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善悪の彼岸

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善悪の彼岸

リアクション

 ――ヴィシャス邸・竜の涙へ続く回廊――



 薄暗い中、柱にもたれかかりながら、待ち続けた。
 ある者は柱を影にし、あるものは堂々と廊下の中央に仁王立ちし。
 竜の涙が保管された場所へ続く、唯一の回廊には、護衛に参加した契約者が溢れていた。
 これが、竜の涙到達への――最大の難関。

「やはり建前より本音を……いや、ですが……」
 八塚 くらら(やつか・くらら)の悩みは深い。
 それはヴィシャス邸に来てからずっとであり、パートナーの緋田 琥太郎(あけだ・こたろう)にはそれがよくわかる。
 くららは、目の前で起こる犯罪を止めることか、孤児院の少女のために危険を冒すミュラーとの間で揺れているのだ。
「だが、何度も言うが、盗みはよろしくないと思うぜ」
「ですが、お金より命の方が重いと思って――」
「フーッ」
 琥太郎は息をついて、一度間を置いてから言った。
「悪徳商人とはいえ、一応は商売をして自力で稼いだ金。そして、盗みは奪った金。確かに命は大事だが、もしその命を救えるなら、どっちの金で救いたいか。そういう考えじゃダメか? そりゃ、確かに俺も義賊の方が好感は持てるぜ? けど、だ」
「そう、そうですわね。区切りはつけました。ミュラーを……止めます」
「いいこと言うじゃないか」
 くらら達の会話を聞いていた泉 椿(いずみ・つばき)が声を上げた。
「あたしもそう思う。泥棒なんぞして仲間に手を差し伸べられるかってったら、そもそも顔向けできねぇ……。実際さ、ミュラーの話をどれだけ信じればいいかわからないしさ、でも、ここにいるカールを見てたら、多分本当かなって思って。我先にって乗り込んでヴィシャスに頼んでみたんだ」
 椿は額を指で少し擦りながら、苦笑いを浮かべて言った。
「あたしなりの誠心誠意を込めた土下座だったんだけどな……グリグリされたよ。でも今の言葉を聞いて思った。確かにヴィシャスはいい奴って気はしないけど、でもその金は、自分で必死に得たものだ。だから、仕方ない。でも……ッ」
 椿は前を、その先に映る誰かの姿を見据えながら言った。
「盗みを働いたら、顔向けできねぇ。だからあたしも、ミュラーを止めてやる」
「お互い、頑張ってミュラーを止めて見せましょう」
「ああ、やろう!」
 刹那――風が報せた。
 ミュラーと共に現れる一陣の風が、回廊を抜けて行った。
「きたッ!」
 椿の視線の先にハッキリと人影が見え、くららが一歩前へと躍り出た。
「八塚くらら、ここに見参ですわっ!」
 影は止まることなく、グングンと近づいてくる。
「――!」
 琥太郎から巨大な扇の光条兵器を受け取り、くららは仰ぐように揺らめかし――薙いだ。
 その先から仕込み刀のように刃が飛び出したが、ミュラーに掠ることも不意打つこともできず、それにはさすがに驚いた。
「ッ! もう、手加減は致しませんわ! 止まりなさいッ!」
 アルティマ・トゥーレ、轟雷閃、爆炎波、破邪の刃の四連打。
 様々な属性攻撃が彩るようにミュラーを襲うが、動きを止めるどころか、より相手のギアが入ったように回避された。
「そんな――ッ!?」
「止まれ、ミュラーッ! なんのための泥棒なんだ!? そんなんで女の子の命を守って、どうすんだよ!?」
 近づくミュラーの目を見て椿は言うが――ゾッとした。
 ただの義賊や、愉快な怪盗なんてイメージとは程遠い、研ぎ澄まされた鋭い眼つき。
 このままではくららがやられてしまうと――距離は近かったが――遠当てをミュラーに放ったが、まるで些細な事で済まされ、止めるにも減速にも至らず、3人の横を抜けられた。

「情報撹乱での偽情報は、全く功を成さなかったわね」
 セレンフィリティ・シャーレット(せれんふぃりてぃ・しゃーれっと)は柱の陰から機を伺いつつ、そう呟いた。
「仕方ないわ。情報1つで失敗するような賊ではなかった、ということよ」
 セレアナ・ミアキス(せれあな・みあきす)はそう応え、銃を構え備えるパートナーを見た。
 感情のある人間として、この場に立つことは非常に難しい。
 だが、セレアナはセレンフィリティを見て、誇らしくさえ思う。
 国家の軍人としての正義――秩序――を、少女を救うための正義――道理――に dき消されずにいるからだ。
 無論、セレンフィリティも思うところはある。
 むしろミュラーの行動を、もし、で語るならば羨望の眼差しで見ていたかもしれない。
「悪いけど……これがあたし達の任務なのよ」
 射程にミュラーが入ったと同時に、脚を狙い撃った。
「なッ――!?」
 2発、3発を肩、脚に撃ち込んだ。
 が、全て漆黒の闇に吸い込まれるように消えた。
「あたしは夢でも見ているの!?」
「ハアアッ!」
 セレンフィリティがミュラーの動きを止めたところで、出番を迎えるはずだったセレアナが飛び出し、槍で突きを繰り出した。
 が、何度突きを繰り出しても、リプレイのように肩口をすり抜けるだけだった。
 確かに、割り切れる人間は強い。
 ここで悩み、考えながらも護衛に立った者は、間違いなく強い。
 しかしながら、人間というものは、それ以外の何かでも強くなれる。
 今のミュラーはそんな何かに、後押しを受けているのだ。

「竜の涙を戴きに……? 予告状とは、ふざけた事をなさいますのね」
 夜目が利く状態のリリィ・クロウ(りりぃ・くろう)が駆けるミュラーの前に立ちふさがった。
「本当にエリザさんの命を救いたいというなら、手段など選んでいる場合では無いでしょう? ちっぽけなプライドも形式も捨て、ただの盗人に成り果ててでも奪い去る。本当に彼女の命が惜しいならそうするべきなのです!」
 加速薬を使い、素早さを超越するミュラーに少しでも対抗する。
 二撃目はない。
 一撃で仕留める。
「あなたはいつまでも義賊という立場に拘りすぎて、成すべきことの本質も見えていない憐れな盗賊なのです。だから……ッ」
 視界を奪うような閃光を光術で放ち、リリィはハンマーを手に駆けた。
「解らせて差し上げましょう。身の程を!」
 しかし、スピードの違いはダンチだった。
 ならば、傍目から見ても早い部類のリリィの突撃でさえ、ミュラーにはスローモーションなのだ。
 振り上がったリリィの手首をミュラーが引っ張ると、リリィはそのまま前のめりに倒れて、動かなくなった。
「リ、リリィィィィィッ!?」
 動かなくなったパートナーに焦ったカセイノ・リトルグレイ(かせいの・りとるぐれい)が、狂血の黒影爪で隠れていた闇から姿を現した。
「おいてめぇ! リリィがスペランカーだと知ってて殺ったな? 弱いものいじめがそんなに楽しいのかよ! このクズ野郎っ! 社会のクズがっ!」
 狂血の黒影爪の作用で闘争心が増したカセイノが、立ち止ったミュラーに猪突猛進し、勢いに任せて斬りかかるが、ヒョイと避けられ、そのまま回転しながら勢い余って転がって行った。
 何はともあれ、加速していたミュラーが止まった今が――勝機。

「テメエの事情なんて知らないし、興味もない。どうしても欲しければテメェの力で通ってみせろよ……。そして、犯した罪を死ぬまで背負ってろ。それ位の覚悟は出来てるんだろう?」
「フ……」
 樹月 刀真(きづき・とうま)の言葉に、ミュラーは笑った。
「誰が為……。そう言っても結局は、そうしたいと願う自分を満たす為、つまりは己の為の行為だという自覚はある?」
 漆髪 月夜(うるしがみ・つくよ)の凛とした声が響いた。
「お前はあるのか? その自覚が」
「私は刀真の剣である自分の為に刀真を助ける……それだけよ」
 月夜がラスターハンドガンを抜き、構えた。
「誰かにとっての正義は誰かにとっての悪だ。そんな不確かな言葉に、俺は自分の在り方を預けたくは無い……。相手にどんな事情があったとしても俺は俺の決めた事を通すだけだ。そしてその邪魔をする奴等は全て討ち払おう」
 そう言って刀真も、光条兵器の刀を抜いた。
「わかりやすいな。この世は全て剛力。弱肉強食ってやつか……」
「そうだ、弱肉強食だ……。そこに善悪なんて余分なモノを混ぜるのは人間だけだ……。やっちゃいけない事ができない事じゃない。そして、それをやる奴を止めるなら後は――ッ」
「力だけ、ってかッ!」
 刀真が駆け、月夜が援護射撃をする。
 そのコンビネーションにかかれば、戦闘能力で劣るミュラーに勝ち目などない。
 だが、それが当り前なのだ。
 ミュラーの視線や構え、重心のかけ方や気配から刀真は動きを読もうとするが、ミュラーにはそれが全くなかった。
 嫌な感覚はあったものの、弱肉強食の世界であるのならば、獲物を前に逃げてはならない。
 なぜなら刀真は狩る側――強者でありたいからだ。
 月夜の射撃が、完全にミュラーの逃げ道を防いだ。
 前後左右、どこへも動けやしない。
「もらった――ッ!」
 刀真の袈裟切りは虚空を切った。
 ミュラーは何の予備動作もなく宙に浮いたかと思うと、そのまま2人を超えて行った。
 魔法の類なのか仕込みの類なのか、暗闇では判別つかなかった。
 ただ、しかし、
「残念ながら俺は、お前の言う弱肉強食の世界では、逃げる側……なんでね」

「ミュラー殿、いつまでも逃げていてはしょうがないのだ」
 危険な2人を飛び越してきたミュラーの前に立ったのは木之本 瑠璃(きのもと・るり)相田 なぶら(あいだ・なぶら)だった。
 だが、ミュラーから見てもなぶらに戦う意志はないように思えた。
 代わりに瑠璃から感じる気迫は、相当のものだった。
「我輩の理想とする正義は皆の笑顔を守る事なのだ。このままミュラー殿に盗みを働かせては、被害者のヴィシャス殿だけでなく、ミュラー殿や命を救われた妹殿も苦しんでしまう様な気がしてならないのだ。だから我輩は戦わないといけないのだ」
「苦しむのは世界の真理だ。仕方ないだろう? それとも苦しみたくないと駄々をこねればいいのか?」
「……ミュラー殿、我輩と勝負をして欲しいのだ。我輩、勝った方が正しいなんて言うつもりはないのだ。でも、我輩の正義を貫く為には、ミュラー殿に勝たないといけないのだ。我輩が負けたら、その時は大人しく道を開けるのだ。でも、もし我輩が勝ったら、その時はミュラー殿、一緒にヴィシャス殿にお金が必要だから工面してほしいって頼みに行くのだ。てか連れて行くのだ。真摯な態度でお願いすればきっとヴィシャス殿だって解ってくれるのだ」
「ったく……契約者ってのは……。でも、俺は逃げるぜ? 言ったろ……逃げる側だってな……」
「ならば、こうするのだ……ッ」
 ミュラーの手の内はここまでの道のりで見てきた。
 最後に構える瑠璃だからこそ、出来る何かがあるかもしれない。
 なぶらはそう思い、見届けた。
 瑠璃が疾風の覇気を解放しての、高速の拳――その一撃。
 その一撃はミュラーの頬に突き刺さったまま、止まっていた。
 否、ミュラーが避けずに、受け、耐えていた。
「なぜ……よけようとしなかったのだ」
 そして瑠璃の手首を掴み、離しながら言った。
「勝とうが、負けようが、受けて立とうが、逃げようが、生きようが、死のうが、なんだって苦しいもんは苦しいんだ。傷をもらえば、身体だって苦しむ。辛い事があれば、心だって苦しむ。だが、聞け。いいか、どっちか1つならいいが、両方揃うのは戴けねぇんだッ。それが見知った人間なら尚の事だ……とでも、言えばいいか?」
 気付いた時、瑠璃の目の前にいたはずのミュラーは、既に後ろに、竜の涙が収められている部屋の目前にいた。
「一発は行き掛けの駄賃でもらっておくぜ」
 そう言い、ミュラーは再び駆けだした。