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酷薄たる陥穽-シラギ編-(第2回/全2回)

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酷薄たる陥穽-シラギ編-(第2回/全2回)

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第9章 禍福は糾える縄の如し

    ドン、ドン、ドン
 大砲のような音が森の奥から聞こえてきて、クマラ カールッティケーヤ(くまら・かーるってぃけーや)はロープを縛っていた手を止めた立ち上がった。
「うひゃあ。あれ、何?」
「キャノンの音じゃないですかね。多分」
 エオリア・リュケイオン(えおりあ・りゅけいおん)もそちらを向く。
「だれかドゥルジを見つけたのかナ?」
「きっと。いよいよ始まったようです」
 小さいけれど、パラパラと小銃を撃っているような音も聞こえてきて、エオリアはそう結論づけた。
 うーっうーっうーっ
「あ、忘れるとこだった」
 暴れる村人の振動がロープを伝ってきて、そちらを向く。ぱぱっと手早くロープで木に縛りつけ、これでよし、と頷いた。
「でも、これって反対に危ないのでは? 戦火がこちらに来たとき、この人たち逃げられないですよ?」
 ずらーっと木に一列に結びつけられた人々をあらためて見る。
 全員、シラギが海岸にいるのをかぎつけて現れた者たちだ。
 彼らが森から出てくるたび、かたっぱしから捕らえて木に縛りつけていた2人だったが、初めてその可能性に思い当たった。
「うーん……そのときは、オイラがロープ切って逃がすから、大丈夫!」
「はいはい」
 自由にさせるわけにもいかない以上、それがベターだろう。エオリアは黙って残りのロープを回収して、見張りの位置に戻ることにした。
 テケテケテケっとクマラが走って横につく。
「ねーねー、ルカルカから何か連絡あった?」
「まだです。向こうは向こうで、何か思うところがあるのでしょう」
 もう、とうに昼は回った。石に関する情報は得ているはず。
 情報交換はギブ・アンド・テイク。とはいえ、こちらから先に情報を渡すこともないと、エオリアは思う。
(ですが、連絡が入ったら、ひと言言っておかなくてはならないでしょうね。これからの友好関係維持のためにも)



 海岸に出る者を見渡せる、なだらかな斜面で見張りにつく2人の姿を、エース・ラグランツ(えーす・らぐらんつ)は視界の片隅でぼんやりと見ていた。
 彼らが役割を果たしてくれているおかげで、海岸は平穏で襲撃者が現れる気配もない。
 単調な波が繰り返し押し寄せる浜辺。冬の海岸だが、途中にサンゴ礁が防波堤のように広がっているため、それを越えて届く小波は穏やかだ。
 きらきらと光を受けて輝くエメラルドグリーンの水面を眺めていた視線を、横のシラギに移した。
 同じ岩に腰掛け、シラギは海岸で波とたわむれているミシェルたちを見ている。
「シラギさん。少しお話ししませんか」
 エースはおだやかに、そう切り出した。
 今回の事件に関して、自分たちは何もかも、受け身にならざるを得ない状況に置かれていると、彼は思っていた。
 事件が起きてからまだ24時間も経っていないのに、さまざまなことが起きて、それに対処するのが精一杯な自分たちは、すっかり主導権をドゥルジに握られてしまっている。
 振り回されるまま戦って、彼を倒して、さあ無事解決したとこの事件を忘れ去る。そんなことはできない。
 何かが間違っているという気がしてならなかった。
 最初のボタンをかけ違えたら、最後までかけ違えたままでいなければいけないということはない。
 どこかで気づいて修正することだってできるはずだ。
「シラギさん。もしかして、触れてほしくないことかもしれませんが、どうしても俺は聞きたい。過去、あいつとの間に一体何があったんですか? なぜあいつはあなたにだけ、明確に怒りをむき出しにしているんです?」
 エースの問いかけに、シラギはふむと考え込む素振りを見せた。
 どこまで話していいのか決めかねているというより、本当に悩んでいる様子に見える。ただし、この人は本心を隠すのがとてもうまいので、今の姿もただのポーズでしかないかもしれないが。
「あったとも言えるし、なかったとも言えるな。
 なぜわしを狙うのか、わしもよくは知らんよ。最後にあいつを砕いたのがわしじゃったからかもしれんと、今朝までは思うとったが、佑一くんから聞いたところによると、昨夜彼らはドゥルジを追い詰めて全身を砕いたそうじゃ。じゃがそれでも、ドゥルジは何も感じておらぬようだったとか。そんなことをした彼らに怒り、猛反撃もせず、淡々と予定通りこちらへ向かったと。
 そんなやつが、10年前に体を砕かれたからと、あれほどの憎しみを見せるかの?」
「ではほかに理由が?」
「わしも考えてみたよ。おまえさんらを巻き込んで、本当にすまんことをしたと思う。10年前の出来事にそれほどの因縁があるのであれば、おまえさんらに教えん道理もないからの。
 じゃが、どうしてもそれらしいものがないんじゃ。
 10年前、わしは軍の友人たちとチームを組んどった。日本ではパラミタ景気と呼ばれたころのことじゃな。契約者の数は少なかったが、世界中からさまざまな人間が集まって、新しい世界の開拓に胸を躍らせておった。みんな、目をキラキラさせて、希望に満ち溢れて…」
 懐かしい、今となっては前世の記憶とさえ思えるほど隔たりのある遠い昔の日々を思い出し、シラギは少しだけ自分の胸が熱くなるのを感じた。
「まだ何もかもが手探り状態じゃ。それは例外なく、だれもがそうじゃったじゃろう。手を伸ばして、やけどをしては引っ込め、今度はやけどしないよう工夫する…。
 そんな日々の中、わしらは休暇でこの地へやってきた。遊び、娯楽のためじゃ。今と変わらんの。ここは昔と変わらず美しい。
 そしてそこへドゥルジが現れた」
 シラギの口が、そこで重くなった。
 眉がひそめられ、声がぐんと低くなる。
「――わしは、今でもあれが分岐点じゃったと思う。どちらにせよ結果は同じじゃったとは、どうしても思えんのじゃ…。
 あのとき、ドゥルジは友好的ではなかったが、それでも好戦的ではなかったらしい。わしは知らん。これはあとから村の者に聞いた話じゃ。わしはそのとき、友人たちと浜で日光浴を楽しんどった。
 ドゥルジは「石を返してほしい」と言ったそうじゃ。「あれは俺の物で、おまえたちの物ではない。だから返せ」と」
「でも、返さなかった?」
「村の者の大半は、応じるべきじゃと思うたらしい。ドゥルジがどこか普通に見えん、ただの少年にはないすごみを効かせておったせいもある。しかし一部は、彼を疑った。言うまま、ほいほいと村の宝である不思議な石――願い事をかなえる石と、そのころ既に村人たちは祀り上げていた――を、見知らぬ者に渡すのはおかしいと。
 その言葉も正しい。持ち主が現れたのであれば、返すべきだという人の言葉もじゃ。結果、彼らはドゥルジの前で言い合いを始めた。ドゥルジはしびれをきらし「もっと簡単にしてやろう。渡さなければおまえたちを皆殺しにしてやる」と脅しをかけた」
「彼のやりそうなことですね」
「細かいことははぶくが、ようは、血気盛んな若者がドゥルジにケンカを売ったらしい。細身の少年が偉そうな口をきいておると……ちょっと脅せば逃げ帰るとでも考えたんじゃろう。
 結果的に、その若者は殺され、ドゥルジは腹を立てた。石を渡そうと自分を騙してハメたと。「人間、おまえたちは皆そうだ。自分の物でないと知りながら、決して離そうとしない」推測じゃが、たびたび同じようなことがあったんじゃないかの」
 石を返せと言い、その度裏切られた。
 そういうことを繰り返していれば、人間とはそういうものだと考える。それならば、最初から脅して力ずくで奪い返そうと…?
 シラギは背後の崖を振り仰いだ。
「何とも言えんよ。そうでない人間もいると言うたところで、何になる? あいつの受けてきたことが、あいつにとっての真実じゃ。
 わしらが気づいたときにはもう村はほぼ壊滅状態じゃった。どさくさにまぎれて1人の若者が石を持って逃げ、さらに事態を悪化させた。
 取り戻しに、わしらと村長があとを追った。ドゥルジもわれわれを追った。あいつにとっては、わしらもあの若者も大差なかった。仲間は次々と斃れていき、ついにはわしと彼女だけとなった。そして――」
(なつかしいラレリア。剣の花嫁。日本で行き詰っていたわしを、この新天地へと連れ出してくれた、愛らしい少女)
 最初の数年は、思い出すのはあの死の瞬間ばかりで、自責の思いに胸がつぶれそうに痛んだ。
 だが今、思い出の中の彼女は笑顔ばかりで、その瞳は愛にあふれていて、もう彼女のことを思っても胸は痛まない。ただ、穏やかな安らぎがあるだけだ。
「地球に帰ろうとは思わなかったんですか?」
 日本に。家族の元に。
 傷ついた人は、無意識に自分の見知った巣に帰ろうとする。
「帰れんよ、こんな姿ではな…。
 目覚めてから、わしは急速に自分が老いていることに気づいた。この10年で、40は歳をとった」
「なんですって? って、シラギさん、いくつなんですかっ?」
 想像だにしなかった発言に、エースはまるで目の前で爆弾が破裂したように目をむいた。
 どう見ても80代の彼の話を聞く間中、エースの頭の中では今とそう変わらないシラギの姿が展開していたのだ。
「歳か? あまり気にしておらなんだが…………1970年生まれじゃから――」
 指を折って数えるシラギ。「今年は何年じゃったかの?」とかまで言い出す。
(50代!?)
 10年前は40代前半だ。
「…………は」
 それはきつい。ひどい話だ。
「石を限界まで使用したせいかもしれんし、わしの中には石の欠片が入っておって、そのせいかもしれん。理由は分からん」
「ちょ、ちょっと待ってください…」
 よろめきつつ、エースは立ち上がり、距離をとった。
(たしか、朝の定時連絡で垂が作戦について何かヤバいこと言ってなかったか?)
 携帯で連絡をとろうと試みるが、発信音が鳴るだけだ。
「あいつ、携帯切ってんじゃないだろうな」
 あるいは移動中バッグに入れて、鳴っていることに気づいていないか。
「出ろよ、出ろ出ろ、早く、ほらっ」
 ぶつぶつ文句を言っているエースの背中から視線をはずし、メシエ・ヒューヴェリアル(めしえ・ひゅーう゛ぇりある)は足を組み替えた。
「石は、持ち主をそそのかすと聞きましたが」
「そうじゃよ。昼となく夜となく、10年間、つねにこの石もわしに向けて何かとささやいておる。こうなると、もう友達みたいなもんじゃな」
 それがどうかしたか? と首をかしげる。
「よくその誘惑に勝てるものだと」
「誘惑というても、口ばかりじゃからの。口やかましい者が隣でペチャペチャしゃべっとるだけじゃ。
 ま、それが本当に誘惑か、わしの本心かは、ときどき分からんなるが……おかげでゆっくり吟味する癖もついた。昔はひたすら前ばかり見て走っておったのじゃが」
「若いときは、例外なくそういうものですからねぇ」
「まぁの」
「しかし本当に、ちらともその誘惑に乗ろうと思わなかったのかな? と」
 自分の反応を計ろうと横目で伺ってくるメシエに、シラギは、にかっと笑った。
「そーりゃたびたび思うとるよ。おかげでコレステロール値がバンバン上がって大変じゃ。血圧も高すぎるから塩分を抜けと、よく医者に言われとるんじゃが、これがなかなか誘惑が強くての。しょっちゅう声に負けとる」
「――いえ、そうでなく」
「シラギさーん! これ、何の貝ー?」
 ミシェルが、岩崖の向こうから拾ってきた何かを持って、手をぶんぶん振っている。
「ほーい。何じゃぁ」
 ぴょんと岩から飛び降りて、シラギはそちらに向かってひょこひょこ歩き出した。
 と、そのまま歩き去ると思われていたシラギが足をとめ、メシエを振り返る。
「石は、彼女をよみがえらそうとそそのかす。しかし、彼女はどうしたって生き返りはせん。人は、死ねば終わりじゃ。それでいいと思うとる。死があるらこそ、命は尊い。何をしてもこの存在を守らねばと思う」
「ですがドゥルジには、その「死」すらないらしい。砕かれても修復し、よみがえってくる。
 石が彼と同じ性質の物であるならば、それは彼の仲間の物である可能性が高いでしょう。あのような存在は脅威です。それを増やすことになる石は、やはり渡すべきではないとわたしは考えますが、あなたはどう思いますか?」
 その質問に、シラギは答えなかった。
 今度こそ足を止めず、まっすぐ浜辺のミシェルたちの元に歩き去っていく。
「どうかしたのか?」
「うーん、今度ばかりは難しくなりそうだねぇ。
 ひょっとすると、われわれは失敗するかもしれないよ」
 ぱんぱん。服を払って、砂地に降り立つ。
「あの人はクマラにでも言って、縛りつけておくべきだと私は思うよ。反対する者が多そうだけれど。
 敵になりかねない」
「敵だって!?」
「シラギさんの命を救おうとする、私たちの敵」
 助かりたいと思っていない人を助けることほど難しいことはない。
 ひらひらと手を振って、メシエは砂浜の方に上っていく。



 そのころ、神美根神社では。
 正悟、綺人たちをことごとく倒し、彼らの集めた石をガツガツとむさぼり食う六黒の姿があった。
『むくろ、むくろ……もうやめて…』
 精神感応で語りかける沙酉の声も、もはや届いている様子はない。
 そこにいるのは、力をわがものとするためだけに動く、一匹の野獣――。
「もっとだ……もっと…」

   そうだ。もっと石を集めろ。
   そうすればおまえはさらに強くなれるぞ。
   力が手に入る。おまえだけ。おまえ1人の力が。
   それが手に入れば、おまえは最強となれる。

 六黒は石の命じるまま、正悟の石を手に、次の石を求めてふらふらと歩き出す。
 かすかに感じる石の波動。
 それが、六黒には自分を引っ張るロープのように感じられた。


 その道は、海岸へと続いていた。