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善悪の彼岸

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善悪の彼岸

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★第2章



 ――ヴィシャス邸・回廊――



 それはアンゼリカが戻ってきてすぐのことだった。
「ハッ? アンゼリカ様を外へ、でありますか?」
「そうだ。何も屋敷の外に出そうってわけじゃない。アンゼリカにのちのち駄々こねられても困るからな。少しどういう状況か見てもらうのもありさ」
 佐野 和輝(さの・かずき)の言葉に、警備員は首を縦に振れなかった。
 しかし、契約者に頼っている現状、彼らの言うことはある意味で絶対。
 そんな葛藤の中、
「なら俺も行きます。アンゼリカの護衛と……監視も兼ねて」
 長原 淳二(ながはら・じゅんじ)はそう言った。
「うちのルナには加護がついているから大丈夫だ。それに、下手に我慢をさせるより少しガス抜きをさせれば、それ以降は素直に部屋で待機してくれるさ。厄介な義賊を相手にするんだ。アンゼリカに足を引っ張られても困るだろ?」
「……そう願います」
 かくして、和輝とそのパートナーの3人に淳二を加えて、アンゼリカを伴って部屋を出た。
「アニスだよ、ヨロシクね♪ アンゼリカ」
「アンゼリカだよ〜!」
 アニス・パラス(あにす・ぱらす)は、人懐っこい笑顔でアンゼリカに挨拶した。
「私はルナと言うですぅ〜♪ よろしくなのですよぉ〜♪」
「わぁ、お人形さんが喋ったぁ〜」
「はわわっ、私は人形じゃないですぅ〜!」
 小柄な精霊ルナ・クリスタリア(るな・くりすたりあ)は、困りながらもアンゼリカの周りをふわふわとしていた。
「アンゼリカって長いから、アンゼって呼んでいい?」
 そう提案したのはアニスで、それにはアンゼリカも喜んだ。
「うん、いいよ、アニスお姉ちゃん!」
「きゃあ〜お姉ちゃんだって〜! アンゼは可愛いな〜」
「きゃはは、くすぐったいよ〜〜」
 アニスとアンゼリカは互いの頬をすり合わせながら、和気あいあいと歩いて行った。
 その後ろをスノー・クライム(すのー・くらいむ)と淳二が追い、和輝は一番後ろで、ルナに目配せして呼んだ。
「道中の罠を全て解除して欲しい」
「そんなことしちゃっていいんですか〜?」
「万が一アンゼリカがかかった場合、どうする?」
「はわわ、大変です! トラップ解除、任せてくださいです〜」
 淳二が後ろを振り返ったが、どうやら会話の内容まではわからなかった。
 こうして、ミュラーが突入してくる間までの時間、ほぼ全てのトラップが解除されていった。



 ――裏山――



 ヴィシャス邸から北に位置する裏山の山中に、ミュラーは潜んでいた。
 機を窺っている。
 窺っているのだが、この協力者達はどうも静かに待っていられないらしい。

「ミュラーよ。大事な人のために危険を顧みないお前の姿勢には感服した。その姿勢は我が秘密結社の理念にも通じる。だからこそ、今回の一件、俺も協力させてもらおうと思ったのだ!」
 月夜のスポットライトに照らされた土臭い舞台で、ドクター・ハデス(どくたー・はです)は両手を広げて大層に言った。
「……そいつぁ、嬉しいこった。だが――」
「だが、この一件が終わり、エリザを治せたとして、その後お前はどうするつもりだ?」
 それはひどくミュラーの喉に引っ掛かる戯言だった。
「エリザ一人を治せたところで、またお前の身近な人間が病に倒れるかもしれんのだぞ。その時、お前はまた盗みを繰り返すのか?」
「ハデス……。ドクター・ハデス。少し黙っててくれないか」
「本当に必要なことは、悪徳商人からエリザを治す金を奪うことではない。エリザのような貧しく弱いものでも、等しく治療を受けられるような正しい世界に、世の中を変えていくことなのだ!」
 ミュラーは、ただ黙って聞いていた。
 返す言葉など持ち合わせていないし、返したところで、それはマグマのように何かが溢れてしまいそうだったからだ。
「というわけで、ミュラーよ、我が悪の秘密結社の一員になるがいいっ! そして、第二第三のエリザが生まれないように、共に世界を導いていこうではないかっ! さらに今なら、組織の幹部の椅子と『悪の怪盗おたすけ☆ミュラー』の称号を与えようっ!」
「………………」
「……くっ、な、なぜだっ! これだけの待遇を用意しているのに、何故首を縦に振らぬっ?!」
「それはドクドクが熱すぎるからからだよ」
「む、ドクドクとは、俺のことか!? ええと……ミス……」
「アタシは西の悪い魔女、エルファバだよ!」
 関谷 未憂(せきや・みゆう)のパートナーリン・リーファ(りん・りーふぁ)は、長い黒髪のウィッグに黒い瞳のコンタクト、メイクで顔の印象も変え、変装・変身してミュラーの元にいた。
「それよりミュラー、バチがあたったんじゃない? 泥棒なんかしてるから、大事な女の子が死にかけなんだよ」
 それには、ミュラーも黙っていられなかった。
 リン――エルファバのブラックコートの胸元に手が伸びると、力の限りで自らの顔に近づけ、睨みつけた。
「おー、怖い怖い。でもどうせなら……娘を誘拐してもっと搾り取ってやれば? 義賊なんて言ったって、奪ったのは金だけじゃない。アナタ達が盗みをした所為で職を失った人もいるだろう」
 ミュラーの眼光が鋭さを増した。
「大事なものなんて人それぞれ。アナタにとって大事な娘が助かれば、他の者がどうなったって構わないんだろう。ああでも、アナタの大事な姫君は、他の誰かから何かを奪ってまで生きたいと願う娘なのかな? きゃは、素敵な姫だ」
「俺のせいでクビになった? それは仕方ない。俺のせいで怪我をした、命を落とした? それも仕方ない。いいか、よく聞け。世の中はな、人間ってのは、みんな苦しむもんだ。それが正常な世界だ」
 ドクターもリンも、あまりに正常すぎて、子供じみた言葉に目を丸くした。
 なら、ミュラーの義賊は――八つ当たり?
 だが、ミュラーは――何に苦しんでいる?
 ――パチッ!
 小枝が折れる小さな音は、静かな夜によく響いた。
「俺の感も捨てたもんじゃないな……へへ……」
 大木の陰からマイト・レストレイド(まいと・れすとれいど)ロウ・ブラックハウンド(ろう・ぶらっくはうんど)が現れ、マイトは自身の学生手帳をミュラーに見せつけた。
「ユルゲン・ミュラーと共犯者だな。ヴィシャス氏への強盗を起こさせるわけにはいかない。俺がこの場で、未遂にさせる」
「……あんた、出はどこだ?」
「英国籍だ。ち、近づくな!」
 ミュラーは怯む様子もなく、マイト達に近づき、学生手帳を見た。
「ハハ、イギリスなのに桜代紋かよ。全く……契約者ってのはどいつもこいつも……飽きさせないな。俺が賊だからそっちは刑事ってか?」
「うるさいッ! とにかく、君を止める!」
「ハッ、ハッ、ハッ、ワゥッ!」
 ロウの荒い呼吸と返事を聞いて、ミュラーは鼻で笑った。
 マイトの言うとおり、ここで止めれば未遂でこの話は終わる。
 だから、事前にロウの手を借りてミュラーの進行ルートを必死に割り出そうとした。
 が、相手は義賊として名の通ったミュラーである。
 予測がつくはずもなく、マイトとロウは手当たり次第走って探したのだ。
 刑事の基本は体力――そう信じて。
 そして、結果として見つけることに成功した。
 だがそれは、マイト達の考えだ。
 ミュラーにしてみれば、事前に見つかった所で何も問題はない上、今のマイト達の――今にも木にもたれかかって休みたいような息遣いを見れば、どうということはない。
「君は、君自身、何処かにまだ引け目、葛藤があるんじゃないか」
 ほぅ、とミュラーの唇が動いたのがハッキリ見えた。
「ただ盗むだけなら予告状なんていらない。ない方が楽に行動できるに決まってる。だが君は、正面からやり合って止められたなら仕方がない……無意識にそういう気持ちがあったんじゃないのか?」
 口角をあげながら、ミュラーは笑った。
 それに釣られ、ドクターもリンも笑って見せた。
「ふ……悪いが、時間だ。俺の……趣味の時間だ。一緒に楽しんでくれるんだろう?」
「ふ、盗みを趣味と言うかミュラーよ。よろしい、楽しもう!」
 ドクターが応え、
「よぉし、ここはアタシが、そいやっ!」
 リンの煙幕ファンデーションで、暗闇の世界の視界は更に、モヤに包まれた。
「待て、逃げるな、ミュラー! クッ、視界が! ロウ、頼みは君だ!」
「ワウッ――キャンッ!?」
「うあっ!?」
 マイトとロウは揃って、地面に足を取られた。
 正確には、滑ったのだ。
 氷術で凍った地面に足を取られ、加えて走り続けて小刻みに震える足では踏ん張りが利かず、三方に散開して逃げられては、もはやなす術はなかった。

(ミュラーくん、こっちだよ――ッ)
 視界不良の山中をミュラーは桐生 円(きりゅう・まどか)のテレパシーを感じながら移動し、滑りこんだ。
 円との合流。
 そこは地上から山肌を舐めるように見上げなければ到底見つからないブライド・スポット。
「アクシデント?」
「フン、少しじゃれていただけだ。合図を頼む」
「………………」
「おい、合図を!」
「……ボクはエリザと話を出来なかったんだ。だから、ミュラーくんから聞きたい。本音を、本心を。このままじゃ、エリザは知らぬ間の共犯者だよ。それに何で予告状なんかを?」
「……また、それか。どいつもこいつも……。まあ、そう考えた時点で俺の予告状は成功したも同然だ。永遠にそれに引っ掛かりを覚えてればいい。義賊はなくならない。苦しい世界から、義賊はなくならない。なら、俺は苦しみの世界への案内人もやらなきゃならない。そして、予告状を出せば敵も増えるが、味方も増えるだろう? それだけだ。エリザがどう思うかは……」
 一拍――されど、永遠にすら感じる一拍の後、
「元気になった後のエリザに聞きな。合図だ、やれ!」
「契約者を巻き込んだのは、ミュラーくんの計画通りなんだね。結局ボクらは、掌の上で踊らされてたわけだ……」
 円はスナイパーライフルのスコープを覗いた。
 結局のところ、ミュラーに加担する者は、全てが全て連絡を取り合ったわけでも、連携を取るわけでもない。
 ただ、この日この場所この時間、何をすべきかわかっているならば、その通りに動くだろうとの読み。
 今、この瞬間、円が引き金を引いて事を起こせば、きっと護衛として既に忍び込んでいる協力者達は、何かアクションを起こすだろう。
「フー――ッ!」
 引き金は引かれた。

 ――パリィンッ!
「何だ……ッ!?」
 ――バチッ! チッ――チッ!
「ミュ、ミュラーだ! ミュラーがくるぞおおおおおッ!?」

 円がスナイパーライフルで窓ガラスの1つを割ると、それを合図に、ヴィシャス邸の全ての明かりが消えた。
 次第にぼんやりと見える灯は、原始的に火をつかったものか、あるいは魔法の類。
「あとは、ボクの魔法でミュラーくんをヴィシャス邸まで飛ばせばいいね?」
「……頼む!」