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灰色の涙

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灰色の涙

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・灰色3


「あれは……」
 クライス・クリンプト(くらいす・くりんぷと)は、通路の奥から歩いてくる女性の姿を見つけた。その『灰色』の姿は見覚えがある。
 唯一違うのは、彼女のドレスに走った傷だ。誰かと戦ったのだろうか。
 『灰色』と目が合う。
「貴方も……わたしを探していたの?」
 彼女が剣を握り締める。
「待って下さい!」
 もし、彼の知る『灰色』のままだったら、まともに会話をするでもなく斬りかかられていただろう。それ以前に、前に会った時の狂気は薄れているように感じた。
 クライスは武器を捨てた。
「戦う意志はありません」
 そして挨拶をして、彼女との対話を図る。
「『あの人』には会えましたか?」
「『あの人』とは……誰の事? ジェネシス……え、何、これ?」
 頭を抱え出す『灰色』。どうやら、かつての『灰色』とは別の人格と記憶が植えつけられ、それが混ざり合って混乱しているらしい。
「いえ……あの人は違う。なら、なんでわたしは……」
 アントウォールトは、彼女が認めるジェネシスではないらしい。だが、それでも従わざるを得ない何かがあったのだろう。
 ヘイゼル・ノーツとしての記憶と人格を組み込まれ、さらにはワーズワースの持つ何らかの知識によって束縛され。
 だからこそ、クライスに向けた剣を、彼女は下ろそうとしない。
「でも、排除しなければいけない。そう、言われた……あの人、違う、誰?」
「そう命じられた……なら、なぜそんなに躊躇ってるんですか?」
 その気になれば、クライス達が彼女の姿を『視た』瞬間に、全てが終わっているはずだ。しかし、彼らは傷ついてはいない。
「わたしは……何? 誰?」
「自分は誰なのか、ですか。貴方に限らず多くのものが悩む事柄です……が」
 ローレンス・ハワード(ろーれんす・はわーど)が彼女に告げる。
「ワーズワース氏は、貴女を娘と呼ばれていました。その意思を、愛を知った以上、私達は貴方を救いたい」
 続いて、サフィ・ゼラズニイ(さふぃ・ぜらずにい)が声を発する。
「一つ言えるのは、花嫁はパートナーの大事な人に似るんだけど、実際は全くの別人よ。そこはあなた自身の名前を残さなかったジェネシスさんと、その人と混同してる男どもが悪いわね」
 そう、どんなに似ていたところで別人に変わりないのだ。
「……そして、あなたをその名前で呼ぶってことは、司城先生もアントウォールトさんも、もうジェネシスさんとは別の人って事よ。もしジェネシスさんなら、五千年前のあなたの名前が真っ先に出るはずだもの」
 サフィーのその考えは、実ははずれだ。ジェネシス・ワーズワースは最終計画の『灰色の花嫁』に名前を与える事なく封印した。
 だから彼女に名前はない。
「……ワーズワースさんは自分の人格が消える可能性も予見してました。そして彼が貴女の眠る場所に残した言葉は『娘達を救ってくれ』でした。『救ってみせる』ではありません。たとえ自分自身の手によってじゃなくても、貴女が救われる事を……自分がいなくても、貴女が救われる事を望んでいました」
 『灰色』の表情には、戸惑いが表れたままだ。
「もしワーズワース氏の望みを叶えたいのなら……幸せになること。それが全ての親が、全ての子に望むことです」
「しあわ……せ?」
すっ、とクライスが『灰色』に手を差し出す。
「一人で駄目なら、一緒に考えていけばいいんです。空京には貴女と同じワーズワースさんの娘もいます。リヴァルトさんや司城先生も、力になってくれます。そうしてゆっくり考えて、それから決めればいいんです。だから……僕達と一緒に来てください」
 それでも、まだ彼女は躊躇っていた。手をとることを。
 彼らが話しているところに、ちょうど刀真もやってきた。
「俺は、これまでに五機精やノインが自分で道を選ぶのを見てきました」
 そして、今が『灰色』にとっての選択の時なのだ。
「選ぶといい……自分で選んだ道ならばそこに後悔があったとしても受け入れて前に進めるから」
 彼はそれを知っている。
「でも、わたしは……」
「その選択を受け入れられない人がいるなら俺が……いや、俺達が何とかしてやるよ」
 現に、クライス達も彼女を助けようとしていた。
 そこへ、さらに二人の人影が現れる。にゃん丸とリヴァルトだ。
「リヴァ……ルト?」
「本当に、ヘイゼル姉さん……なんですか?」
 『灰色』に問う。
「分からない。でも、貴方の事はなぜか分かる」
 それがアントウォールトによる偽りだとは知る由もない。だが、偽りでも今の彼女に人とまともに話せる人格があるのは確かだ。
「自分を何者だと思っているのかは分からない、のか」
 にゃん丸が呟く。
 だが、彼はその後彼女にある真実を告げる。
「だけど、そのヘイゼルさんを殺した人こそ、アントウォールト・ノーツなんだよ」
 『灰色』が目を見開く。
「そんな……」
 ショックだったようだ。
 もしかしたら、アントウォールトはヘイゼルの事を殺すつもりはなかったのかもしれない。だからこそ、そっくりな姿の『灰色』に偽りの人格と記憶を与え、蘇らそうとした。
 だが、それはリヴァルトこそ不要な存在だったという事でもある。現に、傀儡師には用済みの彼を殺すよう命じていた。
「本物の姉さんじゃなくてもいい。だけど、私達と一緒に来てください」
 リヴァルトも懇願する。
「わたしは、貴方達を殺そうとした。なのに、どうして?」
 これだけの人が、自分に手を差し伸べている事に戸惑う『灰色』
「嫌いなんですよ、独りでいる人が……その人を助けない自分が」
 刀真が静かに呟く。
「貴方も自分で道を選んだら分かるよ」
 月夜が言う。彼女は刀真が『灰色』に語りかけるのを見て、自分が彼と契約した時の事を回想していた。自分が刀真から差し伸べられた手を取った時の事を。
「わたしは……行くわ」
 『灰色』は決めた。自分の存在意義を自分で見つける事を。そのために、二人のワーズワースの争いを止める事を。
「下には先生達がいます。急ぎましょう」
 その時だった。
「何かが、来る?」
 刀真が殺気看破で近付く気配を感じた。それも、おぞましいまでの気だった。まだ姿が見えないのに、それは彼らを突き刺すように放たれていた。
「月夜、剣を」
 光条兵器を受け取り、リヴァルトに言う。
「ここは俺が抑えます。リヴァルトはその人を連れて、早く」
 ここを目指している者は、間違いなく『灰色』を狙っている。このままでは危険だ。
「……来る」
 『灰色』を追い詰めたその存在は、ついに姿を現した。
「行きましょう!」
 リヴァルトが『灰色』の手を取り、走る。
 司城達に会うために。