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さよなら貴方の木陰

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さよなら貴方の木陰
さよなら貴方の木陰 さよなら貴方の木陰

リアクション

 さて、分室では今まさに二人の科学者が対峙していた。
「やはり、貴女も来られましたね」
「それはこっちのセリフよ」
 島村 幸(しまむら・さち)朝野 未沙(あさの・みさ)はどちらも分野は違うが、知識についての欲求は人三倍はある。
 それがどちらも、未来に繋がるという思いがあるからだ。

 アスクレピオス・ケイロン(あすくれぴおす・けいろん)が二人の様子に、あーやっぱり、という顔で額に手をあて、メタモーフィック・ウイルスデータ(めたもーふぃっく・ういるすでーた)は幸の後ろにがっちりくっついて、ママが睨む相手を一緒になって睨みつけている。
「ママ、この人、やっぱりママの敵?」
 フィックがずばり切り込んだ。
「………」
「………」
 確かに二人はこういう場面でライバルだと認識し合っているが、一足飛びにそれはない。
「違いますよ、フィック」
「こ、子供の教育に悪いわね、この場は一緒に頑張りましょう」
 双方互いに譲り合い、休戦協定じみた協力体制ができあがった。
「おお、僕えらいのう、おじちゃんがアメをあげよう」
「しらない人から、物をもらっちゃだめって」
 要するにあやしい人呼ばわりされたシラード・ヌメンタは、縦線を背負いながらすごすごと引き下がった。
「とりあえずあんた、状況教えてくんねーかな」
 ピオスは横で見守っていたフューラーとシラードに、マリーの症状を問うた。
 マリーは今眠っていて、電脳空間に下りているのだという。
 軽く検査をしてすぐに、幸と未沙はそろって表情を硬くし、そっと手を止めた。
「今まで色々な子を見てきたけど、これはもう手遅れだね…。もっと早くに見つかっていれば助かったかもしれないのに…」
「しかしメンテナンスのレベルは見たところ高度です、それは貴女の方が詳しいでしょう」
「確かにそうだ、手足の方の問題はほとんど解決されている…。足のこの部分だけパーツが違うのは?」
「そこは見つかったときには既に修復不可なほど粉々だったんでな。最適なバランスの代替パーツを選んだが、やはりまともにそこは動かんようだ」
「不具合は石からのエネルギー伝達と、指令伝達、どちらもか…。人間で言えば心臓の欠陥と脊髄損傷でしょうね、記憶もないのだから、脳損傷まで…」
 シラードが二人の科学者のやりとりに割って入る、何せマリーを最初に修理したのは彼なのだ。
 フューラーが見やすいように、3D装置にマリーの身体情報のグラフや反応値などを立体表示させた。
 聞けば聞くほど、発見当初の姿が絶望的だったことがわかるばかり、機晶石まわりの損傷はブラックボックスだけあって、手をつけることができない。
 下手に修復しようとすれば、そのままマリーの死に繋がるのだ。
 スパコンは既に上位のものが申請するまでもなく割り当てられ、未沙の根回しと幸の先端テクノロジー、フィックの機晶技術、ピオスの博識など、あらゆる手だてが費やされ、マリーの現状をの確認を更新し、無残にも突きつけられることとなる。

「すまないが、コイツも仲間に入れてくれないか?」
 林田 樹(はやしだ・いつき)林田 コタロー(はやしだ・こたろう)を抱き上げて先達に挨拶をする。
「コタれす、あーてひさーのれんきょー、がんばりあす!」
「おや、こないだメールを頂いた方ですね」
 掲示を見て、コタローは即座に分室に宛ててメールを出していた。
 『きしょーきの、めんきょー、さしてくらさい』という文面を送信済みのボックスに見つけ、あわてて補足のメールを出し、事前に少しでも情報を集めるため大学に所属している友人の佐野 亮司に連絡を取ったのはつい最近だ。
 大体の事情は既に把握済みだ、これから受けるだろうコタローのショックを考えると、やはりどうしても気が重い。友人は肝心な部分はコタローに伏せ、メールを受け取ったフューラーもまた、コタローには口をつぐんでくれたので、尊敬する人がいることもあって無邪気に跳ね回るコタローを、皆で応援していた。
「あ、こら!」
 ぴょこりと樹の腕から跳ねとんで、マリーの眠るチェアにはりつく。
「きしょーきのねーたん、おなまいなんれすか? あれ、おやすみね。でもこた、がんばるれすよ」
「こいつの付き添いだから、私らは研究には参加しないが、手がいるなら手伝うから何でも言ってくれ」
「それは、こちらも助かりますね。ありがとうございます」
 ジーナ・フロイライン(じいな・ふろいらいん)緒方 章(おがた・あきら)は、マリーが目覚め、その動作や言動を見て、やはり感じるものがあった。
「………」
「…樹ちゃん、これは、コタ君にはきつくないかな」
 同じ機晶姫のジーナは、マリーの姿を見て悟ってしまうものがあり、章は部屋に満ちているある種の予感じみた未来を嗅ぎ取っていた。
「どうした? カラクリ娘。お前までおかしいぞ」
「…そ、そんな事、ねーんでございますです」
 やいあんころ餅、と章をなじるジーナも、同じものをとらえ、己に重ねるものがあった。

「ほら、ここの二葉双曲面のグラフなんだけど」
「かたほう、ぐらぐらだお」
 幸と未沙がシラードと共に、技術的に意見を交し合っている間、フューラーはコタローに向かって説明していた。
 それを見守る樹たちだったが、不意にジーナが呼ばれた。
「すみませんが、ちょっと手を貸していただけます?」
「じにゃ、おねがいしたいお」
「分かりましたが、何するんですの?」
「比較データをコタローくんに見せてあげようと思いまして、ちょっと右手首から先を」
 計測機器らしいバンドを手首に巻き、ケーブルつきのラバー素材のシートが甲に貼られ、洗濯ばさみに似たピンが指先をぱちぱちと挟んで台に置かれた。
「それでは失礼しまして、ちょっと指先など動かしてみてください」
 傍らのパソコンのキーを叩いて計測が始まった。指示通り指先を動かして、やがて現れるグラフは、さっきコタローが見ていたグラフによく似ていたが、マリーのデータとは違って、綺麗に対称になっていた。
「わあ、じにゃのぐらふ、きれいだお。じにゃげんき!」
「手足側が正しく機能していても、指令の段階で不備があるんです。ここまでくるとまだ解明されていなくてね」
「うー」
 分かっているのかいないのか、神妙に話に聞き入るコタローの姿は微笑ましいが、やはり近い将来を憂いてしまうのだ。
「お前達、わかるか?」
 樹はジーナと章に呼びかけた。
「はい、樹様、よくわかります…」
「コタ君は、いいのかい?」
「…コタローには、しっかりと『命』について学んで貰いたいからな」

 湯島 茜(ゆしま・あかね)もまた、マリーの研究に手を貸そうとやってきた。
 エミリー・グラフトン(えみりー・ぐらふとん)は、その機晶姫の身の回りの世話をし、茜を手伝おうとしている。
「いやあ、こんなに人口密度が上がったのは久しぶりですねえ」
「今いるのは、ボランティア以外ではあなたとシラードさんだけですかあ?」
「ええ、他の人は掛け持ちだったりして、ボランティアが来るならとそちらに行ってしまわれたのです」
 同じ大学内のことだからそれなりに話は聞こえてきていたが、内部で諍いがあったようだし、相容れないものはあったろう。
「やっぱそんなものなのね、でもあたしも、マリーさんのためにがんばります」
 茜の視線の先では、先に来ていたボランティア研究員の間に入り込んで、眠っているマリーの頭を撫でたり、カエルのゆる族と一緒になって子守唄を歌っているエミリーの姿がある。
「それがしは、マリーが過ごしやすいようにお世話をするでありますよ」
「こた、まりたんげんきになるようがんばるれすよ!」
 どう見ても二人とも邪魔してるようにしか見えなくもないが、誰もそれを邪険にはしなかった。
 ただフィックはママの邪魔をしないでよ、とむくれてはいたのだが。

「…あら、皆様初めまして、私マリーと申します」
 静かに研究者達が彼女を見守る中、やがてマリーが目を覚ます。
「マリー、この方々は、君の研究の手伝いをしてくださるんだって」
「まあ、ありがとうございます、この体が皆様のお役に立てますことを」
 記憶を保持できない彼女は、それでも己の体に寄せる絶望を忘れることがないようだ。
 否、目を覚ますたびに感じる不具合が、彼女に常に現実を教えている。その上で己の体が糧となるならばと差し出され、同時にもっとも幸せだった頃を懐かしんでしまう。
「まりたん、こたはまりたんが元気になるようにがんばるれす!」
「…ママがきっと、なんとかしてくれるよ! 心配しないでね」
「それがしもお手伝いするであります!」
 ちびっこ達が我先とマリーに話しかけ、分室は賑やかさを増した。
 それを少し離れて保護者達が見守っている。
「いい子たちだね、貴方の息子さんも」
「ありがとうございます、フィックの成長は、日々私も驚いています」
「うちのコタローを驚かせないでくれてありがたい、ひどい話だが、私はコタローに肝心なことを言えなかったんだ」
 マリーの容態の真相を知っているか否かは、大体のところ態度で見て取れた。
 解析されようとするマリーだけではなく、自分達はさらに他の人まで傷つけることになるのかもしれない。大人たちはそう思って暗鬱たる気持ちになる。
「おーい、キミタチ、あたし達もマリーさんに挨拶がしたいんだ、交代してちょうだいよ」
 茜の切り込みをきっかけにして、保護者達はようやく感傷を拭い去ることができた。