、天窓を見上げながら柔らかく微笑んだ。
「あなたも目が?」
「ええ。ああ、けれど、耳は聞こえてるから平気よ」
 月桃の笑顔を見下ろしたミラの肩が、ぴくりと跳ねた。
「今、驚いた?」
「……いいえ」
「驚いたよね、きっと。……私には見えないけれど、でもきっと、私は君と同じように笑っているでしょう?」
 赤い光のあふれだした左手が、揺らいだ。
「君のことは聞いたわ。契約者を亡くされたのね」
「……わたくしの夫は」
「君は本当は分かっているはずよ。契約者が死んだことを、他でもない契約者の片割れが分からないはずない」
「……あなたには」
「わかるわ。私も契約者を亡くしたことがあるの」
 ミラの喉で、出かかっていた言葉が「ぐっ」と止まった。
「何度も何度も亡くしたわ。……て、言っても、誰を亡くしたのか、何度亡くしたのか、もうほとんど思い出せないんだけれどね。私の頭は、大切なこともどうでもいいことも、簡単に取りこぼしてしまうから」
「――……不毛な」
 ぽつりとつぶやいた銀の頬に、月桃はそっと触れた。
「今は私に喋らせて」
「……元よりそのつもりです。刃様のご意思ですから」
「ありがとう」
 月桃は優しく銀の頭を撫でて、それから、またミラを見上げた。
「でも、亡くしたことそのものを忘れたことは一度もないの。契約者が亡くなった時の痛みや苦しみや、死んでしまいたいほどの喪失感は……きっと、頭ではなく体が覚えているのでしょうね。……きっとあなたも忘れられないのね、契約者を亡くした痛みを。千年経っても消えないものを、たった一年で平気になれと言う方が無理だわ」
「……」
 ミラは、まるで何かにすがるように、血まみれの左手をきつく握った。
「ねえ、私の笑顔は君に似てるでしょう? 私もね、はじめて契約者を失った後に、胸に空いた悲しみを無理に埋めようとして笑ったら……今まで見たこともない笑顔になったの。でも、何度も何度も契約者を失ううちに、この顔しかできなくなっちゃった」
 月桃は、柔らかく、慈愛に満ちたように見える笑顔で、じっとミラを見上げた。
 ミラは、今や深くうつむいて、血染めの白髪の中に顔を隠している。
「……私ね、今のパートナーに、刃に、とてもとても救われているわ。でも、私はもう、この張り付いた笑顔しか向けてあげることができないの。……でも、あなたはまだ、心から笑うことができるんでしょう?」
「……張り付いた笑顔だなんて言うな」
 ぽつりと、刃が言った。
「まるで、もう取り戻せないみたいに言うな、月桃。きっときっと、俺がお前の笑顔を取り戻してやるから」
「……うん、ありがとう。けれど、私のために人生を棒に振るような真似は、しないでいいのよ」
 ミラを見ていた時と変わらない、柔らかく見える笑顔で、どこか悲しげに月桃は言った。
「……ねえ、ミラさん。君は私と違って、まだちゃんと笑えるのよ。自分のことを、本当に想ってくれている人の前では、ちゃんと」
 月桃が、まっすぐミラを見上げている。
 その左手からは、真っ赤な光が、今にも弾けそうなほど大きく広がっていた。
「それを、忘れちゃだめよ?」
 ミラの左手を、オーナーが掴んだ。
「……!?」
 ミラが目を丸くして、オーナーの方を見た。
 ブラッドルビーからあふれ出る光は、ミラの手を包むオーナーの掌に遮られる。
 息を切らしたオーナーは、泣きそうな眼差しでミラを見据えた。
「……義姉さん、死のうだなんて思わないでください」
「……あの人の」
 ぽつりと、血を吐くようにミラは言った。
「あの人のいない世界など……わたくしはいらない」
 張り付いたような柔らかな笑顔を浮かべたまま、ミラは言葉を紡ぐ。
「契約者を見つけられず、誰にも声が届かず、たった一人でさ迷っていたあの日に逆戻りしてまで……生きていこうなどと、わたくしは思えない」
「逆戻りなんて、しません」
 きっぱりと、オーナーは言いきった。
 ミラの手を掴んだオーナーの掌から、赤い光が細く漏れ出してきている。
「僕はあなたに……「兄さんは旅に出た」と嘘をつきましたね。けれど、本当はもっと別の言葉をかけたかったんです。怖くて……あの時は口にできなかったけれど」
 ミラの真っ赤な瞳を見据え、オーナーは大きく息を吸い込んでから、言う。
「あなたは一人にはなりません。たとえ兄さんの死を確信しても、孤独だった日に逆戻りなどしませんよ。あなたが大丈夫になるまで、何があっても……あなたのそばには僕がいますから」
「……っ」
 ミラの顔から、張り付いたような笑顔か消えた。
 真っ赤な瞳の光を受けて、ブラッドルビーよりも赤く輝く、涙の滴がじわりと溢れた。
「それを、覚えておいてください。……義姉さん」
 オーナーが、ミラの左手を掴んだ手から、力を抜いた。
 一本ずつ、オーナーは自分の指を外していく。
 オーナーが一本指をどかすたびに、赤い光が、夜空に向かって解き放たれ始めた。
「……っ」
 息をのんで、オーナーはミラの左手から手を放した。
 まばゆいほどに赤く、縄のように太い光が、ただ一筋に満月を指していた。
 前のオーナーと、この場所で、ミラが幾度となく見上げた満月を。
「……あな……た……ッ」
 ミラが顔を伏せた。持ちあげた左手が震えて、落ちかける。
 その瞬間。
 ブラッドルビーから、まばゆい真紅の光があふれだした。
 光は、屋上を、そして天窓を通って三階の廊下を、赤く赤く照らし上げる。
 オーナーと、すべての生徒が、赤い光に身を浸し、その小指から、光の糸を紡ぎだす。
 三階の廊下から、屋上に立った春美とディオネア、そしてオーナーの小指から、まっすぐに、ミラに向かって光が伸びていた。
「……私には見えないけれど、でも、わかるわ」
 月桃が、困惑した様子のミラを見上げて、微笑んだ。
「ここにいるすべての人たちは、今この瞬間、君のことばかり考えて走り回って、そしてこの場に集まったのよ。……君には見えているでしょう、その証拠が」
 月桃は、ミラに向かって細い糸を伸ばした左手の小指を、すっと持ち上げた。
「オーナーさんの、それに私たちの、みんなの気持ちを……片想いにしちゃ駄目よ」
 すとん、とミラの左手が下に落ちた。
 しゃくりあげて、鼻水をすすりながら、ミラは、泣きそうな笑顔で、けれど自然な笑顔で、頷いた。
「……片想いになど、いたしません」
 濡れた声で、ミラは言った。
「不毛にさえ思えるほどに、誰かを想い続けることがどれほど辛いか……わたくしは、ようく知っておりますから」
 月桃はミラの笑顔に応えるように、微笑んで頷いた。
「……義姉さん」
 不安げに、オーナーがミラの顔を覗き込んだ。
 ミラは、血と涙でくしゃくしゃになった顔で、オーナーに微笑み返す。
「あの人は、この指輪より、この月見亭より、もっと素晴らしいものを残してくれていたのね」
 指輪をはめた左手を持ち上げて、ミラは、オーナーの頬にそっと触れた。
「こんなに優しい義弟を……わたくしに残して行ってくれたのね」
「……ええ」
 オーナーは、ミラの左手を涙で濡らしながら、頷いた。
「気づくのが遅いですよ……義姉さん……」
「そうね……ごめんなさい」
 ルビーより赤い涙が、ミラの、細められた血色の瞳から、とめどなくあふれ出ていた。
「それと……ありがとう」