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ピラー(後)

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【九 巨大地下空洞の攻防】

 バンホーン調査団も前回同様、避難誘導に尽力すべく、車列を急がせてバスカネアへと入った。
 途中、羅儀と菊がカルヴィン城地下に出現している筈のナラカ・ピットへと向かう為、サイドカー付バイクで車列を離脱したが、残る面々はキャンピングカーやジープを最大限に活用し、ひとりでも多くの領民を脱出させようと、街中の通りを徐行しつつ、避難用の大型トラックに乗りそびれた領民達を拾っている。
 何人目かの領民をキャンピングカーに案内してからジープに戻ってきた加夜が、ほっとした表情で後部シートに座り込んで、ひと息ついた。
「ご苦労様です。今回は全体的に動きが速いせいか、避難もスムーズに進んでますね」
 同じく後部シートに座り、バスカネアの地図をチェックしていた白竜が加夜を出迎えた。加夜は笑顔で頷き返してから、ふとカルヴィン城に視線を向けてから、すぐに白竜に視線を戻す。
「それにしても……本当に見事な計算でしたね」
「いや、まぁ、たまたまです」
 白竜は相変わらず白衣姿のまま、頭を掻いた。
 実のところ、ナラカ・ピットがカルヴィン城の真下に出現している事実を突き止めたのは、白竜とセレンフィリティ、そしてセレアナの三人が、教導団で学んだ幾何学や紋章学などの知識を総動員して計算した結果、カルヴィン城の地下以外に有り得ないという結論に至ったからである。
 流石にバンホーン博士は一介の気象研究学者に過ぎない為、ナラカ・ピットの底に刻まれていた痕跡を解読することは出来ても、計算する能力までは具えていなかった。
 あの場に白竜とセレンフィリティ、セレアナの三人が居たのは、非常に大きな幸運だったといって良い。
 実際、リリィが送ってきた動画を調べてみると、例の淡い紫の光柱はカルヴィン城をすっぽりと覆い尽くす形で立ち昇っていた。どんぴしゃの計算結果であった。
「あたし達って、意外に凄いんだわねぇ」
 助手席でセレンフィリティが、能天気な笑い声を漏らす。
 ピラーが接近しているこの状況で、尚もこういう表情を作れるというのは、器が大きいのか、或いは単純に緊張感が足りないのか。
 しかし、ハンドルを握るセレアナがいつもの冷静な声で突っ込みを入れるのを忘れる筈も無い。
「何いってるのよセレン……計算の大半は、私と白竜のふたりでやったんじゃないの」
「あれー、そうだったかしら?」
 すっ呆けた表情で明後日の方角に目線を逸らすセレンフィリティに、加夜は後部シートで思わず苦笑を漏らした。
「しかしピラーというのは結局、自然現象ではあるものの、その根源は半ば人工によるもの……現象そのものは今後の参考にはなりますが、発生メカニズムはレポートの価値があるかどうか」
 白竜が渋い表情で、数十キロ先の渦巻く黒い雲を眺めてぼやく。この渦巻く黒い雲の下に、ピラーの巨大な影が地表に向かって突き立っている筈であるが、ここからではよく分からない。
「まだ見えていないということは、到達までには少し時間がある、ということですから……出来るだけ多くのひと達を避難させていきましょう」
「ほいさ、了解」
 加夜が声を励ますと、セレアナがアクセルを僅かに踏み込み、次の大通りへと車列を誘導していった。

 バスカネアの各所では、コントラクター達による領民避難が順調に推し進められてはいたのだが、カルヴィン城の地下では、逆に多くの苦難が待ち受けていた。
 最初に地底の巨大空洞に到達した美羽、歩、巡、日奈々、ルシェイメア、アリスといった面々は、無数の松明や燭台が設置されている空間の下に、シャディン集落で目撃したのとは比べ物にならない程の規模を誇る、深い窪地が広がっているのに息を呑んだ。
 ピラー接近に伴い、地底空洞は絶え間ない震動で全体が低い唸りを上げており、いつ崩落してもおかしくない危険と隣り合わせの状況であった。
 特に歩と巡には、地上の居館に待機する円からの精神感応通信によって、ピラー接近の状況が逐一伝えられてきており、その表情にはより一層の緊張がこびりついている。
 そして更に、先頭を行く美羽の硬い声が、一同の足を止めた。
「あれは……ジュデットさんと、ミリエルちゃん!?」
 巨大な窪地、即ちナラカ・ピットを挟んで反対側の縁に、ミリエルとジュデットの姿が松明の灯す光の下ではっきりと確認された。
 ミリエルはナラカ・ピットの縁近くで、冷たい地面に横たわって意識を失っているようだが、ジュデットはというと、両手首を壁面に鎖で繋がれたまま、まるで罪人のようにぶら下げられている。
 そして両の瞼は閉じられているのだが、その綴じられた瞼の間から、大量の血流が零れ落ちていた。
「そんな、まさか……」
 歩が、両掌を口元に押し当てて絶句した。状況から察するに、ジュデットは恐らく、両の眼球をくり抜かれているのに間違いは無かった。
「酷いことをするものじゃ……しかし、何故あんな真似を……?」
 ルシェイメアが渋い表情で、面を幾分俯かせたままぴくりとも動かないジュデットに視線を飛ばし続ける。その思いは、他の面々にも共通した疑問であったろう。
 だが、今は謎解きに興じている暇は無い。
 少なくともこの場に於いては、美羽は既に臨戦態勢に入っている。頭脳労働どころではなかった。
「バスターフィスト……!」
 美羽だけに、見えていた。
 歪な外甲殻で全身を覆い尽くし、カブトムシのような角が額から一本伸びている、あの特徴的な姿が、ナラカ・ピットの縁のこちら側、即ち美羽達に最も近い位置に出現していたのである。
「今度は、あの時みたいにはいかないからね!」
 シャディン集落では、ピラーによる豪風の為にほとんど身動きが取れず、接近戦には参加出来なかった。だが今回は、全ての力を出し切れる環境にある。
 美羽が俊足を活かし、バスターフィストとの間合いを一気に詰める。既にオブジェクティブ・オポウネントは発動済みである為、コハクから連絡を受けていたネオの説明が事実であるなら、バスターフィストの動きは、美羽でも十分捉えられる筈であった。
「やぁぁ!」
 美羽が気合一閃、バスターフィストの少し手前で跳躍し、弾丸のように鋭い飛翔脚で先手を打った。
 ところが――。
「きゃうん!」
 思いもかけない反撃が、美羽の脇腹を襲った。
 慌ててガードしたから弾き飛ばされる程度で済んだものの、バスターフィストが放った迎撃の一発は、美羽に戦慄を覚えさせた。
「今の蹴り……そうか、そっちは私達の脳波を取り込んでいるんだったね」
 口の中で僅かな血の味が広がるのを感じながら、美羽はゆっくり立ち上がった。
 オブジェクティブ・オポウネントは確かに、バスターフィストのあの絶対的な速度を失わせるには効果を発揮している。しかし、もともとコントラクター複数名の脳波を取り込み、オブジェクティブ一体でコントラクター何人分もの能力を見せることには変わりは無い。
 今、美羽を叩き落した蹴り技は、美羽自身が習得している廻し蹴りそのものを、バスターフィストが放ってきたのだ。
 スピード的には同じ土俵には立てたが、しかしまだまだ、能力的に対等とはいえないのが実情であった。
 美羽の頬から、じわりと冷たい汗が滴り落ちた。

 別方面からカルヴィン城地下のナラカ・ピットを目指していた面々も、ようやくにして、この巨大空洞に辿り着いた。
「ルカさん、あそこ……!」
 ザカコが指差す方向に、横たわるミリエルの姿がある。
 だが、ルカルカはミリエルではなく、別の影に視線を向けていた。
「何で……あいつがここに居るのよ」
 見慣れている、という訳ではないが、一応見知ってはいる。ミリエルの里親フェルヴィル・ゾーデであった。
 ヴィーゴの下で働く、ただの一般人……それが、ルカルカの知るフェルヴィル像であったが、しかしどうにも様子が異なる。
 何よりも、緑色に怪しく輝く双眸が、ルカルカにある敵の存在を思い出させた。
「そうか……あいつ、エメラルドアイズね!」
 マーダーブレインから派生したウィルスのひとつ、エメラルドアイズ――フェルヴィルの正体がオブジェクティブだったというのは意外ではあったが、しかしルカルカは、然程の驚きを覚えていない。
 ここまでくると、何が起きても不思議は無い、という覚悟めいた思いが彼女の中にあった。
「ザカコさんとエヴァルトさんは、ミリエルちゃんをお願い。あいつは、ルカ達に任せて」
 ルカルカの闘志に満ちた美貌の左右に、ダリルと淵が身構えて立つ。
 指示を受けたザカコとエヴァルト、そしてヘルの三人は、大きく迂回するようにナラカ・ピットの縁を走り、未だ地面に横たわったままのミリエル目指して、全力で駆けていった。
 残った三人は、フェルヴィル姿のエメラルドアイズと対峙を続ける。
「……俺のフラワシが、通用すれば良いけどな」
 淵が幾分、緊張した声を漏らした。ルカルカやダリルと異なり、オブジェクティブと戦うのは、淵にとってはこれが初めての経験であった。
「無理そうなら、ルカとダリルの援護に徹してね」
 いい終えるや否や、ルカルカは真正面からエメラルドアイズに迫る。そのすぐ後ろでは、ダリルが光条マシンガンの射出態勢に入った。
 ダリルの光条マシンガンは、攻撃対象をオブジェクティブのみに選別してある。ここから光条の破壊力を放っても、ルカルカを素通りしてエメラルドアイズに直撃する、というのが彼の戦法であった。
 ところが――。
「きゃあ!」
 ルカルカが、背後から飛来した強大な力に薙ぎ倒され、派手に転倒した。
 驚いたのはダリルである。
「何……まさか!」
 ルカルカを叩きのめした一撃は、ダリルの手元から伸びた。即ち、光条マシンガンから放たれたエネルギーがエメラルドアイズにではなく、ルカルカを襲ったのである。
 しかし、ダリルはまだ光条マシンガンを構えただけで、攻撃には至っていない。
 一体、何が起きたのか。
 ダリルは、すぐに理解した。
「そうか……あいつは、ルカの脳波を持っている……そういうことか!」
 淵はダリルが、何をいっているのか理解出来ない。しかし、ダリルは全てを察していた。
 つまり、エメラルドアイズが自身の中にコピーして持っているルカルカの脳波を利用して、ダリルの光条兵器を発動させたのである。
 勿論、能力を乗っ取られている訳ではない為、今この瞬間に於いても、ダリルはエメラルドアイズに向けて光条マシンガンを放てる。それは間違い無い。
 だがその一方で、エメラルドアイズはダリルの意思とは無関係に、ルカルカの脳波を直接送りつけることで、彼の体内から放たれる光条兵器のエネルギーを自在に操れるのだ。
 つまり、ダリル自身の力が強大であればある程、ルカルカに対する脅威が増大するという、皮肉な構図が立ち塞がっているのである。
「何ということだ……オブジェクティブの前では俺の存在そのものが、ルカにとって最大の脅威になっているということか……!」
 ダリルの低い呻きに、淵は息を呑んだ。
 オブジェクティブを敵に回すということは即ち、コントラクター自身が己を敵に回す、ということでもあったのだ。