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第1章 刀と酒の契り 3

「おっ酒、おっ酒、酒酒酒♪」
「おっ酒が飲っめる〜♪ うっれしいな〜♪」
「ええーい、やかましい! あんたら、緊張感ってのはないのかっ!」
 なにやらひょうたん酒やワインを片手に騒いでいる連中――そんな冒険者の仲間たちに対し、振り返ったユベール トゥーナ(ゆべーる・とぅーな)が怒鳴った。アホ毛をぴょこっと生やした可愛げのある顔が、きつい表情を結んでいる。
「あっはっは、何を言うてるんやトゥーナ。緊張感があるからこそ、こうして平常心を保つためにお酒の力を借りるんやないか」
 トゥーナにとってパートナー仲間である魏延 文長(ぎえん・ぶんちょう)は、紐を持ってひょうたんをくるくると回しつつ、片手でぐいとおちょこを仰いだ。これでもかつては時代を馳せた三国の猛将であったというのだから、驚きである。そこが英霊たる所以なのだろうが、女性の姿となった今となっては、その無駄に大きな胸もさらしを巻くだけでおおっぴらにして、豪快かつ飄然と笑っている。
「詭弁よ! いいわけよ! 自己弁護よ!」
「まあまあ、そう目くじらを立てるもんじゃなかろう。ほれほれ、そなたも一杯どうじゃ?」
「わ、私はお酒は……」
 文長と一緒に酒を飲んでいたシニィ・ファブレ(しにぃ・ふぁぶれ)が酒を勧めると、トゥーナは戸惑いながら断る。なにやらニヤリと眼光を光らせた文長が、それに続いた。
「そう言うなや、トゥーナ。ほれ、一杯ぐらい」
「あ、ちょ……」
 半ば強引に……シニィのものではなく自分のひょうたん酒を飲ませた文長。すると……
「は、はらほれひれはれ……」
「おや、まあ」
 顔を真っ赤に紅潮させて、くらくらと目を廻したトゥーナはそのまま横転しそうになる。と、そこに二本のカットラスを帯剣した青年が駆け寄ってきた。
「お、おい大丈夫か、トゥーナ?」
 青年――夜月 鴉(やづき・からす)の姿を見ると、トゥーナは彼に寄りかかるようにして倒れこんだ。
「あ……鴉ぅ……もう、あんたっていつまで経っても……ニブチンのままでっ! ほれぁ、もう、そんにゃんだから、あたしがぁ…………んが!」
「おい、トゥーナ!?」
 酔いが回りすぎて呂律が回らなくなっているトゥーナの介抱は彼に任せておくとして、それをニヤニヤと文長たちは見守る。そんな二人に、同じくひょうたん酒をあおる女が含みを持った声をかけた。
「まったく、お節介が過ぎるわよね、二人とも」
「いや……あの二人を見てるとどうにも歯がゆいときがなぁ。たまには、こういうのも悪くないやろ?」
「そうね……紳士淑女の色恋にはトラブルがつきもの……ってところかしら」
 布に包まれた巨大な棒のようなものを担ぎ直して、女――ミューレル・キャストは誰かを思い出しながら、唇をつり上げた。コビアと分かれて別ルートから怪鳥のもとを目指す一行だが、まるで彼女の趣向に引き付けられるように、酒好きの連中が集まっている印象だ。
 ちゃぽ……とビンに入った日本酒を掲げた霧雨 透乃(きりさめ・とうの)も、またその一人であったろう。
「やっぱり飲むなら日本酒! だよねーっ! 文長ちゃんの持ってるお酒も飲んでみたいな!」
「お? 試してみるか? わちの酒はちとキツいぞ?」
 燃えるような赤髪の下で天真爛漫な瞳が、興味津々とばかりに目を輝かせている。文長は自慢げに特製のひょうたん酒の水音を鳴らした。
 すると、そんな彼女たちの間に快活な声が割り込んできた。
「やあやあ美女の皆様方。日本酒もいいが、ワインなんてのはいかがかな?」
 一斉に振り向いたそこにいたのは、白と赤の二本のワインを指又に挟んで掲げるルース・メルヴィン(るーす・めるう゛ぃん)だ。シャンバラ教導団に所属する見た目は硬派な軍人は、それに反した軟派な笑顔と無駄にダンディな声を発してお酒を勧めてきた。
「和もいいですけど、西洋酒にも西洋酒にしかない良さってものがあるんですよ?」
「そうですね。特に肉料理なんかは、赤ワインは絶品です」
 西洋酒を嗜むのはルースだけではなかった。まるでワインセラーの女主人のようにたおやかな笑顔でボトルをかかげたのは、透乃のパートナーの緋柱 陽子(ひばしら・ようこ)である。その後ろでは、もう一人のパートナーである月美 芽美(つきみ・めいみ)が、さほど興味もなさそうにミューレルたちを見やっていた。
「西洋酒か……せっかくだし、手ごろな獲物でも捕まえたら呑んでみましょうか」
「さっすがミューレルさん、話が分かりますね! やっぱり美人は知的さも兼ね備えているというところでしょうか……ぜひ、その際にはオレと一緒に一夜のディナーを……」
「あはは、遠慮しておくわー」
 ルースの誘いは軽く転がしておくとして、ミューレルは芽美へと目をやった。彼女はなにやらビール瓶のようなものを軽く指先で弄んでいる。
「あなたは……ビール?」
 小首をかしげて聞いてきたミューレルに、芽美の目が動いた。常闇より深い漆黒の瞳の中には、なぜか見る者を強張らせる畏怖にも似た光が湛えられている。――それは彼女の心の奥底を覗き込む者にしか分からぬ程度のものであったが。
「そうね……本当に好きなのはカクテル、特にブラッディ・マリーかしら」
「ブラッディ・マリー?」
「血まみれのメアリー……彼女の浴びた血のようなカクテルよ」
 くすっと笑いかけると、芽美はそれ以上答えなかった。彼女の瞳の奥に何を見たのか――ミューレルは納得したような仕草で彼女から目を移した。
 いまだ……酒談義は続いているようだ。しかし、そんな彼女たちとは違ったものに瞳を輝かせる者もいた。
「おったから〜、おったから〜♪」
 ミューレルたちから先導して、鼻歌まじりに歌いながら歩を進めるのは羽瀬川 まゆり(はせがわ・まゆり)だった。パートナーのシニィはお酒のようだが、彼女はお宝を追い求めるトレジャーハンターのようだ。
「鳥は光るものが好きっていう話を聞いたことがあるわ!」
 いきなり、ビシっと言い放つ自称トレジャーハンター。
「そして今回行く場所は鉱山! ……それから導きだされる答えはっ!?」
 どこから取り出したるものか、隣を歩いていた鴉にマイクが向けられた。いまだ酔いつぶれたトゥーナを背中に抱える彼は、戸惑いながら答える。
「えっと……鉱石?」
「そう! 怪鳥の巣で宝石や希少な鉱石を大量ゲット! 街で換金してうっはうはーよ!」
 彼女の目には黄金や宝石で埋まる自分が見えているのだろう――浮かれ気分で自慢げに胸を張っている。そんな彼女に、怜悧な黒曜石の瞳が向けられた。
「それも面白いが……我としてはこの依頼そのものが気にかかるがな」
「依頼?」
 自分とは裏腹に常に冷静を崩さぬ草薙 武尊(くさなぎ・たける)。彼の目は首をかしげるまゆりからミューレルに動いた。まるで値踏みする商人のような視線だ。ミューレルは少しだけむずがゆいものを感じた。
 置いてけぼりになるまゆりは放っておいて、シニィがずいと彼女の前に進み出た。
「そうじゃなぁ……ミューレル殿、おぬしも人が悪い。イルマンプスの暴れている理由に心当たりがあるのではないか?」
「見たところ……鉱山そのものが荒らされてるってわけでもなさそうやしなぁ」
 シニィに続けて、文長が周りをゆるやかに見回しながら呟く。ミューレルは彼女たちを見て、薄い微笑を浮かべた。
「さあ……どうかしらね?」
 まるではぐらかすように、特に答えにもならぬことを口にする。そんな彼女へ、ぼそりと武尊が囁くように言った。
「コビア殿を……信頼してのことか?」
 覗き込むような瞳を、ミューレルは見返した。しばらく彼女は返答することがなかったが、やがて肩に担いだ布を撫でて小さく呟いた。
「そう、かもね」
「ミューレル殿は……コビア殿に出会うまで何を?」
「当てもなく、旅をしてただけよ。ほんと、目的も何もなくて……ただ足が踏み出すままにね。まあそれは……いまも変わってないのかもしれないけど」
 旅。
 一言で言えば、それだけでも事足りる言葉だ。しかし、そこには多くの意味と意思が込められている。少なくとも、武尊は思った。……彼女の“旅”はただの旅だろうか、と。
 ――轟然。獣の咆哮が聞こえた。
「!」
 背後だ。それも、すぐ上の崖から飛び降りてくる。それに気づき、とっさに身構えたときには遅かった。鋼の如き強靭な爪が、ミューレルの心臓を一気に貫き――
 布がばさりとはためく音がすると、次の瞬間、獣の体躯は文字通り一刀両断されていた。
 布に纏われていた巨大な太刀の刀身は輝き、すでに敵を切り終えたそいつは役目を終えたと言わんばかりに風を切った。刃に付着していた血が風圧で散る。
 その一瞬の出来事に、同行者たちは呆然としていた。だがその中で、平然としてひょうたん酒を回す女にミューレルは振り返った。
 悪戯げに笑った文長が、ミューレルと笑みを交し合った。
 彼女はひょうたんに入っていた酒を、とっさの判断で獣の両目に弾き当てたのだ。ただでさえ度数のキツい酒の熱気と水滴が獣の視界を奪った瞬間――ミューレルの刃が肉を断った。
「ほんと……似たもの同士だよ、まったく」
 それを傍らで見ていた鴉は、呆れたように誰知らず呟いた。