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第5章 山岳の風 1

 たとえばそれは――見果てぬ先にまで伸びる壁だった。
 壁がどこまで続いているのかは見えない。繋がる先は分からない。壁はただ、その先に行こうとする者を阻むのだ。だが――驚きはなかった。予感に近しい何かを感じていたせいか、あるいは壁の意義など霞むほどの己の意思が決然と形を作ったせいか。
 少年は――コビア・ロンは、サングラスの奥からこちらを見据える昏き瞳と、静かに相対した。
 銃口は、こちらを捉えたままだ。静かでありながらも、その圧倒的な裂帛は見えぬ鎖となってコビアを捕まえている。容赦なく撃つ――と、銃口はそう伝えていた。
「どうしても……行かせてもらえないんですか?」
「ああ」
 絞りだしたコビアの声に……レン・オズワルドは答えた。その横には彼のパートナー、ノア・セイブレム――それにフレデリカ・レヴィ(ふれでりか・れう゛い)の姿もある。
 彼らは、コビアたちの行く手を阻んでいた。
 山頂はもう見えている。あと少しでイルマンプスの巣があるとされる場所までたどり着こうというときだった。突如現れたレンとフレデリカは、彼に向けて武器を構えたのである。
 無論――驚愕がコビアたちに広がったのは言うまでもない。かつては、ともに戦った仲間でもある。そんな彼らが自分の前に立ちはだかった。それは、困惑だけではなく、畏怖のようなものが顔を出すのが容易なことだった。
 だが、こちらも依頼を受けた身だ。当然、駆け抜けようとするだろう。だが、次の瞬間には、レンの銃撃とフレデリカの放った光の刃がその道を阻んだのである。
 牽制、そして警告――フレデリカはコビアたちを睨むようにして言った。
「イルマンプスを退治しようとするなら……この先には行かせないわ!」
 彼女の瞳に宿るのは、憤怒の光だった。罪もない動物を退治することは許せないと……彼女の決然とした意思が、壁として立ちはだかるように自分を突き動かしているのだ。
 事の発端はこの山岳にある村の一つから、依頼を受けたことだった。イルマンプスが暴れていることを案じた村人たちが、フレデリカ……ひいては冒険者に依頼を頼んだのである。コビアに怪鳥退治を依頼した男がその村の者かどうかは分からぬが……少なくともフレデリカは自分の依頼の責務を果たすべく、山岳へと踏み込んだのだった。
 しかし――彼女は知る。調査を頼まれたイルマンプスが、コビアたちによって退治されようとしていることを。
 だとすれば、怪鳥を守るためには、無理にでもそれを止めるしか方法がなかった。
「どうして……どうして退治しようなんて!」
 フレデリカは悲痛な声で叫んだ。
 それに対して、コビアは出来るだけ落ち着きを払うように答えた。
「イルマンプスが、この山で暴れているからです。だから、それを防ぐためにも退治しようとしているんです」
「あの大人しいイルマンプスが暴れてるなんてきっと何か原因があるはずだって……どうしてそれがわからないの! イルマンプスには……イルマンプスには子どもがいるのよ! それを守ろうとして、傷つけまいとして必死になってるだけなのに!」
 彼女にとっては、子を守ろうとするイルマンプスを傷つけようなど、理解しがたいことだったのかもしれない。本能的な愛情によって気性が荒くなっているだけだと、彼女は伝える。
 だが――コビアは言った。
「たしかに……イルマンプスが暴れているのは仕方のないことなのかもしれない」
「だったら……!」
「でもだからと言って……それが放っておくべき理由にはならない! あのイルマンプスが危険性をもっているのは確かだ! 人の命を奪ったあいつを、誰かの大切な人を殺したあいつを、理由があるからと言って放っておけって言うのか! 人ではなく、動物だからということで……ッ!」
 あるいはコビアとて……どこかで気がついてはいたのかもしれなかった。
 本来は大人しい生物だ。イルマンプスが暴れるには、何らかの理由があるのではないか、と。だが――彼の脳裏にはいま、谷底に眠る青年の影が揺らめいていた。
 激昂するコビア。そしてその気迫に立ち尽くす仲間たち。
 ――しばらく口を閉ざしていたレンが、やがて声を紡いだ。
「かつて……俺はこう言った。お前自身が選んだ「答え」は、誰かに用意された「答え」よりも重いと」
 思い起こされるのは、キャラバンにいた頃の自分だった。
「お前は確かに誰かを守る力を手に入れた。目の前に広がる問題と向かい合い解決するだけの力を得た」
 コビアは我知らず鞘を撫でた。力――ミューレルから受け取った、一閃の抜刀。
「しかし――その力を振るうべき先がまだ見定まってはいない」
 レンは告げた。
「両の目を見開いて周りを見てみると良い。お前が戦うべき相手は誰なのか。お前ならきっと……見つけられる筈だ」
 サングラスの奥から、昏くて紅き光が、わずかに漏れる。
 自分の……戦うべき相手。
 いつの間にかコビアは、それまでの激昂を失っていた。レンの瞳が――闇を見てきた紅き瞳が彼と向き合う。交錯する瞳の世界に映るのは……自分の戦うべき相手か?
 コビアの手が鞘から離れる。
 高笑いの声が聞こえたのはそのときだった。
「はっはっはっはっはァッ! レン、待たせたな!」
 そこにいたのは――自らを帝王と名乗る男と、それに合流したルカルカ・ルー、それにアリア・セレスティたちだった。
「ヴァルさん……」
 驚くコビアの前で、疾駆する軍用バイクのサイドカーから帝王――ヴァル・ゴライオンは飛び降りた。操縦席に乗るシグノーもそれに続く。更に、半ばキャパシティオーバーばりに乗っかったルカやアリアたちも、コビアとレンの間に割って入った。
「どうして……ルカさんやアリアさんたちまで……」
「その答えは、それを見れば少しは分かるでしょう」
 戸惑うコビアに向けて、ザカコ・グーメルがビデオカメラを渡した。
 再生したその画面に映っていたものは、コビアへと怪鳥退治を依頼した男だ。小屋の中で仲間たちと話す男の話を聞いたとき、コビアの目が見開かれる。
 ルカたちは、順を追ってコビアたちに話を聞かせた。依頼人の裏をとるために調査を行っていたこと。そして、依頼人はビデオカメラに映っていたように、何者かとある計画を進めていたこと。もちろん、アリアが花や草木たちから聞いた話もまた、イルマンプスのことだけではなく、不穏な男たちのことを含んだものだった。
 そして――ルカは最後の締めくくりと言わんばかりに、ある物をコビアへ放り投げた。わずかによろめきながらも、コビアはそれをキャッチする。
「これは…………鉱石?」
「そう。多分それが、連中の目的よ」
 赤や青や黄色……様々な色が混じりあった鮮やかな鉱石。見る者をひきつける美しきその石は――ルカが連絡をとった閃崎静麻によると、イルマンプスの巣の中にもあったらしい。
 そしてこの不穏な依頼に加担するのは――ある男たちだとヴァルが語った。
「ある……男?」
「名前は、三道 六黒(みどう・むくろ)
 その名を聞いたとき、一瞬だけレンの表情に歪みが生ずる。コビアにとっては、聞き慣れぬ名だ。
「正確には、悪人商会と言ったほうがいいか」
「悪人商会……?」
 コビアの声が漏れる。
 と――そのときだった。コビアの背後にいた仲間の一人……まだ少年であったそいつが、不敵な表情と刃を煌かせたのは。
「コビア、避けろッ!」
 いち早くそれに気づいたのは彼と対面していたレンであった。怒号のような声に反応して、コビアはとっさに身をひねった。かろうじて致命傷は避けられた。が……少年の横なぎした刃はコビアの頬を切り裂く。
「避けられたか」
 頬に走った血の熱さを感じながら――コビアはそいつを見据えた。
「黒六……道三っ!?」
「その名ももはや必要ではなくなったな」
 コビアの仲間であった幼き少年は、無垢な顔だちに張りつけた謹厳な表情で呟いた。すると、少年の姿は元の姿――鬼のそれを彷彿とさせる男へと変貌した。
 レンは睨み据えるようにして、呻きにも似た声を漏らした。
「三道……六黒……!」
「イルマンプスを退治すれば良し。さすれば生かしてはおいてやろうとは思ったが……所詮は未熟者に過ぎなかったか」
 六黒は己に言い聞かすようにしてそう言うと、何かを払うようにして手を振り上げた。六黒の身体に刻まれる契約の印がわずかに光る。すると――どこからともなく、宙に不気味な闇の穴が空いたと思ったとき、彼のパートナーである帽子屋 尾瀬(ぼうしや・おせ)が現れた。
「依頼一つも守れない……契約者とは無礼極まり無い方ばかりですね。ですが、ご安心を。万一に備え……用意は整っております」
 その手には、魔鎧も抱え込まれている。
 すでに六黒の裡には奈落人――虚神 波旬(うろがみ・はじゅん)も取り込まれている。無情なる力が彼の中で徐々に高まるとき、魔鎧もまた彼の体躯に装着された。
 六黒へと武器を構える契約者たち。が――同時に、彼らの前を阻むようにして業火の炎が巻き起こった。
「なに……っ!?」
 契約者たちは、炎を放った影を見やった。六黒もまたそちらに視線を移していたが……彼は予想しきっていたことなのかさほど驚く様子はなかった。
 そこにいたのは、まるで己の意思そのものかのように炎を操る女――イェガー・ローエンフランム(いぇがー・ろーえんふらんむ)だった。彼女の横には、パートナーである火天 アグニ(かてん・あぐに)、それに今回の依頼の発端たる男もいた。
「あいつは……!」
 ザカコの表情が強張る。あのとき、依頼人のいた小屋から炎を放ったのは、あの女か……!
 左手の指先に集まる火炎は、彼女の意思に従って手先のごとく揺らめく。紅き髪、紅き瞳――炎という具現に愛されたかのような彼女の視線は、コビアたちを見据えた。
 しかしそれよりも――コビアにとって驚愕に値したのは依頼人の男が邪悪な笑みを張りつけてこちらを見ていたことだった。彼は、コビアたちに向けて告げる。
「まったく……素直に仕事をこなしてくれさえすればよかったものをなぁ。困った坊主たちだぜ」
「あんた、やっぱり……!」
 ルカたちの言ったように、男の依頼はコビアを騙して体よく利用するためのものだったのだ。彼らは未熟なコビアを利用して怪鳥を倒すことを仕向けていた。あるいは、そうでなくともこの場を利用して彼らを始末できれば、公には彼らが怪鳥を殺そうとした犯人グループとして扱うことが出来、鉱石も彼らによって行方が分からなくなったとされる。おおかた、そんなやり口であったのだろう。
 そしてあの炎を操る女と三道六黒なる男は――それに加担しているということだ。
 コビアたちは再び構えをとり、こちらに敵意を向ける六黒たちと対峙した。
 だが――そのとき。
「あれはっ……!?」
 依頼人や六黒たちでさえ予想していなかったことが起こった。
「イルマンプス……ッ!?」
 天空から舞い降りてきたのは、突風を巻き起こす巨大な怪鳥だった。鮮やかな色合いの翼が一度羽ばたくごとに、渦を巻いた風がコビアたちへと襲い掛かる。気性を荒くしたイルマンプスは、見境なくコビアたちへと爪を伸ばした。
「くっ……こちらを、敵だと思っているのかっ!」
 レンの声が聞こえた。どうやら先ほどの炎などを見たイルマンプスはコビアたち――そして六黒たちさえも敵だと見なしたのだろう。子を守ろうとする防衛本能が、区別なく目に見えるものを排除しようとする。
 コビアへと迫った鋭利な刃――イルマンプスの爪だ。
 避けられない……!
 が――次の瞬間、コビアの目の前で巨大な鋼と怪鳥の爪がかち合った。
「し……師匠っ!」
「まったく、手間をかけさせる弟子よねー」
 微苦笑を浮かべて軽々しく言う和装の女――ミューレル・キャストは、イルマンプスの爪とかち合った巨大な太刀に力をこめて……そいつを弾き飛ばした。あの巨大な怪鳥が、ミューレルの力に体躯を揺らす。
「さってと……コビア」
「は、はい……」
「あなたはあの怪鳥の足止めをお願いね。あいにくわたし……どうやら別のお客様の相手をしないといけないみたいだから」
 そう言ってミューレルが不敵な笑みを向けたのは、六黒とイェガーの二人であった。
 コビアは自分も彼らと戦うと……師に対して異論を放とうとしたが、それを押しとどめた。彼なりに分かっていたのだろう。彼らと戦えるほどの力量は――自分にはない、と。だが、師匠とて……一人で戦おうとでも言うのか?
 コビアの表情に気づいたのか、ミューレルはやはり軽そうな態度で言った。
「なーに、安心なさい。別に一人であいつらの相手をするってほど、わたしはヒロイックな趣味があるわけじゃないから。ちゃんと味方だっているわよ。……どうやら、恨みを買うのが得意な人たちみたいだからね」
 ミューレルがそう言いながら視線を向けたのはレンだった。サングラスの奥の瞳に何が映るのかは分からぬが――紅き光だけは、六黒たちを捉えている。
「それに――」
 ミューレルは太刀をひょいと持ち上げて、肩に担いだ。
「――あなたの師匠は、強いのよ」
 自信とも軽薄ともつかぬその声は、なぜか不思議な力強さに満ちていた。