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お見舞いに行こう! せかんど。

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第三章 だいすきなひとといっしょ。そのに。


 目を開けると、そこは九条 イチル(くじょう・いちる)にとっては慣れた景色だった。
 白い天井。無機質な部屋。消毒液やらの独特な匂い。リノリウムの床を踏むときの癖のある音。
 ちょっと前までの、イチルの定位置。
「…………」
 傍に誰も居ないことは当り前。一人でいることが当り前。身体が弱くて、自由になることなんて少なくて、退屈で、寂しくて、悲しくて、でもそんな我儘も言えなくて、いつしかそれに慣れ切って。
 だけど、パラミタに来てからは。
 契約者となったおかげで、身体能力が上がり今までできなかったことができるようになった。
 純粋にそれが嬉しくて、ろくに休みを取らないまま各地を奔放していたら、この結果。
 ふたりは、呆れちゃったかな。
 少しは休めと言われたし、無理をするなとも言われたのに、こうだから。
 どうしよう、それは悲しい。
 それに、いつの間にか寂しがり屋になっていたらしい。
 いつも居る人が居ないことが、一人で居ることが。
 こんなに辛いだなんて。
 一人きりの病室。ベッドの上。
 そんなの、慣れっこのはずなのに。
 そう思っていたところ。
「病院とはつまらぬところだな」
 聞き慣れた、ルツ・ヴィオレッタ(るつ・びおれった)の声が聞こえて。
「走るな、騒ぐな、大人しくしていろ。こんなところに居る方が病に冒されてしまうわ」
「そないなこと言うなって。身体、休めるための場所なんやから」
 それから、ルツをたしなめるハイエル・アルカンジェリ(はいえる・あるかんじぇり)の声も聞こえて。
 思わずベッドから身体を起こして、姿勢を正した。待つ。ふたりの姿が見えるのを。
「来たぞ。……と? 起きていて平気なのか」
 イチルの姿を見た、ルツの声。
「元気そうやん、よかった〜」
 心からそう思っている、安堵しきったハイエルの声。
 それと、ふたりの姿を見て、じわり、視界が滲む。
 お見舞いに来てもらえたことが、嬉しくて。
「こんなところに居るのは退屈だろう」
 パイプ椅子に座り、尊大に足を組んでからルツが言う。
「なにしろこちらに来てからのお前は、まるで水を得た魚のようだったからな。寝ているだけのこのような場所――退屈でしか、なかろう」
 言葉に頷くと、ルツが笑った。嘲るような色を含んだ、笑み。
「なら、早く良くなってとっとと退院することだな。そして二度と同じことを繰り返すなよ、お前の退屈が増えるだけだ。
 それに、自分の体調管理くらいしてもらわぬとこの先が思いやられる」
 まさか。
 来てくれただけでなく、こんな言葉までかけてもらえるとは思っていなかった。視界の滲みが悪化する。
 ぽん、と頭に手を置かれた。見上げると、ハイエルが笑んでいた。
「ええよ、寝てな?」
「あ……」
「ああ、ああ。無理に喋らんで。ほら、横になりぃ。休まな良くならんし、良くならんと退院もできひんよ」
 な? と言われたら、頷くしかない。でも、見舞いに来てもらったのに寝てばかりというのは。
「気にするなて」
 先読みされたようにそう言われて、横になった。ようやく、ハイエルが安堵したように微笑む。
「頑張るのもええけどな、自分もちゃんと大切にせな」
「……?」
「なんで疑問符やねん。あんな? 自分を大切に出来ん奴が、誰かのために行動なんて出来へんやろ。わかるか?」
 あまり、よくわからないけれど。
 人を大事にできる男が言う言葉なのだから、そうなのだろう。
 頷くと、「よし」と笑われた。
「せやから、今はしっかり休むんやで。で、全快したら遊び回らんで学校行かなな」
 ふかふかの手のひらに、わしゃしゃと顔を撫でられた。視界の滲みが消える。
 はっきり見えた、二人の顔。
 いつもより少し、居心地悪そうなルツの顔と。
 いつもより少し、お父さんめいたハイエルの顔。
 ああ、俺は、今、心配されてるのかな。
「……あのね」
「ん?」
「なんだ」
「……ありが、とう」
 ふたりが来てくれたから。
 すぐに良くなりそうだと、イチルは笑った。


*...***...*


 ……あれ?
 …………私、どうして横になっているんだろう……?
 何か声が聞こえた気がして、橘 舞(たちばな・まい)は目を開ける。
 白くて広い天井。部屋。つんとした匂い。靄がかったような頭。
「……?」
 疑問符を浮かべていると、
「早く個室に移しなさいよ。舞を大部屋に入れるなんて、失礼でしょ!」
 ブリジット・パウエル(ぶりじっと・ぱうえる)の怒鳴り声が聞こえた。
「!?」
 声に驚いて、身体を起こす。勢いよく起きあがったせいか、ぐらり、視界が揺れる。ずきずきと頭も痛むし、なんだろう。よくわからない。
「舞!?」
 ブリジットが、驚いたような慌てたような声を出して舞の肩を掴む。それから、ぎゅっと抱きしめて。
「……良かった……っ!」
 絞り出すような、声。
 あまり状況は把握できていないけれど。
 掴まれた肩から伝わる彼女の手の震えが、どれだけ心配をかけていたかを物語っていた。
「ブリジット……」
「……、ったく。何を考えていたのよ」
 言いながら、ブリジットが離れて行った。そっぽを向いて、背中を向けて。
「舞はお嬢様でトロいんだから、木登りなんて出来るわけないのに」
 木登り。その単語から、連鎖的にいろいろと思い出す。
 猫が、木の上で鳴いていた。恐らくは降りられなくなったのだろう、仔猫。
 それを助けようとして木に登って、舞は転落したらしい。見れば、手足に擦過傷もあった。意識した瞬間からひりひりと痛む。
 ということは、ここは病院で、ブリジットは付き添っていてくれたわけで。
「あんたは、ちょっと走りこみしただけでも翌日筋肉痛で動けなくなるのよ。忘れたの? 運動神経どっかに忘れて来た可哀相な子なんだから、そういうことは私に言えばいいのよ。そうすればこんなこと、ならなかったのに。本当に馬鹿なんだから」
 だけど、目が覚めた瞬間罵詈雑言の嵐、嵐。
 ……耳が痛い。そこまで言わなくてもいいじゃないか。
 でも。
 ブリジットの目、充血していましたね。
 それから、あんな言動も。
 普段冷静な彼女が、珍しい。
 よほど、心配させてしまったらしい。
「呼びかけても反応しないし、揺すっても動かないし、びっくりしたんだか――ちょっと、舞。聞いてるの?」
「はい。私、大部屋でもいいですよ」
「……会話、噛み合わせなさいよ」
 呆れたような声とともに、ブリジットが目を擦った。「あんまり馬鹿なこと言うから、目にゴミが入っちゃったじゃない」だなんて、よくわからない理由も飛ばしながら。
 そこに、パタパタと足音。病院内で走っているような、そんな音。
 あまり関心しませんねぇ、と思った瞬間、
「なんじゃ。もう起きておるではないか」
 足音の主――金 仙姫(きむ・そに)が、病室に顔を出した。
「ん? アホブリ、何を泣いておる」
「なっ、泣いてるわけないでしょ! 舞が変なこと言うから、目にゴミが入っただけよ」
「なんじゃその理由は……」
 そしてすぐにいつもの喧嘩。
「まぁ良い。聞いたぞ、舞。頭を打ったんじゃて? 一メートルの木から落ちて」
「いちめーとる……」
 低い。そんな低さから落ちて、こんな大騒ぎだなんて。
 ……もう少し、運動神経と仲良くなった方が、いいのでしょうね……。
「そう落ち込むなて。軽傷でよかったぞ? 何、ブリが慌てふためいていたからな。どんな大怪我かと心配していたのじゃ」
「わ、馬鹿。言わないでよ!」
「おぬしが心配していることは控えめに見てもバレバレじゃ、今更隠すでない」
 言いながら、仙姫は持ってきた荷物を開ける。
「入院に必要なものを持って来たぞ。着替えと、歯ブラシ。コップと、舞のマイ枕じゃ」
 ほら! と笑顔で渡されて、受け取って。
「舞のマイ枕とか、シャンバラ王国時代の使い古されたジョーク飛ばしてるんじゃないわよ」
 こんなに荷物を持って、ヴァイシャリーから駆け付けてくれて。笑わせようとも、してくれて。
 ……私は、幸せ者だ。
「……って、なんで舞笑ってるのよ」
 だって、だって。
「やっぱりどこか、頭の打ち所が悪かったんじゃないかな……。もう一度検査してもらおうよ、ね?」
「そんなこと、ありません。私はいつも通りですよ」
 ただ、いつもより幸せなだけだ。
「舞。少し横になれ」
 優しく仙姫が言って、さらり、と頭を、髪を、撫でた。
「え?」
「よく寝て、ゆっくり休んで、早く治ってもらわぬとな。ぐっすり眠れる子守唄でも歌ってやろう」
 言われるがままに横になると、仙姫はベッドの横に傅いて。舞の耳元に顔を近づけて、歌を唄う。
 母親が子供にするような、愛情いっぱいの歌声。病院内だからと、抑えられた声。それでもわかる、美声。
 ……なんだか、眠くなってきた。
「おやすみ、なさい」
 あと、あと。
 ありがとう、って、言いたい。
「早く、治しなさいよ……」
 ずっと傍に居てくれたブリジットに。
 駆けつけてくれた仙姫に。
「ふたりとも、ありがと……」
 夢の世界へ連れて行かれるぎりぎりで、言えた言葉は、ちゃんと二人に届いただろうか。


*...***...*



 手足を、骨折した。
「貴方の命に別条はありませんし、怪我人も出なかったから良かったですよ」
 セス・テヴァン(せす・てう゛ぁん)はそう言って微笑んだけれど、ヤジロ アイリ(やじろ・あいり)はベッドの上で呻く。
「いけると思ったんだけどなぁ……」
 そして、思い返して苦い顔。
 『野生の蹂躙』を覚えたから、召喚術で魔獣を呼べないかと実験したのが、今回の入院のきっかけだった。
 コントロールを失い、暴走する『魔獣の群れ』。止めようとして失敗、巻き込まれて手足骨折。入院。
 その経緯を聞いて、
「己の実力も把握出来ないほど阿呆だったとは……」
 ネイジャス・ジャスティー(ねいじゃす・じゃすてぃー)が、心底呆れた声を出した。
 阿呆ってことはないだろ、と恨みがましくネイジャスを見ると、
「何か言い分が?」
 と言ってきたので、言い訳がましいと思いつつもぼそぼそと。
「……だってよ。魔獣を現地調達するより、召喚術で呼び出せりゃいつでもどこでも戦えるだろ?」
 そうすれば、自分の身くらい自分で守れるようになるだろうし。
「失敗して怪我してれば世話ないですよねぇ」
 けれど、言う相手を間違えたなぁ、とアイリは思った。ネイジャスは、くすくす、笑う。
「だが骨折した骨は頑丈になると聞いたぞ。アイリは貧弱なのだから、頑丈になれると思えば悪いことばかりではなかろう?」
 ユピーナ・エフランナ(ゆぴーな・えふらんな)がそう言って豪快に笑い飛ばすが、それはフォローではないとツッコみたい。
「傷、痛みますか?」
 ツッコミを我慢し、ぐぬぬと唸った声をセスに聞かれた。首を横に振る。
「痛くねーよ。いや、痛いにゃ痛いけどさ」
「そうですか。……あまり、無茶をしないでください。貴方に何かあったら私、泣きますよ。というか、さっき泣きました」
「泣いたのかよ」
「泣きましたよ。どこぞの子供にお兄ちゃん大丈夫? って心配されるほど大泣きしましたよ」
 それは、見た方もびっくりしただろうなぁと苦笑い。
「次からは、何かするとあれば私も同伴しますからね。魔獣? 現地調達です。いいですね?」
「はーい」
「返事は伸ばさない」
 珍しく、保護者らしいお説教に「はい」と返事をし直して。
「そうだ、退院したら我が稽古をつけてやろう」
 ぽん、とユピーナから出された提案に、目を丸くする。
「身体は鍛えた分だけ強くなるぞっ! そうだ、魔獣の群れに襲われて怪我をしたならそいつらを弾き飛ばせるほど鍛えればいい!」
「おまえ、素で無茶言うよな?」
「無茶ではないぞ、アイリ。我の身体を見てみろ。これが稽古の成果だ」
 言われて、見る。
 熱血漢で豪快だとはいえ、女性であるユピーナの身体をじろじろと見るのは憚られたけれど――それでも見ると、ああなんという筋肉美。
 これが稽古の成果ならば……!
「無理ですよ、エフランナ。ヤジロはこうして吹っ飛ばされてる方がお似合いですし」
 やる気になりかけたところで、ネイジャスの冷ややかな声。
「なにおぅ!?」
「え? だって、横着をして手足骨折だなんて情けない貴方ですよ? ドジって死なないように気をつけるので精一杯じゃないですか? 何か反論、あります? あるわけないですよねぇ」
 くすくす、笑われて。
 ……まぁ、確かに反論しづらいけれど。
「そこまで言わなくてもいいだろー?」
「アイリ。ネイジャスもなんだかんだで心配しているのだよ」
「……心配? あいつが?」
 ユピーナの言葉を受けて、胡散臭そうにネイジャスを見る。……いつもと変わらない。冷ややかな目と、冷ややかな態度。これで心配をしていると?
「してませんよ」
 ほら本人も否定するし、……え?
「……いやおまえ、その手のそれは」
 ネイジャスの手で剥かれているのは真っ赤な林檎。
 しかも、かわゆいかわゆいうさぎさん型である。
「なんです? ヤジロの好きそーな形にしてあげただけですけど?」
「ほらな?」
 ユピーナが笑った。
「それにさっき、真剣に林檎を選ぶ姿を我は見たぞ! とても良い林檎だと、我の分析結果と一致した。嫌いであったらああまで真剣には選ぶまいよっ!」
「ネイジャス……そうだったのか!」
「馬鹿なことを言ってないで食べなさい。……ああ、阿呆をしたせいで両手が使えないんでしたっけ。ではテヴァン、食べさせてあげたらどうです?」
「私がですか?」
 林檎が乗った皿を受け取り、首を傾げるセス。
 食べさせる? いや、いくら両手が使えないからって……、
「では、アイリ。アーンしてください」
「できるかぁ! 恥ずかしいだろっ!?」
「食べたくないですか? こんなに美味しそうなのに」
「…………食べたい」
 だって、こういうときの林檎は格別に美味いし。
 でも恥ずかしい。
 そんな狭間でもんどりうつと、ネイジャスが愉快そうに笑った。そうかこれが狙いか。
 だが。
「よし、林檎に罪はねーし、食べてやるよ!」
 そういうことにして。
 あーん、と口を開ける。
 しゃくり、しゃくり。
 久々に聞く、林檎を齧るそんな音。
 甘さとほんの少しの酸っぱさ。瑞々しさと芳醇な香りにうっとりしてしまう。ユピーナが言うように、これは本当にいい林檎なのだろう。
「ネイジャス」
「なんですか」
「ありがとな!」
「なっ! わ、私は相手がヤジロでも、手ぶらで訪れては礼が欠けるからと持ってきただけです!! 勘違いなどなさらぬように。いいですか、心配なんてしていませんからね!」
 いや、わかっているけど。
 林檎に対する礼としてそう言った結果、ネイジャスからボロを出すように――実は心配しているのだとでも、言うようにそう言われて。
「はいはい」
「な、なんですかそのムカつく笑みは! あぁもう、腹立たしい。元気そうですし、私は帰りますからね!」
 病室を出て行くネイジャスを、にやにや笑いながら、見送った。