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聖麺伝説

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聖麺伝説

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<part4 ハンターズ>


 佐々木 弥十郎(ささき・やじゅうろう)は調理器具や大量のモヤシの詰まったザックを背負い、山道を登っていた。上り坂の向こうからは、ドラゴンらしき鳴き声や爆音が響いている。
 弥十郎はテレパシーで佐々木 八雲(ささき・やくも)に話しかけた。
 ――もうやってるみたいだねぇ。
 ――あの感じじゃ、結構な人数が来てるようだな。ラーメン屋はもう救出されてるんじゃないのか。
 八雲は聞き耳を立てながら弟の隣を歩いた。
 ――まあラーメン屋はともかくとして、なんだか運命を感じるんだよねぇ。
 ――運命?
 ――必要な分だけ、食材は狩る、というワタシの信念にぴったりだからねぇ、このドラゴンは。
 見晴らしの良いところまでやって来ると、弥十郎は地面にザックを置いた。モヤシや携帯コンロや鍋などを取り出していく。
 ――さてと。豪食竜ジローのために、最高の茹でモヤシを作ってあげよう。
 ――茹でる必要はねぇだろう。ドラゴンのエサごとき、生で十分だ。
 ――そうはいかないよ。料理人として、どんなお客さんにも最高の品を出さないとねぇ。
 弥十郎はモヤシのヒゲと頭を丁寧に取り除いて、白魚のような茎だけをザルに入れていく。ヒゲ根と頭を取ったモヤシの食感は素晴らしい。もはや別物だ。
 ――これを豪食竜ジローに食べていただいて、ワタシはジローの鼻の肉を頂く。ギブアンドテイクだ。
 ――鼻の肉って、大して食うところねぇだろう。
 ――兄さん、わかってないね。
 ――はぁ?
 八雲は料理に精を出す弟の顔をまじまじと眺めた。
 ――あの鼻の肉はね、キクラゲの食感と肉の旨味を合わせ持っているんだよ。
 ――なんでそんなこと知ってんだよ?
 ――ふふ、それは秘密。というわけで、鼻を狙うからサポートよろしく。
 弥十郎は鍋の水を煮立たせると、コンロの火を止めた。処理を済ませたモヤシを投入し、余熱でさっと火を通してからすぐにすくい上げる。
 大皿に艶やかな茹でモヤシを山盛りにし、豪食竜と他の者たちが戦っている谷間へと降りていく。
 豪食竜が匂いに釣られて、茹でモヤシの方に顔を向けた。巨体を跳ね上がらせてこちらに飛んでくる。弥十郎は大皿を地面に置いて、自分は兄と共に草藪に引っ込んだ。
 豪食竜は大皿の前に前肢を叩きつけて着地し、最高級茹でモヤシをがつがつと貪る。
 弥十郎は草藪から駆け出し、豪食竜の鼻に渾身の力で斬りつけた。
 鼻の一部が削がれるが、豪食竜はこれまで味わったことのない完成度の茹でモヤシに夢中で相手にしない。しかし大皿のモヤシはどんどん減っていく。
「こいつ、次のロット狙ってやがる。さっさと逃げるぞ」
 八雲が額に汗を垂らして急かす。
 弥十郎は今一度鼻に切りつけると、獲物を抱えて一目散に逃走した。


 葛城 吹雪(かつらぎ・ふぶき)は戦闘地帯の少し開けた場所に目星をつけ、機晶爆弾を三つ仕掛けた。
「退避でありまーす!」
 イングラハム・カニンガム(いんぐらはむ・かにんがむ)鋼鉄 二十二号(くろがね・にじゅうにごう)と共に機晶爆弾から離れる。しゃがみ込んで口を開け、耳を塞ぐ防御の姿勢を取り、起爆スイッチを押す。
 爆音が響いて土が噴き上がり、トラックほどもある穴が穿たれた。吹雪は穴に駆け寄って見下ろす。次いで、峡谷を暴れ回っている豪食竜の足と見比べる。
「うーん、ちょっとサイズが足りないでありますな。二十二号、ドラゴンの足がはまるぐらいまで穴を広げてもらえるでありますか」
「了解した」
 二十二号は穴に体を沈め、せっせと掘削し始めた。
 イングラハムは触手をゆらゆらと蠢かしながら尋ねる。
「ドラゴンの足が入る程度で意味があるのか? 落とし穴なら、もっと大きくなければいけないであろうに」
「落とすのは目的ではないのであります。足を引っかけて一瞬転んでくれれば十分でありますゆえ」
「そう都合良くいくものか。ドラゴンにここを通ってくれと頼み込むのか? むしろ体の垢でも分けてくれと頼んだ方が早かろう。言葉が通じるものならな」
 哄笑するイングラハム。
「だから、これを使うでありますよ」
 吹雪は軍用ザックからモヤシの入った大袋を取り出し、イングラハムに押しつけた。
 イングラハムは猛烈に嫌な予感がしてきて半歩後じさる。
「まさか……我に囮になれとでも言うつもりではあるまいな」
「話が早くて助かるであります。さあ、できるだけ美味しそうにモヤシを体に巻き付けるでありますよ」
 吹雪の目はまったく笑っておらず、逃亡も拒否も許される雰囲気ではない。
「む、むう……」
 イングラハムは渋々、モヤシをたくさんの触手で掴んで、モヤシまぶしタコと化した。うにょうにょとドラゴンの方へと近づいていく。
 その奇っ怪な姿に目を引かれ、豪食竜が空から襲いかかってくる。
「まったく! ポータラカ人使いの荒い人間である!」
 イングラハムは穴に向かって全速力で走った。豪食竜は着地して後ろ肢で地響きを上げながら追ってくる。頭を前方に伸ばし、顎から溢れ出る唾液がイングラハムの歩いた後を追尾する。
 イングラハムはその体型からは想像もつかぬ身のこなしで穴を飛び越した。ついてきた豪食竜が足を踏み外す。
 ――我の勝ちである!
 そう思った瞬間、イングラハムの視界は闇に閉ざされた。
「イングラハムーっ!」
 吹雪の悲痛な叫びが響く。
 イングラハムを一口にし、豪食竜の前足が穴に落ちていく。そこには、まだ穴を広げる途中だった二十二号が。
「ぬあああああ!?」
 ぐしゃりと不気味な音。
「二十二号ーっ!」
 吹雪は悲鳴のような声を漏らす。
 こんな短時間のうちに戦友を二人も失ってしまった。許せない。だがそれ以上に、彼らの貴い犠牲を無駄にするわけにはいかない。豪食竜は穴に足を取られて抜け出せないでいる。
 吹雪は憤怒に燃えてウルフアヴァターラ・ソードを握り締めた。
「うああああああああっ!」
 ときの声を上げて豪食竜へと突き進む吹雪の脳裏に、まだ生きていた頃の二人の姿が映る。
 モナリザにも負けない二十二号の笑顔。イングラハムの慈愛に溢れた顔。だいぶ美化と捏造が混じっているが今の吹雪には関係ない。
 ――二人のことは一生忘れないであります!
 吹雪はウルフアヴァターラ・ソードを右に振り、その遠心力を利用し急カーブして、豪食竜の背後に回り込んだ。戦友への思いを込め、尻尾に全力で刃を叩きつける。叩く。叩く。徐々に硬い尻尾に亀裂が刻まれていく。
 そして、尻尾の先が切り落とされた。吹雪はトカゲのように動く尻尾を掴み取り、空を仰ぐ。
 ――仇は……取ったでありますよ。
 雲のあいだに、二十二号とイングラハムの笑顔が浮かんでいた。


 ドラゴンにタコが喰われてロボットが踏み潰される様を、セレアナ・ミアキス(せれあな・みあきす)は林の中から観察していた。豪食竜はいまだ穴に足を突っ込んでもがいている。
「結構犠牲者が出てるわね。命をベットして景品が食材じゃ、ちょっと割に合わないんじゃない?」
「そんなことないわ! 美味しいラーメンのためならドラゴンの一匹や二匹怖くないわよ!」
 セレンフィリティ・シャーレット(せれんふぃりてぃ・しゃーれっと)の目にはもはや豪食竜がチャーシューの塊に見えていた。鱗や皮膚だけでもスープの材料として最高らしいが、どうせなら至高の食材と呼ばれる肉をゲットしたい。さっきから期待でお腹がきゅうきゅう締め付けている。
「もしかして怖いの? セレアナ?」
 セレンフィリティの挑発するような眼差しに、セレアナはくすりと笑った。
「冗談。リスクとリターンの不均衡について指摘しただけよ」
「だったら問題ないわ! この勝負はハイリスクローリターンじゃない! バリバリのハイリスクハイリターンよ! 援護して!」
 豪食竜に向かって林から駆け出すセレンフィリティ。
「任せなさい」
 セレアナはセレンフィリティに女王の加護をかけ、豪食竜に閃光を放った。豪食竜の視界が一時的に奪われる。
 セレンフィリティは豪食竜の暴れる手足にねじ伏せられないよう素早く立ち回りながら、超強力接着剤のついた機晶爆弾を尻尾の傷口にくっつけた。二個、三個、四個、五個、とにかくつけられる限りたくさん。
 急いで距離を置き、機晶爆弾を爆発させた。突風にセレンフィリティの髪が吹き上げられる。セレンフィリティは吹き飛ばされないよう足を踏ん張った。
 回復力が尋常でないとはいっても、こう立て続けにやられては回復する暇もない。豪食竜の尻尾の肉が、半メートルほどに渡って破壊され、飛び散った。
「セレアナ!」
「ええ!」
 セレンフィリティの合図に、セレアナが大きなクーラーボックスを両方の手に下げて走ってくる。二人は大急ぎで尻尾の肉を拾い集め、クーラーボックスに詰めていった。
 セレンフィリティは喜々とする。
「これだけたくさんあったら、二日はチャーシューに困らないわね!」
「私には一ヶ月分くらいに思えるのだけど……」
 セレアナがつぶやいた。


 トトリ・ザトーグヴァ・ナイフィード(ととりざとーぐう゛ぁ・ないふぃーど)は恐るべき仲間たちを引き連れ、渓谷への山道を走っていた。
「みんな急ぐよぉ〜。もたもたしてたら食材まみれのモンスターが逃げちゃうよぉ〜」
 トトリは名状しがたい風貌をしている。櫛を通していない、深淵のごとき漆黒の長髪。闇を宿した蝙蝠の耳は禍々しく、風化した白骨を思わせる瞳に光は微塵もない。
 人間と世辞にも称せる部分は胸元までで、身体は忌まわしき闇黒の可逆性流動体。紫のローブからは冒涜的な手足が伸びている。右手は大型の竜の手を模した可逆性流動体、左手は大量の触手で構成され、足は可逆性流動体と触手の混合体である。
「まったく、なんであたいが巻き込まれるんだ!」
 文句たらたらのグラナダ・デル・コンキスタ(ぐらなだ・でるこんきすた)は、近くの街で買い占めてきたモヤシの大袋を担いでいる。他の契約者たちもモヤシを買い漁ったせいで、グラナダが買う頃にはかなりの棚が空になっていた。
 トトリの後ろを駆けているテラー・ダイノサウラス(てらー・だいのさうらす)は、状況をいまいち掴んでいないが、とりあえずついて行けば美味しい物にありつけるというのは分かっていた。
「ぎげぐるぅ? ぐげら! げぐがるぁ!」
「エージェント・Tがそう言うのなら……。わちきも頑張りんす」
 グランギニョル・ルアフ・ソニア(ぐらんぎにょる・るあふそにあ)はテラーの獣じみた言葉をたやすく理解した。この契約者たち、外見は揃いも揃って異形ながら、テラーにはベタベタの激甘なのである。
「さぁ〜、行ってらっしゃーい」
 戦闘エリアに到達すると、トトリは眷属「無形の巨人」を豪食竜へと向かわせた。可逆性の流動体と機械からなる不定形の巨人が、豪食竜を乱打する。その攻撃ともつかぬ狂気を帯びた暴走に、周囲の地形がえぐれていく。
「やりすぎでありんす。少しは周りに気を遣ってくんなまし」
 グランギニョルはアダムスキーの戦輪に飛び乗った。地面を滑るように蛇行して無形の巨人の攻撃を避けながら、豪食竜の背後に回る。きらめく光弾を放つ。光弾が豪食竜の背中に突き刺さった。
 豪食竜の尻尾の断面で細胞が急速に増殖し、再生された尻尾がグランギニョルを叩き殺そうとする。グランギニョルはアダムスキーの戦輪でとっさに数十メートル退避した。
「油断は禁物でありんすね……」
 冷や汗を掻く。足がはまって移動できないとはいえ、豪食竜の近くに長時間居続けるのは命取りだ。
「ぐげっ! ぐがー! ぐががが!」
 恐竜の着ぐるみをまとったテラーが、後方で跳びはねて不思議な踊りを踊った。精一杯の応援である。
「ふふー、そんなに応援されたら頑張っちゃうよぉ〜」
 トトリは俄然燃え始め、無形の巨人に触手を伸ばした。巨人は恐ろしく長大な棍に変貌を遂げ、トトリの触手に握られる。
 トトリは棍を豪食竜に叩きつけた。硬い鱗が剥ぎ取られ、飛び散る。トトリの触手がすかさず伸び、空中の竜鱗をキャッチしてはテラーの方に放る。


 激化していく戦闘。
 それを冷徹な視線で眺めながら、陽子は豪食竜の逆鱗を探していた。
 肉もいいが、なんといっても希少価値が高いのは竜の逆鱗だ。触れたら竜を激怒させると伝承では言われているが、そうなるならそれもいい。狂暴さの倍加した豪食竜は、愛する透乃の素敵な玩具になることだろう。彼女は強敵との殺し合いを最も望むのだから。
「やはり喉の下、ですか……」
 逆鱗を発見した陽子は、トトリやグランギニョルの戦っている間隙を縫い、豪食竜に急迫した。刃手の鎖を振るい、鎖の先端についた手のような刃で逆鱗を鷲掴みにする。
 それが、間違いだった。
 豪食竜の凄まじい絶叫に、周囲の者たちの鼓膜が貫かれる。豪食竜は一瞬にして穴を足で蹴り壊し、飛び出しながら陽子を、トトリを、グランギニョルを尾で薙ぎ払った。
 同時に業火を吐き出し、辺りを炎熱地獄に変える。土を溶かし、土を燃やし、空気を赤く輝かせる。激烈な怒りに豪食竜の傷がすべて回復して、黄金の鱗が全身を覆っていく。
「こ、これはっ……」
 陽子は地面に叩きつけられ茫然としたが、ただちに跳ね起きて駆け出した。豪食竜とは逆方向へ、力の限り。これは暴走などというものではない。豪食竜の存在が、数十倍に膨れ上がっているのを感じた。
「ぐげっ!?」
「逃げるぞ!」
 グラナダはテラーの首根っこを親猫のごとく引っ掴み、豪食竜のかけらを集めた袋を背負って、大急ぎで飛び立った。
 尋常ならざる危険を察し、散り散りに逃走を始める契約者たち。しかし、豪食竜は彼らに焔を叩きつけ、爪で肉を削ぎ、血しぶきを上げさせる。それは、これまでに奪われた肉体の復讐をしているかのようにも見えた。
 阿鼻叫喚の地獄。
 そこへ、一人の男が現れる。チャイナ服を身に着け、湯気を上げる屋台を引っ張って。モヤシたっぷりのラーメンを屋台いっぱいに用意して。
「こいつが、豪食竜ジローか……」
 彼の名は渋井 誠治(しぶい・せいじ)。種モミの塔で『麺屋渋井』というラーメン屋を経営する、一介のラーメンの徒だ。『麺屋一流』はライバルにあたるが、同じラーメン道を追求する仲間を放って置くわけにはいかない。そして、それに関わるあらゆる人々も。
「来い、豪食竜ジロー! オレが相手だ!」
 誠治は峡谷に響き渡るほどの大声で呼ばわった。
 豪食竜はモヤシラーメンの匂いを嗅ぎつけて急降下してくる。
 誠治は屋台を引いて疾走した。自分が囮になっているあいだに皆が逃げのびてくれれば。そういう、自己犠牲の思いだった。
 しかし、怒り狂った豪食竜はすぐに距離を詰めてくる。屋台の屋根を囓り取り、肌の焦げるような高熱の息を誠治に吹きかける。
 豪食竜の顎が突き下ろされた。誠治は屋台を大きく斜めに傾かせて回避する。飛び散るラーメンとモヤシ。豪食竜はそれを巨大な舌で舐め取る。誠治はそのあいだに距離を稼ぐ。
「来いよ、まだまだ喰えるだろ? オレとお前の根比べだ!」
 これは勇気などという立派なものではない。精一杯の格好つけ。誠治の男としての意地だった。