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第5章 山岳の風 4

 六黒とミューレルたちが刃を交えていたとき――イェガーを取り囲むのは契約者たちであった。
 契約者たちの問いかけはしごく真っ当なものであった。曰く――彼女こそがなぜこの戦いに加担するのかということだ。
 だが決して……その舞台を整えたのは彼女ではなかった。彼女の舞台を整えたのは、ほかならぬパートナーであるアグニだ。依頼人たちの目的を知った彼は、自分たちの力を貸すことをほぼ無条件的に提供したのである。
 なぜならそれは、イェガーの炎が、彼女の心が、闘争を焦がれているからだ。結局のところ――彼にとってはイェガーが満足できる舞台さえ用意できれば、それで良かったのである。そのためには、『悪』となろうとも。
 もっとも――イェガーならばこう言うだろうとアグニは思った。
 怪鳥だの何だのと、それらは私にとってはどうでも良い些事のひとつに過ぎない……と。
 自らを退治すべく取り囲む契約者たちを見据えて、イェガーは静かに手をかざし、指を弾いた。炎が彼女の周囲を渦巻き、やがて指先に集約される。
「我は、自然の猛威、火の体現者にして熱き魂との闘争を求めし者。さあ、悪に立ち向かわんとする勇ましき者らよ。闘志を燃やせ。――殺し合いを、始めよう」
 瞬間。
 契約者たちが彼女へと飛びかかった。
「とりあえずぶっ飛ばす。話はそれからなの!」
 タルタロス・ソフィアーネの渡した、見るからに怪しい薬を飲んで、なぜか……いつの間にか完全なる魔法少女へと変貌を遂げていた月詠司が、血煙爪を振りかぶった。9歳程度の『えへっ、わたし魔法少女なの!』と言わんばかりのツインテール娘は、言葉とは裏腹にえげつない攻撃だ。
 だが――イェガーはその姿に一筋とて笑うことなく無慈悲に炎を放った。業火と血煙爪がぶつかり合い、魔法少女を退ける。
 更に次々と襲い掛かってくる契約者の攻撃の手を、イェガーは二重三重とかなり合って飛び交う炎で応戦する。一人では防ぎきれない手もあったが、アグニがそれをサポートしていた。
 が――その中でも突出した一撃が、イェガーの眼前へと迫った。
「……ッ!?」
「おおっとぉ……私の一撃を避けるなんて、やるねー!」
 とっさに避けた一撃は――イェガーの炎の中にあっても輝きを失うことなく燃え盛る紅蓮だった。イェガーの炎が闘争の業火であるならば、それは純真と殺意を溶かしあったような不思議な光を灯す焔だ。
 そして、そんな焔を拳に纏うは――霧雨透乃。
 彼女は不敵に笑ってイェガーと対峙した。それこそ……イェガーとの闘いを楽しまんといわんばかりに。
「炎の拳か……私の炎とどちらが上か……試してみるか?」
「そうこなくっちゃ……ね!」
 同じく不敵に笑みを浮かべたイェガーの炎と、透乃の拳がぶつかり合った。炎を拳で相殺する透乃は、スピードを落とすものの一撃一撃に強烈な力をこめる。風圧さえも巻き起こした連続した殴打は、イェガーの業火にあっても弱まることはなかった。
 イェガーの拮抗を見たアグニが彼女の援護に入ろうとする。
 だが――それを防いだのは透乃のパートナーたちだった。
「ぐっ……てめぇら……!」
「透乃ちゃんの邪魔はさせません」
 拳に巻かれた凶刃の鎖は、いわばチェーンナックルの役目を果たしている。陽子はその拳をアグニに叩きつけると、そのままの勢いで上空へと跳躍した。すぐに、芽美は素早い動きでそれに追いつく。二人は、上空からアグニを捉えた。
「柄じゃないかもしれないけど……私も邪魔はさせたくないのよね」
 呟かれた芽美の声。
 それにくすっと微笑をこぼした陽子と一緒に、彼女はアグニへと一気に降下した。陽子の生み出した奈落の鎖が、二人を捕まえて自重に付加を与えるという変則的効果を生み出したのだ。アグニに逃げ場はない。
 そのまま――雷撃と冥府。二つの力が混じりあった一撃が、アグニへと叩き込まれた。
「ぐはあぁ……ッ!」
 アグニが苦鳴の叫びを上げたそのとき、透乃の拳とイェガーの業火の間には、一人の男が加わっていた。
 それは――天真 ヒロユキ(あまざね・ひろゆき)だ。暴れ狂う巨体のパートナー、モーリス・マーセラス(もーりす・まーせらす)とともに、彼はイェガーへと攻撃を仕掛けた。
「ふうぅうんっ!!」
 モーリスの威勢のいい声が響き渡ると、彼の巨腕がイェガーを叩き潰そうとする。手に握られたダガーは、もはや飾りとしか言いようがないほどの猛攻だ。イェガーが身をひねってそれを避けるのを見計らい、幻槍モノケロスを手にしたヒロユキが、イェガーの業火を切り裂くように踏み込んだ。槍の切っ先がイェガーを貫こうとする。とっさに飛び退いたイェガーの服が、切っ先に裂かれてはらりと垂れた。
「……やるな。だがそれでこそ……闘いに価値があるというものだ」
「闘いに価値……ね」
 ヒロユキはぼんやりと呟く。まるで興味もなさげな声だったが、彼の槍がイェガーを捉えていることだけは確かだった。それがイェガーの言う闘争に値するかどうかは分からぬが……少なくともイェガーの心は我が身を廻る炎のように、高揚していた。
 だが――その時間も長くは続かない。
 イルマンプスが地に伏した音が聞こえ、六黒たちがすでに逃走の準備を整えようとしていることに気づく。このまま彼らと身を焦がすほど戦うのも悪くはないが……時期尚早というものか。
「いまは退くか?」
 ヒロユキはイェガーに問うた。
 まるでイェガーの心を見ているかのような不思議な声色だった。いや……彼の瞳に宿る光は、確かに彼女を見ていたのかもしれない。その奥に眠る闘争心が、いまだくすぶっているということも。
「アグニ、退くぞ」
「……おう」
 傷ついたアグニとともに、イェガーはその場を去った。
 ヒロユキは、それを無駄に追ったりはしなかった。追ったところで追いつけられるという保障もなければ、それよりもイルマンプスの問題が残っている。
 だが――彼女の炎はいまだ燃え尽きてはいないと、それだけははっきりとしたものとして分かっていた。