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【カナン再生記】黒と白の心(第2回/全3回)

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【カナン再生記】黒と白の心(第2回/全3回)

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第3章 白き心の影 3

「貴様……っ! 何者だ!」
 砦内を見回っていた数少ない兵士たちが、地下に向かう途中の綺雲 菜織を見つけて道を阻んだ。しかし、転瞬――舞うような氷と炎の術が兵士たちを襲う。
「くそっ……!」
 兵士たちはとっさに槍の刃先でそれをなぎ払った。氷の塊は荒く砕かれ、同時に炎がそれを一瞬にして溶かしつくしてしまう。だが、それが仇となる。
「菜織様!」
 有栖川 美幸(ありすがわ・みゆき)の声が聞こえたそのとき、地を奔ったのはまるで絡まった縄のように乱舞する雷だった。
「なっ……ぐああぁぁっ!」
 すさまじい雷電に身を灼かれる兵士たちは、それでもなんとか這い蹲る勢いで菜織に襲い掛かったが、一瞬にして心臓を貫かれた――しかし、事実は幸か不幸か、彼らの視界とは別物だった。
「へぁ……がっ」
「すまないが、道を空けて貰うよ」
 ミラージュの幻影が視界に映し出した心臓を貫く映像――それに捉われている隙に、菜織の剣先は兵士たちの四肢のみを切り裂いていた。腱を裂かれた彼らの腕や足は、本人の意思とは相反し、がくっと崩れる。まるで、重力をなくしたかのように。
「悪く思うな。……こちらも譲れぬモノがあるのだ」
 言い残して、苦鳴をあげる兵士たちを背に菜織と美幸は地下へと降りていった。
 先にあるのは、捕虜を捕らえている地下牢である。見張りの兵士がいるか……? 警戒する菜織だったが、幸いなことに、どうやら見張り兵は先ほどの彼女たちの騒動に駆りだされていたようだ。
「菜織様、鍵を……」
 無人の管理室から鍵を手に入れた美幸が、頷く菜織にそれを手渡す。
 地下牢の奥――重厚な扉が見る者さえも拒むそこを開けると、そこにいた番犬のような数多くの鋭い視線が彼女へ集中した。
「……あんたは?」
「あの男から話は聞いているだろう」
 視線の先頭にいた男――ニヌア騎士団“漆黒の翼”の団長、アムドは、睨むように菜織を眺めた。軍刀を思わせる鋼の瞳がうなずく。あの男は約束は守る瞳をしていた……それが、彼女たちということか。
「約束通りに助けに来た。だが、少々問題もある」
「問題?」
「……恐らく、こちらの奪還は読まれている」
 アムドの眉がわずかに寄った。厳しい表情になる彼に、菜織はそれ以上余計なことを口にすることはなかった。ここからは、彼らの戦いだ。ニヌアを守り、そしてシャムスを守る彼ら騎士団――団長のアムドに、指揮権はゆだねられる。
 どうする? 菜織の瞳が尋ねる疑念に、アムドは地を鳴らすような声を発した。
「武器は?」
「武器庫がある。そこから拝借することはできるだろう」
「時間がないな……案内は任せてが、かまわんか?」
「聞くまでもないさ。もちろん、重畳だ」
 騎士団の連中は、すでに準備を整えていた。あとは、行動に移すのみ。
「……行くぞッ!」
 “漆黒の翼”は、獣の咆哮をあげて牢を飛び出した。



 その頃――砦内では黒騎士を見つけたと騒ぐ兵士たちが、問題のそれを交戦を繰り広げていた。
「ぐあぁっ!」「ひ、ひるむなぁ! 突き進めぇ!」「ぬああぁぁっ!」
 漆黒の鎧を身に纏うたった一人の騎士相手に、兵士たちは次々と倒されてゆく。いや……違う。一人ではなかった。
「は〜い、狙いますよぉ」
「ぐはぅ……ッ!」
 のんびりとした口調と裏腹に、鋭い弾道が魔法使い兵たちに連続して撃ちこまれた。引き金を絞るは、くすりと哄笑にも似た微笑を浮かべるリゼッタ・エーレンベルグ(りぜった・えーれんべるぐ)である。
 とすれば――当然そこにいる黒騎士は。
(だああぁぁ、人が多いっつーのぉっ。ワイの身体は一つだってーのに)
 無言のまま敵をなぎ倒しながら、黒騎士に扮する七刀 切(しちとう・きり)は心の中で叫んだ。兵士をひきつけるために黒騎士の鎧を借りたまではいいものの……さすがに集まりすぎである。
 うじゃうじゃと蟻のように攻めてくる兵士たち。幸い、通路が狭いおかげでなんとか保ちつつあるが、いかんせんシャムスに似せるように慣れない剣で戦っていることもあって、厳しい状況だ。
(こりゃ……さっさと正体バラしたほうがいいかね)
 切の目が敵兵の槍を捉えた。
 がくっと膝を落とした黒騎士に、隙ができたと思って突きを繰り出す兵士。刃先は黒騎士の喉を狙うが、切はその軌道を逃すことなく見つめていた。
(……きたっ)
 攻撃をよけるようにして上体を引く切。すると、刃先は彼の狙い通り黒騎士の兜を弾き飛ばした。同時に、切は致命傷を受けたような苦痛の声をあげる。
「な、こ、この声は……!? 黒騎士じゃないっ!」
「なに……? じゃ、じゃあこの男は……!?」
「バレちまっちゃあ、しょうがないわなぁ。今頃はもう……」
 黒騎士の正体を見たことがないとはいえ、その声だけは兵士たちも知っていた。凛としたその声とは似ても似つかぬ男らしい切の声色に、兵士たちは驚く。
 すると、砦に外の帆船から発射したであろう砲撃がぶつかり、衝撃が建物を揺らした。
「くっ……もしや、陽動かっ!?」
 兵士たちは、一部の兵を残してすぐに砦の外へと向かった。
(上手くいきましたねぇ、切君)
(ま……それなりに、な。あとは……)
 後始末を任された兵士たちが、鋭い目でこちらを見据えていた。
 これを、どう処理するか……。無論、戦わざるを得ないわけだが、正直言ってたった二人で勝ち目がある、とは言いがたかった。
(数ってのは、意外にものを言うしねぇ)
 すると――思考をめぐらせる切に、容赦なく一人の兵士が襲いかかってきた。振り降ろした刃先が、それまで切がいた空間を切り裂く。なんとか後退してその場を避けた切は、ふと違和感を感じた。
(あの目……あの動き……もしかして)
 再び、兵士は追撃して槍を渾身の力で突き出す。
 瞬間――
「あ、やっぱり女の子だった」
「…………ッ!」
 いつの間にか女の子の横合いまで駆け抜けていた切の手が、兵士の兜を引っぺがしていた。その下には、かわいらしいとさえ言える女の子――夕条 媛花(せきじょう・ひめか)の顔が、そこにあった。
「……っ!」
「よっ……と」
 一瞬、驚きに目を見開くも、媛花は容赦なく攻撃を仕掛けてくる。彼女の瞳には、まるで機械のように、忠実に命令をこなす兵士のそれが湛えられていた。おおよそ、人間らしいものとは思えない。だから、切は彼女に気づいたのかもしれなかった。彼女の笑顔を見てみたくて……女の子の笑顔を、取り戻したいから。
「どわあああぁぁ!」
 ――とはいえ、ぶんぶんと槍を振りまわすながら追い掛け回されると、さすがに「ははは、ワイの胸に飛び込んでおいで」なんて王子様みたいなことが言えるはずもないわけで。
「逃げるが勝ち!」
「まったく、難儀な性格ですよね、切君は」
 媛花から背を向けると、リゼッタとともに切は脱兎のごとく駆け出した。



 そのとき、ローザマリア・クライツァールにとってはその事態を把握することはきわめて困難であった。ただ言えることは、想像していたよりも、その巨大な体躯が持ち上がる産声が美しい音色のように澄んだものであったということ、そして確実にそれを起こした引き金が、自分にあったということだった。
「な、なにが起こったって言うの……っ!?」
「う、うにゅ〜〜〜!」
 ローザマリアは、転がってゆくエリシュカの向こう側、傾いた部屋の中の、それまで自分が対面していたモニターへと這い蹲るようにして近づいた。
 それまで薄暗かった部屋の中は、まるで夜から昼間に突然変化したかのよう光を広げている。全ての経路にエネルギーが渡ったとでもいうのか? しかし、なぜ?
 それまで全く反応を示さなかった巨大飛空艇エリシュ・エヌマは、ランプを全て赤から緑へと変化させた。電子音を並べたような音声が、艦内に響き渡る。
『自動制御プログラム起動。システムオールグリーン……目標座標487,896』
「じ、自動制御プログラム……!?」
 頭上から告げられる機械音声に驚愕して、ローザマリアはモニターにたどり着いてそれを見上げた。そこに映っていたのは鮮やかな南カナンを表した地図と、座標を表す二つの線の交錯である。
『お、御方様!』
 普段は冷静な菊の慌てた声が、無線機の先から聞こえてきた。その頃になると、どうやら浮揚し始めたのか、艦内の傾きが正常なものに戻ってくる。
『い、一体これは……?』
「……どうやら、私が試したアクセスでブラックボックスが起動したみたいね」
 そう……ローザマリアは、先刻の自分の行動を思い返していた。
 ブラックボックスになっている艦のシステムを解析しないことにはどうにもならないと思った彼女は、考えうる限りの方法でそこにアクセスを試みていたのである。すると、偶然にもとある認証暗号とぶつかり、そちらに強制解除のキーを打ち込んだ瞬間――一気に船が衝撃を走らせたのである。
『す、すると、これで船はもう……』
「――だと、良かったのでしょうけどね」
『マスター緊急回避システムが起動中。マスターコードの入力を要請します』
 菊と話しながらキーを打ち込んでいたローザマリアに、無機質な声がエラーを告げた。途端――既に浮揚して動き始めているエリシュ・エヌマの前方で、地下の壁が突然崩れだした。
『こ、今度はなんですか!』
 無線機の奥で、ジョーが叫ぶ声が聞こえてくる。
 作業員たちの避難する声とともに崩れ落ちた壁の向こうでは、地下ガレージの入り口と思わしきものが姿を現した。これも、エリシュ・エヌマと同様に地下に隠されていたものというのだろうか?
 ゆっくりと開いた入り口の奥からこぼれてくるのは砂であった。そして、わずかに見えるのは空の輝きだ。
 地下から地上へと、巨大飛空艇エリシュ・エヌマは発進した。
「目標座標が示すのは……『神聖都の砦』? いったい、何をしようというの……」
 それを知っているのは、広大な砂の大地を見下ろして空を駆ける――エリシュ・エヌマだけだった。