百合園女学院

リアクション

chapter.6　その距離の埋め方は愛だけが知っていた　


　蜜楽酒家に鐘の音が響いた日の朝。
地上では、アグリや生徒たちが不安そうな眼差しをヨサークたちに向けていた。ヨサークはもちろん、扇の破片に意識を吸い込まれてしまったかのようにさけと葛の葉、梓も目を覚まさないまま半日以上が過ぎていた。
「もしかして、ずっとこのままなんてことは……」
　誰かがぽつりと漏らしたその言葉に、生徒たちはより不安を煽られた。そんな彼らに出来ることは、祈ることと待つことであった。アグリは目を瞑り、そっと手を合わせた。
「どうか無事でいてけろ……」
　願いが、ヨサークに染み込んでいった。

◇

　白い壁に覆われた、10平方メートルほどの広さの部屋がある。
　ガチャ、と扉を開け、さけと葛の葉、梓がその部屋に足を踏み入れた。最後尾の葛の葉が扉を閉めると、すうっと扉は壁に同化し、消えてしまった。部屋には他の扉も何もなく、ただ白い壁だけが彼女らの視界を埋めている。
「……また、同じような部屋ですわ」
　さけが溜め息と共に言葉を吐く。彼女たちが入った部屋の数は、既に3桁に届こうとしていた。そしてその全てが、コピーかと思うほど同一の部屋であった。
「これが、頭領の心の中なのかなー」
　さすがに梓も疲れてきたのか、少しだけ元気なさそうに呟く。破片に触れ意識を失った3人は、それからひたすら部屋から部屋へと渡り歩いていた。
「きっとこの部屋も……」
　さけが、今まで繰り返してきたように消えた扉の反対側まで歩き、壁に触れる。すると壁からおもむろに扉が浮き出てくる。
「もう、次で何部屋目か分かりませんの」
「もしここがヨサークはんの心の中やったとしたら、相当心の広い人やったんどすなぁ」
　葛の葉が冗談めいた様子で言う。軽く場が和みはしたものの、3人の足取りはお世辞にも軽快とは言えなかった。また白い部屋に出るのでは……そう思い扉を開けたさけの予想は、裏切られた。
「ここ、は……？」
　幾多の部屋を抜けた先に現れたのは、今までとは対照的な黒い部屋。まるで宇宙に放り出されたような錯覚を覚え、さけたちは不思議な気持ちになった。
「あ、上！」
　梓が頭上を指差す。そこには、大きな飛空艇がごうんごうんと飛んでいた。その影に覆われ、一瞬視界が暗転する。やがてそれが通り過ぎると、次に目に飛び込んできたのはたくさんの雲だった。流れるように3人に向かってくる雲に混じって、石像のままのユーフォリアが飛んでくる。
「え……なんで……」
　訳が分からず戸惑う梓。その間にも雲は流れ続ける。雲が止むと、途端に景色が変わった。どこか見覚えのある、遺跡に囲まれた場所だ。
「これは、戦艦島……？」
　さけが記憶を辿るように口にした。確かにその景色は、見紛う事なき戦艦島の風景だった。さけが遺跡に触れようとするとそれはあっという間に消え、スライドショーを見せられているように目まぐるしく景色が変わった。彼女たちが次に見た景色は、蜜楽酒家だった。
「これってもしかして、頭領の記憶を見ている……？」
　梓が推測を述べる。飛空艇、雲の群れ、戦艦島、蜜楽酒家……確かにそれは、彼ら生徒たちと共に行動した場所を、巻き戻して再生しているようだった。梓が酒場のテーブルに触ると、また景色が変わる。今度は、どこかの農村らしき場所だった。
「酒場の前……俺たちと会う前……てことは、頭領の故郷？」
　見渡せば、あちこちに畑が広がっている。さけと葛の葉も沈黙で、その推測に同調していることを示す。少しすると、あぜ道の向こうからひとりの女性が現れた。肩で綺麗に切り揃えられたボブカットと小さな背が印象的な、かわいらしい女性だ。
「これはこれは……」
　さけによう雰囲気が似てはるなあ。葛の葉は言いかけた言葉を飲み込んだ。ここがヨサークの心の中だとしたら、さけが目の前にいるのに無神経なように思われたのだ。
「おい、あゆ」
　その時、聞き慣れた声が聞こえた。それは紛れもなく、ヨサークの声だった。それが女性の名前なのか、目の前の女性は振り向き声の方に小走りで駆けていった。
「あ、行っちゃう……後を追わなきゃー」
　梓があゆと呼ばれたその女性を追いかけ、あぜ道を駆けていく。その後に葛の葉、少し遅れてさけもその足を前へと進めた。
　段々と道は細くなり、目の前を走っていたはずの女性の姿もいつの間にか見えなくなってしまっていた。気が付けば周りは、夜のような暗さで埋められていた。
「あれ、さっきの人は……っ！？」
　梓が前へ進もうと足を動かした瞬間、その足を踏み外す。続いていたはずの道が途切れ、深い穴になっていたのだ。そのまま落ちていく梓。後に続いていた葛の葉とさけも、同じく穴に飲み込まれてしまった。
　どれくらいの間落下を続けたか分からないが、相当深い穴であることは確かだった。どさっ、と3人が落ちた先は、何もない4畳半ほどの小さな暗い小部屋だった。否、最初は暗くてよく見えなかったが、部屋には人影があった。影から、声が聞こえる。
「なんだおめえら、なんでここにいんだ」
　それはつい先ほど耳にした、ヨサークの声だった。3人の目が闇に慣れ始めると、ぼんやりとヨサークの姿が見えた。あぐらをかき座っているヨサークの周りには、有刺鉄線のようなものが張り巡らされ、バリケードを築いていた。
「頭領！　ていうことはやっぱり……」
　梓が有刺鉄線ギリギリまで近付き、ヨサークに話しかける。彼が言おうとした通り、3人はもう随分前からヨサークの精神の中にいたのだ。
「長いこと生きてても、さすがに人の頭の中に入ったんは初めてどすなぁ」
　改めて自分たちのいる場所を知った葛の葉が、きょろきょろと辺りを見回す。さけは、まだ沈黙を守ったままだ。
「おめえもそっちのクソボブも、こんなとこまで何しに来たんだ」
「頭領のこと放っておけないから、起こしに来たんだよ。団員だもん、当たり前だろー？」
　梓が有刺鉄線を挟んで向こうにいるヨサークに答える。隙間から手を伸ばせば、届きそうな距離に彼はいる。
「頭領、俺あの時言ったこと、ちょっとだけ間違ってたかも」
「あの時……？」
「ほら、ヘッドホン預けた、あの雲の谷の時。もしユーフォリアがなくても頭領ならきっと、自由に楽しく飛べる空に出来るんじゃないかな……って言ったの、憶えてる？」
「ああ、アレか」
　何ヶ月も経っていないはずなのに、ふたりにはそれが遠いことのように感じられた。梓は真っ直ぐヨサークを見て続けた。
「ひょっとしたら頭領はあの時もう……ううん、もっとずっと前から、出来るんじゃなくて出来てたのかも」
　いつだって楽しそうに飛んでいて。色んな人と馬鹿なことをして。それは、追い求めていた未来そのものなのでは。梓は、いつしかそう思うようになっていた。
「頭領はいっつも力を求めてたよね。力を示したいって。でもそれって、他の人に示すものなのかな。他の人が自然と示してくれる、そんな風だったらすっごくいいなーって思うんだ」
「おめえ……」
「少なくとも俺は、頭領に力はあるって思ってるし示したいっても思うよ。だから、何でも言ってみてよ。何してほしいのか」
「そんな操るようなこと、俺が……」
「違うよ頭領」
　梓がぴしゃりと言葉を止め、より一歩近付く。無意識のうちに有刺鉄線にかけた手からは、血が滴っている。
「俺は自分の意志で頭領のそばにいる。俺が頭領のこと、頭領って呼ぶのは何でか分かる？　ただ団員だからってだけじゃないよ」
「んなこと言っても、いつかはおめえだって離れてくんじゃねえのか？」
　ヨサークの口からぽろりと出たそれは、おそらく奥底からの本心。強がりでも虚勢でもない、初めて彼が見せた弱音。その言葉が指していたのは元団員たちか、別れた昔の彼女か、かつて仲間だった空賊か、あるいはそれら全てか。ヨサークは、繋がったものが離れることをきっと誰よりも恐れていた。
「さっきも言っただろー、頭領」
　梓は我慢しきれず、有刺鉄線を持つ手に力を込める。歪に曲がったそれは、梓の腕をヨサークの懐まで通させた。
「俺は、そばにいるから」
　その手に誘われるように、ヨサークはゆっくりと立ち上がる。がしかし、彼が一歩踏み出そうとした時、周りを囲んでいたいばらが彼を封じ込めるようにより間隔を狭めてヨサークと梓を隔ててしまった。
「頭領ー！」
　ここは彼の精神内。つまりこの張り直された線は、彼の心がまだ完全に解放されてないことを示していた。伸ばした手を下ろさないままヨサークを見つめている梓。その梓をすっと追い越しヨサークに近付いたのは、黙り続けていたさけだった。
「ここに来る途中、あゆさんという方をお見かけしましたわ。あの方が、昔の恋人なのでしょう？」
「……」
　ヨサークの沈黙を答えとし、さけは言葉を続ける。
「この期に及んでまだ未練を残しているなんて、本当にしょうがないダメ男ですの。何かと騙されやすいですし、口は悪いですし、馬鹿ですし」
「あぁ？　おめえは相変わらず生意気なボブだな」
　憎まれ口を叩くヨサークにさけは、ふう、と小さく一息つき言葉を返す。
「でも、そこがいいところでもあるんですけれど。しょうがないところも併せてヨサークさんですわ」
　先ほど見かけた、自分に雰囲気の似た女性。それはきっと目の前にいる男の元恋人で、彼女を見た時からさけは自分と似ていることに少しの安堵感と大きな不安を抱えていた。しかしそれでもさけは決めた。
この目の前にいるしょうがない男を、しょうがないほど愛そうと。
「さっき、初めてわたくしたちの前で弱音を晒してくれましたね？」
　さけは先ほどのヨサークが漏らしたセリフを心で反芻した。
「わたくしの前では、そうやって弱いヨサークさんでいていただきたいですの。格好つけていない、そのままの姿で。それに……」
　いつかはおめえだって離れてくんじゃねえのか？　そんな彼の言葉が、さけは悲しくていとおしかった。
「わたくしも裏切りませんし、そばにいますわ」
「クソボブ……」
「そしてわたくしは、そばをただついていくだけなんて女ではありませんの。もちろん利用したりもしませんわ」
　さけが、いばらの隙間を縫うように手を差し伸べる。
「一緒に進んで行きましょう。道を間違えそうになったら、わたくしがまた……」
　しゅるん、といばらが緩んだ。ヨサークはその手で自身を覆うバリケードを払うとさけの手を取り、導かれるように足を一歩前に出した。じっと彼女を見下ろした彼は、初めてその名を呼ぶ。
「……さけ」
　彼がもう一歩踏み出すと、ふたりの間を阻むものがなくなった。空気さえも。さけの背中に回された両手は微かに震えている。
「怖かった。力が手に入らないことも、力が手に入ることも、その度何かが無くなっていくみてえで、怖かったんだ……！」
　さけは何も言わず、我が子に乳房を吸わせる母親のような穏やかさで優しくヨサークの背中を撫でた。身長差のため少し前屈みになっているヨサークの背中は、いつもより近い。彼女はそのまま手を肩の方に持っていくと、ヨサークの顔を引き寄せるように自分の顔に持ってこようとする。
「……二度もおめえからしようとすんじゃねえ」
　それを察したヨサークは、酒場で彼女から貰った唇を思い起こす。そして、右手でさけの頭を軽く押さえた。
「んっ」
　少し荒めにあてがわれた唇と、じょりっとした髭の感触。ヨサークの匂い。頭を固定する、大きな手のひらとごつごつした指。脳に流れ込んでくる、五感を埋め尽くすほど甘い、愛。これが酒場でさけからヨサークへ差し出した唇の答えだった。
　時間にしてほんの数秒だっただろうか。さけから顔を離したヨサークの下に、声が聞こえた。それは、遠いところから彼を呼ぶ声だった。一緒に、鼻をくすぐるおいしそうな匂いもやってくる。
「頭領、声聞こえるだろー？　頭領の下を離れない人、いっぱいいるみたいだよ」
　梓のセリフに、ヨサークは慌てて顔を背けた。
「おめえら、ちょっと先に戻ってろ！」
　こんな緩んだ顔を団員に見せられない、とはとても言えなかった。ヨサークの言葉と同時に、彼の後ろから道が現れる。背中を向けたままのヨサークにちらりと視線を送って、3人はその道を進み始めた。
「アグリはんも、他の生徒はんも皆待っとるさかい、あんまり待たせんとってな？　皆、ヨサークさんが必要なんよ」
　葛の葉の言葉を最後に、3人の姿が消えた。

◇

　意識を取り戻したさけと葛の葉、梓がむくっ、と起き上がった。
「おお、起きた、目を覚ましたぞ！」
　周りの生徒たちがそれを見て、安心した顔つきになる。3人は、いや、その部屋にいた全員がヨサークに視線を注いだ。しかし数分経っても、ヨサークは目を覚まさない。
「あれ……他の3人は目を覚ましたのに、なんで……」
「ヨサークの目を覚ましに行ったんじゃ……？」
　次々と湧き上がる疑問の声に、さけや梓もすっかり戸惑ってしまう。
「あれ、頭領もちゃんと戻ってくるはずなのになー」
「まさか、解放は出来とっても体の回復が間に合わへんかったとか……」
　梓や葛の葉のそんな声に不安を煽られ、さけは生徒たちがいることも気にせず、ヨサークの体に触れ、呼びかける。
「お……起きないんですの！？」
　軽く体をゆするものの、反応はない。たちまち彼女に焦りの反応が生まれ、少し取り乱し気味にさけは声を上げた。
「一緒に空を自由にするって……！　ひ、広い空にひとりでは淋しいです！　起きてくれないと淋しいです！」
　さけの目から涙がこぼれ出す。頬から落ちそうになるその雫を、大きな手が拭った。
「おいクソボブ、勝手にひとりになってんじゃねえ……！」
　ヨサークが目を覚まし、その体を起き上がらせていた。脇腹に刺さっていた破片は、いつの間にか抜け落ちていた。
「ヨサーク！！！」
　ついに復活を遂げた彼に、部屋中の全員が名前を呼んだ。寝床を離れ、立ち上がろうとするヨサークだったが、足元がふらつく。長い間床に伏せていたのだ、無理もないことである。そこに、待ってましたとばかりに料理をつくっていたメイベルやセシリア、フィリッパが現れる。
「お待ちしてたのですぅ。新鮮なお野菜をふんだんに使ったサラダにマヨネーズのドレッシング、そして冷やし中華も用意したのですぅ。たっぷりマヨネーズをかけてめしあがってほしいのですぅ」
　冷やし中華にマヨネーズ……？　と生徒たちは不思議な視線を送ったが、何を隠そうそれはヨサークの好きな組み合わせだったのだ。ヨサークの喉がごくんと鳴る。箸を渡されるとヨサークは、ものすごい勢いで並べられた料理を口へと放り込みだした。
「ずっと寝てたんだもん、お腹も空くよね。食べた後すぐにでも動けるように、ちゃんとヒールかけとくからね」
　一心不乱に箸を動かしているヨサークのそばで、夜麻がなけなしのSPを使いヒールをかける。ヨサークの肉体がここまで無事持ったのは、彼が自身の魔力の限界までヒールをかけていたことが大きな要因となっていたのだろう。あっという間にメイベルたちの手料理を食べ尽くしたヨサークは、足元にある見舞い品に気付く。ファフレータが持ち込んできた、福島の特産品の数々だ。
「せっかく持ってきたのじゃ、遠慮なく食べると良いぞえ！」
「ちょっ、おねーちゃんなんでそんな上から目線なの……！？」
　ミリィとふざけ合う彼女の方をちらりと見て、ヨサークは袋を開ける。そこに入っていた桃や柿は、デザートにぴったりだった。
「兄貴、前までなら女の人がつくった料理とか持ってきたものは食べなかったのに……兄貴がでっかくなって帰ってきてくれて嬉しいぜ！」
　雰囲気から察するに、完全に女性に対する口の悪さがなくなったわけではなさそうだったが、それでも変化を見せたヨサークに駿真は喜びの笑みを浮かべていた。生徒たちの助力により体力を取り戻したヨサークは、もう一度立ち上がる。もうその足取りは、ふらついてはいなかった。部屋を出ようと扉に手をかけて、ヨサークは生徒たちの方を振り向いた。
「おめえら……ありがとよ」
　それだけを言い残し、ヨサークは部屋を出た。