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【カナン再生記】東カナンへ行こう!

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第7章 野生馬捕獲でヒャッハーしよう・1日目

 野生馬のいる目的地、南カフカス山はアガデの都から北東の方角にあった。
 連なるエリドゥ山脈の一番端の山だ。頂上付近にはまだ白くけぶる雪が残っている。
「今日はもう日が暮れる。馬追いは明日の朝から始めよう」
 アガデの都を経って数時間。西に傾いた夕日を背に、セテカは言った。
「今日は町の人たちが歓迎会を開いてくれるそうだから、きみたちも楽しむといい」
 と、町の外門の外にできた野外パーティーのような一角を指す。そこにはコの字型になった夜店のテントと、ぺこっと頭を下げる村の人たちがいて、早くもおいしそうなにおいがプーンと飛んできていた。
 羊の串焼き(ケバブ)、明るい色彩のタジン、クスクスといった素朴な物から、好きな物をはさめるピタ、ドレといった煮込みスープまである。
「あのー、これ何ですか?」
「これはね、ファラフェルというの。豆を混ぜて揚げた物よ」
 見た目は丸いコロッケ、揚げタコの大きい版みたいなほかほかのそれを受け取り、ぱくつく。
「おいしい!」
「これは?」
「それはフムスといってねぇ――」
 長い行程でおなかを空かせているから、さっそく料理に飛びついて、町の人とにぎやかに交流している。
 そんな彼らを横目に、セテカは運んできた運搬車の横で町の者と何か話し込んでいた。
「セテカ君は行かないの?」
 セテカの言葉を書き取っていたふうな男性が離れて行ったのを潮と見て、リカインが歩み寄る。
「いや、俺も行くよ。明日からの確認も終わったし」
「じゃあ行きましょう」
 腕を引き、みんなの中に加わった。町の人の説明を聞きながら、これはと思う料理を選んで取り、席につく。
「それでね、セテカ君。前にも言ってたことなんだけど」
 皿の中の料理をつつきつつ、リカインはおもむろに切り出した。
「東カナンでの今度の事件を扱った歌劇について。あれから劇の内容についてちょっと煮詰めてみたんだけど、2つ候補があってどうしても絞りきれなくて。それで主演のセテカ君に決めてもらおうかな、と考えたんだけど。
 当初みんなが思っていたような勇気ある叛逆者としてのストーリーか、最後には自分の命を親友に奪わせるような企みを進めていた策士としてのストーリーのどちらがいいと思う?」
 ここで口にふくんだスープを吹き出さなかったのは、ほとんど奇跡と言っていいだろう。
 復讐はまだ続いていたのか…。
 ――世に恐ろしきは(以下略)
「……いや、俺は当事者だから。そういうことは――」
 無難な返事を返そうとした彼の前の席に、だれかが着席した。マーゼン・クロッシュナー(まーぜん・くろっしゅなー)早見 涼子(はやみ・りょうこ)だ。
「少しお時間をいただいてよろしいですか」
 料理の乗ったプレートを持っていたが、それは表向きだけのようだった。セテカもまた、彼の真剣さに応じるようにフォークを下ろす。
「まず、先だっての戦いで陽動作戦の目的は果たせたとはいえ、多くの兵を死なせてしまったことを詫びたい。一部の唾棄すべき者達の独断とは言え、我々契約者の中からネルガルに与する者を出してしまったことを、本当に申し訳なく思う」
 彼は心底から恥じ入っていた。一緒に戦った彼らの多くは、アバドンや神官戦士ではなく、シャンバラ人の裏切り者たちによって殺された。彼らが向こう側につかなければ、あれほどの被害は出ずにすんだはずだった。メラムでも、大荒野でも。
 反乱軍は救援を求めて自分たちを頼ってくれたのに…。
 マーゼンにとってその厳然たる事実がシャンバラ人の契約者として恥ずかしく、口惜しく思えて、頭を下げずにはいられなかったのだ。
 周囲の者に聞こえないよう配慮された声。
 給仕する町の人たちに交じって騒がしいみんなの楽しそうな食事風景を見回して、セテカはフォークを豆に突き刺した。
「きみたちは自由を尊んでいるんだろう? 自由とはそういうものだ。好きなように生き、好きなように死ぬ。
 あの兵たちも、ある意味そうして死んでいった。それはだれのせいでもない。自分の死を、だれかに申し訳ないと思われるのは彼らの本意でもないだろう」
 セテカは反乱軍を利用した。だが決して、彼らに望まない行為を求めたりはしなかった。彼らは苦しむ領民をモンスターから救うために離反したのだ。そして北カナンの圧制から東カナンを解放するために戦って、死んでいった。敵は関係ない。アバドンであれ、神官であれ、コントラクターたちであれ……忠誠を誓った主君のバァルが相手としても、彼らは挑んでいったに違いなかった。
 だれからもその行為をすまなく思われることはしていない。
「俺たちは、できる限り彼らがそうできるような場をつくりだすしかない。兵士は、死ぬまでに何人の敵を倒したかで価値を計られる存在だ。その覚悟で兵役に服している。だが、だからといって無理やり死地に送りたくはない。
 彼らの望みが俺たちの望みと同じであることを望み、その望みがかなう機会をできる限り増やす。それが上に立つ者の務めだと俺は思う。……難しいことだが」
 きみも食べろと促され、マーゼンはのろのろとフォークを持ち上げた。
「教えていただけないか。あの後、領主とはどうされたのか」
「ん?」
「ああいう事情だったので……自分たちはさっさと撤収してしまって、結局領主と会うことはかなわなかったわけだが、気にはなっていたんだ。あなたは彼を裏切ったのだし。その真意はともかく」
「ああ…。あのあと、10日ぐらいしてから一度徹底的に話し合った。それからは、まぁ何がどうということもなく8割方復調ってところだな」
 なんといっても、彼らには20年を超えるつきあいの歴史がある。裏切ろうともそれは互いを思ってのこと、真の裏切りではないということは分かっており、無意識の底にある互いは互いの半身であるという思いを揺るがすことはない。
「あの…」
 横で2人の会話に耳を傾けていた涼子が、遠慮がちに声を発した。
「すみません。私もお訊きしたいことがあるのですが」
「何?」
「もともと、セテカさまはエリヤさまを北カナンより救出されることを目的とされていたのですよね。バァルさまの恨みや憎しみを買うことになろうともかまわずに。
 バァルさまは、東カナンの民のためにはそれが必要だと分かっていてもなお、エリヤさまのお命を縮めることは決してできないと考えられ、そんなバァルさまの代わりに自分が実行しようとなさった。
 これは、あくまで私の勝手な推論でしかないのですが……もしかしたらネルガルも、イナンナさまには決して実行できない何かを、代わって実行しようとしているのではないでしょうか」
 女神イナンナは、豊穣の女神としての優しさでカナンを統治していた。だがその結果として、彼らに依存心を生みつけてしまった。
『女神様がいればと、まだ口にする者がいるそうだ』
『何をしてもふたことめには「女神様のおかげで」「女神様のご加護によって」――努力して、結果を出しているのは己たちだ。報われたのは自分が頑張ったからなのに』
『女神などに祈る暇があれば、この試練にどう立ち向かうかを考えるべきだ』
『神などに頼らず、すがらず、自らの足で立ち、自らの手で事を成す。その責任も、結果も、全て人が負う』
『人は、まず立ち上がらねばならない。だれの足元に頭を垂れるでなく』
 神聖都の砦でしていたという兵士たちの会話が、涼子の胸に重く響いていた。
 あれはネルガルが耳に響きのいい言葉を用いて丸めこんだだけ、ただの甘言、理想論でしかないと思ってきた。なぜなら、国家神は必要不可欠な存在だからだ。要も不要もない。大地を潤わせ、緑で満たす豊穣の女神イナンナをないがしろにする、その時点で彼らの考えは間違っている。
 ただ、考えずにはいられないのだ。
 だれよりそれを知っているはずの元神官長ネルガルが、カナンを荒廃させてでも求めるものが何なのかを…。
「女神様にできない何か…?」
 涼子の言葉に、セテカは食べる動きを止めた。
 青灰色の瞳が深みを増し、暗くなる。
「――そうか、そういうことか…」
 何かを悟ったようなその低いつぶやきは、隣に座るリカインの耳にすら入らないほど小さかった。


*          *          *


 一方、そのころ、南カフカス山のとあるクレバスでは。
 遭難したコトノハと夜魅が、見つけた洞窟で肩を寄せ合って座っていた。
「いたたたた……こ、コメシナでよかった…」(※冒険シナです)
 不時着の際、ぶつけたふとももをさすりさすりつぶやく。
「夜魅、こんなことになってごめんね。私がちゃんと準備をしなかったから…」
 はぜる焚き火の向こう側に置いた飛空艇を恨めしげに見る。
 クレバスにある少し出っ張った斜面にどうにか着地した後、メンテナンスをしていて分かったのだが、機晶石のエネルギー自体がほとんど尽きかけていたのだ。これではとても麓の町までも飛べない。
 どうして確認しなかったのか。新しい物と交換するか、せめて予備を持ってくることを思いついていれば…!
「ママ、絶対に大丈夫だよ! 誰かがきっと見つけて、助けてくれるから!」
 自分は自業自得として、夜魅まで巻き込んでしまったことに激しく落ち込むコトノハを、必死に慰めようとする。
「みんな、このお山に登ってくるんでしょ? 絶対明日の今ごろには、あたしたち救助されてるよ! それまで頑張ろう!」
「夜魅…」
 ひし、と互いに抱き合って、山の寒さから守ろうとする。
(ママは大切な体なんだから、あたしが守らなきゃ! 不安とか怖いとか言ってられない! 絶対、絶対、ママも赤ちゃんも、あたしが守ってみせる!)
 手の下でぴくぴく動くおなかの赤ちゃんに、夜魅は今まで以上に決意を固めたのだった。