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ようこそ! リンド・ユング・フートへ 3

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■2−1

「いい感じに街が命を持ったわね」
 足下で展開されている『マッチ売りの少女』の風景に、鈿女が満足そうにうなずく。
「だがまだ肝心の少女がいないぞ」
 横であぐらを組み、同じく本の中を覗き込んでいたコア・ハーティオン(こあ・はーてぃおん)からの言葉に、鈿女は街の一角を指差した。
「いるわよ。あそこにね」

 鈿女の意思を読み取ったように街の一角がクローズアップされ、光がそこに集積する。
 ぼんやりとした街角にピントが合うと、雪の中、ぽつんと小さなにじみに見えたそれが、うずくまった人影になった。

「さあ、あなたも行ってらっしゃい。ラブはとっくに向かってるわよ」
 とコアを追い立て、鈿女は1人その場に残る。


「凍えそうな真冬の空の下、はだしで街角に立つマッチ売りの少女。
 もちろん少女は家を出たとき、はだしではありませんでした。死んだ母親の残した木靴を履いていたのですが、8歳の少女におとなの木靴は大きすぎて、後方から来た馬車を避けようとした際に脱げてしまったのです。
 馬車が通りすぎたあと、いくら探しても木靴は見つかりませんでした。なぜなら木靴はそのわずかな隙に、盗まれてしまっていたからです」



 朗々と語る鈿女の声は、音もなく降り続ける雪に溶けたかのように、街に静かに舞い降りた。





「さ、さむ……っ」
 少女・セラは、雪風を避けて建物の影にうずくまっていた。
 かじかむ両手をいくらこすり合わせても、暖かくはならない。つま先をまるめた素足と同じで、指先から感覚がどんどん失われていく。

「いつまでもこうしてられないわ……マッチを、売らなきゃ……。
 これ、全部売ってしまわないと、おうちに帰れないもの……」

 よろよろと立ち上がる健気なセラ。
 その様子を同じ区画の端から盗み見て、コハク・ソーロッド(こはく・そーろっど)は「ああっ!」と思わず声をあげてしまった。

 雪避けのほおかぶりをして、マッチの箱が入ったかごを手に路上に立つはだしの少女。しかしコハクの目には、セラと二重写しになって小鳥遊 美羽(たかなし・みわ)の姿が見えている。

 今、美羽は少女セラになり、物語をリストレーション中だった。

 そしてコハクはといえば、美羽との打ち合わせどおり通行人Kとなって少女の前を通り過ぎる役を演じなければいけないのだが、ミニスカート姿のセラに先からずっと身もだえ中である。

(ああもう……やりすぎだよ、美羽)
 美羽がミニスカなのはいつものことだったが、この雪降る寒空の下、ミニスカ、生足、その上はだし! の三拍子そろった姿は、見ているこっちの方まで背筋が凍えてしまいそうなほど痛々しい。


  ――そもそも、どうして冬のこんな天気の日にマッチ売る少女がミニスカなの? 意味あるの? それ。


 はだしなのは仕方ないとして、服装くらいロングスカートでもいいじゃないか、とコハクは思うのだが、美羽はこの点だけは譲れないの一点張りだった。

「マッチ売りの少女はミニスカなの! それで決まり!」

 しかも、なぜか今日に限って超マイクロミニスカ。ふとももの3分の2以上が丸見え。へたにつま先立ちでもしようものなら、見てはいけないものまでコハクの視界に飛び込んできちゃってたかもしれない。
 見えそうで見えないチラリズム。
 それにつられない男がいるわけがない! と美羽は考えたのかもしれなかった。あるいは。もしかすると。かなり可能性は低かったけど。
 実際、ここが現実世界だったら、少女の周囲にはひとだかりができたことだろう。
 男たちの頭で埋もれてしまったはずだ。

 だが19世紀のデンマーク人は、かなり良識的というか、保守的だった。

「マッチいりませんか?」
 というセラの言葉につられてそちらを向くものの、視界に飛び込んだ少女の生足にぎょっとして、目をそむけるや足早にその場を立ち去って行く。

 スカートの下が覗けないかと凝視されるよりはるかにマシなものの、これはこれでコハクとしてはやきもきする原因のひとつで。
(せめてマッチ買っていってあげてよ)
 と思うのだが、彼らは一様に、セラと視線を合わせようとしない。それどころか、口上もまともに聞いていないようだ。
「こうなったら僕が、外套か何か渡すしかないかな……」
 そんなことしたら美羽は怒るかもしれないけど。でも、こんなに寒いのに、あんな美羽見てただ通りすぎるなんてできないよ。

 意を決したコハクが同じ街路へ出ようとしたとき。
 高価そうなコートを着込んだ少女が、セラの前に立った。




「よーし! スウィップちゃんのためにも、リストレーションがんばるぞーっ!!」

 秋月 葵(あきづき・あおい)は両手をぎゅっと握って気合いを入れた。
 水色のコートと白いロシア帽、やはり白いマフラー姿の彼女の設定は、中産階級の家庭の娘。
 特別裕福というわけではないけど、食べ物や着る物に困っているわけではないという、普通の少女だ。

「ハァ……寒い寒い。ママから頼まれたお使いも済んだし、早く帰って暖炉の前であたたまろっと」
 ミトンをはめた両手をこすり合わせながら、街路を歩いて行く。
 そしてお目当てのマッチ売りの少女・セラにほどよく近づいたところで、ピタっと足を止めた。

「そーいえば、何か忘れてるような気がするなぁ……。
 パンでしょ、チーズでしょ……ああっ! そうだ! 思い出した! 暖炉の火付けに使うマッチ!!
 どうしよう? 買い忘れちゃった」
 はーっと息を吐き出し、ふと流した視線の先にはマッチ箱の入ったかごを下げた少女の姿が。


「あーっ! きみ、もしかしてマッチ売ってるの!?」

  ――わざとらしい。実にわざとらしいが、この際OKだ!!


「よかったぁ!! 助かったよ! 今からお店に戻っても、もう閉まってるんじゃないかって考えてたんだ」
「――え? でも、まだお昼…」
「あ。えーと……ホラ、雪がすごいから、もう午後は店じまいにするって」
 そのとき、ゴーッと葵の後ろをものすごい氷雪の突風が吹き抜けていった。

  GJ! 天の采配!

 大通り中で通行人役をしつつ耳をダンボにしていたリストレイターたちが、思わず親指を突き出す。

「あ。じゃあ、これどうぞ…」
 少女はごそごそかごを探り、マッチ箱を差し出した。
「ありがとう! 危うくママに怒られるとこだったよ♪」
 パッと両手でマッチを持つ少女の手を握る。
 その手の冷たさに、葵ははっとなって眉を寄せた。

「冷たい……氷みたいだよ、きみの手。
 そうだ! これあげる!!」
 葵は自分のミトンを脱いで、マッチを受け取るかわりに少女の手の中へぎゅっと押し込んだ。
「そんな……! い、いただけません、こんな高価なお品!!」
「いいから、いいから。きみのおかげでまたあの道を戻らずにすんだんだもん。お店の人にわざわざ開けてもらわないですんだし。
 あ、そうだ。ついでにこれも」
 ごそごそごそ。
 脇に抱えていた紙袋を探って、中からパンを取り出した。

「さっき食料品店でいっぱい買ったら、おまけにってお店のおばさんがくれたんだ。よかったらきみ、もらってよ」
「ええっ!? そんな……もらえません……!」
「大丈夫。どうせタダでもらった物なんだし。私には、もう十分あるからっ」
「でも――」
「じゃあさ、このマッチの代金のかわりに、ってどう?」
 恐縮しまくっている少女に、葵はウインクをする。
 少女は手の上のミトンとパン、それから葵を交互に見た。どう見てもマッチ1箱の値段とは釣り合わない。
「あのっ、これっ……」
 手の上で乗せているだけで温かなミトンとおいしそうなパンの誘惑にぐらつきそうになりながらも、己の良心に基づいて正しい行動に出ようとした矢先。


「おう。そこにあるのはマッチか」


 肘のあたりが擦り切れたダッフルコートにマフラー、中折れ帽姿の背高い紳士が足を止めた。
 手から下げた袋には、ビーカーだのフラスコだの教材っぽいプラスチックがゴチャゴチャ突っ込まれてある。

 彼はエヴァルト・マルトリッツ(えう゛ぁると・まるとりっつ)。この街で学生を相手に理科を教えている教師だ。
 鼻先へとずれた眼鏡を押し上げ、少女に見入る。
 正確には、少女のさげたかごの中身に。

「ふむ。これだけあれば足りるか。
 おい、きみ。そのマッチを売ってくれるか? ちょうど切らしていたんだ。まったくアルコールランプの火付けに使うものがマッチのみとは……そりゃ、ライターとかよりある意味安全だが。こういう消耗品はすぐなくなって困る」
 覆いかぶさるように身を乗り出して、ぶつぶつ独り言をつぶやきながらかごのマッチ箱を教材の入った袋へどんどん投げ入れていく。
「あ、あの……?」
「うん? ああ、冬休み明けの授業で使う実験用の材料をそろえていたんだが、年の瀬でこの雪のせいか、どこも早々に店じまいをしていてな。なかなか数が確保できんのだ」

 いかにも理科の教師といったふうに気難しげに眉をしかめているエヴァルトと、彼に気圧され気味の少女。
 2人を見比べて、きらーんと葵の目が光った。

「これ、早くママに届けなきゃ! じゃーね、マッチ売ってくれてありがとね〜♪」 

 お客を前に、少女が動けないのを見てとって、葵はさっとその場を離れた。

「あっ、あのっ……」
「ばいばーい♪」
 ぶんぶん手を振って元気に走り去っていく葵を長らく見送ったのち、少女はためらいがちに頭を下げた。
「あの……ありがとう、ございました……」

「で、こっちなんだが」
「あ、はいっ。すみません」
 あわててエヴァルトに向き直り、少女はかごを見た。
 すっかりかごは軽くなって、中身の大半がエヴァルトの方に移ってしまっている。
「ひー、ふー、みー……これでちょうど10箱か」
「こ、こんなに…?」
「――本当は全部買ってやりたいんだが、そうしては駄目だと頭の中で妙な警鐘が鳴ってるからな…」
 ぶつぶつ。相変わらず独り言をつぶやきながらコートのポケットをさぐる。
「え?」
「ああ。いや、なんでもない。
 ほら、これで足りるか?」
 ちゃりちゃりとこすれる音をたて、銅貨を少女の手の中に落とす。
「あ、えーと……」

 少女は一生懸命手のひらの上の銅貨を見つめた。
 貧しい少女は満足に教育を受けていない。数は指の数の5までしか数えられなかったが、今までそれで困ったことはなかった。マッチを一度にそれだけの数求められたことがないからだ。
(右手に5つ、左手に5つ)
 ひとまずもらったミトンを脇にはさんで、銅貨を分ける。
 急がないとお客さんを怒らせてしまう。でも間違えてるとお父さんに怒られてしまうし…。

(大丈夫、足りてるよ、セラ)
 美羽が内側から励ました。

「……はい、足ります」
 多分。
 ぎゅっと目をつぶり、答えた少女に。
「そうか」
 エヴァルトは最後に手の中に残っていた1枚を足した。
「えっ?」
「それが最後の1枚だ。キリがいいからな、おまえにやろう。ちょうど年の瀬だ、あとで年越しソバでも食べるといい」
「ソバ…? って、あ、あの、お客さんっ!?」
 あわてて返そうとする少女にエヴァルトは帽子を持ち上げて会釈して見せると、さっさと歩き出した。
「だ、だめです、こんなっ!!」
 あとを追おうとした直後、何かに足をとられて転びそうになる。
 それは1足の靴だった。
 少女に似合いそうな、ピンク色のかわいらしい冬用ブーツ。
「これ、いつの間に――はっ! お客さん!」
 大急ぎ街路に目を戻したが、エヴァルトらしい丸まった背中はとうに人混みに飲まれて、遠くかすかにそれらしいコートが見えるだけになってしまっていた。

「これ、どうしよう……」
 かわいらしいピンクのブーツを両手に、少女は途方に暮れる。
 次の瞬間、少女は美羽になった。

「履いちゃえばいーよ! やせがまんしたりしないで、こういうときのひとの厚意は素直に受け取るもの! んねっ!」
 美羽はさっさとミトンを両手にはめ、ブーツに足を通した。
 そうして建物の影からこそっとこちらを見ている、ブーツを置いて行ってくれた通行人Kの方を向いてにかっと笑う。
 履き心地が気持ちいいのを見せるように、スキップ踏んで。


「さあ! 残りもさっさと売っちゃおう!
 みっなさーーーん! マッチ!! マッチはいりませんかー!?」


 貴瀬たちが大通りについたのは、ちょうどそのときだった。
 少女になったリストレイターの美羽が笑顔でマッチを売っている。

「ああ、いた。あれがマッチ売りの少女だね。よかった、順調にリストレーション中みたいだ」
「なんか、たのしそーなのー」
 つないだ手をぶんぶん振りながら、郁が興味津々顔で言う。
「いくもまっちうるー」
「そうか。では俺たちも手伝うとしよう」
「うんっ」
 瀬伊の言葉に元気よくうなずく郁。
 そのとき、貴瀬がとんでもないことをつぶやいた。

「ねえ」
「どうした」
「ふと思ったんだけど、これだけ大きな街で、マッチを売り歩いている少女ってあの子だけなのかな? もっといてもおかしくないと思わない?
「ばっ……!!」
 その意味を悟った瀬伊が目をむいて口をふさごうとしたが、遅かりし。

 直後、建物の角という角に、セラによく似た少女たちがわらわらと現れた。
 全員マッチ箱の入ったかごを手にさげ、ミニスカートにはだしで、前を通り過ぎる通行人へと声をかけ始める。まるで最初からそこでそうしていたように。


 それを見て、リストレイターたちはさーっと青ざめた。


「あらら」
「ここは俺たちが考えたことが創作される世界なんだぞ!? あんなことを口にすればこうなるに決まっているだろう!」
 これには貴瀬も、しまった、という顔をしていたが、すぐにくすりと笑いが口をつく。
「まぁでも、1人でも10人でもやることは同じだから。マッチを売ってあげればいいんだし。
 ねえ? 郁」
「うん。いく、おてつだいするー」


「ええい!! こうなったら全員俺たちで面倒をみてやるまでだ!」

 こぶしを突き上げたのは、通行人S役をかなぐり捨てた新谷 衛(しんたに・まもる)だった。