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第4章 戻らぬもの 1

 そこに供えられた花は、名も分からぬ浅黄色の花だった。しかし――美しいと思えた。きっと、この花を供えてくれた人もまた、そんな美しさに思いを込めたのではないと、そのように思える。
「ここで……亡くなったのかな?」
「かもな。確か、谷に落ちたと言っていたからな」
 すでに中腹を過ぎて、山頂へ差し迫る山道に踏み入ろうとしていたコビアたちは、ある山谷に立ち止まっていた。
 崖に供えられた花の前に屈みこんだコビアの隣では、橘 恭司(たちばな・きょうじ)が煙草を吸いながら谷底を見下ろしている。まるで闇の底へと引きずり込もうと言うように、底のほうは薄暗く、、はっきりとしたものを確認することはできない。
 恭司は興味を失ったように、煙草を携帯灰皿に捨てると、身を翻した。
「行くか。さっさと怪鳥のいるところまで向かったほうが良さそうだ。そのまま崖に近づきすぎると、お前まで落ちるぞ」
「……うん」
 コビアも立ち上がって恭司たちのもとに向かおうとする。
 と――そのとき聞こえたのは、かすれて聞こえるほんのわずかな音だった。
「……これって、声?」
 振り返った山谷の谷底からは、何者かの不思議な声色が届いていた。


「だからと言ってだな……」
 恭司のなんとも言えぬ呆れた声が聞こえた。
 コビアは彼に顔を向けると、誤魔化すように苦笑する。恭司はそれまで再三ついてきたため息をこぼした。
「わざわざ……谷底まで降りようとする奴があるかっ」
 恭司の言い分も、最もであったかもしれない。
 コビアたちはただいま、谷底から聞こえてきた声を目指して山谷を降下しているのである。幸いにもと言うべきか、トーマたちから借りた小型飛空艇もある。本当はコビアがいきなりロープを使って降りようとしたのを、恭司があわてて止めたのが発端であるが――まったく、後先を考えないものだと、恭司は再びため息をついた。
 そんな恭司に、どこか達観したような大人の声。
「まあまあ、そう言わないであげようじゃないか恭司くん。もしかしたら、誰かが助けを求めてるのかもしれないだろ?」
 恭司が振り向いた先にいたのは――口調とは裏腹になんともかわいらしいお嬢さんだった。仕草や、わずかに垂れて眠たげな瞳が少女らしからぬ部分と言えなくはないが、一見する限りでは十代そこそこの愛らしさを持っている。
 てっぺんの旋毛から左右に黒と白で分かれた特徴的な髪を揺らして、彼女は今度はコビアへと振り返った。
「若さとは力さ、キミ」
 それはコビアを見やりながらも恭司に向けられた言葉だったのだろう。彼は諦めたように、そうだな……と小さく呟いた。
「アトゥさんも十分に若いじゃないですか」
「あっはっは……そう見えるかね? だとすれば嬉しい限りだが。しかしコビアくん。この世は目に見えるものだけが真実というわけではないのだよ?」
 今度こそコビアと直に向き合って、アトゥと呼ばれた少女――アトゥ・ブランノワール(あとぅ・ぶらんのわーる)はニタリと不敵な笑みを浮かべた。
 コビアはそれに首をかしげる。意味は分からないではないが、それと彼女と、どのような関係があるというのだろうか?
「ま……目に見えるものだけじゃないというのは、何も私のことに限ったわけではないがね」
 ぽつりとそんなことを呟くアトゥ。すると、その頃には飛空艇はかなりの高さを降下してきていた。
「よし……そろそろ谷底に着くぞ」
 運転席の葉月 ショウ(はづき・しょう)がコビアたちに告げる。飛空艇を降りる準備を始めるコビアたち。そのとき――コビアはふと思った。
 そういえば、アトゥの年齢はいったいいくつなのだろうか? と。


 谷底と言えども――決して油断して良いということにはならない。
 つまり……
「いくぞ、コビア!」
「はいっ!」
 ――魔物すらも、谷底には住まうということである。
 ショウが張り上げた声に呼応して、コビアは不気味な軟体生物へと攻撃を仕掛けた。鞘から愛用の刀を抜刀。そして剣線を生み出す。宙を裂いた刀身は、そのまま軟体へと切りかかった――が、しかし。
「!?」
 仲間の軟体生物が刀身へと一斉に飛びかかり、ぬるっとした液体がその切れ味を殺いでしまった。敵の身体を滑り落ちた刀身。軟体生物はその隙を突いてコビアへと襲い掛かろうとする。元々が小さな生物だ。徒党の群れを成して、コビアを埋め尽くそうとする。
 だが、ショウがそれをさせなかった。
「――ッ!」
 自らの前の敵を既に滅していた彼は、コビアのもとへと疾走する。片手に構えられた拳銃が的確に軟体生物を撃ち抜き、もう一方の手に握られる剣がコビアに迫ろうとしていた敵を切り払った。
 そして……ようやく魔物たちは本能的に自らの戦える相手ではないと判断し、その場をぞろぞろと逃げ去っていった。
「あ、ありがとうございます、ショウさん」
「ああいう手合いの魔物には、本当は魔法が使えると一番良いんだがな。そうも出来ないときは、一体を相手にするんじゃなく、近づかないよう払うことに集中しろ。刀とはいえ、ああいう魔物とも戦えるようにしとかないとな」
「……はい」
 まるで弟に接する兄のよう物を教えると、ショウは軽く笑ってみせた。やはり……現役の契約者というのは一味違うと、コビアは実感させられる。
 とはいえ、なんにせよようやく谷底を自由に歩ける程度にはなった。
「おーい、コビアくん。こっちに来てみるといい」
 アトゥの声が岩陰の向こうから聞こえたのは、そのときだった。