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さよなら貴方の木陰

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さよなら貴方の木陰
さよなら貴方の木陰 さよなら貴方の木陰

リアクション

 ―あなたの人生の物語―

 その日はとうとうやってきた。
 少し前から、マリーはただ眠ることが多くなってきた。
 電脳で眠り、現実で眠り、時折保持できていたはずの記憶をうしなったり、そんな風に予兆はあった。

「マリー、色が見えていますか?」
「ええ、見えているわ」
「マリー、感覚はありますか?」
「……ええ、あるわ」
「…マリー、記憶は残っていますか?」
 最後の問いに返事が戻らず、ヒパティアははっとした。
 目の前で、マリーの姿が少しずつかすれ、ちらついていった。
「マリー!」
 ヒパティアが悲鳴をあげた、POD側で彼女の生体情報の検知レベルが下降しつつあり、それはそのまま別れを意味していた。
 ヒパティアの演算が沸きたち、マリーの情報を取り戻そうとするが、今やそれは存在しない関数を全力で計算することと同じだ。

「いったい…なにが…」
 周りの演算力が奪い取られ、全てマリーを取り戻そうとつぎ込まれ、ログインしていたものは周りの光景の解像度が落ちていることに気づき、全ての行動に重圧がからんだ。何人かはそのまま耐え切れずログアウトしていた。
 シャルミエラもログアウトされた。彼女の身体には一度破壊されて機晶石の交換で修理されたときの不具合が残り、システム側にログイン続行は危険と判断されて接続を切られたのだ。
 PODの上に身を起こし、となりで眠るアシャンテを見つめるが、その瞳は今、シャルミエラであってシャルミエラではなかった。
「…大丈夫、もうアーシャを悲しませない、離れないから…」
 微笑み、アシャンテの髪を撫でてから、PODに身体を戻して目を閉じる。
 それきり、シャルミエラではない人物は、シャルミエラの裏に隠れた。

 マリーの姿が消え、その跡に残された樹が葉を落とし枯れようとしている。
「樹が、どうして?!」
 エレンが叫ぶ。アシャンテは消えてしまったシャルミエラとマリーを重ねて呆然としていた。
 哀れなAIはそれにも手を伸ばし、姿を取り戻そうとしていた。彼女はいまや万能の主ではなく、無力に嘆く一人の少女にすぎなかった。
「いかないで…行かないでください、マリー!」
 彼女は、樹をもマリーと同じように取り戻そうとしていた。
 エレンがヒパティアを掴みとめるが、その腕を彼女自身のセキュリティが弾いた。
 吹き飛ぼうとするところをプロクルが抱きとめる。
「危ないのである…!」
 今のヒパティアは、消え行くマリーしか認識できていないのだ。

 崩れ落ち、立体感をなくして砂と消えようとしたもの、風と過ぎようとしたもの、水と流れていこうとしたものを、ヒパティアは捕まえた。
 芯を得た演算が空転をやめ、意味のないものを意味あるものへと結晶しようとする。
「これは…私がこれを作ったの…?」
 ヒパティアの手の中には、ひとつの種が握られていた。



 雪は、目の前で消えていくマリーをじっと見ていた。
「ボクは、マリーに死が訪れれば、ボクのマリーに対する興味は消えるのではと推測していた。
 人は、失ったものがあると、その感情を『空洞のような』と例えることがある。
 存在の欠如、そのマイナスを、そこにあるもの、障害として認識するこの矛盾。
 今ボクの胸の中にあるものは、まさにその矛盾で間違いない?」
 雪はマリーと会話した記録を思い返していた。

 ―虚雲が見事に揃えたルービックキューブを見て微笑むその横顔に、雪は質問をぶつけた。
 ―「面影しかないパートナーを探す事に意味はある?」
 ―「私は、発見されてやっと未来を見ることができました。だから生き続けられるなら生きたいものです。でもそれは過去あってのもの、それがないと私はバランスを崩して転んでしまいそうなのです」
 微笑みながらマリーはそう言っていた。雪はそれで記憶、思い出に対するスタンスは違うと認識した。
 ―「ボクは死が怖くない、恐れた事もない。誰しもいつかは必ず滅び行く運命にある。世界はそういう風に出来ている。死は解放とも言う。…だが、あなたが消えれば悲しむ人が沢山いるのも事実」
 ―「それは皆様に謝らなければならないことです。私のためにお力をいただいても、返せるものはきっと徒労と悲しみだけ」

「これはその、『悲しみ』、なのだろうか」
 雪は虚雲の手をいつの間にか強く握り締めていた。
「ボクには”この”感情が理解出来ない…」

   ◇  ◇  ◇

 眠るように電脳空間に降りていたマリーが、突然目を開けてぎこちなく身体を起こす。
「いきなり動くと危ないよ!」
 フューラーは駆け寄ろうとしたが、マリーはぎしぎしと首を回し、フューラーを見て、目を見開いて驚愕する。
「マリー、どうしたの? マリー!?」
 マリーは、フューラーに向かって軋む手を差し伸べ、PODの下にくずおれた。
 いや、彼女はフューラーではなく、彼に輪郭の似た誰かに向かってはっきりと叫んでいた。
「…また会えた、ようやっと会えた!
 どうして、どうして私を置いていったのですか!?」
 いつも朗らかに笑い、声を荒げることのなかったマリーが、初めて波立つ感情を表して鳴き咽ぶ。
 フューラーはその手をとり、足が動かず近寄れない彼女を胸に抱きしめて、彼女の見ている誰かに成り代わっておだやかになだめた。
「…ただいま、だから迎えにきたんだよ」
「…ええ…お待ちしていました…」
 ぽろぽろと涙をこぼし、いつもの朗らかさとも違うくしゃくしゃの笑顔を浮かべ、フューラーでない誰かを力の限り抱きしめて。

 そうして、マリーは、二度と目覚めることはなかった。


「今、彼女は旅立ちました。
 彼女の最後の時間を皆様と共有できたことを、感謝します」
 マリーをチェアに寝かせ、フューラーは深々とお辞儀をする。
 彼の傍を通り抜け、皆はマリーの下に駆け寄った。
 悼み、言葉を贈り、記憶をとどめようと取り囲む。
「みんながおねえちゃんのためにがんばったのわすれないでください。
  ボクたちもおねえちゃんのコトわすれないですよ…」
 ヴァーナーはマリーの枕元にすがって叫んだ。
 ヴァル・ゴライオンは胸のうちで呟く。マリーの穏やかな顔を、記憶に焼きつけた。
 (お前の生涯は、最後のこの瞬間に最大の価値があるのだ。ここまでの人が、お前と共に時間を過ごそうと集まってきている。
 この帝王ですら嫉妬を隠せぬほどにな。
 だから、お前は満足しても良いのだ。もう、穏やかに眠りにつき会いに行けなかった相手の場所に行ってもいいのだ。お疲れ様。)

「…嘘よ」
 それらを見て、月夜は思わず口元を押さえる。彼女はマリーの死期を知らなかったのだ。
 ふと隣の刀真を見ると、興味などなさそうに、さっさと帰る支度をしていた。
「刀真は悲しくないの?」
「ん? 元々事情は知っていましたし、偶々知り合った人が死んだだけですから」
「じゃあなんでマリーの為の劇に参加したの? 刀真はマリーに興味はないよね?」
「独り死に逝く者への手向けとして、心を満たせる何かができれば良いと思ったんですよ」
 とても、彼に聞きたいことがある。しかし途中でさえぎられてしまった。
「…刀真もし、私が…」
「剣を失った剣士に大した未来は無いよ…今ある剣以上のモノが有るはず無いしね」
「…うん、使い手を失った剣はただ朽ち果てるだけ…今いる以上の使い手がいるはず無いし」
 私は刀真のものだ、それが最高の私のしあわせなんだ。刀真の腕に強くしがみ付く。
「…歩いて帰ろう、ちょっと遠回りして」
 二人で戻る場所に、涙でなんか帰れないから。

 コタローはマリーを悼むその輪の中に入れないでいた。
 一生懸命がんばったのに、いっぱい勉強したのに…。
「けの、…うっ、こたがー、…えうっ、がんばっれも、げんきにならないことも、あるお?」
「来い、コタロー。…ジーナ、おいで」
「…樹様、私もいつかは、あんな風に、なるんですね。
 だったら、最期の時まで樹様、あなたを守りたいのです。少しでも長い時間、樹様と一緒にいられたら…」
 ジーナはこんな気持ちになったことは初めてだった。嗚咽をもらして樹にしがみ付く。
「…こら、洪庵、拗ねるな、来い」
「僕は、最期を一回迎えた身だけどさぁ、生まれ変わったら積極的になろうって思ってた。
 だから樹ちゃん。僕は、自分の思う通りに樹ちゃんを守る。
 惚れた女の目を最期まで見られたら、とても幸せだと思うんだよね」
「…私は、お前達と共にいられるのが嬉しい。
 しかし、銃という物に頼る私が、この嬉しさを噛み締めて良いものか…。
 この答えは、お前達と探すことになるんだろうな」
 樹の胸元で、もごもごとコタローはつぶやく。
「…じにゃと、あきが、げんきにゃら、ねーたんもげんきらもん…」
「…お前も、元気じゃないとダメだからな」
「…うー」


 とても長い間、フューラーは顔を上げなかった。
「後で、ヒパティアの所へ行ってやれ。ちゃんと顔を洗ってからな」
 シラードはタイヤを軋ませて部屋を出て行く、そもそもの諸原因である自分ができることは、そう言ってやることだけだ。



「またお茶会をしましょう、マリーがいた頃みたいに、いつものように」
 舞とブリジットが電脳空間に降りてくる。ヴァーナーやエレン達、話を聞いたものも集まってくる。
 もういないマリーの分まで席は用意され、皆が集まり静かにお茶会は進む。

 ピュリア・アルブムは一人で電脳空間に降りてきた。現実で眠るマリーにお別れをいい、ピュリアの覚えている、一番元気なお姉ちゃんのいた場所をもう一度、と思ったのだ。
「…ピュリア、マリーお姉ちゃんのこと、忘れないよ…」
 悲しくて、つらくて、お茶に手をつけられなかった。一人でいくといったのに、パパとママのところへ戻りたかった。
 エレンは、マリーが沢山謝りたいと言っていたことを聞いていた。
「マリー様は言っておられましたわ。尽力してくださった方々に、申し訳ないと」
 ピュリアのように、何も知らずにいる人にまでつらい思いをさせてしまうと、わかっていたのだろう。
 ケイラはだまってリュートを爪弾いた、マリーが記憶の一部を思い出すきっかけとなった曲だ。
 かなしい気持ちで弾いてはいけない、そう思っても、失う恐怖は拭えはしない。
 響子は、その曲を全て記憶しようと決めた。ケイラの弾く曲はすべて、何一つとして忘れはすまい。

 最後に、ヒパティアがぽつぽつと語りだす。
 それは誰もが初めて聞く、彼女の思うマリーについての話だった。
「彼女の心には、大樹が根付いていました。その陰で、彼女はいつも安らいでいたのです。
 最初はその大樹の葉も、枯れ落ちてさびしいものでしたが、多分以前のようにとはいかないのでしょうが、緑の茂りを取り戻していました。
 皆様が来てくださってからは、その葉はますます豊かになっていった…。
 どの方にも、あるのですよ。心の大樹というものが。
 花や家、オアシス、どっしりと苔むした岩や、神殿であったり、そしてその中に自分ではない誰かを住まわせていたり…
 いつも見られるわけではないし、まだイメージそのものが形になっていない方もおられます、大抵は自分でその形を知りません。
 何かを強く信仰している方は、トーテムというのでしょうか、その形をしているようですよ」
 少し主旨を脱線しているとヒパティアも思うが、この思いを吐き出したいという衝動も存在していた。
「フューラーもそうです」
 ヒパティアは、背後の白亜の館を指差した。
「彼はあの館を、私が考えた、私自身のシミリであると思っているようですけれども、違うのです。
 昔の話ですが、初めて彼が私の中にログインする手段を得たとき、やり方がもっと荒削りで、私は知らず彼の精神に爪をたて、心を暴きたててもう少しで傷つけてしまうところだった。
 そのときに見えたのです。彼の中には、あの象牙の塔があった。
 私が、最初に直接縋ったものは、彼のイメージなのです。
 …私も、私の樹がほしい、彼女のような、誰かを安らがせるような樹が、彼のような確固たるものが…」
 そこで、ヒパティアは言葉を切った。
「おねえちゃんのこと、ボクはわすれません。ヒパティアちゃんもそうだよね」
 ヴァーナーはヒパティアに抱きついて泣き出した。
 途方にくれたように、ヒパティアはヴァーナーを抱き返す。
「マリーさんも、そしてヒパティアさん、貴方もちゃんと皆の命と繋がっていますわ」
「マリーの命はヒパティアとプロクル達がしっかりと継ぐのである」
 ヒパティアの手には、何になるかもわからない種が握られている。


 ブリジットは舞だけに聞こえるようにぼそりと呟いた。
「私、いつまでもあなたとこんな風にお茶会を続けるわ。
 最後の時、もし離れた場所にいたとしても、あなたもその別の場所できっとお茶会をしているでしょうから」




 天にも届く噴水の傍に降り立ち、公園から伸びる森の中の小道を見やる。
 背を向けたほうには、波打ち寄せる海岸があり、左手には鬱蒼とした森、右手にはだれもいないビル街が広がっている。
 そういったものをすり抜けて歩き続ければ、やがて正面に丘と、その上にある白亜の館が見えてくる。
 館の前ではヒパティアが出迎え、フューラーにとってはいつもの光景だった。
 ただ今回は、館のそばに一本の木が植えられている。彼女がそう望まない限り、オブジェクトは増えないはずだ。
 しかしもっと大きくなれば、この木は館にやさしい陰を落とすようになるだろう。

 フューラーとヒパティアは、久しぶりに顔をつき合わせた。
「やあ、一月ぶり…くらいかな?」
「そうね、新記録だわ」
「君の図書館に、部屋が沢山増えてるみたいだ。…この木はどうしたの?」
 そこでヒパティアはフューラーにしがみ付き、初めて子供のように大声を上げて泣き出した。
 妹をなだめようと兄は向き直る。
 その背の向こうで、若木は次第にその葉陰を濃くしていった。

 彼女がマリーを取り戻そうとあがいたあの衝動が、マリーの樹を模倣したその執着こそが、自律学習型AIヒパティアの学んだ「感情」の正体なのだろう。
 フューラーが求めてやまなかった答えの、それが一つの形なのだ。

   ◇  ◇  ◇

 数日後、分室を訪れ、ボランティアに加わったメンバーのそれぞれに、メールが届いた。
 写真データが何点か添付され、本文には数行にわたって丁寧に礼を述べてある。
 写真のうちの一点は、誰一人として撮った覚えがない関係者の集合写真で、もしかするとヒパティアが記録を総合して創り上げたものなのかもしれない。
 写真の中心の大樹の下で、マリーは笑っている。その周り、樹の陰には皆が、それぞれらしい顔をして、思い思いのことをしている。
 劇の衣装を着ていたり、ディスプレイを覗いていたり、それぞれのパートナーと寄り添って、その幸福に微笑を浮かべ、マリーはそこから全ての人に向けて笑いかけているようだった。
 何故かその中にはヒパティアはおらず、期間中電脳空間に降りることのなかったフューラーらしき人影が、マリーの傍らで背を向けている。

 マリーは再会できたろう。だれもがそう信じている。
 彼女の物語は終わったが、どこかの木陰で、いつか新しい生を受け、かつて彼女だった人が微笑む日が来るのを信じている。
 そしてまた、新しい名前で新しい友達になるのだ。

担当マスターより

▼担当マスター

比良沙衛

▼マスターコメント

遅くなって申し訳ありません。
いつも遅刻ばっかりMS、次こそは次こそはと、そればっかりですorz
しかしシリアスでくるかと思っていたら、なかなかどうしてオモシロはっちゃけアクションもいただけて、シリアスでいくつもりだったのにどうしてくれるんだこんちくs(ry
いえ、根っからの芸人気質なので、なかなか楽しませていただきました。
なかなか今までこういうシナリオがなかったのでアクションに迷った、というコメントもいただきました。
いつかあるかもしれない状況、さよならの練習はできたでしょうか?

今回、いわゆる死にネタだけではなく、アイデンティティねたを絡めてみました。
もっとがっつりSFを目指して邁進していく所存であります。