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リアクション
『夜闇に秘められしもの・2』
七尾 蒼也(ななお・そうや)は、部屋の扉をゆっくりと押しあけた。
部屋の中は暗く、人の気配は無い。
「バレたらまずいことになるわね、こんなとこに勝手に入ったのが知れたら」
ペルディータ・マイナ(ぺるでぃーた・まいな)も、蒼也に続いて部屋に入り、静かに扉を閉めた。
「この事件を解決するのがオーナーの依頼だろ? なら、そのためにどんな手段を使ったって文句は言われないはずだよ」
「まあ、あたしも別に、オーナーの部屋に忍び込むことには抵抗ないけどさ。あのオーナー、なーんか怪しいしさ」
暗闇の中でスイッチを探り当て、ペルディータは部屋の明かりをつけた。
ベッドと小さな事務机、それに据え付けの大きな本棚が一つあるだけの、現オーナーの質素な私室が、白々と照らしだされる。
「【百合園女学院推理研究会】の連絡網で、ミラが前オーナーの妻だってこと、ブラッドルビーはどうやら前オーナーが作ったらしいことがわかってる。……なら」
蒼也は、本棚に並んでいる本の背表紙を指でなぞった。
「あと調べるべきは、今のオーナーの私室しかないだろう。「なぜ、ミラが前のオーナーの妻であることを黙っていたのか」「なぜ、前オーナーが作っていた指輪が、今現オーナーの手にあるのか」どちらも、今のオーナーが鍵を握っている」
蒼也が、本棚から営業日誌を一冊取り出し、パラパラとめくった。
「それに、前オーナーの営業日誌の一部が切り取られていたらしい。それとこれは個人的な見解らしいが、どうやら前オーナーは、自分の死ぬ時期があらかじめ分かっていたような行動をとっているらしい。……どちらも、それらを意図的に隠す人物がいるろすれば、オーナーだ」
「ふうん。……ならさあ」
本棚の本に目を凝らしている蒼也から離れ、ペルディータはよいしょっとしゃがみこんだ。
質素なベッドの下にある、暗い隙間に目を凝らし、
「みーっけ」
暗闇の中に隠されていたビスケットの缶を引きずり出す。
本棚から目を離した蒼也が、ペルディータの引きずり出した缶を見て目を見張った。
「ペルディータ……それ……」
「蒼也くんが言ってた情報から察するに、いまあたしたちが探しているのは、現オーナーからすれば誰にも見られたくないものでしょ? なら、本棚とか分かりやすい場所じゃなくって、なるべく人の目につかないところに置いてあるのが普通じゃない?」
蒼也は、ビスケットの缶を開けて、中から紙束を取り出していくペルディータを見ながら、しばし黙っていた。
「……鋭いな」
「そう?」
ビスケットの缶から顔を上げないまま、ペルディータは照れたように笑った。
「人間の感情とか思考とか、最近そーゆーのを勉強してるせいかな? 役に立てたなら、嬉しいな」
暖かな笑顔を浮かべていたペルディータは、ビスケットの缶から一枚の写真を取り上げると、さっと冷水を流したように真剣な顔に戻った。
「みっけ。はい蒼也くん」
ペルディータが差し出した細長い写真を、蒼也は受け取ってまじまじと見た。
笑顔のミラが映っていた。髪の毛が黒いことと、邪気のない晴れやかな笑顔を浮かべていること以外は、蒼也やペルディータが知っているミラそのままだ。年齢すら変わっていない。
しかし、その写真はあまりに長細かった。
「……?」
蒼也は怪訝そうに目を細めて、写真を裏返した。
そこには、現オーナーに似た線の細い男性が映っていた。
ミラと前オーナーが並んで写った写真を、二つ折りにしてあるのだっった。
「普通、写真は二つ折りにはしないよね」
「……どっちかの顔を見たくなかったのかな」
「どっちかの?」
ペルディータがいたずらっぽく聞くと、蒼也は「いいや」とかぶりを振った。
「お兄さんの顔を見たくなかったのかな。今のオーナーさんは」
「好きだったのかもしれないね、ミラさんのこと。お芝居の脚本にはよくあるよね。たしか、許されざる恋。……略奪愛って言うんだっけ?」
「……まあ、似たようなもんかな」
蒼也は苦笑して、写真を開いて見た。
輝くような笑顔を浮かべたミラと、どこかさびしげな笑顔を浮かべた前のオーナーが、並んで写っている。
「でも……半分に破くほど、お兄さんが嫌いでもなかったのかな」
「そこが複雑な所だったのかも知れないね。……勉強不足で、うまく言葉に変換できないけどさ」
次にペルディータは、紐でまとめられた手紙の束を取り出した。
「前のオーナーと、今のオーナーのやり取りみたいね」
手紙の文面に目を走らせながら、ペルディータは言った。
「内容は?」
「ミラさんのことみたい。書かれたのは一年半くらい前ね。えーっと……」
手紙を読み進めてゆくにつれて、ペルディータの眉がきゅっと寄っていった。
「なんだろ、これ。前のオーナーさんが、今のオーナーさんにあてた手紙らしいんだけれど……読むね?」
こほん、とペルディータは咳払いひとつして、手紙を読み始めた。
『自分の身辺は、パラミタに来る前にきちんと処理できている。自分のことで、あとに残るような心配ない。ひとつ心残りがあるとすれば、ミラのことだ』
蒼也の眉も、ペルディータのようにきゅっと寄っていった。口元が何か言いたそうにもごもご動いたが、結局何も言わなかった。
『ミラは、ずっと一人で地球をさ迷っていたせいか、とても孤独を恐れる傾向にある。私がちょっとした仕入れに行くのにさえ、一緒について来ようとするから、やむなく留守番のためにスタッフを雇った話は、もうだいぶ前に書いたと思う。今では、少しの留守番や買い物くらいは、一人で出来るようになったが……それでも、根本的に孤独を恐れるのは変わっていないように思う』
かさかさと乾いた音を立てて、ペルディータは手紙をめくった。
『私は地球人で、ミラは吸血鬼だ。どう努力したところで、私の方が早く死ぬのは明らかだ。だが今までは、まだまだそれまでには時間があると思っていた。いまはまだ、二人で生きる時間を楽しめると思っていた。だが、それはもう叶わない。猶予は、もうない』
ペルディータの声が深みを増す。まるで役を演じる役者のように。
『例のあれは急いで作っているが、間に合うかどうかは正直分からない。だから、もしもあれが間に合わなかったら、その時は、しばらくミラの面倒を見てあげてくれないだろうか。ミラが、一人でも何とかやって行けるようになるまで、そして、ミラが私の後を追って、軽率な行動をしないようになるまで』
ペルディータの読んでいた手紙は、そこで終わっていた。
「終わり?」
蒼也が首をかしげて、ペルディータはかぶりを振る。
「ううん。まだあると思う。……えっと」
ペルディータは、ビスケットの缶のすみっこに押し込められた、くしゃくしゃの紙切れを何枚か引っ張り出した。
「これも手紙っぽいんだけれど……ああ、これが続きね」
紙くずのようになった手紙の一つを広げて、ペルディータはまた読み上げ始めた。
『ミラは人見知りが激しく、古株のスタッフにもなかなか心を開かないが、唯一お前にだけは、心を開いているように思う。身勝手な兄の最後の願いと思って、聞き入れてもらえることを願っている。兄より、弟へ。信頼をこめて――……』
読み終えて、ペルディータはほうと一息ついた。
蒼也も何も言わないまま、しばらく腕を組んでうつむいていた。
「――……それで」
ぽつり、と蒼也が言葉を切り出す。
「その最後の一枚を、今のオーナーはくしゃくしゃに丸めた、と」
「そういうことみたいですね……」
蒼也は「うーん……」と唸りながら、頭をかいた。
「その手紙を読んでも、やっぱり、オーナーが自分の死期を悟っていたようにしか思えないんだけどな……」
「たぶん、その答えはこれです」
ペルディータは、破り取られた手帳のページを一枚、拾いあげて蒼也に見せた。
「前オーナーの営業日誌? なんでこんなものが破かれてここに? えっと……『微熱の原因は、パラミタで感染した伝染病のせいだったらしい。ザンスカールの呪医の話では、地球人の身体の中で独自の変化を起こしており、薬は効かないそうだ』これって……」
ペルディータが別のページを持ち上げて、蒼也の言葉のあとをついだ。
『どうやら、私の中で変質したパラミタの病原体は、既存の薬が一切通じないらしい。私の寿命は、持ってあと一年だそうだ。だが、人から人へと感染することはないようで、ひとまず安心した。命が尽きるまでの時間を、ミラと一緒に過ごすことはできそうだから』
手帳のページを缶に戻して、ペルディータは長い溜息をついた。
「……前のオーナーさんは、本当にミラさんのことを第一に考えていたんだね」
「うん。……あれ? いや、待ってくれ」
はっとして、蒼也は顔を上げた。
「俺たちはさっきから、現オーナーの部屋に来たのに、前のオーナーの言葉ばかり追ってないか?」
「え……どういうこと?」
「重要なのは、前オーナーが残した情報じゃない。その情報を、この真実を、知っている今のオーナーが、をどう扱おうとしたかが重要なんだ」
蒼也は缶の中から、くしゃくしゃに丸められた手紙をすべて拾いあげて、しわを伸ばした。
「なぜ、今のオーナーはこのいくつかの手紙をくしゃくしゃにしたんだ? この中に書かれていた情報を、今のオーナーはどうしてこんな風にぞんざいに扱ったんだ?」
しわを伸ばして、丸められていた手紙に目を通し、「ああ」と蒼也はうめいた。
「どうやら、今のオーナーは、想像以上にミラのことが好きだったようだよ……」
※
スタッフのいない厨房で、真名美・西園寺(まなみ・さいおんじ)が手当たりしだいに棚をひっくり返していた。
鉄鍋やザルががらんがらんと音を立てる中、佐々木 弥十郎(ささき・やじゅうろう)は手近な流し台に背を預けて、あくびをかみ殺した。
「厨房で何か見つかるんですかねえ、先生」
弥十郎ののんびりした問いに、西園寺は半ばヤケのような声で答える。
「厨房で人が死ぬような爆発なんて、そうあるはずないもん! きっと、ここになにか謎が隠されているはずだよ!」
「そうですかねえ。それより、オーナーさんにでもカマをかけてきた方が……」
「いいから弥十郎も探して! あっ、それとなにか面白いレシピのメモとかあったら、優先的に確保!」
「うーん、了解ー」
弥十郎はポリポリと頭をかいて、のんびりとあたりを見回した。
西園寺が届きそうにない、高い位置にある棚に目をやり、手を伸ばす。
棚の扉を開けると、細かな埃がぱらぱらと散った。
「だいぶ開けてないみたいですねえ、この棚」
弥十郎は、棚に並んでいたスパイスケースのような小瓶を一つ、ひょいと取り上げた。
「……うん?」
小瓶には、サラサラした真っ赤な顆粒が詰まっていた。
小瓶の表面は、棚の中に入っていたにもかかわらず薄くほこりが積もっていた。
弥十郎は小瓶のふたを開け、手であおいで匂いを確かめた。
「無臭……。さすがに、舐めてみる気にはなれませんねえ……」
「なにそれ?」
西園寺が立ち上がって、弥十郎の手に納まった小瓶を覗き込んだ。
「棚の中にあったんですけど、なんでしょうねえ、これ。ちょっと、料理に使う物には見えないんですが……」
「んじゃ、舐めてみようよ」
「それは……ちょっとやめた方がいいと思いますよ……? 結構古いもののようですし」
「じゃ、触ってみよう!」
西園寺は弥十郎から小瓶を取り上げて、広げた手のひらに顆粒をひと山こぼした。
「だ、大丈夫ですか? 触っても」
「なんか……くすぐったい?」
顆粒が突然、ざわっ、とざわめき、砂漠のように不可思議な波紋を作った
「うわっ!? ひとりでに動いたよッ!?」
「――なかなか面白いものを見つけたじゃないか」
「うひゃっ!?」
突然の声に驚いた西園寺の肩を、毒島 大佐(ぶすじま・たいさ)が押えた。
「こぼすな。希少品だぞ」
大佐は西園寺の手から小瓶を取った。西園寺の掌につもった顆粒を、そっと小瓶の中に戻す。
「この顆粒がなにか、知ってるんですか?」
弥十郎の問いに、大佐はこくりと頷いた。
「ああ。毒物や危険物にはちょっと詳しいんでな」
「危険物なんですか?」
大佐はこくりと頷き、手近なコンロに火をつけた。
小瓶から顆粒を数粒だして、それをコンロの上に落とす。
炎に照らされた血色の顆粒が、一瞬キラキラと輝いて、
――ぼんっ、と言う音と共に小さな爆発を起こした。
「可燃性だ。炎に触れると急激に燃焼する。この小瓶ひとつだけで、厨房くらいは簡単に吹き飛ぶだろうな」
「それはそれは、まるで爆弾ですねえ」
「まあ、ある意味な。もっとも、希少な薬品だからそんな使い方はされんがね」
「希少だって言うけど、じゃあそれ、何かの役に立つの?」
西園寺が怪訝そうに言うと、大佐はからかうように笑いながら「無論だ」と言った。
「さっきお前が、掌の上でやったろう」
「模様が出るってこと?」
「正確には、少しちがうな。この薬品は、人の感情に反応して結晶の形を変えるんだ」
さらさら、と大佐は小瓶を振った。
「普通は占いや、高級な嘘発見器なんかに使われる。だがまあ、どうまかり間違っても料理になんか使うはずないのだがな……」
「――それって、これと関係あるかな?」
神和 綺人(かんなぎ・あやと)が、少女のように端正な顔をちょっと傾げさせて、大佐に一枚の紙切れを差し出した。
「向こうの調理台に張ってあったのですが……」
クリス・ローゼン(くりす・ろーぜん)が、広い調理場の一番奥にある調理台を指さした。
綺人が差し出した紙切れはかなり古いようで、はしばしが黄ばんでいる。
紙面には、マジックで大きく『オーナーは厨房使用禁止!』と書かれていた。
「ほう、これは……」
大佐が興味深げに眼を細める。
「紙の古さを考えるに、たぶん前のオーナーに向けて書かれたものだと思うんだけど……」
綺人が首をかしげる。
「もしかして前のオーナーは、厨房で、料理以外のものを作っていたんじゃないかな。それが危険なものだから、スタッフたちがこんな張り紙をしたんだ」
「危険なもの? あの顆粒を使ってか?」
綺人は頷いた。
「僕思うんだけど、その顆粒ってさ、ブラッドルビーの材料じゃない?」
「……!」
大佐が目を見開いた。
「いや、僕らはさ、なんで前のオーナーがブラッドルビーを持ってたかが気になって、いろいろ調べてたんだけれど……どうも、その顆粒の特徴を聞くと、ブラッドルビーの能力に似てるだろ? 人の感情に反応して、何らかの効果を表すあたりが」
「ああ、ああ、確かに……確かに、ブラッドルビーの製作は可能だ。なるほど、そういうことか……!」
「それじゃあ」
ぽつりと、弥十郎がつぶやいた。
「前のオーナーは、ブラッドルビーを作り出す過程で事故を起こして、命を落としたってことになるねえ」
「そうだね。……でも」
綺人は、腕を組んでうーんと唸った。
「そんな危険を冒してまで、どうしてブラッドルビーを作ろうとしたんだろう? 奥さんにでもプレゼントするためかな?」
「――ミラに渡すためだよ」
突然、厨房に入ってきた蒼也とペルディータを、その場にいた全員が一斉に振り返って見た。
※
「じゃあ、この指輪は前のオーナーさんから、奥さんであるミラさんへのプレゼント、ってことですか?」
クリスの問いに、蒼也は頷いた。
「病気にかかって、自分の死期を悟った前のオーナーさんは、多少危険でも、命が尽きる前に指輪を完成させたかったんだ。営業日誌を読む限り、それで何度も事故を起こして、地下の実験室を壊してしまったらしい。最終的に、実験に必要な設備が一通りそろっている厨房を間借りし始めたらしい」
「厨房でこの危険な薬品を扱えば、大事故も起ころうというものだな」
大佐の言葉にも、蒼也は頷く。
「でも、どうしてそこまでして、ブラッドルビーを作りたがったんでしょう?」
首を傾げたクリスに、蒼也は、くしゃくしゃにしわがついた一枚の手紙を広げて見せた。
それは、前のオーナーが今のオーナーに宛てて書いた手紙だった。
内容は、ブラッドルビーのピンキーリングの効果と、それをミラに渡してほしい、という願い。
「ブラッドルビーのピンキーリングは、装着者の「心」を感知して、装着者が想いを寄せている人物の「心」へ赤い光を繋げるらしい。魂や、肉体は関係ないんだ。だから、たとえ亡くなった人物であろうと、「心」が強い残留思念として残っていれば、赤い光はその残留思念のありかを指し示すんだ」
「なるほどねえ、つまり……」
弥十郎が、のんびりと頷く。
「前のオーナーさんは、自分が死んだあとも『私はミラのことをずっと見守っているよ』ということを伝えたいがために、どうしても死ぬ前にブラッドルビーを完成させて、ミラさんに渡したかったわけだね?」
「そう言うことらしい」
蒼也が頷く。
「……それじゃあ」
クリスが、わなわなと唇を震わせた。
「それじゃあ、どうしてそのリングがオーナーさんの手にあるんです!? 前のオーナーさんが命を賭けて、ミラさんのために作り上げたのに! なんでそれが、今のオーナーさんの商売道具になっているんです!?」
「……前のオーナーは、今のオーナーに、ミラに指輪を渡してほしいことや、ミラの面倒を見てあげて欲しいことを、ちゃんと頼んでいたわ。手紙には、そう書いてあった」
深く落ち着いた声で、ペルディータは言った。
「でも、ミラさんは一年間も行方不明だったし、指輪はずっとオーナーさんの手にあって、一年間も商売道具に使われていたじゃないですか!」
叫ぶようなクリスの声は、もうほとんど涙声だった。
「ひどいです……。前のオーナーさんは、自分の命を、自分の命より大切なミラさんを、今のオーナーさんを信じて託したのに……。今のオーナーさんは、それを裏切ったんだ。裏切って、前のオーナーさんの気持ちを踏みにじったんだ……ッ!」
ぎゅっと、やりきれない顔で唇を噛んで、クリスはぽろぽろと涙をこぼした。
綺人がクリスの肩を抱いて、優しく抱きよせる。
そのまま、綺人は母親が子供をあやすように、クリスの背中をぽんぽんと優しくたたいた。
「クリスは優しいね」
綺人が柔らかな声で言うと、クリスは綺人の胸に顔を押しつけながら「ひっ」と大きくしゃくりあげた。
「今のオーナー、ミラさんなんて比べ物にならないくらい大悪人だね……。なんとか、懲らしめてやれないのかな……」
西園寺も、きつくこぶしを握りしめて肩を震わせた。
ペルディータが、ふと蒼也を見た。蒼也もペルディータを見返し、頷く。
「……懲らしめてやることは、できるよ。もとより、そのつもりだった」
言いつつ、蒼也は懐から携帯電話を取り出した。
その場にいる全員が、蒼也を見る。
「ただ、俺とペルディータの集めた情報だけじゃ、どうにも力不足だったんだ。けれど、佐々木たちの見つけた薬品と、毒島の知識と、神和たちが見つけてくれた張り紙で、裏付けは取れた。俺とペルディータの情報は、信頼するに足る推理に変わった」
蒼也はカチカチと携帯を操作し、発信する。
ディスプレイには「橘 舞」の文字が点滅しはじめた。
「今俺たちが導き出した真実を【百合園女学院推理研究会】の代表に伝える。この情報は推理研究会が総力を挙げて生徒たちに広めてゆき、すぐに月楼館中に知れ渡るだろう。そうなれば、生徒たちだけじゃない、スタッフたちだって、オーナーを手伝うことに疑問を抱く。あっという間に、オーナーの味方はいなくなるんだ!」
※
「はいもしもし、橘です。……ああ、蒼也くん?」
がらんと人気のないロビーに、橘 舞(たちばな・まい)の柔らかな声が響いた。
空っぽのガラスケースに腰かけ、暇そうに足をぷらぷらさせていたブリジット・パウエル(ぶりじっと・ぱうえる)が、携帯を耳にあてて話し始めた舞に目をやった見る。
「なになに? やっと私たちの出番ってわけ?」
いたずらっぽく笑って、ブリジットがガラスケースからぴょんと飛び降りた。
舞はブリジットに向かって頷いて見せながら、電話の向こうの蒼也の言葉に耳を傾けている。
「あー、会員たちの仕事を待つのは退屈だったわー」
通話を舞に任せたまま、ブリジットは大きく伸びをした。
「私はみらびと違って安楽椅子探偵は似合わないのよ。積極的に現場に出る派なんだから。ってゆーかむしろ、会員の連絡なんか待たなくたって大体の真相はもうつかめてるけど? でもみんなにも華を持たせてやらなきゃ推理研の代表者としては……」
「ブリジット」
舞が、ぴんと立てた人差し指を自分の唇にあてた。
ちぇっ、とブリジットが唇を尖らせる。
「へーんだ、なによ舞のくせに。ワトソンのくせに」
ブリジットが手持無沙汰にガラスケースを叩いたりしている間に、舞は蒼也の言葉に頷き、時にメモをとり、十分ほど話してから丁寧に電話を切った。
「ブリジット。この事件の全貌が掴めてきたわ。私たちの出番みたいよ」
無意味にぼんやりと天窓を見上げていたブリジットは、舞の言葉を聞くや顔に生気をみなぎらせた。
「私たちの出番! なるほどね、もうそろそろこの事件もクライマックスってことね! さあ、聞かせて舞! まあ、おおかた私の推理どおりでしょうけど、会員たちが足で集めた裏付けや証拠も大事だものね!」
「うん。ええっとね、蒼也くんたちの集めた情報によると……」
舞は、前のオーナーが病気で長くなかったこと。前のオーナーは、ミラが悲しまないように指輪を作ったが、その実験中の事故で亡くなったこと。今のオーナーは、どうやらミラに想いを寄せていただろうこと。今のオーナーは、ミラの世話や指輪の処遇を前のオーナーから任されていたが、現状どちらも成していないこなどを、できる限り蒼也が説明したとおりに話した。
ブリジットはその辺をぐるぐる歩き回りながら、ふむふむともっともらしく頷いて、舞の説明が終わるや否や、「なるほどね」と呟いた。
「やっぱり、ほとんど私の推理通りね」
「本当!? すごい!」
ぱっと目を見開いた舞に、ブリジットは胸を張って頷いた。
「つまり今回の事件は、今のオーナーがミラへの恋心から起こしてしまった、悲しい因果がもたらした結果と言う訳ね」
「どういうこと?」
「簡単な話だよワトソン君」
ブリジットは、ぴしっと人差し指を立てた。
「蒼也は真意を読み取れなかったみたいだけど、くしゃくしゃになった二枚の手紙、これが今回のポイントよ。丸められていたのは、「指輪」のくだりと「ミラを頼む」というくだりのふたつ。今のオーナーは、前のオーナーに頼まれたこの二つの事柄が、どうしても受け入れられなかった」
ブリジットが、何かをせがむように、横目で舞を見た。
舞は一瞬キョトンとしたが、すぐに「あっ」と小さく声を上げる。
「ええっと……そ、それってどういうこと? 詳しく教えて?」
「もう、しょうがないわね」
ブリジットは満足げに頷いた。
「ミラのことを愛していた今のオーナーは、ミラが指輪を手にして、兄との思い出に生きることが我慢ならなかったのよ。まして、ミラを「兄の妻」として保護するなんて絶対嫌だった。だからオーナーはそれらの手紙を怒りのあまり丸め、指輪の存在をミラから隠し、あてつけのように商売道具にした。そして兄とミラの思い出の場所である月楼館を自分のものにし、もしかしたらミラにも言い寄ったのかもしれないわね。けれどその結果、ミラは今のオーナーのもとから逃げだした」
ブリジットはカツンとカカトを鳴らして足を止め、びしっと舞を指さした。
「つまり今のオーナーはね、ミラを自分のものにしたいのよ! だからこそ、ミラに指輪を使われて、前のオーナーの想いを確かめられるのを止めたいわけ。これが事件の真相よ。真の被害者はミラだった、ってわけ」
「なるほどぉ。さすがブリジット! 見なおした!」
「見なおした?」
ブリジットが、不満げに舞を見た。
「あっ、ああ、えっと、ブリジット、今回も名推理だね!」
「そうでしょそうでしょ? 私にかかれば、どんな事件もこんなもんよ!」
背中をそらして胸を張り、ブリジットは呵々と笑った。
「さあ、そうと決まれば行動開始よ! 推理研の全会員にこのことを報告! 推理研の周囲の生徒やスタッフたちにも積極的に広めさせるの! そうやってオーナーの協力者を減らし、ミラの協力者を増やして、ミラと前オーナーの願いを成就させるのよ!」
「わかった! だいたい蒼也くんの言ってた通りのことをすればいいのね!」
ブリジットの勝ち誇った笑顔が、ひくっとひきつった。
「そっ……蒼也が言い出すよりずう―――っと前から、私はそう思ってたのよ!」
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