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第3章 家庭教師

「何やら、庭が騒がしいな」
 藍澤 黎が窓の外を見る。
 目の前に座っているのは、巻き毛の美少年。
 ジャウ家当主ムティルの弟、ムシミス。
 ムシミスの真っ直ぐな瞳に、再びムシミスの方に向き直る黎。そして真面目な声で告げる。
「この庭には、美しい花が咲いておるな。しかし残念なことに、いくつか枯れかけている」
「はい、先生」
 素直な声が返ってくる。
「これらの花に綺麗に咲いてもらいたいと願うなら、貴殿はどうする?」
「黎さんに頼みます」
「そうではなくてだな……」
 ムシミスの返答に苦笑しつつ、黎は如露を取り上げる。
「花を咲かせるには、水や肥料をやること……働きかけが必要だ。人の中も同じこと。ムシミス殿も、兄上に働きかけてみては如何だろう」
「……」
 黎の言葉に大きな瞳を伏せるムシミス。
 黎の言う事は、十分理解しているようだ。
 しかし、彼はそこから一歩踏み出せずにいる。

「そういう時には、落語や!」
 ぽん。
 悩むムシミスの肩が、軽く叩かれた。
 ムシミスの家庭教師として名乗り出ていた大久保 泰輔(おおくぼ・たいすけ)だった。
「らくご……どちらの国の言語ですか?」
「あー、今みたいなボケ、ええなぁ。ってちゃうちゃう。笑いや。話から読み取ることができる笑いと、それを誘発する言葉の勉強や」
「はい。よろしくお願いします」
 落語とはいえ、泰輔の授業は本格的だった。
 簡単な落語の視聴から始めて、落語の稽古。
 人物を演じることで、その言葉、仕草がどのような気持ちから発露されるか、またどのように受け止められるかといった言語・非言語表現を理解する学習。
 ユーモアも交えた泰輔の話しぶりに、ムシミスもすっかりリラックスして楽しく学んでいた。
 その、学んだ知識と表現方法が後にある事に利用されることになるのだが……
 今それを予測できる者など誰もいない。
 教えた本人の、泰輔にさえ。

「それじゃあ僕は、表現の発露としての音楽全般を教えましょう」
「専門家の先生がいるようだから、俺は実技の方を担当しようかな」
 フランツ・シューベルト(ふらんつ・しゅーべると)クリストファー・モーガン(くりすとふぁー・もーがん)が、ムシミスの前に立つ。
 音楽の授業が始まった。
 真面目にピアノや音楽史についてムシミスに教えるフランツ。
 クリストファーはムシミスに、腹式呼吸の訓練を施す。
「もっと力を入れて。あぁ、駄目だね。入れる場所が間違ってる。ここだよ、ここ。はい、息を吸って……」
「は、はい……」
 ムシミスの背後に立つと、肩から手を回して腹部を押える。
 力を入れて、呼吸でそれを跳ね返すように言い渡す。
 何度も何度も。

 そしてクリストファーは見た。
 部屋の外。
 窓越しにその様子を見かけたムティルが、不機嫌な様子で踵を返して自室に戻って行くのを。