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リアクション
第八章 今度こそ人形保護ですか?
「まあ、何かの縁だろう」
ドヴォルザーク作曲 ピアノ三重奏曲第四番(どう゛ぉるざーくさっきょく・ぴあのとりおだいよんばんほたんちょう)――通称ドゥムカは、椅子に座って足を組み、優雅にそう言った。
ドゥムカとリンスは知り合いだ。この騒動の前から、パートナーのケイラ・ジェシータ(けいら・じぇしーた)に内緒で幾度か訪れたことがあったのだ。
「今日は猫、無事なの」
「ああ。今日は君が困っていると聞いて来ただけだからな」
「酔狂だね。恩返しとでも?」
「そういう訳ではない。初めに言っただろう? 縁だ、と。
とはいえ、足を使うよりも頭を使う方が好ましいのでな。私はこうしてゆっくりさせてもらうさ」
「コーヒーか紅茶しか出ないよ」
「ほう? 一度も出してもらったことはないが、もてなすこともできたのか」
「おもてなしでしたら」
会話を邪魔しない程度の、囁くような声で神楽坂 翡翠(かぐらざか・ひすい)が言って、作業机の上に水羊羹を乗せた皿を出した。透明で涼しげなガラス製の皿だ。その上に、ドゥムカとリンスの分が置かれている。添えられた竹の楊枝が、また風情を醸し出していた。
それから隣に緑茶が置かれる。こちらもガラス製で、透けた青が綺麗だった。カラン、とグラスの中で氷が爆ぜる音。
「そうか。もう夏だな」
ドゥムカがにんまりと満足げに微笑み、羊羹を口にした。
「うむ、美味だ」
「ありがとう、神楽坂」
「いえ。話に混ざってもいいですか?」
翡翠の問い掛けに、リンスはドゥムカを見た。黙々と羊羹を平らげ、冷たい緑茶を飲み、口の端に付いた羊羹をぺろりと舐めてから、「よかろう」と頷く。二人の傍に椅子を引いて翡翠が座った。それからあたりを見回す。
「ものすごい人形の数ですねえ……」
「そうなの?」
「そうだろう。君は見慣れているのだろうが、初めてここを訪れた人間ならまず驚くさ」
私も然りだ、とのドゥムカの答えに、リンスは「ふぅん」と興味無さそうに相槌を打った。翡翠がそれに苦笑する。
「自覚、ないんですねえ」
「あまりね? 自分のことが一番分かりづらい」
「そうですか。難しいですからね、人間。他人は、見ていてわかるものもありますが」
「そう。自分って、わかりづらい。神楽坂もそう思う?」
「少し、思います」
「そっか」
それからリンスは羊羹を口に運んだ。優しい餡の味が口に広がり、自然と口元が綻んだ。それを見たドゥムカが「珍しい」と笑い、「うるさいよ」と口止めしておいた。
緑茶を飲んで、一息。翡翠はまだ工房を見回していた。
「何か珍しい?」
「本当にすごい数だなあ、と……これ全てあなたが?」
「仕事だし、なにより好きなことだからね。羊羹とお茶、ごちそうさま。美味しかった」
「それは、よかったです。羊羹は手作りなんです」
「へえ、それはすごい。気が向いたらまた何か作って来てよ。俺は何ももてなせないけど」
「わかりました。また来ます。一緒にお茶でも飲みましょう」
「大歓迎」
茶飲み友達ができたところで、
「何かお手伝いはありませんか?」
柊 美鈴(ひいらぎ・みすず)が話しかけてきた。
「あまり上手くはありませんが、縫物ができます。なので、簡単なことでしたらお手伝いできますわ」
「俺にきた仕事だから、俺がやるのが筋なんだけどね。でもそう言ってもらえると助かるな」
提案を受けて、リンスは美鈴にぬいぐるみを渡した。ほつれのあるぬいぐるみだ。
「修復ですね?」
「うん、そう。細かくは依頼書に書いてある」
「わかりましたわ。細かい作業が多いようですけど……頑張りますわね」
美鈴はにっこりと微笑み、少し離れた場所に椅子を引いて行って作業を開始した。
「職人としてはまだまだだなぁ、俺」
言って、机に突っ伏す。皿とグラスを片付けていた翡翠が「?」と止まり、ドゥムカは「ふむ?」と言った。
「あー。うん。なんでもない」
うっかり人が傍に居ることを忘れて呟いてしまったらしく、ばつがわるそうに頭を掻くリンスの肩に、
「リンス君。お疲れなんですね」
山南 桂(やまなみ・けい)がタオルケットを掛けた。整った顔が、普段よりも険しく歪んでいる。怒っているらしい。
「……山南?」
「眠っていないのでしょう。顔色が、悪いです」
「そりゃ、まあ。一応なんていうか、人形のこと心配だし、ね……」
「食事はしていますか?」
「さっきトマトリゾット食べた」
「その前は?」
「…………」
「ふぅ。あれほど生活はきちんとしろと言いましたのに」
「だって」
「だってじゃないです。……変なところで子供なんですね?」
桂の言葉にリンスがそっぽを向く。と、桂は笑った。
「いいんです。そういうところ含めて、リンス君ですし」
「それはどうも」
「作業の道具、増えましたね」
「おかげで仕事が捗るよ」
「そしてやりすぎてしまうんですね?」
「よくわかってるじゃん」
「親友ですから」
リンスの傍に立ったまま、桂は腕を組んだ。考え込むような、沈黙。
「人形が、動き出したと?」
「うん」
「それほど心を込めたんですね。けれど出て行ったなんて、不満でも?」
さあ、と言ってリンスはうつぶせた。
リンスは、頬に当たる作業机の感触にぼんやりしながら、あの日人形を作りながら考えていたことを思い出す。
「心が籠ったって言うなら――」
うわごとのように言いかけた時、
「お休み中、でしたか?」
工房の入口から声が聞こえた。慌てて顔を上げる。タオルケットが床に落ちた。
入口に立っていた神和 綺人(かんなぎ・あやと)が工房に入り、タオルケットを拾って渡す。
「修理の依頼に来たのですが、大丈夫でしょうか?」
「どうぞ」
短く返すと、「瀬織」綺人が入口に立ったままだった神和 瀬織(かんなぎ・せお)を呼んだ。瀬織の腕には、五十センチほどの大きさの日本人形が抱かれている。
「藤乃を直せますか?」
瀬織の黒い瞳が、まっすぐにリンスを見た。リンスは瀬織から藤乃と呼ばれた人形を受け取って、様々な角度から伺う。それを、綺人と瀬織が心配そうに見つめている。
「瀬織の傀儡なんです。壊れてしまって……他の人形師さんにも当たったんですけど、傀儡の修理は扱っていないと言われて」
綺人が補足するように、言った。リンスは黙ったままだ。
「魂を吹き込めるくらいの腕の人なら、って思ったんだけど……どうでしょう?」
「んー……やってみる」
「本当ですか?」
リンスの返答に真っ先に反応したのは瀬織で、心なしか嬉しそうな表情をしていた。
「でも今立て込んでるから、すぐは無理だね。傀儡相手も久々だし……結構かかるかも」
「立て込んでいる、とは?」
「俺の作った人形が逃げちゃって、捜してもらってるんだ」
綺人と瀬織は顔を見合わせる。そして、同時に頷いた。
「僕も捜しに行きます」
「わたくしも。ただお願いするなんて、嫌ですから」
言いながら、綺人はケータイのカメラでモチーフの少女の写真を撮った。それを頼りに捜すつもりなのだろう。賢い。
「行こう、瀬織」
「はい」
頷き、ぺこりと一礼して。
綺人と瀬織は工房を出て行った。
*...***...*
工房を出た二人は、ヴァイシャリー市内を歩いていた。
「どうしてリンスさんの人形は逃げ出しちゃったんだろうね。何か理由があるのかな?」
「わかりません。が、彼女が逃げ出した理由は気になります」
「それを解決しないと、また逃げ出しちゃうもんね。だって自分で動けて意志があるなら、そうするもの」
「あのっ、もしかして二人とも人形を捜しているの?」
ぽつぽつとやりとりをしながら歩いていた二人に、ケイラ・ジェシータが声をかけてきた。綺人が微笑んで「そうだよ」と頷くと、「よかったぁ」ケイラが笑った。
「ケイラ、ヴァイシャリー市内の地図は持ってきたんだけど、人形さんの顔写真をしっかり覚えてき損ねちゃって。黒髪の子ってこと以外思い出せなかったんだ」
「瀬織、たしか写真を……」
「うん。僕、写真をケータイで撮影したから……」
カチカチとケータイを操作して、データフォルダから人形の写真を呼び出した。ケイラに見せる。
「そう! こんな子だった!」
「逆に僕たちはヴァイシャリーの地理に疎いから……よかったら一緒に捜さない?」
「賛成! って言っても、ケイラも土地勘ないんだけどね。
逃げ出したお人形はビスクドールなんだよね。強度とか心配だし、早く見つけてあげたいな」
そうして三人で捜し始めて。
話す内容は人形のこと。
「どんな子なんだろうね。名前、リンスさんに聞いても『知らない』って言うし……」
「わたくしはモチーフの方も気になります」
「ああ、すぐ藤乃に対して真剣になってくれたから……訊かないで来ちゃったね。ケイラさんはどうして人形捜しを?」
「リンスさんとドゥムカが知り合いだった、っていうことと……何よりケイラがお人形さんとお友達になりたかったから、かな」
でも人捜しとかしたことないから、と苦笑するケイラに、「僕らも」と笑いかけていたら、視界の端に黒髪の少女。
あれ、と思って綺人はそれを追いかける。
キャスケットをかぶり、黒髪をリボンで結び、片目には眼帯をつけていたが。
「待って、お人形さん!」
写真の少女だ。
人形と呼ばれてきょとんとしている彼女の許へとケイラが走り、両手を掴んだ。
「おねぇちゃん、わたしが人形だってわかったの? すごいのね!」
「ううん、捜してって頼まれたから」
「さがす? さがしていたの?」
「そうだよ、みんな捜してたんだ。あっちのお兄さんたちも一緒に捜してくれてたんだよ」
「わたし、みんなに気にしてもらえたのね! うれしい」
屈託のない笑顔を見せる彼女に、ケイラは微笑む。
「そういえば自己紹介してないね。わたしはケイラ。あなたのお名前は?」
「僕は綺人。神和綺人だよ」
「わたくしは、瀬織です」
「わたし、クロエよ」
「クロエちゃん。よかったら、ケイラとお友達になってほしいんだ」
「おともだち! すてき、今日はいっぱいおともだちができたわ」
嬉しそうに笑う、クロエ。その場で踊りださんばかりに楽しげで嬉しげだ。と、思っていたら手を取っていたケイラと踊り始めた。きゃっきゃ、と笑い声が響く。
しばらくそうして遊んでから、
「ね、クロエちゃん。あなたは何がしたくて、リンスさんのところから逃げたのかな?」
尋ねた。
きょとんとした瞳のクロエが、「したいこと?」と呟いて、かくんと首を傾げた。それからぱっと顔を明るくさせて、
「わたしはね――」
「やっ……と、追いついた」
言いかけた時、日比谷 皐月がクロエを抱き上げた。
「きゃん?」
突然のことにクロエが素っ頓狂な声を出す。「クロエちゃん」とケイラが呼びかけ、綺人と瀬織が構える。
同時に、
「皐月、いきなり抱き上げるなんて、セクハラですよ」
雨宮 七日が皐月の即頭部にデコピンした。
「……悪い。……ってさっきも俺抱き上げて――」
「あ! だっこしてくれたおにぃちゃんね!」
クロエが嬉しそうな声を上げるから、緊張したような空気が緩んで。
「どういうこと?」
ケイラが、問いかけた。
*...***...*
「……ってわけで、オレ達はこの子に危害を加える気はないし、無理矢理連れ戻すつもりもないんだ」
「私の武装は、主に皐月をふんじばる為の物です。怯えさせてしまっていたら、ごめんなさいね」
近くにあったベンチに座り、皐月と七日の話を聞いた。
結果、誤解は無事に解けて、この後全員でヴァイシャリー観光をしようかという話にまとまりかけた、ところで。
「帰って来てはくれないか?」
パワードスーツを身に纏ったエヴァルト・マルトリッツがクロエに言った。
その場に居る全員がぽかん、とする。それほど唐突な登場。
「貴女を外に出してくれた、そして俺の恩人に当たる人が困っている。大人しく戻ってはくれないか?」
けれどエヴァルトはそんな硬直した空気を気にせずに説得を続ける。クロエは困ったような顔をして、「こまってるの?」と謳うように問いかけた。エヴァルトは頷く。
クロエが少し寂しそうに笑って、
「わかったわ」
ベンチから立ち上がった、その時。
「あら、待って? お嬢さんはしたいことがあってここまで来たんじゃないの?」
エステル・ブラッドリー(えすてる・ぶらっどりー)が声をかけた。
「こんにちは、お人形さん。僕はアンドリュー・カー(あんどりゅー・かー)、彼女はエステル・ブラッドリーです」
エステルの横では、アンドリューが丁寧に挨拶して、クロエは戸惑った表情を見せた。
どうすればいいの、とクロエは隣に座っていた七日とケイラを交互に見た。ケイラはクロエの髪を撫でてやり、七日はクロエの手を握ってあげて。
「…………、わたしはね、まだお外で遊んでいたいの」
長い沈黙のあと、クロエはそう言った。
「じゃあ、遊んであげましょう。ね、いいわよねアンドリューさん」
「僕はいいですよ。元から、僕らで解決できる範囲内であれば手伝ってあげるつもりだったし……、問題は」
アンドリューはエヴァルトを見遣る。今度はエヴァルトが困った顔をしていた。
「少しお時間をくれませんか?」
「……恩人が困っている」
「夕暮れまででしたら?」
制限時間の提示。
それで、エヴァルトは踵を返した。
「ホビーショップでロボを物色してくる」
「あら、顔と恰好に見合わず優しいのね」
エステルがからかうように言うと、エヴァルトはものすごい勢いで走って行ってしまった。
それからエステルはクロエの前にしゃがみ込み、目線を合わせる。「ふふ」と笑うとクロエも笑った。
「じゃあ、遊びましょうか? 何がしたい?」
「はっきりとは、おもいうかばないわ」
「なら、みんなも呼んで思いっきり遊びましょう! 人がいっぱいいるのは嫌いかしら?」
「ううん、すきよ! みんなといっしょ、すてきだとおもうわ!」
「じゃあ、決まり。アンドリューさん、瀬蓮ちゃんに連絡して。みんなを呼んでもらいましょ!」
*...***...*
こうして鬼ごっこは終わりを告げて。
時間制限付きの、別の遊びがスタートする。
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