シャンバラ教導団へ

百合園女学院

校長室

薔薇の学舎へ

春をはじめよう。

リアクション公開中!

春をはじめよう。

リアクション


●春のはじまりは……?

 ふわりと敷物を敷く。安っぽい青のビニールシートもそれはそれで『らしさ』があるとはいえ、やはりここは、こだわりたい。だって今日はこうやって座る場所が、二人にとっての世界であり王国であるといっていいのだから。
 なので東雲 秋日子(しののめ・あきひこ)が持参したのは、い草で編んだ敷物だった。おろしたての畳と同じ匂いがする。まるで春の陽光を呼吸しているような気持ちがした。
「夜桜もいいけど、今回はオーソドックスに青空の下でお花見、ってことで」
 どうかな? と、腰を下ろして秋日子は要・ハーヴェンス(かなめ・はーべんす)は見上げた。
 この位置からだと逆光、要の表情は読み取れない。秋日子は自身の胸がとくとくと鼓動を刻んでいるのを感じた。暖かくなってくるとなんだかウキウキする――その気分が心臓にギャロップをさせているのだろうか。いや、そうじゃない。
(「……それにしても、これ冷静に考えたらデートなんじゃ?」)
 ふと、そう思ったからだ。
(「うわぁ、こうやって出かけるの久々だから変に意識してきちゃった…!!」)
 かああっと顔が熱くなってくる。どうしようと心が騒いだりする。それに拍車をかけたのは、
「やはり春は桜ですね。とても綺麗です」
 と、秋日子の隣に座った彼の笑顔だった。男性とは思えないほどに睫毛が長く、端正な両眼はやさしく澄んで、涼やかにして瑞々しい唇にも、吸い寄せるような魅力がある。
 別に意識してそうしたわけではないのだが、敷物に二人、十分に脚を伸ばして座るには自然、身を寄せ合う格好になる。だからとても、
(「近い、のよね……距離……」)
 ほんの数センチ伸ばすだけで、手と手を重ね合わせられるくらいに。
 そんな秋日子の心を読んだわけでもなかろうが、要はついと視線を外して頭上に顔を向けた。決して大きくはないが立派な桜の枝が、八分咲きに色づいている。この種は開花が少し遅いのだ。けれどこれはこれで趣深い光景であろう。
「それにしても、こうやって秋日子くんと一緒にどこかに出かけるなんて、なんだか久しぶりですね。自分を誘ってくれて、嬉しいですよ」
 嬉しい、という彼の言葉が、春に吹くつむじ風のように彼女の心をあおり立てた。
 本当に、本当にどうしよう……!
 秋日子のハートビートは規則正しいギャロップから、無我夢中のダッシュへと変わろうとしている。
(「いや、要に他意がないのはわかってるけども!!」)
 秋日子は自分の心を鎮めるべく呼吸を整えて返答した。
「た、大したことじゃないよ」
 声、震えていないだろうか。ちょっと心配だ。
「でも、秋日子くんは他の人も誘ってると思ってたんですが……」
 これまた他意ない様子で要が言った。
 ああまた声が震えそう。だけど返事しないわけにはいかず秋日子は言葉を紡いだ。
「その、なんていうか、要と一緒にいたかったから、無意識のうちにキミだけを誘ってたっていうか……」
(「うああ、何言ってるの私!!」)
 これは口が滑ったというか、思わず本音が漏れたというか、いや、こんなこと考えてなかったというか、いやいや、もしかしたら深層でそんなことを考えていたのが出ちゃったというか!? ともかく……。
 ともかく、秋日子は思考停止して凍り付いてしまった。
 ところが天然系無自覚、よく言えばマイペース、悪く言えば鈍感な要は、彼女の言葉の意味を格段深く考えることなどせずに、
「また二人で出かけしましょうね。自分も秋日子くんと一緒にいたいですから」
 と、笑ったのである。
 ああ……! 凍り付いた秋日子は溶けて、こんどは溶けすぎてクリームチーズみたいになりそうな気分だった。
「う、うん。また出かけようね」
 言いながら彼女は思う。
(「……要ってば恥ずかしいことをサラリと……」)
 もちろん要の言葉であるから、それは文字通りの意味であることはわかっているけど、それでも、それでもとても嬉しかった。秋日子の頬はもはや、熱を帯びすぎて燃えているようである。こんな気持ちにさせられて、
(「なんか悔しいなあ……」)
 いつか要にもドキドキ、今みたいな気持ちを味合わせてやりたい……そんな乙女心の秋日子なのだった(自分でもそれは無理な気がするけども)。
 とにかく気持ちをなんとか鎮めて、
「お弁当も手作りしてきたんだよ。一緒に食べてのんびりしよう」
 可愛らしい円形の弁当箱を秋日子は取り出した。包みを解いて、はい、と広げる。
 玉子焼きにウインナーにハンバーグにおにぎり、じつに定番のメニューなのだが、なんとうか、ごじゃっと詰め込まれていてしかも途上で二三度、ひっくり返したのかいくらか雑然としている。
「ま、まあ見た目は気にしないで。味が大切なんだから。味は……」
 恥ずかしさを隠すように秋日子は早口で、ハンバーグのひとつを口に放り込んだ。
「味は……まあ、いつも通り美味しくはできなかったけどね……」
 だんだん小声になってくる。正直、まずいとまでは言わないが、デリシャスとは言いがたい。
 ところが実に悪気なく、むしろこれを喜ぶかのように、
「秋日子くんらしい味ですよね」
 と要は微笑を唇に浮かべたのである。
 秋日子は思った。
(「色々、なしとげたいこの春だけれど……」)
 とりあえずの課題は料理かな、と。